>> 鈍色の西洋銀貨
雑踏は今日も心地よい靴音を響かせ、風が吹けば僅かに砂埃が舞い上がる。
人は多いが誰もがやたらと早足で、街角に店をかまえた占い師の存在などに見向きをするものもない。
(今日は何かしら『ある』と、そう占いに出ていたから店を出したんだがな)
手塚海之は一つ深くため息をついてから、ポケットの中に入れっぱなしにした西洋銀貨を指先で弄ぶ。
黒いクロスをかけたテーブルの上に、いかにもな雰囲気で掲げられた「占い」の看板は友人である雄一の自信作なだけあり道行く人も思わず足をとめる独自のデザインなのだが、今日の街は迷える子羊よりも歌うたいの羊飼いの方がよっぽど多いようだった。
眼前でタロットカードを広げながら、誰の為ともない占いをして客の気を引こうとするが相変わらず立ち止まるものの気配はない。
ルーン文字に占星術、カバラナンバーに風水……占いと名のつくものであれば一通りは心得ていた手塚が一番得意としていたのは、コインによる占いであった。
占い……いや、半ば予知といってもいいだろう。
ただ3枚のコインを弾いて出る直感は単なる占いと呼ぶにはあまりにも強いヴィジョンを彼に与え、驚くほど明確な未来を予測して見せた。
テーブルの上で回転する鈍色の銀貨が、彼の脳裏に走馬燈のようにイメージを走らせるのだ。
目の前にいる人物の過去の苦悩や今の境遇、そして近い未来におこる不運まで……運命の断片を見据える能力を与えられた男、それが手塚海之であった。
しかし、未来がわかるという能力は決して彼に幸運ばかりを与えなかった。
運命を見通す目を持っていても、運命を変える強い意志力や運、そして強い縁などがなければ、未来は早々にかわる事がないのだ。
今まで幾度も、悪い予見に抗ってきた。
だが報われた事など片手で数える程しかなくその殆どが徒労に終わっている。
そもそも未来がわかるなんていう言葉、他人にとっては胡散臭いだけなのだろう。
それが悪い予感なら尚更だ。
多くの友人やクラスメイトたちが彼の予言に驚かされ、気味悪がられ、そして運命に飲み込まれていった。
そうして変えようのない未来に幾度も翻弄され続けた結果、手塚はいつしか運命に身を委ねる事の方が増えていた。
しがない占い師となったのは、占いを頼る相手ならば幾分か自分の言葉に耳を傾け、運命を変える可能性が一欠片でもあるだろう。そんな楽観的とも言える希望を求めたからに他ならない。
そして手塚は今日も日当たりのいい公園に陣取り、簡素な占い場を設け客が来るのを待っているのだった。
通りすがったのは、女子高生だろうか。
占いや運命という言葉に敏感な年頃なのだろう。二人並んで、興味津々といった様子で先ほどから幾度もこちらを振り返っている。
「やってみなよ、気になってるんでしょう」
「えぇ、やだよぉ、恥ずかしい……」
内緒話のつもりだろうが、少女たちのやや高い声は静かな公園でよく響く。
内容からして、恋愛事が絡んでいるのは間違いなさそうだ。
「もう、人に話すのだって死ぬ程はずかしいんだもの……」
今時珍しい長い黒髪の少女から、笑顔とともにそんな言葉が漏れた。
死ぬほど……………。
少女にとって人を愛するという事は、命を賭す程の勇気が必要な事なのだろう。少なくてもこの世界では愛だの恋だので心を煩わす事が、死にも至る唯一の病なのだ。
平和な事だ、と手塚は思っていた。
だが同時にそれが幸福な事だとも思っていた。
刃を交えて実際に命のやりとりをする……。
そんな事が現実におこらないという日常がこの上なく幸福で尊い事だと手塚は常に考えていたのだ。
理由は、よくわからないのだが。
「へぇッ、占いなんて非科学的な事やってるなんて、面白いじゃ〜ん」
物思いに耽る手塚を前に、一人の青年が現れたのはまさにその時であった。
何処か表情にあどけなさを残すその顔は無邪気で、世の中の苦労といったものとは到底無縁に生きてきたのだろう。まだ年若いのだが着ている衣服は立派なものだし、磨かれた革靴は恐らくオーダーメイドの一品だ。
素性はしれないが、そこそこ裕福な家で育っているのは間違いない。
青年は大げさな手振りをすると、角においてある水晶玉をのぞき込んで笑って見せた。
「大体さァ、占星術っての? あれって確か、場所とか時間の星の位置で占ったりするんだよね。そういうのさ、パソコンのデータとして取り込めば、あとは数字を入力すれば全部出来ちゃう訳でしょ。実際、そういう無料占いサイトとか結構出来てる訳だし。そのご時世に占いなんてさ、儲かったりするのかな〜」
冷やかし半分、興味半分といった様子だった。
占星術の知識は一応ある様子から、頭はそれほど悪くない風に見える。だが、その話し口や素振りからは何処か子どもっぽさを感じさせた。箱入りで育てられた少年特有のおそれのなさ、無邪気さがにじみ出ている。
「俺の占いは当たる」
手塚はそっけなくそう言うと、目の前で広げていたカードを手早く片づけて得意のコインを一枚投げた。
黒いクロスの前で回転する銀貨が、まるで紡ぎ糸のように運命をたぐり寄せる。微かに浮かんだヴィジョンは暗く重い雲がたなびき、彼は無意識に表情を崩した。
「で、そのあたる占い、いくら払えばやってくれるワケ? ……俺の運勢っての、勿論、見てもらえるんだよねーっ? ほーら、前金ちゃんと払うからさ」
眼前の青年は子どものような無邪気な笑みで、だが何処か人を軽んじるような所作を見せながらこちらの顔をのぞき込む。暇つぶしで顔を見せただけの様子だったが、どうやら金はあるようだ。前金、といって差し出した金額は手塚が普段占いでもらう金額のゆうに倍はあった。多少、金銭感覚にうとい所もきっとあるのだろう。
「それでさ、それで……俺、実は占いっての俺初めてなんだよねー。何かこっちから言った方がいい事とか、あるワケ? ほら、名前とか、生年月日とか……俺、芝浦淳っていうんだけどさぁ」
しばうら、じゅん。
その名が何故か手塚の記憶をくすぐる。
何処かで聞いた事があるような、あるいは会った事があるような……そんな名前だった気がしたからだ。
だがすぐに手塚はそれが、自分の単なる思い違いだという事に気付く。
芝浦、といえば有名メーカーの「芝浦グループ」がある。淳という名前もそれほど珍しい名前ではない。きっと新聞かどこかで見た名前なのだろう……。
手塚はそう思い直して、芝浦の姿を見据えた。
「名前も、年齢も……俺の占いには何もいらない。座って、顔を見せてくれ……」
静かで落ち着いた、だが有無を言わせぬ気迫のこもった声で語りかければ、流石の芝浦も少し気圧されしたのだろう。その威圧的な。だがどこか神秘的な雰囲気に流されるよう頷いて、手塚の黒い瞳を見つめた。
芝浦が頷き視線を向けた事を確認してから、手塚は改めて三つのコインを弾く。
鈍色の西洋銀貨は手塚が最初に覚えた占いであり、そして今でもよく使う、一番あたる占いの方法であった。
表へ、裏へ。
まるで自らの運命のように転ずるコインはやがて静かにクロスへ墜ちる。
「ふぅん……そうか、なるほどな……」
手塚は一度頷くと、並んだコインを見て思わず唸っていた。
「ちょっ、どうしたってんだよ。自分だけ納得してないで説明してくれないと、こっちはワケわかんないんですけど? ……あー、それとも、アレ? そーいう脅すような真似して、こっちを脅かそうって手法? ふぅーん」
芝浦と名乗った男は強がって挑発するが、僅かだが声がうわずっているのがわかる。占いなんて信じないといった風だが、内心この手の神秘性を認める所もあるのだろう。手塚は微かに笑うと自らの唇にその指先で触れた。
「良くはない、な。近いうちに災厄に巻き込まれるだろう」
「ちょっ、マジで言ってるのかよ。あー、わかった。そういって高いツボとかうっちゃうパターン? ……詐欺だよね、そういうの」
最初からあからさま悪い話をしはじめた事がよほど気に障ったのか、芝浦が手塚に向ける視線は一気に詐欺師を見るようなそれへとかわる。だが彼はもうそんな視線にはすっかり慣れきっていた。
「だが心配するな、運命は変えられる……お前の災厄を払う人影が見えている……大事には至らないだろう。それは、長い友人になる。大事にするんだな」
手塚は悠然と手を開くと、自信ありげにそう告げる。
芝浦はしばらく座って胡乱げに彼を見据えていたが、それ以上手塚が何もいわないので「これで終わりだ」と認識したのだろう。左の頬だけ膨らませると。
「ふ〜ん、占いってそういう事するんだ。思ったよりアナログだけど、ちょっとは楽しめたかな。じゃ、これ、お礼の代金。じゃあね」
そう言いながら、さらに一枚紙幣を置いて鼻歌交じりで立ち去っていった。
やはり金銭感覚に疎いのだろう。どう見ても多すぎる金額を帰すために声をかけようとするが。
「すいません、私も占ってもらえませんか」
先ほどからこちらを見ていた少女たちが、上目遣いでやってくる。
恐らく芝浦が帰るまで、順番を待っていたのだろう。無下に断るワケにもいかない。
「……まったく、釣り銭くらい受け取っていけばいいのにな」
手塚は一度ため息をつくと、現れた少女たちへと向き合った。
公園は日も温かく、何処からか心地よい風も吹いていた。
公園の片隅で店を構えていた占い師の前に座った理由は他でもない、今夜ホテルで行われるパーティまで時間が大分あったからだ。
普段であれば両親の準備した車に乗せられ、両親の準備したスーツに身をまとい、両親から宛われたネクタイ、鞄、靴、時計……そういったものに飾られて豪奢な晩餐会へと赴く所のだが、大学に通い始めた頃から芝浦はそういった束縛から逃れようと抗っていた。
与えられる事が、当たり前だと思っていた。
そんな生活から抜け出したいのもあったし、もっといろいろな人やものを見てみたいというそんな思いもあった。
……自分は頭が悪い方ではないと、そう思っていたし、子どもの頃から人の心。その有り様を漠然とだが理解して、どうすれば喜ぶのか、どうすれば怒るのか……そういった事を計算し、操る事が出来るようになっていた。
それは一つの才能だろうと、芝浦は思っていた。
だがその才能が何処まで通じるものなのか、本当に自分だけが使えるものなのか、その点においては全く自信がなかったのだ。
両親は裕福で、幼い頃から得る事のできないモノなどなかった。
勉強も優秀だったし、運動だって人並み以上にはこなしてきたつもりだ。
習い事も多く経験しているし、多くの著名人とも親しく接している。
だがそういった一部の人脈とばかり接している事により自分が酷く幼く、そして世間知らずである事を芝浦は漠然と自覚していたのだ。
親のすすめであった大学ではなく、学びたい専門分野のある大学を専攻したのも、一人暮らしをし始めたのも全て自分を試す為である。
最初こそ戸惑う事も多かったが、今はもう自動改札機の使い方にもなれた。
カードが使えない店で食事する事も増えたし、サラリーマンの好きそうな居酒屋や一人でゆっくりと過ごせる喫茶店なども見つける事が出来た。
その中で、芝浦は少しずつ実感していたのだ。
自分は確かに人を操れる才能がある。だが、操らずとも自由に生きる人間を見るのは存外に楽しい事だという事を。
その日は占い師をからかった後、パーティが始まるまでゲームセンターで時間を潰していた。
格闘ゲームや弾幕のシューティングゲーム、実際にのって走れるドライビングゲームや、ガンシューティング、色とりどりのプライズゲーム……。
つい熱を上げ得意の音ゲーで自己最高スコアを出した時には、すでにパーティの時間を過ぎていた。
「あっ、まっずいな……また高見沢さんに嫌味言われるよ。コレ」
学生が持つには少々派手な時計に目をやると、彼は慌てて走り出す。
目的地のホテルまではやや距離があるが、タクシーを呼ぶ程ではない。それにもとより芝浦は、最近このような顔みせだけのパーティに半ば飽き飽きしていたので車を使う気にはなれなかったのだ。
ホテルはここから見えている。
遅刻といっても最初は長ったらしい挨拶から始まるものだから、それが終わるくらいに紛れ込めばいいだろう。
両親は怒るだろうが、懇意にしている高見沢という男はやたらと彼を気に入っていた。高見沢が一声かければ、きっと丸く収まるだろう。
とはいえ、全く急がないのも悪い。
せめて懸命に走ったふりくらいしなければ……そんな気持ちでふらふらと街の中を疾走する。あれこれ考えていたために、注意力が散漫だったのだろう。あるいは気にしないようで、自分が思っていた以上の焦りがあったのかもしれない。
「危ない!」
誰かのそんな叫びに気付いた時には、すでに彼の眼前に蛇行する黒い車が迫っていた。
近いうちに、災厄に巻き込まれるだろう……。
昼に出会った占い師の、静かだが妙に心に刺さる言葉が鮮明に思い出される。
あの時の占い師はあの後、何といってただろうか。他に何と……。
「マジかよっ……嘘だろ」
これで、終わりか。
あの時みたいに……。
いや、あの時って何時だ……。
複数の鏡を重ねたような奇妙な記憶が駆け巡り、一瞬あの占い師の姿が脳裏によぎる。
手塚……海之。
彼はそういう名だったのではないか、そうやって以前会ったのでは……。
芝浦がその世界をかいま見た、その刹那、彼の背後から何かの力が加わった。
蛇行した車は彼の鼻先をかすめた後、激しい音とともに派手に電柱へとぶつかってようやく止まる。
芝浦が我に返った時、迫っていた車はすっかり歪みもうもうと白煙をもあげていた。
身体に痛みはない。
どうやら、無事だったようだ。
だが心は幾分も衝撃を受けたのだろう、芝浦は無意識にその場へと座り込んでいた。
「あ、あは……は」
力無く笑う彼の頭上で「言ったろう、俺の占いはあたる、ってな」そんな、聞き覚えのある声がする。
驚いて見上げれば、昼間出会ったあの占い師が、穏やかな笑みを浮かべて彼の傍へ立つ姿が見えた。
「あ、お前は……手塚海之」
鏡の裏にあった記憶の世界。
そこで出会った名前が無意識にこぼれ落ちる。
名前を呼ばれた男は驚いたような、だが少し納得したような顔をすると、僅かに一度頷いて見せた。
「確かに……俺は手塚海之という。だが、お前に名乗っていたか?」
「えっ? あ……どうだろ。でも……」
「……まぁ、どうだっていい。芝浦淳。どうだ、俺の占いはあたるだろう?」
少し得意になって微笑む手塚の表情は多少気に障ったが、助けてもらったのだから文句は言えない。
「ん、そうだね。一応認めておいてあげるよ……」
「しかし、まさか釣り銭を渡しに来て、お前を助ける事になるとはな……」
「釣り銭?」
「あぁ、そうだ……ほら」
手塚はそう言いながら、昼間に渡した札を握らせる。
「普通、占いでこんなに金は払わない。覚えておくといい」
「何だよ、もらっておけば良かったのに律儀だね〜」
「そうだ、俺が律儀だったから助かったんだぞ」
そう言われれば、納得するしかない。
芝浦は頬を膨らましながらも「わかったわかった」そう手だけでジェスチャーした。
「しかし、まさか俺が助ける事になるとはな」
「ん、どうしたんだよ手塚」
「……お前、占いを覚えてないのか?」
「最初の方は覚えてたけど……後の方はさ、今のショックで吹き飛んじゃったよね。だってさ、俺今死にかけたんだよ? 普通覚えてられないって」
屈託なく笑う芝浦に、手塚は半ば諦めたようなため息をついてみせる。
それは運命なのか、それとも偶然なのか芝浦にはわからなかった。
だが何とはなしに彼が自分を気にかけてくれたこと、そしてこうして彼により助けられたのは、単なる偶然じゃないというのは察する事が出来たから。
「……へへー、ありがとな、手塚」
自然と出た言葉は「ありがとう」だった。
何故だろう、こんな自然に「ありがとう」を言えるのは、酷く久しぶりな気がしたのは……。
「で、ありがとうついでに悪いんだけど。えーと、手塚海之?」
「ん、何だ」
「……俺さぁ、腰抜けちゃって歩けないみたいで。急ぎの用あるんだよ! ……支えて連れてってもらえないか。ほら、ここから見えるあのホテルまで。なぁ!?」
突然の提案に、手塚は少し驚いたような顔を見せる。
だが。
「……いいだろう。お前とは、長いつきあいになりそうだからな」
何故かその何げない日常がとても尊い気がしたから、手塚はさして嫌な顔をせず、足を引きずる芝浦に肩を貸すと二人並んで歩き出した。
それは、運命か。
それとも偶然か……。
かつてお互い牙をむいた者たちは、今はその闘志をおさめ二人並んで歩み出す。
外灯の下、二つの影は連なり揺れるように歩み出していた。