>> 鉄と雨






 ……追放同然、着の身着のままの状態で国から追い立てられてから、一体どれだけ経ったのだろう。
 今度こそはと放浪の果てに行き着いたアメリカ暮らしも他の国々と同様に、決して楽なものではなかった。

 何処の国でも金がないヤツと、素性のしれないヤツにはマトモな生き方は望めない。
 そして生憎俺はそのどちらも持ち合わせていないのだ。

 「マトモ」に生きようとすれば、飢え死にするしかない。
 その日を過ごす為には、汚い仕事を引き受けるのも仕方ない事だったのだ。

 ……それでも、俺だって落ちぶれてはいても王宮護衛官としての自尊心がある。
 かつて王を守ってきた気高い技を、腐った金を得るためには極力使いたくはない……。

 落ちぶれた俺はそんなわずかな自尊心から汚い仕事は極力避けていたし、後ろ暗い仕事をする時でも護衛式鉄球の秘技はよっぽどの事態がない限り使わないよう心がけていた。

 そうして汚い金を掴む事で、不自由な俺のアメリカ暮らしもなんとか形になりはじめていた。
 簡素なものばかりだが必要なものは一通りそろい、ようやく腰を落ち着ける場所が出来たように思える。

 だが、その生活を得るために奪ってきたものはあまりにも多く、俺の道にはあまりに多くの赤い躯が横たわっていた。

 だからその日、数人の男たちが俺の後をつけていたとしても、あまり不思議には思わなかった。

 ちょうどこの地域を取り締まる元締という男から、そこそこ名のある富豪を一人、愛人ごと処分したばかりだ。
 富豪側の人間が雇った暗殺者か、従順な手下か……あるいは俺の知らないマフィアのやりとりがあったのかもしれない。

 とにかく、心当たりが多すぎてどの勢力が俺を追いかけているのか、もはや見当もつかなくなっていたのだ。

 数歩、歩いてから歩みを止めれば、後ろの靴音もぴたりととまる。
 試しに少し走ってみれば、数人分の足音も小走りになる気配を感じる。

 お世辞にも上手い尾行とはいえないが、誰かが後を付けているのは最早疑う余地はない。

 空には重い雲が垂れ込め、昼頃より降り始めた雨がいよいよ本格的に身体を打ち据えはじめていた。
 帰路につこうと向かっていた裏路地に敷き詰められた石畳の上を、雨粒はさも楽しそうに踊る。
 両隣にある煉瓦造りの廃屋は迫るように反り立ち、まだ夕暮れから間もない時刻だというのに周囲を暗くする手助けとなっていた。

 もし連中が自分に害をなすために尾行していたのなら、ここは襲撃にお誂えむきといえるだろう。
 誰かが水たまりを踏み、泥が跳ね返った音がする。

 人数は……3人、といった所か。
 俺が進む方向からやってくる影はない。尾行にしては足音に気配りがないあたり、最初からこっちを襲撃するつもりなのだろう。

 幸い、他に俺を狙っている輩はいないようだ。
 足音もしないし、前からやってくる人影も見られない。

 ……3人であれば、始末できない数ではないだろう。
 そう思った俺は腰につけていたベルトの上から、歪な形の鉄球にふれていた。

 鉄球の中に「衛星」と呼ばれる小さな球体をいくつも取り付けたそれは、故郷の国ネアポリスで王を護衛する為に使われていたものだった。
 無粋な仕事では使うまいとしている技術だが、身を守るためならやぶさかではない。

 俺は石畳の道を振り返るとて鉄球を納めたベルトから一つ、それを取り出し雨音の中で耳をそばだてた。
 雨足は強くなっていたが、それでも闇に紛れた気配は確かに俺の耳に届く。

 一番近い相手は、どうやら朽ちかけた廃屋の扉、その影に潜んでいるようだった。


 「……俺に何の用だ? もっとも……答える必要はないがな」


 宣戦布告のつもりで声をかけながら、俺は腕の中で鉄球を回転させながら投げつける。
 すさまじい回転のエネルギーを得た鉄球はそのまま弧を描いて、扉の影へ……あかりのない外灯の傍らへ……さらにその奥へ、離れて要すを伺っていた男たちの身体すれすれをかすめるように飛んでいった。

 相手も戦いに関しては、ずぶの素人だという訳でもないのだろう。俺が立ち止まり振り返るのを見ると同時に銃へと手をかけたが、彼らが銃を抜くよりも俺の処弾が早かったろう。

 投げた鉄球は相手に当たらなかったが(もっとも俺も、あてるつもりで投げた訳ではない……あててしまえば相手の命さえ取りかねない、この鉄球にはそれだけの威力があるのだ)、その後に鉄球から弾けた衛星は容赦なく男たちの肉を抉る。

 弾ける飛礫のような衛星は、小さいがそれ一つ一つに特殊な回転が加わるよう設計されている。
 命中したわずかな傷でも内部まで食い込み、神経までえぐり出すその痛みに耐えられるものは早々いない……そんな衛星を、どうやら手前にいた男はその身体にまともに受けてしまったらしい。

 うずくまるうめくだけしかしない……少なくてもこれで一人、むかってくる事はないだろう。
 あと、二人だが……。


 「くそ、あいつ……妙な事しやがって」
 「大丈夫か……? 今すぐ終わりにする、そうしたら治療してやるから……」


 男たちはやたら上品な英語でそういうと、銃をかまえたまま向かってきた。
 暗がりにいる俺を確実に仕留めるため、距離を詰めようという魂胆だろう。

 だが俺はその二人もさして恐怖は抱いていなかった。
 そろそろ護衛式鉄球の真の能力……左半身失調がくる頃合いだと、思ったからだ。


 「!? どういう事だ、身体が……」


 異変に気づいたのは、先に進んでいた男だった。自分の左手を眺めながら、それを認識しない身体に困惑している風だった。
 驚いたように立ち止まると、見えない手をぱたぱたと小さく降って動かしている。

 それから、少しおくれてもう一人。


 「消えた!? 俺の身体が……」


 そう呟き、その場へ膝をつく姿が見える。
 これで男たちの戦意が殆ど失われているのは見てとれたが、それでも確実にしとめておきたい……俺は足音をたてぬように男たちへ近づくと、それぞれ左側の死角へと滑り込み、手早く二人の腹を拳で貫けば、うめき声をあげながらその場へ崩れ落ちる。

 手加減はしているが、これでしばらくは動けないだろう。
 俺は、這々の体で逃げまどう男たちの後ろ姿を眺めると、何もなかったように路地裏を進み始めた。

 血濡れた手でつかんだ、ささやかな住処へ戻るために……。


 「……なるほど、それが鉄球……ネアポリスの技術ですか」


 その時、不意にそんな声がする。
 どこかで誰かが見ていたのか……声の方を探れば、いったいいつからそこにいたのだろう。数ヶ月前に閉店し、看板だけ残したバー……そのバーの看板の上に腰掛ける、黒衣の男の姿があった。

 雨に濡れたブロンドからは、滴がしたたり落ちている。
 自信なさげな表情とは裏腹に、底知れぬ「何か」を隠している……そんな雰囲気をもつ男だ。

 もちろん、見覚えはない。
 寄る辺ない身の上である俺は、仕事をする上でも友と呼べる存在をつくってこなかったからだ。

 だがいったい何時から俺を監視していたのだろう。
 そしてどうやって、あんな場所に登ったのだろう。見る限り周囲には、梯子の類は見られないのだが……。

 疑問が渦巻く俺を前に男は、まるで階段から降りてくるようにふわりと……足音もたてず静かに、高く掲げられた看板から路地へと降りてきた。


 「はじめまして、ウェカピポさん……先ほどはスイませェん……貴方の実力を直に見たくて、あのような無粋な連中を差し向けて……お手間をとらせました……」


 見知らぬ男は、静かにこちらへと手を伸ばす。紳士的な所作だが、どこかこちらを警戒させるにおいがその男からした。
 男の口振りだと、さっきの連中はどうやらこいつの差し金らしい。

 ……確かに、今し方追い払った3人の男達よりはるかに危険なニオイを感じる。
 潜ってきた修羅場も手がけてきた命も、きっと俺の比ではないだろう。
 しかもこの男は「それが大義」という確固たる自信の元で、手を下している。

 ある種の狂信者と同じような雰囲気が、厚手のコートより差し出された手からにじみ出ていた。

 危険だ。
 俺の本能が、そう警鐘を鳴らす。

 伸ばされた手を握らず、じっと見据える俺を見て彼は一つため息をついた。


 「握手もしていただけないですか、まぁいいです……」
 「お前は……誰だ? 俺の名をどこで……」


 雨の中だというのに、口の中はすっかり乾いていた。
 この男の奇妙な雰囲気に、半ば飲まれているらしい……いけない、少し冷静にならなければ。

 焦る俺とは違い、男はいたって表情を変えず雨の滴で濡れた髪を指先で弄っていた。


 「スイませェん……少しだけ、調べさせてはもらいましたが……結構有名ですよ、貴方は……受ける仕事のえり好みは激しいものの、受けた仕事はきっちりこなす、異国の始末屋として……ね」


 どうやら先方はこちらの仕事についてはもうすっかりご承知済みといった様子だ。
 ……保安官か、何かだろうか。目立たないよう生活をしてきたつもりだが、どうやらあまり多くの仕事を請け負いすぎていたらしい。

 次はもう少しマトモな仕事を選び、慎ましい生活をするとしよう。
 そう……こいつを仕留めた後で。

 俺の指先は自然と熱くなり、鉄球をなぞる手にも無意識に力が籠もっていた。


 「それで……見せていただけませんか。あなたのその……鉄球の、技術を」


 ……相手はどうやら俺の技術についてもある程度調べをつけてきているらしい。
 すると、さっきの3人は俺の力量を見極める為に雇った相手か……俺の能力を推し量る為の捨て駒だったのかもしれない。

 俺は手元に戻ってきた鉄球を構え、相手と距離をとる……。

 本来この護衛式鉄球は、一人で敵を相手にする為の技術ではない。
 二人、あるいはそれ以上のチームを組み、左半身失調で見えなくなった影からターゲットを取り押さえる為の技術だ。

 だがそれでも、相手が一人であれば充分戦える。
 ましてやこの距離だ……男たちに向かって投げた鉄球も、もう自分の手元に残っている。

 二つの鉄球。こいつは確実に……沈める。

 腕の中で回転をかけ、充分に威力をつけた鉄球を男に向かって投げる。
 ……鉄球は、俺が思っていた軌道をわずかにそれたものの、飛び散った衛星が男の頬をわずかに嘗めた。


 「……なるほど、今のが護衛式鉄球。後にとんできたのが、衛星と呼ばれるもの。そうですね」


 頬の皮一枚を切り裂き、わずかに滲む血を指先で確かめる。
 ……どうやらこちらの手の内をかなり調べてあるらしい。やりにくい相手だ……だが、すでに相手をしとめられるだけの射程距離には入っている。

 鉄球の軌道が少しそれたのだけは気になるが、左半身失調も程なくおこる。
 左側からなら俺を視認することも、俺が鉄球を投げる事を予測するのは不可能だろう。

 左半身失調がはじまったのか。
 男は少し驚いたように眉を動かし、自らの腕を眺めた。


 「そしてこれが……左半身失調。すばらしい技術です……」


 俺はその声が聞こえるが早いか、男の視界よりはずれ鉄球を投げる。
 鉄球は男の身体をとらえる……はずだった。

 だが、鉄球は男に到達する前にただ回転をつづけ、留まる。
 男の前にくる以前に……まるで男と鉄球の前に分厚い壁があるかのように鉄球は留まり、そして回転をやめた。


 「!? どういう……」


 どういう事だ。その言葉を全て語る前に、俺の眼前へ黒い「腕」が迫っていた。
 ……男の腕だ。
 雨をつたってまるで滑空するように、俺の喉を捕らえたのだ。


 「はぁっ! ぁ……」


 喉を捕らえられた俺は、声を出すのもままならないままただ、吐息を漏らす。


 「……スイませぇん、ウェカピポさん。ほんの少し、聞きたいんです。ほんの少し」


 男はまるで影のように、俺の傍らに赴く。
 そして自らの顔を近づけると。


 「……見えますか、この仮面が……?」


 問いかけるように、そう言った。
 男は鋭い視線で俺を射抜く……その顔には何かうっすらと影のようなものは見えた。だが「仮面」のようなものは見えない。

 見えるのはただ、男の顔。
 仮面のように凍り付いた、大義を盲信する男の表情ただそれだけだった。


 「何をいってるんだ、おまえは……仮面など」


 首を絞める腕の力がどんどん強くなる。
 男から離れているのに、どうして俺の喉にはこの腕がこんなにも強く食い込んでいるのだろうか……。


 「雨……」


 わかった、男はこの「雨」を利用できるのだ……雨を、固定し……。
 雨にふれた箇所であれば身体を分離させ……雨から雨へ、離れた部位をも自由に動かす事ができる……どういうまじないかは知らないが、男はきっと、それが出来るのだ。

 最初は何だったかわからなかったが、カラクリがわかればどうという事もない。
 もう一つ鉄球はある、これで反撃を……意識を失う前に……。


 「……なるほど」


 ふと、男の腕その力が弱まった。
 せき込みながらその場に伏せる俺を前に、男は一枚ハンカチを差し出す。シルクの……なぜか甘いにおいがするハンカチだった。


 「貴方はどうやらスタンド使いではないらしい……だが、私の能力をある程度看破しているようだ……そう、ですよね、ウェカピポさん。貴方は素晴らし観察眼がある。その上素晴らしい技術もある。気に入りました……そう、とても……」
 「何を……お前は……」

 「ブラックモアです。私の名前はブラックモア……必要とあればまた、貴方をご招待致しましょう」


 ふわり、男の身体が宙に舞う。
 ……雨を伝い、階段を上るように……雨粒の中、去っていった。


 「あいつは……」


 何だったんだ。考える間もないまま、俺は鉄球を拾う。


 「くそ……」


 試されたのか、バカにされたのか……。
 あいつは「スタンド」云々といった。何か俺の知らない技術が、この世界にはあるというのか……。


 「くそっ!」


 だが、今度は負けるような間抜けな事はしない。
 「スタンド」という特殊な能力があるのなら、それを念頭において戦うだけだ……。

 今度あった時は、確実に仕留めてやる……。
 最も、敵として出会ったのであれば、だが。


 ……そんな俺の元に「大統領からの招待状」が届くのは、それより数日たってからの事だった。






 <架空のブラックモアさんです>