>> 肩に留まる





 ……民俗学を学ぶ者は、ただ資料に胡座をかき紫煙を燻らせ理論をこね回していればいいってモノではない。

 手に入った資料の信憑性。
 現在に残っている文化、風習の調査。
 その他諸々の「生きた資料」を手に入れる為に、現地へと赴く事……フィールド・ワークも大事な仕事だと、少なくても俺はそう思っている。

 だから俺は今日も、フィールド・ワークに勤しむ為、神奈川の山中にある寺まで赴いていた。
 理由は他でもない。

 教え子の一人から、この寺にある奇妙な「鬼」の伝承を聞き、その伝承に興味が出たからだ。

 ……元来、鬼とは「隠(おぬ)」であり、隠の文字が示す通り形のある妖怪の類ではない。
 言うなれば、精霊的な存在の中でも災いを起こすもの……悪しきものを総じて「隠」と呼び、恐れ、忌みじていたものだ。

 現在の姿になったのは、仏教の流入による「羅刹天(ラクシャーサ)」の姿に鬼門の方角。
 即ち丑虎の姿が重なって形となっていったともされているが、これもまだ諸説あり明確な起源は定まってない。

 ……と、概ねそのような資料を以前まとめた気がするが、その資料が今回は役に立ったらしい。

 アメリカでの学会を無事終え帰国した直後。
 真っ先に俺を出迎えたのは、教え子の間宮ゆうかだった。


 「お帰りなさい、霧崎先生! あのね、私この前、先生の義弟(おとうと)さんに会ったんです、そしたらね……」


 彼女はそう切り出すと、義弟と出会った事。そして義弟が携わった事件に関して、嬉々として語りはじめた。

 ……義弟は、警視庁で刑事をしている。
 とはいえ、最初の事件で何かしでかしたのか、すぐさま左遷され今は刑事らしい仕事も回らぬ部署。

 警察史編纂室へ、移動になったと聞いている。
 編纂室が何をする部署だか、純也から……義弟からは何も聞かされてはいない。

 だが、以前協力した事件……。
 「こっくりさん」にまつわるあの事件を思い返してみても、マトモな事件を取り扱っている訳では無さそうだ。

 どういう訳か、彼女は俺の義弟が……純也が刑事である事を聞きつけ、事件があったら協力するよう。
 「書いてくれるまで離れませんからね!」といった勢いで、トイレの中まで付いてきて誓約書を書かせたが……まさか、本当に事件に首を突っ込むとは。

 普段からあっちへこっちへ。
 フィールド・ワークと称してフラフラしているとは思ったが、事件がある場所にまで赴くとは完全にこちらの想定外だった。

 何かと人の事を振り回すのがこの間宮ゆうかという教え子だ。
 まさか出会う事はなかろうと思って書いた誓約書だったが、本当に出会ってしまうとは。

 計らずとも純也に、彼女を押しつける形になったという事かだ。
 純也には悪い事をしたな……。


 「そんな訳で、この私の活躍で純也君は無事に事件を解決したのでした〜。ね、ね、先生。すっごいでしょ、私の活躍!」


 彼女は虚実織り交ぜた(実際はかなり虚が勝っているのだろうが)語り口で、自分の活躍を熱弁する。

 ……この話も、純也が骨折した事以外は話半分に捉えた方がよさそうだ。
 元より、純也が関わる事件は現と幻の合間にある逢魔が時の話が多い上、彼女の語りは大げさすぎる。

 だが、彼女が調べた「鬼」にまつわる寺については興味深い。
 鬼子母神の逸話がある寺……。

 ゆうか君から聞いた鬼子母神の伝承こそは、よく伝わっている鬼子母神のそれと大差ない。
 だが角を失った鬼……の下りには、何か心に引っかかるようなモノを感じる。

 この感じ。
 単純な違和感とも違うようだが……。

 俺はその「学者のカン」と言うべき、心の揺らぎを信じて、その寺へ赴いてみる事にした。

 こっちに戻って、最初のフィールド・ワークだ。
 久しぶりに自らの足で出向く調査でもある。

 一人静かに、紫煙を燻らせながら思慮に浸りたかったのだが……。


 「先生、こっちですよ、こっち! こっちー!」


 ……寺の場所だけ教えてくれれば充分だったのだが。
 『先生、そういう時は有能な助手がついていった方がいいですよ! 私なら場所もわかるし、この手の調査は得意ですから!』

 彼女に早口でそうまくし立てられ、断る事も出来なかった。
 全く、こんなに強引で押しの強い教え子は初めてだ。

 しかも……。


 「……ごめん、兄さん。何だか、変な事になっちゃって」


 隣の優男が、申し訳なさそうに目を伏せる。
 僅かに癖のある髪を短くきった、見るからに柔和そうなこの男が、俺の義弟、純也……風海純也になる。

 義弟、というが俺の本名は霧崎水明。
 風海家の養子になった訳ではなく、ただ父である霧崎道明の親友である風海家に居候させてもらっていただけ。

 だから純也とは別に戸籍上、兄弟としての繋がりがある訳ではない。
 だが、7つ下の純也は俺を……お世辞にも人付き合いがいい方ではない偏屈な俺を、実の兄のように慕ってくれていた事もあり、俺にとって純也は本当の弟のような存在になっていた。

 何故、純也まで俺のフィールド・ワークに付き合っているのかというと、何て事はない。
 実はゆうか君は、寺の在処をよく覚えていなかったのだ。

 それで、偶然非番であった純也を引っ張り出し、道案内役をさせた……という訳だ。


 「もー、純也くーん! 霧崎せんせーい! 何やってるんですか、置いていっちゃいますよー!」


 道を知らなかった割に、ゆうか君はどんどん奥へと進もうとする。
 研究熱心なのはいい事だが……。

 隣を歩く純也は、まだギプスが取れて間もないのだろう。
 松葉杖片手ながら、歩くのに不自由さはなさそうだがそれでも山道は厳しいようだった。


 「大丈夫か、純也? ……まだ傷は完治してないんだろう? 痛いなら、待っていてもいいんだぞ」


 俺の言葉に、純也は弱々しく笑って見せる。
 ……コイツは、昔から誰にでも優しくあろうとする。優しくあろうとして、無理をしすぎる所もある。

 今日も、怪我の痛みはあるが、ゆうか君の頼みを断り着れず付いてきてくれたのだろう。
 こんな事になるなら、調査なんてもっと後でもよかったのだが……。


 「心配ないよ、兄さん。これでも刑事だ、体力には自信があるし……リハビリの先生にも、骨はもう繋がってるから少し歩いて筋力を取り戻せ。って言われてるしね」


 そういえば、以前は骨折後はなるべく安静にが普通だったが、最近は骨折した後も動かした方が治りが早いのだと、人見も言っていたか。
 リハビリに関しては病院によってパターンがあるようだが、純也の担当は動かすのを推奨しているようだった。


 「それに、以前から兄さんの研究にも興味あったし」
 「俺の? ……俺のようなオカルト研究家が何をしているのか、刑事が気になるモノかね?」

 「正直、以前は兄さんの研究って変わってるって思ってたよ? でも……最近は、世の中に現実では推し量れないモノがあるなんて。そんな風に思えてきてるからさ……」


 純也はそう言いながら、松葉杖で支えた足を見る。
 ……ゆうか君が言うには、この足は「鬼」にやられたものだと言う。

 鬼、人の心にある隠された心……。
 実際、純也があの場所で何を見たのか、自ら語る事はなかった。

 だがアイツは、きっと体感したのだろう。
 ……科学や理論では割り切れない、不可思議な何かを。

 そう、ちょうど15年前の俺のように……。


 「もー、先生も、純也くんも、遅っそーい!」


 気が付けば、先を進んでいたゆうか君の顔が間近に迫っていた。
 あまりに俺たちが遅いから、引き返して様子を見に来たらしい。

 頬を膨らませ怒りを露わにしながら、俺たちを睨め付けた。


 「何やってるんですか、霧崎先生! 純也くんも! これじゃ、日が暮れちゃうでしょー?」
 「そういうがな……ゆうか君、純也は怪我人だぞ。あんまり急いでも……」

 「そりゃ、分かってますけど……でも、ここまで着たら私のジャーナリスト魂も黙ってられませんから! ね、ね、急ぎましょう!」


 今回はあくまで調査。
 オカルト関連のジャーナリズムは必要だとは思えないが、それを言うと彼女の場合かえって長くなるから聞き流した方が無難だ。

 流石に講義で顔を合わせていれば、自然と彼女の扱いも心得てくる。
 純也の方も、同じ感想を抱いたのだろう。

 ただ苦笑いをしながら。


 「じゃ、改めて行くよー! れっつごー!」


 等と語り、腕を高くあげるゆうか君の背中を眺めていた。


 「悪かったな、純也」
 「えっ? 何が、兄さん」

 「……事件の時、彼女が首を突っ込んだんだってな。ゆうか君は……見ての通りの性格だから、お前たちをさぞ振り回した事だろう?」


 実際、俺もアイツに随分振り回されている。
 勝手に研究室に入られたり、資料を覗かれたり……休日まで家に押し掛けられた事もある。
 熱心なのはいいが、アレは少々度が過ぎている。

 純也もあの娘と会ったのなら……その言動に振り回された事は、想像に難くない。
 だが。


 「そんな事ないよ、兄さん。たしかにゆうかさんは……初めて会った時は、少々面食らったけど」


 純也はまた笑った。
 だが、それは優しさからくる作り笑いではない、本心からの笑顔なのを俺は見逃さなかった。


 「……彼女は、手がかりがなかった僕たちに重用な情報を幾つも提供してくれた。それだけじゃない、気が折れそうになってた僕たちを何度も励ましてくれたんだ。たしかに、賑やかで少し強引な所はあるけど」


 木々の隙間から、木漏れ日が照らす。
 ……今日はやや日差しが強いようだ。

 揺れた木々の合間から漏れた光が、純也の頬に触れる。
 彼はその温もりに感謝するよう、その掌を空へと向けた。


 「でも……暗闇の中にあっても、彼女はいつも明るくあろうとする。何だかあの子は……無鉄砲で天真爛漫で、見ているこっちがドキドキする事もあるけど……太陽みたいな人だって、僕は思うよ」


 太陽みたいな……。
 普段近くに居る俺は、スピーカーみたいな娘だと思っているのだが……純也にはあの賑やかさが温かく思えるらしい。
 全く、好きずきとはいうが……。


 「ふぇっ!? きゃぁぁぁあ、やぁぁぁぁ!」


 その時、先に進んでいたはずのゆうか君と思しき悲鳴が聞こえる。
 何かあったのか……。


 「どうした、ゆうか君!?」
 「……ゆうかさん!」


 走り出したのは、俺よりも純也の方が早かった。
 まだ完治していないはずの足で、懸命に走り出す……その背中は、差詰め姫を助けに行く小さな騎士といった所か。


 「……そうか、なるほどな」


 ……全く、俺は相変わらず鈍感な奴だ。
 純也が怪我をおしてまで、彼女と共にきたのは単純に俺の研究に興味があったから、という訳でもないのだろう。


 「全く……これは俺のフィールド・ワークだってのにな」


 木の葉を揺らす風に誘われ、俺は煙草をくわえていた。
 ……だが、折角いい風なのだから、わざわざ煙を楽しむ事もないだろう。

 俺はそう思いなおし、くわえた煙草をしまうと、二人の後を追いかけた。
 恐らくは些細な事で純也に飛びついている、ゆうか君の姿を見る為に。




 「結局、目新しい発見はありませんでしたねー」


 帰りの電車の中で、ゆうか君は残念そうに呟いていた。
 バスに、電車にと乗り継いで赴いた先で聞いたのは、よくある鬼子母神の伝承だけ。
 ゆうか君の言う通り、主立った収穫はなかった。

 あの時、純也に鬼子母神について聞かせた住職の姿もなかったとの事だ。
 もしその住職から話が聞ければ違ったのだろうが……。


 「でも、ゆうかさん……まさか、蜘蛛であんな声出すなんて……お化けは怖くないのに、蜘蛛は駄目なんだね?」
 「あー、あれは、急に出てきたからで……もう、何笑ってるのよ、純也くん!」


 だが……不思議と今日は、悪い気がしない。
 全くの無駄足だったというのに損をした気がしないのは、いつもと違う二人が。
 純也とゆうか君が、傍に居るからだろうか。


 「ちょ、先生の前でやめてよ純也君、そういう話っ」
 「あはは、ゴメンごめん。でも、兄さん聞いてよゆうかさんは……」


 純也が入院中も、ゆうか君は何度かアイツの病室に見舞いにいってるらしい。
 ギプスにびっしり落書きが書かれた写真を見せられたが、その落書きも半分は彼女の仕業のようだった。
 (残りの半分は、純也の上司にあたる警部がしでかしたらしい……子供に交じって落書きするとは、一体どんな上司なのだろう。顔が見てみたい)

 ……だが、流石に騒ぎ疲れたのだろう。
 電車に10分も揺られる頃。


 「すーすー……ん……」


 よほど疲れていたのだろう。
 ゆうか君は、純也の膝を枕にしてすっかり眠り初めていた。

 ……ローカル線で、人の気配はすっかりない時間帯だが、乗客の姿はちらほらある。
 完全に寝入っている彼女の「枕」をやる姿を見て、クスクス笑う客も多かった。


 「……起こすか、純也」


 流石に気の毒になりそう声をかけるが、純也は笑う。


 「いいよ、兄さん。ゆうかさんも、きっと疲れているんだし。それに……」


 純也はそれから先の言葉を、紡ごうとはしなかった。
 だが、愛おしそうに彼女の髪を撫でる表情は、心なしかいつもより穏やかだ。

 ……こんな純也の顔を見るのは、何時ぶりだろう。


 「そうか、それなら……好きにしろ」


 俺に言われなくても、好きにするつもりだったのだろう。
 純也の手は、彼女を庇護するように優しく肩を抱いていた。

 ……だが。


 「んぅ……すぅ……」


 ……それから5分とたたぬうちに、俺の肩から寝息が聞こえる。

 純也も、まだ完治はしていない。
 本調子ではない中、山歩きをしたのだ、疲れているのだろうが……。

 膝に少女を寝かせた男が、俺の肩で寝ている。
 ……端から見れば、さぞ滑稽な事だろう。

 乗客たちも、珍しげに俺へと視線を浴びせている。
 気持ちとしては、俺もこのまま眠ってしまいたいがそうなると、何処まで連れて行かれるか分からない。(この後、30分後の駅で乗り換えなのだ)

 せめて純也だけでも起こすか……。
 そう思い、声をかけようとするが。


 「……兄さん」


 微かな吐息が、耳を擽る。
 ……全く、血が繋がっている訳でもなければこんな歳の離れた偏屈な男を、実の兄のように慕うとは、我が義弟ながら変わった奴だと思う。

 だが、俺はきっと純也に救われている。
 もし、純也がいなかったら俺はひょっとしたら……。


 「全く、仕方ない弟だな」


 肩で眠る義弟を引き寄せると、俺はその腕に触れる。
 こんな所で寝入るとは、刑事らしからぬ無防備さだが……普段から、純也には俺も随分世話になっている。

 多少恥ずかしくても、肩くらい貸してやろう。


 「……俺の肩でよければ、好きなだけ頼れ。な、純也」


 純也は応えず、静かに寝息をたててる中、電車の窓は少しずつ、森から離れ賑やかな都会の街頭を移し始めていた。






 <霧崎兄さんはエロい義兄。(戻るよ)>