>> 陰陽師 vs 乙女
本人の与り知らぬ所で、物事が大きくなっている。
なんてぇ事は良くあるハナシであり、即ちこれも、それだけの事である。
「しまった……うっかり、カレーを作りすぎてしまったわ……」
大江香織はその日。
朝から早起きをして寸胴鍋一杯のカレーづくりに勤しんでいた。
思春期の男子中学生10人が全員柔道部だったとしても胃袋の空腹を満たす事が出来るであろうカレーの量は、母親の食欲がゴリラと同等と言われている大江家であっても多すぎる量である。
「って、何勝手なナレーションつけているんだよ! 別に普通だよ、私の母親の食欲は世にある中年マダムと同等かそれ以下だよ!」
だが母親は ゴ リ ラ と書かれたトレーナーを着ている。
「確かに着てるし、そのせいで最近近所の小学生からもゴリラおばさんの二つ名で呼ばれているけど! 別に、だからといって食欲方面までゴリラに挑戦中って訳じゃないよ、全くけったくそ悪いナレーションだな本当!」
と、いくらゴリラを保有する大江家であっても、このカレー。
昨日や今日で食べきれる量ではない。
「だから別にゴリラを保有している訳ではないしこれからもする予定は無いわ……とはいえ、確かにナレーションの言う通り。このカレーは作りすぎ、よね」
沸々と煮込まれ泡立つ寸胴鍋のカレーは、あたかも地獄の血の池を思わす。
「ホントいやなナレーション入れるな! ……別に普通よ、普通のカレーですよ! あー、でもうっかり作り過ぎちゃった、テヘ。 いくらなんでもウチじゃ食べきれないわよね……」
そういいながら、大江香織はいそいそと大量のカレーをタッパーにつめる。
「ま、偶然家にタッパーもあるし。ウチで食べきれないんだったら仕方ないから……近所で有名な陰陽師の阿部さんの所に、少し分けてあげようっと」
そしてそのカレーを懐に詰めると。
「別に懐になんていれてないわよ! どれだけ袖の下をカレー臭漂わせればいいんだよ! 普通にカバンに詰めていくわよ!」
そしてそのカレー、ナイフ、ランプをカバンに詰め込むと、大江香織は40秒で支度した。
「別にカレーの他、ナイフとランプをブチこんでなんていないし、40秒以上の支度時間で出かけているわよ! ラピュタ、ラピュタなの!?」
ともかく。
カレーを2,3人前タッパー経由でカバンに詰め込むと、大江香織は春風に背を押された冬のソナタのような足取りで外へ出た。
「どういう足取りだよ! 春風に……ヨン様? というか、ヨン様とかも微妙に世代じゃないし……。」
目的地はただ一つ。
そう。
「……阿部さん、陰陽師とかいってたけど、仕事なんて無いだろーから、カレーとか食べるかな?」
ダブルスカート平井さんの所である。
「いや、別にそんな得体の知れない奴に会いに行こうと思ってないし! だいたい、そいつは会いに行こうと思わなくても勝手に町内徘徊してるから!」
と、彼女はそういいダブルスカート平井の事を否定する。
だが、そういいながら彼女が今、本当に会いに行こうとしている阿部という男も……有り体な言い方をすれば、得体の知れない男であった。
「それを言われるとっ……」
近所で評判な陰陽師である阿部は式神を駆使し、これまで幾つかの霊。
例えば、森で木に刺さって死んだ女の幽霊やら、家族が心配で成仏しきれなかった猫の幽霊やらの霊を収め成仏させていった実績もある。
だが。
本人が幽霊嫌いを通り越して恐怖症の領域にまで達している為、全ての除霊を式神任せにしているのが現状である上、その式神も召喚成功率1割未満と。
少しバッティングに自信がある投手の打率程度しか無い為に、珍妙な生き物を多量に呼び出す事が増えた結果。
最近、近所では陰陽師としての評判より、何か変な生き物のリーダーとしての評判の方が高まりつつ。
「そんなんじゃ、ホント、ご飯だって食べていけないよね……阿部さん、大丈夫かな。 近所で餓死とかすると街のイメージにも悪いし。 私がカレーをあげるのは、慈善事業であってそれ以外の何者でもないからね!」
インド人が思わず故郷の香りと呟いて振り返る程のカレー臭を漂わせ、大江香織は歩き続ける。
「振り返らないわよ、そんなインドテイスト溢れた水を使わないカレーじゃなくて、日本流にカスタマイズ施されて久しいライスカレー風ですもの……あ、阿部さん、ご飯とかちゃんと炊いてるのかな……。」
ちなみに、カレー臭といっても別に加齢臭とは関係ない。
「……ちゃんと作れたかなこれ。 沢山作った方が美味しいハズだから、大丈夫だと思うけど」
ちなみに、カレー臭も加齢臭もどちらもキッツイと言われている。
「阿部さん、美味しいっていってくれるかな……」
大江香織が一人、乙女モード全開で呟いているうちに、彼女は 『天才陰陽師の阿部探偵社』 前に到着していた。
陰陽師として近所で有名な阿部さんであるが、実際運営しているのは探偵事務所であり、特に迷い猫探しに定評がある。
ちなみに、阿部さん本人は近所の子供達に頭にへんなののっけている人として有名でもある。
「変なのじゃないわよ、アレは頭襟(ときん)といって、仏教のおしえを元につくられているんですからね!」
でもあれって、普通アゴひもで固定するんですよ。
「え!?」
見ての通り、帽子としてかぶるのは不可能な小さいサイズが多いですから。
普通、アゴ部分で固定できるよう、紐がついてたりするんですね。
落っこちないように。
「え、あ……そうなんだ」
知りませんでした?
「う、うん……」
元々山の中、自然の中で修行する事の多い山伏が、頭上からの落下物から頭部を守る為。
また、コップ代わりにする為に、丈夫につくられているんですよ。
無駄な荷物持てませんからね、山伏は。
ま、機能美ですね。
頭部を守るにしても大きすぎれば修行の邪魔ですから。
「へぇ……知らなかった」
でも阿部さんはアゴ紐で固定してませんよね。
「……そういえば、そうね」
……はえているんですかね、アレ。
「ちょっ、怖い事言わないでよ! 頭からアレがはえている人間って……何あれ、何の骨が進化すればあぁなるの!?」
尾骨とか。
「頭部に尾骨って!?」
とにかく阿部探偵社についた大江香織は、カレーをこぼしながらそのドアを開けた。
「べっ、別にこぼしてないわよ、玄関開けたら二秒でカレーってどんだけ嫌がらせ!」
ここまでカレーをこぼしながら来ているので、家にも迷わず帰られるはずである。
「だからこぼしてないって、ヘンゼルとグレーテルじゃあるまいし! 迷わず帰れるよ、家も近所なんだから……」
しかしそのカレーは、インド人が食べてしまったのです……。
「だからそんなインド人好みの味付けはしてないし、仮にインド人に食べられても家に帰られなくなる事もないから……全く!」
と。
怒りゲージがマックスに上がり、これが某無双ゲーだとそろそろ一発乱舞る事が出来そうになりつつ、大江香織は扉をあける。
「誰のせいで怒りゲージがマックスになっているのよ……」
そんな大江香織の目に入ってきたのは。
「あ、こんにちは!」
穏やかな笑顔を浮かべ台所に立つ、黒髪の少女の姿であった。
「え、あれ……貴方は?」
「えっと……私は、その。佐藤夕子っていいます。あれ、でも母が再婚したから鈴木夕子かな?」
少し衣服こそ古めかしく、ボロ布に近い状態になっているが顔立ちは充分に美人といっていい少女である。
小首を傾げて笑う姿は、それだけで様になっていた。
「えと、あの。あれ……鈴木夕子さん」
「はい!」
「その、鈴木さんがいったい……ココで、何を」
大江香織の問いかけに、彼女。
鈴木夕子は、僅かに顔を赤らめると、俯きながらこたえた。
「えっと、私……以前、彼に色々とお世話になって……それで、一度は彼とさよならしたんですけど。もう一回、会いたくなってきちゃって、それで」
頬を赤らめそう語る鈴木夕子の表情は、まさに恋する乙女のそれ、そのものである。
(まさか彼女……阿部さんの事)
大江香織の精神に衝撃が走った。
まさか、阿部のような半ば自宅警備員である男の家に、女性が。
しかも。
「あ、いっけない。お鍋が焦げちゃう!」
来て料理までしてくれる上等な娘が訪ねてくるなんて、思ってもいなかったからである。
「落ち着け、落ち着くんだ大江香織。素数を数えて落ち着くんだ、えと。素数素数……2、4、6!」
大江さん、それ素数違う。
偶数や。
「い、いけない、もう……想定してない事態で意識が飛ぶ所だった……」
そんな彼女をよそに、佐藤夕子。
いや、今や母が再婚して鈴木夕子は、台所でせっせと調理を続ける。
見れば食卓には、鰹の刺身、アジの煮魚、アイナメのあんかけなど。
ご馳走といっても差し支えのない料理が目眩く列んでいる。
「そうね……彼女、嫁だったらかなりの上嫁よ。 トルネコの嫁、ネネさんクラス!」
一方、大江香織の調合アイテムはカレー一辺倒である。
「うるさいわね、いいじゃないカレーは鍋いっこで作れるわ!」
料理勝負、その勝敗はすでに決していた。
「けっ、決してないわよ別に、食べるまでわからないじゃないのッ、美味しいわよ私のイチゴカレー!」
ちなみに、この勝負。
容姿の時点でももう決している。
「だから決してないって行ってるでしょ、同じくらいの容姿よ! どっちも同じくらい美少女よ!」
「あの、さっきから誰と会話しているんですか?」
「え、あ……き、気にしないで。何でもないのよ……あは、あはは……」
大江香織は、台所で必死に料理を続ける少女の隣に立つ。
これだけ作ってもまだ、作り足りないと言わんばかりに彼女は腕を振る舞っていた。
その表情は、幸せに満ちあふれている。
「……好きなんだね、彼の事」
ふと、こぼれた大江香織の言葉に。
「……はい」
彼女は頬を染めて、頷いてみせる。
あんな、頭から変なのがはえている半ば自宅警備員の男が誰かに好かれる訳はない。
そう思っていたのだが……。
「彼の、どんな所が好き?」
どうやらそれは大江香織の思い違いだったようだ。
目の前に居る少女は間違いなく恋する乙女である。
「え、えっと……彼の、どんな所が好き?」
「あ……その、急に聞かれると困るんですけど……普通より、背も高いし、大きくて頼れる所も素敵だな、って……」
「そうよね、顔デカイけど背ぇ高いよね」
「以外と色々出来る所も、なんか好きなんです!」
「そうね、色々以外と何か呼び出してるしね。」
「あと……は、初めて会った時、そのッ……いきなり、アレも触らせてくれたりして……私の事、テクニシャンヌとまでいってくれたのも、嬉しくて……」
「初対面でいきなり触らせたりしたのか、あのセクハラ野郎!」
「え、でもっ、いきなり触ったのは私の方だったから……」
「って、いきなり触ってきたのはアンタか! アグレッシブ! 近頃の子はアグレッシブだ!」
会話を続け。
言葉を重ねれば重ねる程。
「でも、素敵なんですよ、彼」
彼女の愛しさが、伝わってくる。
彼女が自分よりずっと深く、彼の事を思っているのも。
彼女が、より彼に慕われている事も……だ。
「そう……なんだ、好きなんだね。彼の事が本当に」
「はい!」
返答に迷いはない。
それであれば。
(あーあ、私のイチゴカレーはゴミ箱いき、かな?)
今ここに居ていいのは、自分ではない。
大江香織はそう思い、今はこの場を去る事にした。
その時。
「……ニャンコさん、肩の脱臼がなおらないんだが」
「自分で治すニャ。 我が輩は猫の式神ではあるが、人間の医者ではニャいからな。……いや、ニャいからニャ」
「語尾にニャはわざとつけているんだな、ニャンコさん」
扉が開き、見覚えのある顔が。
陰陽師の阿部と、その式神のニャンコさんが帰宅する。
阿部用のマイバケツが今日もひとしきりタップンタップンいっている事。
阿部が不自然な脱臼をしている事から、恐らく二人で除霊関連の仕事をしてきたのだろう。
帰宅前に出るつもりだったが、一歩おくれてしまったか。
後悔する大江香織であったが、戻ってきたのなら仕方ない。
「あ、阿部さん。こんにちは、お邪魔してます」
「……あぁ、大江くんか。どうしたんだ、いっておくがお化けの仕事は今日は受けないぞ! もうお腹一杯だ! バケツいっぱい吐いた!」
「別にそんなしょっちゅううちでも幽霊なんて出ませんよ!」
「幽霊って言うな! お化けっていえ! 怖すぎるだろ!」
「だから、どっちも出ませんって……それより、阿部さん。お客さん、来ているみたいですよ。ほら……」
「何、客……だって?」
不思議そうな顔をする阿部の肩を、大江は軽く叩く。
「素敵な彼女じゃないですか、ダメですよ、あんないい娘さん待たせちゃ!」
そして、精一杯の笑顔を見せた。
自分が、諦める為に。
だがその笑顔の向こうにあったのは、絶望の果てにある恐怖という表情と。
「ぐぇーおーぇえあー!」
咆吼とも悲鳴ともとれない叫び声と。
「マイバケツカモン、というかう゛ぉぇええええええ!」
躊躇なく出される反吐であった。
「ちょ、ちょっと。どうしたんですか、阿部さん!」
「大江くっ……早くその女を! いや、女の幽霊を私の目の届かない所に追いやってくれ!」
「女の……幽霊?」
大江香織は驚いて振り返る。
「えと、鈴木夕子さん……幽霊?」
「はい、10年前に枝に刺さって死にました!」
「あ、あんまり怖い話しはするな! というか……大江くん、今から軽く気を失うからその間に全てを終わらせておいてくれ!」
「軽く気を失うって本当に無責任だなアンタは! というかこっちが文句言う前に気ぃ失っているよ! どんだけ怖いのダメなんだこの人!」
だが気絶した陰陽師はもうどうでもいい。
大江香織は改めて鈴木夕子に、10年前死んだ幽霊に向き合った。
「えと、その……幽霊の夕子さんがどうしてここに。というか、阿部さんに用事?」
「まさか、別にあんな頭にへんなの乗せている人なんてどーでもいーですよ。私は!」
と、その時。
鈴木夕子の目が輝き、すぐに阿部の式神、ニャンコさんの方へと飛びついてくる。
「お久しぶりです、ニャンコさーん! あー、もうホント、ニャンコさんめっちゃ可愛い!」
「こ、コラ。どうせならのどを撫でろ喉を!」
「はーい。ふふふー、ニャンコさん可愛いー」
「ぬぬ……テクニシャンヌ……」
どうやらこの鈴木夕子。
かなりの猫好きだったようだ。
「え、じゃあ鈴木さんの会いにきた彼って……」
「もっちろん、ニャンコさんですよー。 はい、ニャンコさん。 私、今日はニャンコさんのために夕食準備したんでよかったら食べてください!」
そう言いながら、鈴木夕子は強引にニャンコさんの手をひく。
あの豪勢な食事もどうやら全てニャンコさんのために作ったようだった。
「というか、成仏したんじゃなかったっけ、夕子さん。」
「一度成仏したんですけど、何か閻魔様がゴメスさんのお母さん探しで職務が滞っているみたいだからちょっと帰ってみたんです」
「大丈夫かよその閻魔、秘書の鬼とかに虐待されてないか心配だよ!」
「あ、今ちなみに向こうではウンコミサイルボカーン!ってギャグが流行ってますよ!」
「それうちのミケのギャグ! まさかのミケのギャグが霊界受けするとは!」
そんなやりとりの後。
鈴木夕子はニャンコさんとともに食卓へと消える。
後にはマイバケツを脇におく阿部と、大江香織だけが残された。
「……全く、仕方ないわね」
大江香織はゆっくり、阿部の肩に触れる。
「もぅ、起きてくださいよ阿部さん」
「もう、俺が寝ているうちに殺せ……」
「大丈夫ですよ、もー。夕子さんいっちゃいました。」
「本当か、嘘だったら脱臼するぞ!」
「嘘ついてどうするんですか、というか脱臼はすでにしているじゃないですか、全く……」
そして、おそるおそる瞼をあける阿部をとびっきりの笑顔と。
「やっと起きたんですか、もぅ。本当に阿部さんは頼りにならない人ですね!」
とびっきりの罵倒で迎える。
「い、いきなり非道いな大江くんは……そんなに怒らないでくれ。吐きそうだ」
「怖い=吐くなんですか阿部さんは、もぅ……そんな吐いてばっかりいたらお腹減っちゃいますよ。ちょうどカレーがありますから、良かったら食べてください」
「嘔吐の後にカレーは厳しいな……」
「たべてくださいね!」
「う、あぁ、わ……わかった。頂こう」
よろける阿部の腕をとり、大江香織はいそいそとカレーの準備をする。
こうして流れた二人の時間。
お互いの関係がどう動くかは多く語らない事にするが。
大江香織のカレーを食べた瞬間、阿部のマイバケツがフル稼働したという事だけは、記しておいても良いだろう。