>> ハッピーバースディ
エトルリア王都奪還に成功したロイ一行は、内乱の発端とも言えるクーデター派の中心人物らを追いかけ冬のイリアを行軍する。
勢いづく彼らの前に立ちはだかったのは、身を切るような寒さと一寸先も見えぬ程に吹き付ける、雪の嵐であった。
一寸先も見えぬ雪の帳、身を切るような風の祝福。
厳しい冬の洗礼を前に、戦に慣れた勇士達の顔にも次第に疲労の色が出始め、誰もが無口になる。
――そんな中。
その男は、何時にも増して饒舌であった。
「――てな訳で、俺様はもうすぐ誕生日を迎える訳だ」
焚き火で干し肉をあぶりながら、ヒュウは笑顔でそう漏らす。
自分の誕生日を迎えるのが、よほど嬉しいのだろうか、その表情は終始にこやかで血色も良く、疲労の色はあまり見られない。
大方、他の兵士達が苦労し雪山を登っている最中輸送隊の荷物に紛れ昼寝でもしていたのだろう。
お偉方の見えない所で手を抜くのは、この男の専売特許だ。
レイはかつてこの魔道師と旅した頃を思い出しながら、暖めたミルクを口にした。
「そんなに、自分の生まれた日が来るのが嬉しいか……死ぬのに一歩近づくだけだろ」
彼の素っ気ない言葉に衝撃を受けたのだろうか、ヒュウは大げさな身振りをすると右手を額に当てさも残念そうに言う。
「かぁーっ、どーしてお前はそんな負方向の考え方するかねぇ。一つ年を取り、より重みを増した俺様になれんだぞ。喜ばしい事じゃねぇかよ、なぁ、チャド?」
そして隣に腰掛けるチャドの首をつかむと、同意を求めるような目で見つめる。
長い行軍で皆疲れているのだろう。
見張りを除けば、周囲で起きているのは、この三人くらいだった。
悪い相手に絡まれたな。
チャドは目だけでそう語ると、首に絡まるヒュウの腕を払いのけその戒めから逃れる。
「……さぁな。オッサンの考える事なんて、知らねぇよ」
「おっさ……俺ぁまだ、お兄さんだっつーの」
ヒュウは少し不機嫌そうな表情になると、あぶっていた干し肉を裏返す。
「……ったく、俺様の生誕記念日にオメデトーの一つも言えねぇのか、お前ら? もっとこう、年上の格好いいお兄さんを尊び敬うって気持ちは無ぇのかっ」
「自分で格好いいとか言う奴、尊敬の対象にならねぇよ」
「チャドの言う通りだ――我を敬えというモノに限って、小物という法則もある事だしな」
「うぉっ……あー、可愛くねぇとは思っていたけど、本ッ当に可愛く無ぇな、お前ら!」
「別に、アンタに可愛い奴だと思って貰いたくもねぇし」
「あぁ。愛でられて特する事も何も無さそうだし、な」
「なぁっ、なぁんだとォっ!? あー、分かった分かった。だったら、一生可愛いとか思ってやらねーからな! もう、一生だぞ、一生! 後で可愛いと言ってくださいと俺様に懇願しても、絶対に……いや! 5000Gくれねぇと、言ってやらねーからな!」
ヒュウは少し拗ねたような顔になり、あぶった干し肉を口にする。
だがその様子からは本心から来る怒りの色は見られず、どこかこの他愛もない掛け合いを何処か楽しんでいるようであった。
「……やっぱ、祝い事は大勢でやるのがいいよな。
そして、やがてそんな言葉をぽつりと漏らす。
「俺さ、以前の誕生日は何処にも雇われて無ぇ職無しの身分でよ……。しかも、どっかでミルクなんぞ啜っている悪辣な闇魔法使いに、大事な魔術書くすねられて踏んだり蹴ったりん所、一人っきりでこうやって寒空の下、干し肉と固いパンを泣きながら葡萄酒で腹に流し込んでたんだけどよー。
今年は、職にもあり就けたし!
しかも、結構ギャルっ娘の居る軍に流れ着く事が出来たし!
折角のバースディを祝おうって時に起きてるのが、かわいげの無いガキ二人ってのは少々惜しいがそれはそれ。
賑やかになっていーから、ぱっと俺様の誕生日。
今起きているお前らだけでも、祝ってくれよ、な。
乾杯だけでも、いいからさ」
気がつけばその手には、木製のカップが三つと飲み物の瓶が握られている。
街でちょろまかしてきたものか、輸送隊からくすねてきたのか。どちらにしても、金銭にはとかく卑しいヒュウが自分の私物を振る舞うのは珍しい。
「……参ったな、明日も雪か」
レイは空を見上げ、苦々しく呟いた。
「ん、何か言ったか」
「気のせいだ、気のせい。それより、折角だから俺にもくれよ、それ。お前を祝うかどうかは別として、お前が振る舞うモノには興味があるからな」
「――何か引っかかる言い方だが、まぁいいか。 ここは俺様の誕生日である事に免じて、気にしないでおいてやるとしよう。うむ、俺様太っ腹」
ヒュウはそう良いながら、瓶より強引にコルクを引き抜くと手渡したカップにそれを注いだ。
直ぐに周囲に、心酔わす芳香が立ちこめる。
この芳醇な香りは、もしや。
「……酒?」
驚き声を上げるレイに、ヒュウは当然のように笑ってみせた。
「ははー、驚いたろっ。これ、俺と同い年の葡萄酒だぜっ。そりゃ、びっくりするよなー。レイ、お前と旅してた頃はこんな高級な代物見せた事も無かったもんなーっ」
「……そうじゃなくて。お前、俺達にも酒を振る舞う気か?」
「何だよ……ボク子供だからお酒飲めまちぇん……ってか!? 大丈夫大丈夫。 俺様の誕生日は俺様がルールだ、だからお前達が酒を飲む事は誰も咎めん! 仮に咎められたとしても、安心しろ。その時ぁ、俺も一緒に頭下げてやっからよ。てな訳で、遠慮なく飲めっ……ほら、身体暖まるぞー」
そう言いながら、ぐいぐいカップを進める。
その姿を見て、レイは以前ヒュウと旅していた時に彼が漏らした言葉を思い出した。
『――だから、賑やかに祝って欲しい。ここではない何処かに、俺が幸せである報せが届くように』
(そうか……コイツの、両親は……)
レイは不機嫌そうに焚き火を見つめるチャドをちらり横目で見ると、受け取ったカップを高く上げる。
「……まぁ、折角だからな頂くとするか。おめでとうさん、馬鹿魔道師殿」
「おぅっ、アリガトな。悪辣シャーマン殿」
二人は互いに悪態を付き合うと小さく乾杯を交わす。
「……ったく。いい年こいて何やってんだよ、アンタは」
その時、チャドは吐き捨てるように言うと、不機嫌そうに立ち上がる。
「いいだろ、別にいい年こいて祝ったってよー。なぁ、チャド。折角だから、お前も座れって。……自分で言うのも何だが、俺様が誰かにモノを振る舞うっつーのは珍しいんだぜ。他人がモノをやるっつー時は、調子併せて素直に従う!これが、正しい世の中の渡り方ってモンだ」
「……うるせぇよ」
よほど気に入らない事でもあったのだろう。
普段より冷静な彼には珍しく、随分と頭に血が上っているようにも見える。
「とにかく、俺はアンタの遊びに付き合ってる程……暇じゃねぇんだよ。そんなに祝いたいんなら、俺抜きでやってくれよな」
チャドは喉から絞り出すようにそう言い、二人を見据える。
その瞳に怒りの色は無く、ただ深い哀しみと孤独を感じ取らせた。
「チャド、お前――」
何かを言いかけるヒュウの言葉を聞かず、彼は振り返り行き先も告げず森の中へと歩き出す。
夜の散歩と洒落込むには暗く、寒い夜なのだが――。
「おいっ、チャド……イリアの冬は何時吹雪くかわかんねぇから、あんまり遠く行くなよっ」
ヒュウは消えゆく背中にそう声をかけると、焚き火の前に陣取って自分のカップに葡萄酒を注ぐ。
その脳裏に、さっき見せたチャドの表情が思い浮かんだ。
無限の闇を見据えるような、暗く、重い視線。
あれは戦の中、気丈に振る舞い歴戦の傭兵にも引けを取らない普段のチャドのそれでは無い。
自分の行く先も知らず、寒空に吹かれ凍えそうになっている幼い少年のそれだ。
「……ったく、何ふてくされてンだ、アイツは。
ヒュウは今見たあの寂しげな姿を忘れようとするように、注いだ葡萄酒を一気に飲み下す。
その様子を見ながらレイは、チャドの消えた雪道を眺めながら。
それでも、あくまで気のない素振りを貫きながら素っ気ない様子で、言った。
「あぁ……あいつも――色々あった、からな。誕生日らしい誕生日ってのも、味わった事が無い。
いや、それ自体無いんだろ。
だからお前みたいに自分の誕生日があって、それをしっかり祝う事の出来る境遇ってのが、羨ましいんだろうな。
……俺やお人好しの兄貴なんかは、孤児院に引き取られた時、わりとしっかり身の回りのもの揃ってたみたいだけどさ。
あいつは、そういうの……無かったって、聞くから」
「あ……そう、だったのか」
ヒュウはそれを聞き考え込む素振りを見せる。
かと思うと唐突に立ち上がり、チャドの残した足跡を踏みしめるよう歩き出す。
「おい……何処行くんだよ、馬鹿魔道師殿」
レイの問いかけに、ヒュウは振り返らず背中で答える。
「……お前には、俺様の誕生日がどれだけ尊いかってのを聞かせたっけな?」
「――あぁ、聞いた。生憎お前と違ってココの出来がいいものでな。一度聞いた事は、忘れたくても忘れられないんだ」
「なら、それは愚問ってモンだぞ。陰険シャーマン殿――俺様は、俺様の誕生日を出会った人間全てに、幸せに祝って貰わねぇと気が済まない性質なんだよ」
そして近くに置かれていた自分の手荷物とマントを引っかけると、闇の小道を駆けだした。
自らの信条を貫く為に。
一つでも多く、暖かく、その日を祝福出来るように。
雪と闇とに包まれた道を暫く歩いたそこに、彼は居た。
たった一人、一本の老木にもたれかかり、今にも折れそうな心を必死に支えるよう空を見つめている。
寒さの為か。
それとも、孤独感の為だろうか。
その手は遠目から見ても小刻みに振るえているのが分かった。
その姿を見た瞬間、ヒュウは考えるより先に「それ」を使っていた。
「ふぁ――――――いやぁッッッ!!!」
指先から吹き出た炎は弧を描きチャドの足下へ着火する。
「どぁっ――なぁ、なーに考えてるんだ、お前わーっっ!」
「あ、いや――一人で寒そうにしているチャド君へ、お兄さんから素敵なプレゼント」
「す、素敵じゃ無ぇよ!当たったら、どーするつもりだったんだよ、コレ!」
「まぁ、そんなの唾でもつけておけば治るから、大丈夫だろ」
「治るかよ、馬鹿ッ!」
チャドは声を荒げ、渾身の力でヒュウを叱咤する。
その様子を見て、ヒュウは何故か満面の笑みを浮かべていた。
「なぁに笑ってんだよ、お前はッ。俺、怒ってんだぞ!」
「んぁ――いや、な。さっきのシケた面と比べたら、元気になって良かったなーって思ってよ」
「――はぁっ!?」
呆然とするチャドに、ヒュウはさらに早口でまくし立てる。
「だってよー、お前なんか今にも木の根本に蹲り小鳥のように震えながら泣き出しそうだったじゃねーか」
「そんな心配しなくても結構だぜ。俺、そんなにヤワじゃねぇよ」
「そーかぁ……さっきまで、世界の終わりみてぇな顔してたぜ。んまぁ、俺様の俊敏な攻撃を避ける程のフットワークがあるんなら、ひとまず安心だがな」
「俊敏なって――お前、まさか当てる気で居たのかっ!?」
「ン、あまり子供がつまらない事をごちゃごちゃ言うのは良くありませんぜ。それより、ちょっと待ってろ。俺様、今良い物を出してやるからな」
そして持っていた手荷物をまさぐると、そこから「何か」を取り出しチャドへと差し出した。
「ま、受け取れ。俺様の太っ腹な貢ぎ物だ」
「貢ぎ物って――こ、これ。アンタが大事にしてたフクロウサギの足じゃねぇかよっ!?」
チャドは驚きそう叫びながら、ヒュウの腕よりそれをもぎ取る。
ウサギの足は、昔から狩人らを始めとした森を生きるもの達の間で幸運のお守りとして広く出回っているものだ。
特にこのフクロウサギは俊敏でなかなか弓で射抜かれない為、
戦場などでは弓に狙われない加護があるとして、非常に重宝されている。
「マジで、いいのか、これ。後で、返せとか言わねぇよなっ!?」
「いい、許すっ。俺も男の子だ、二言は無いっ」
「……さんきゅ、大事にするよ。だけど、本当にいいのか。これ、街で買おうとすると、結構高いんだぜ」
「あぁ、いいって気にするな。何てったってお前の、バースディプレゼントだからな。大人である俺様は奮発しねーとな」
「はぁっ!?」
ヒュウのその一言で、チャドの表情が固まる。
「ば、バースディプレゼントって……俺、誕生日なんて」
そう言いかけるチャドの言葉を、ヒュウは人差し指で制止した。
「いいだろ、決まってないんなら、今日にしちまえば。 誕生日がわからないから祝っちゃいけないなんて法は無ぇだろ。これまでにどんな道を通ってきたとしても、お前は今生きてんだ……。生まれてきた事を喜ぶ日があってもいいじゃねぇかよ、なぁ?」
「だけど……」
「それとも……お前は今ここに居るのが、それ程嬉しく無ぇってのか? 喜ばしい事だとは、思わ無いってのか?」
ヒュウはチャドの両肩を無造作につかむと、少しムキになったように、早口で続けた。
「もし、少しでもそう思うんならさ……嬉しがろうぜ、一緒によ。ここに居る事を、今有る事を。誕生日ってのは……そういうモンで、いいと思うからよ」
チャドは暫く黙ってうつむいていたが、やがてゆっくりと顔を上げる。
「……アンタと同じ日ってのはどうも気に入らねぇけど、まぁいいか。 へへっ……サンキュ、ヒュウ。それと……ハッピー、バースディ」
そしてそう言うと、照れたように笑う。
その表情にはもう、悲哀の色も孤独の色もすっかりと消え失せていた。
パチンと、炎が飛び散る。
その火を眺め一人葡萄酒を舐めるレイに、不意にキャスが話しかけてきた。
「……隣、いいかな?」
「勝手にしろ」
愛想のないその返事に少し膨れながらも、隣に並び炎を見入る。
「ねぇ、あいつさぁ……」
少し間を空け、キャスはそう呟いた。
アイツとは、恐らくあの雪道に消えた魔道師の事だろう。
「あいつ、何であんなに自分の誕生日にこだわる訳?」
パチンと再び炎が弾ける。
レイは燃えさかる炎に薪をくべると、彼と旅していた頃を思い返した。
「さぁ、確証は無いが……思い当たる事は、いくつか有る」
「思い当たる事って?」
「……あの馬鹿の両親は、このイリアで事故に巻き込まれてるそうなんだ。 随分と若いうちに、命を落としたらしくてな……それ以後アイツは、相当厳しい祖母に育てられてきたらしい」
「へぇっ。あいつ、おばあちゃん子なんだ。なるほど、だからあんな我が儘な訳ね」
「さてね……だが、その祖母に良く言われたらしいぞ。お前の両親は早くに死んだ親不孝者だと。だから、せめてお前は、どんなに不出来でも。一日でも長く生きて欲しい――って」
炎は揺らぎ、煤を巻き上げ煙りを吐く。
キャスは手の甲についた煤を払いのけながら、真剣な表情でレイの次の言葉を待つ。
「だからだろうな――。
彼奴自身知らないうちに、自分の生まれた日を特別視するようになったんだろう。
自分の両親より、一日も長く生きようって。
それが自分を育てた祖母に対する『孝行』であり、両親に対する『孝行』である、と。
そして、思ったのかもしれないな。
自分が生まれた日に他人を巻き込んで馬鹿騒ぎすれば、ここには居ない誰かにもその声が届くかもしれないって。
あいつは、知って欲しいんだよ。
もうここに居ない誰かにも、今の自分が幸福である事を――」
レイは微かに空を見る。
立ち上る煙は空に吸い込まれるようかき消えた。
「俺はあいつを本当に馬鹿だと思う。だけど、その馬鹿がたまに凄く羨ましい。そんな戯言を、本気で信じて実行出来るあの馬鹿さ加減がな」
「――そう、そっか」
キャスは少し笑うと、闇の中より聞こえる二つの足音を察しそれに向けてカップを掲げた。
「横になって聞いている時は、あの馬鹿魔法使いがまた馬鹿騒ぎしてるって思ってただけだけど。そういう事なら、祝ってあげちゃいましょうか!」
「――だな、たまには馬鹿にならないと、生きる事が窮屈で仕方ない」
二人はそういい微笑むと、迫る足音を静かに待った。
第一声は決まっている、そう。
「ハッピーバースディ」