>> 光は等しく平等に






 彼が半ば廃屋と化したその場所から出る頃には、すでに夜も白み始めていた。

 そこは街から遠く離れ、周囲はただ荒野の広がる廃屋だった。
 金をケチって馬すら借りなかったから移動は歩きになる。

 途中、親切な幌馬車でも通れば街まで乗せてくれるかもしれないが、それを期待するのは少々楽観的すぎるだろう。
 ここは街道から離れているし補給路のようなものもない、あまりにもただの荒野にすぎなかった。

 それに、正直な所いまはあまり人にも会いたい気分でも、人に会えるような状況でもなかった。
 とりわけて証拠を残したつもりもないが、もし万が一騒ぎになった時、「そういえばあの時一人で街道を歩くボロマントの男を見かけた」なんて誰かに言われれば、厄介な事になるからだ。

 何にせよ、帰りは歩きに決定だ。
 随分な遠出をしたから、街に戻る頃にはきっと日も高くなってる事だろう。

 男は一つため息をつくと、玄関そばに置かれた石へどっかりと腰掛けた。
 そして折れた煙草をくわえ、火を付ける。

 廃屋からは血と硝煙のかおりが、未だ色濃く漂っている。


 『……何でもねェ、いつものシノギだろう?』


 路地裏でポケットを裏返し、今日食べる飯の金がどこかに無いか確認していた男にそう声をかけてきたのは、この街でも有名な鼻つまみ者の一人だった。
 高利貸しの部下だったか、マフィアの使いっぱしりだったかは忘れたが、路地裏では専ら「ラット」と呼ばれていた。
 図体こそ大きいが鼠のように臆病で、とにかく人殺しのように手を汚す仕事を受ける度胸がなくすぐに路地裏の浮浪者へ仕事を横流しするからだ。

 最も、男は「ラット」のおかげで日銭を稼いでいた部類の浮浪者であった。
 ラットは銃も弾薬も多すぎる程に準備してくれるし、酒や煙草も融通してくれる。
 仕事が終わった後の支払いが渋いという事もない。

 そうだ、何でもない『いつものシノギ』だ。
 男はラットから銃と煙草、それに馬を借りるだけの小銭を前金で受け取ると、すぐにそれで腹ごしらえをし、浴びるように酒を飲んだ。

 地図にあった廃屋は、歩いていける距離だ。
 そう思い、全てを食事に費やして目的地へは歩いて向かう事にしたのだ。
 最もその判断は、仕事を終え疲れに満ちた身体を引きずる今となっては浅はかな考えだったと痛感するのだが。

 ……いつものシノギだ。
 そう言われた仕事は、廃屋に住む輩の『立ち退き』だった。

 立ち退きというのは建前で、実際はそう。銃という暴力の権化を存分にふるい、廃屋いっぱいに血の染みをつくるのが目的というのが正しかろう。

 廃屋にいたのは年寄りと、戦場から戻るも満足に動く事が出来なくなったけが人。
 隔離されてそのままの病人といった面々で、そこは廃屋になる以前、小さいながらも病院を経営していたらしい。
 肝心の医者が流行病をもらいポックリ逝ってからも、その妻である看護師が甲斐甲斐しく看護を続け、未だ立ち退きには応じてないのだという。


 『このまま続けてもいずれは共倒れよ。それに、土地も建物もすでにこっちで売却済み。違法占拠している連中と話し合っても無駄なら、仕方ないよな』


 ラットの言葉を、何となく思い出す。話し合いが通じないのならそう、仕方ない。
 他にもっとスマートなやり方もあるかもしれないがそれを考えるのは自分の仕事ではないと、男はそう思っていた。

 だからこそ暗闇に乗じてトリガーに手をかけるのも躊躇わない。
 今殺さずともいずれ死ぬ老体や病人を撃ち殺すのさえ 「苦しむ時間を短くしてやった」 慈悲と捉えていたし、抵抗する女……おそらく話しに聞いてた看護師だろう……を強かに殴って黙らせた後、ナイフで滅多刺しにした事すら仕事の一環だと言い聞かせていた。

 結果、廃屋は静寂の世界となった。
 命あるものは、もう誰も残っていないだろう。
 死体の処理はラットが「しかるべき手段をとる」と言ってたからそのままでも良いのだ。

 後はめざとい保安官か正義感に狩られた無謀な記者などがこの惨劇をかぎつけてセンセーショナルな事件にしなければ、ここはそう寂れた廃屋がひっそり無くなったというだけの場所になる事だろう。


 「……そろそろ帰るか」


 灰になって崩れた煙草を地面に押しつけ、半ば荒野となった街道を行く。
 朝日はのぼり、彼の背を照らしつけていた。


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 昇り始めた朝日が真上にさしかかる頃、男はようやく街についた。
 依頼人と話をし、事後処理として死体がまだ残っている事を告げた時は面倒そうな顔をしていたが、男の働きにおおむね満足したようだった。

 普段酒場で飲むよりずっと上等な酒を少しばかり振る舞われ、しばらく遊んで暮らせるだけの金がポケットにねじ込まれる。

 これでしばらく路地裏の石を枕にする必要はないだろう。
 暖かい宿で風呂に入る事も出来るし、久々に花街で馴染みの情婦を買うのも悪くないかもしれない。


 「また頼むよ」


 ラットより上役であろう依頼人のくぐもった声に軽く会釈をして、その場を後にした。

 上質な酒の芳香はまだ口中に残る。
 血がわき上がるような温もりをアルコールは与えてくれた。
 普段は口ずさむ事のない鼻歌まで飛び出してくる。

 石畳の並ぶ道で、その日男は上機嫌だった。


 「お花いりませんか。お花……」


 路上では花かごに一杯、白い花をいれた少女が懸命に花を売っている。
 このご時世だ、いくら可憐に咲いたとて、食い物でもない花なんぞ買う物好きはそう居るはずないだろう。

 だが男は、今日はその「物好き」になってみたい気分であった。


 「いくらだい、お嬢ちゃん」


 少女の目線に会わせ、そう問いかければ僅かな小銭で充分だと驚いたように少女は応える。
 それならと、男はポケットにある小銭で、一番高価な金貨を差し出した。
 そして花籠から一輪、大きく咲いた白い花を胸のポケットに挿すと帽子をとって一礼し鼻歌交じりで去って行った。


 「こんなにいただけません、おじさん!」


 驚いた少女が追いかけてくるのを手を振るだけで止め、男はふと空を見る。
 抜けるような青い空に、白い雲が浮かんでいた。

 ……もうじき夏がくる。
 きっと今年は暑くなるだろう。


 「あぁ……」


 それにしても、今日はいい日だ。
 上等な酒をもらい、充分な金を得て、これからうまいモノもいくらでも食える。

 さて、今日はどこで飯を食おうか。

 暖かいポトフと揚げたジャガイモをいっぱい出すあの宿にするか。
 それとも安酒はまずいがでかい肉を炙って出すあの食堂にするか。
 魚ならそう、街道沿いにある酒場でうまい鯰を出す店がある。

 あれこれと思慮を廻らす男の耳に。


 「うわぁぁぁぁああぁぁぁあ!」


 少年だろうか、あるいは青年だろうか。
 甲高い声を出し向かってくる黒い影を視認した時に、その影はすでに男の脇腹を「どっ」と音をたててついていた。

 男はその勢いに負け、石畳の上に尻餅をつく。
 普段の男だったらその勢いがまま立ち上がり、洗われた影を強かに殴って黙らせていただろう。
 だがその日の男は上機嫌だった。少し殴られるくらいなら、まぁ許してやろう……そんな心情に至っていたのだ。

 だから倒れても、すぐに動かなかった。
 空は相変わらず抜けるように青く、白い雲はゆるやかに漂っていた。


 「あ、あ……あ……」

 しばらく影はその場に留まるが、周囲がざわめき出すのに気づき闇の中へと踵をかえす。
 その乾いた靴音を、男は何となく聞いていた。

 ……腹がひどく熱く感じる。おきるのが億劫だ。
 ふと、腹に手をやる。
 ぬるりという生暖かい感覚が指先に伝わった。

 見ればその手は、真っ赤に塗れている。
 どこか怪我をしたのか……腹がやたらと熱い。血が出ている。

 …………刺されたのだ。
 あの影に。

 影の主は知らないが、恨みはいくらでも買っている。
 殺される理由は、あまりにも多すぎた。

 しかし、こんな昼間からいきなり襲ってくるなんて素人の仕事だろう。
 誰かを呼べば助けもくるはずだ。

 そう思うが、声が思うように出ない。
 血はすでに喉まで迫っていて、言葉を発するかわりにごぼごぼ血の泡が漏れた。

 空は相変わらず、抜けるように青い。
 むくむくと膨らんだ大きな雲は塊のままその空を横切る。


 (あぁ……)


 こうしていたら、誰かが助けてくれるかもしれない。
 誰も助けてくれないとしても……。


 (死ぬにはいい日だ……)


 男は笑って、空を見た。
 抜けるように青い空に漂う白い雲とのコントラストは美しく、太陽は分け隔て無く街中に光を分け与える。

 男はただ空を見た。
 目を閉じてこの空を見ないでいるのが、ひどく惜しい気がしたからだ。

 今年の夏は、暑くなりそうだ……。
 そう思う間にも、石畳の上にどす黒い血が水たまりのように広がっていく。

 それでも空は抜けるように青く、雲は静かに漂って……男の身体にも相変わらず、太陽の光が降り注いでいた。






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