>> 星読みの咎人


※途中、「クトゥルフ神話」の「イスの偉大なる種族」が持つ特性(設定)を使用している作品です。




 いつ訪れてもかび臭い地下牢の階段を下りれば、そこに彼女が収監された牢の扉があった。


 「いらっしゃいませ……神崎高志さま、ですね?」


 分厚い扉の向こうから、か細い少女の声がする。
 やや高いメゾソプラノの音域は彼女がまだ年若い乙女である事を推測させるが、そのしゃべり方はまるで深淵の果てまで見通したかのように老成されている。


 「わかるのかい、日の光が届かないアンタの目で?」


 扉ごしに問いかければ、少女は僅かに笑ってこたえた。


 「組合に所属されている以外の方で、ここに訪れる事が出来る方は、貴方が想像しているよりずっと、ずっと、少ないのですわよ。神崎高志様」


 笑う仕草に呼応するかのように、重々しい鎖も揺れる。
 もしこの扉が開いたとしても、すでに彼女の身体は逃げ出せるようにはなっていないのだが、それでも誰かに連れ出される事を『組合』の連中はよほど恐れているのだろう。

 楔と鎖が彼女に、生涯の拘束を与えていた。


 「この地下牢にまでわざわざ、私の記録を求めて赴いてくださる方はそうおられませんが……貴方はその中で最も、美しい旋律とともに現れますから」
 「旋律、かい?」

 「足音がまるで重厚なメロディを奏でているかのように刻まれておりますの……そのような音とともに現れるのは、貴方だけですわ」


 彼女に言われ、神崎は自らの呪われた身体について思い出す。

 生まれながらにしてあらゆる楽曲を知り、あらゆる音を操る。
 音に関していえば時間も空間もまるで関係なく超越してみせるこの能力は彼が、人の器をもつだけの化け物であるという証明だ。

 普段自分が対峙する相手と同じ、ただの化け物である証明なのだ。


 「それで、今宵は何の御用でしょうか。神崎高志さま」


 物思いに耽る神崎の、その思いを吹き消すように明朗な声が響く。


 「また、私の知識が必要なのでしょう。ご用件があるのならお早めに……えぇ、こうしている間にも時間が来てしまいます。私とこうして話すだけでも、沢山のお金を使っているのでしょう?」


 確かに彼女の言う通りだ。
 彼女の能力は特別……故に、出会うだけで金を生む。

 組合が彼女を手放すのを恐れる理由の一つが、彼女が生み出すこの莫大な資金だった。


 「記録が必要であれば……何なりと、お申しつけ下さいまし。貴方の入り用な記録を私が持ち得ているかはわかりませんが……きっと近しい記録を引き出してさし上げましょう……」


 記録とは、彼女が持つ記憶の事である。
 彼女は「星詠みの咎人」と呼ばれる一族の一人であり、過去の、未来の、あるいは現在の知識を、記録として読み解く能力をもっていたのだ。

 全ての運命に精通する能力……。
 その大仰なふれこみには疑問を覚えていたが、事実彼女の知識は誰も知り得ない情報をも的中させる。
 故に、神崎も大きな戦いを控えた時は彼女の知識を頼りにする事が多くなっていた。

 世間では殆ど名の知れない化け物も、能力不明の怪物も、彼女はその過去も能力も、彼女は何故か知っていたのだ。
 実際に、相手の経歴や名前を彼女の記録より探り出せた結果、うち勝つ事の出来た相手も決して少なくはない。

 だがその日、神崎は別に知識が欲しくて来た訳ではなかった。


 「俺は、ただ……アンタにちょっと、礼をいいに来ただけだよ」
 「礼? 礼と、もうしますと」

 「オヤジに情報を売ったの、アンタだろうと思ってさ……アステリオスの異名を持つ、迷宮作りの能力者の奴だ。いや、オヤジにしては随分手際のいい作戦だと思ったが……アンタなんだろ、奴の能力を教えたのは」


 扉の向こうから、鎖が揺れる音がする。
 笑っているのだろうか、溜め息をついているのだろうか。

 重々しい扉の向こうからは、彼女の表情を読みとる事は出来ない。


 「本来、私の情報を誰が取引し、どんなやりとりがあったと私の口から語るのは禁則事項の一つなのですが……この度は、綾人様より。貴方になら教えてもよい と仰せつかっているので、お答え致します。お察しの通り、アステリオスの……イヴァン・バラノフの名と、経歴と……その他諸々の事例を記録としてお伝えしたの は、この私ですわ。神崎高志さま」


 そうか、やっぱり。
 唇だけで語る神崎に、今度は少女が質問を投げかけた。


 「ですが、どうして私だとおわかりになったのですか? ご子息である神崎高志さまを前にこのような事を申し上げるのは、不躾だと思っておりますが、神崎綾人様はあの性格です。情報の出所を漏らす程、親切な方だと思えませんが……」
 「何、あの戦いで親父に頼まれた事がねぇ……女性の声。それもアイツの母親の声色を真似ろというモノだったから、妙だと思ったんさね。正体不明、名も知られてない殺人鬼……その母親の名前と声とを入手する方法なんて、アンタの情報以外、ちょっと思いつかなかったってだけさね」

 「なるほど、理解致しました……ですが、それが何か……」
 「……ありがとう、な」

 「……はい?」
 「いや、アンタのおかげで助かったからねぇ……だから、ちょっと礼と。あと、少しばかり世間話でもと思って、ねぇ?」


 神崎の言葉に、少女は僅かに声を震わす。


 「……無駄遣いなさるんですね。私は、会うだけでお金のかかる女ですよ?」
 「なぁに、金ならオヤジからたっぷりもらったし……たまには親の小遣いで女遊びも面白いかと思ってねぇ?」

 「……かわった方です」
 「あはは……綺麗な女に目がないだけさね」

 少女は呆れた声を出すが、それでも人と話すのは嫌いな性分でもなかったのだろう。
 「少しだけですよ」と前置きしながら話は思いの外長くなり、神崎自身も予測してない程多くの言葉が交わされた。


 「……楽しかった。こんな楽しい時は何時以来でしょう」


 神崎が初めてこの牢獄に訪れた時、扉の向こうにあった声はもっと幼かった。
 あれから数年、少しずつ大人びた声へと変化する彼女はこのまま、地下牢以外の暮らしも知らずに一生を終えるのだろうか。

 確かに彼女は特別な能力を持つ。
 人とは違う、異能者である。

 だがだからといって、牢獄に繋がれるべき咎人ではないだろう……。


 「……アンタは、ここから出てみたいと思わないのかねぇ?」
 「はい?」

 「牢獄から出て外の世界へ、行ってみたいと思わないのかねぇ、ってね……」


 組合は、多くの人を従え不適な儀式を繰り返す秘められた組織であると同時に、強大な力を持つ。
 その組合の持ち物である彼女に何かよからぬ事をすれば、自分も決して無事ではないだろう。

 頭では解っている。
 だが、眼前に繋がれた子羊がただ死を待つ状況があると知って、それを見ないままでいる事は神崎の気持ちを揺さぶった。


 「少しでも何とか頼んで、出してもらうよう掛け合おうか」


 交渉が決裂したら強引に連れ出す。
 その意味合いは彼女にも伝わっているだろう。


 「お気持ちは嬉しいのですが、お断り致します。神崎高志さま」


 だが彼女は、即座にその提案を否定した。


 「それが私に対する優しさであるのなら、そのような人間らしい感情で私を推し量ってはなりません。私は……私は、この幼くあどけない少女の心を喰い殺した、みにくい異形の怪物なのですから」

 「何言ってるんさね、お前さんは……」
 「ご存じないのですね、私という存在を……わかりました、私が何であるか、貴方に少し話してさし上げましょう。

 そう。
 私は、神崎高志さま。

 人の器をもっておりますが、人などではない。
 もっと醜くもっとおぞましい、知識を喰らう怪物なのでございます。

 えぇ、私めは今でこそこの少女の肉体を得て生活しておりますが、本来このような可憐な姿は到底及ばない、異形の姿をしているのです。

 私はここよりおよそ6億光年ほどはなれた星で、宇宙の記録を記し続けている一族の一人です。
 名は、あなた方の音域では発音できません。

 私たち一族は、その星々にある知識あるもの、その精神を喰らい乗っ取る事で肉体を得て、その土地におこった出来事を記憶し、記録することを自らの本性としております。

 私はその一族のなかで、記録に相違がないか確認し監視する目視者の役職についておりました……。
 この星にはもうすでに短時間の滞在と一生の滞在とをあわせて、時間と空間を乗り越えながら千と二百四十五回ほど訪れております。

 えぇ、精神を蝕む事で体現する能力です。
 私にとって僅かな旅行、あるいは出張にあたる些細な移動ですが、私を受け入れた人にとっては狂気に至る程の苦痛だったかと思います。

 単純な渡航の記録であるこの1245は、そのまま私の殺した人の数だといってもいいでしょう。
 そしてこの可憐な少女もまた、私による知識の侵略を受け、じわじわと精神を嬲り殺された被害者の一人なのです。

 えぇ、この少女はまだ恋も知らずおとぎ話の王子に憧れるような純真さを抱いたまま、私に嬲り殺されたのです。

 しかも私はこの少女の精神を食い物にしただけに飽きたらず。
 自らの能力を露見され、人の子らに囚われて、その知識を搾取され……そして今、腕も足も、光さえも奪われてあなた方のお相手をする為だけに生かされているのです。

 えぇ、私は精神だけの存在。
 その気になればこの器を脱ぎ捨てて、また元の身体に戻ることも可能です。

 ですが今、私がこの身体を脱ぎ捨てて……私に精神を嬲られた少女がこの身体に戻される事が、果たしてあっていい事なのでしょうか。

 私は人とは違います。
 故に、あなた方の倫理から外れた世界で生きています。

 ですが私は長く人であり続けてしまいました。
 途方もない程長い人としての生活はいつしか貴方がたの倫理を学ばせ、そして今私は思うのです。

 これは試練ではないかと。
 私はこの場にてこれまで、人に行ってきた残虐な出来事を償わなければならないのではないかと。

 ……ですから、良いのです神崎高志さま。
 私はこの少女の肉体と魂が天に導かれるまで、ここにあろうと思います。

 それもただ一時。
 この肉体が朽ちればまた私は、元の身体に戻るだけ。

 償いにならない事はわかっております。
 ですが……。

 私にはこうする事しか出来ないのです。
 ですから神崎高志さま。

 私の事はこのままで……。
 もし、私を哀れむのであれば、どうぞ笑ってくださいませ。

 醜い異形の怪物と罵り、嘲笑われ人に毛嫌いされる事。
 それが今の私にとって、ただ一つの救いなのですから……」


 長い階段を抜ければ、久方ぶりに涼しい風が吹きつける。


 「ふぅ……」


 神崎高志は深く呼吸を吸い込むと、新しい風を胸に満たした。
 空気の悪い地下牢の濁ったにおいは、考えを停滞させる。

 それにしても……そう、彼女はあの偉大なる種族か。

 ここよりおよそ6億光年先。
 人、あるいは知的生命体の歴史を記録する為、その生活を監視し干渉する時間も空間も超越し得る存在……。

 己が本能に準じ職務のみ全うしていれば、もっと楽に生き続ける事も出来たのだろうが……。


 「駄目だねぇ、俺は……優しい女ってのは、どうも苦手だよ……」


 神崎は無意識にそう呟くと、地下牢を後にした。



 <元ネタは比較的クトゥルフ的なもの。(戻るよ)>