>> 死体蘇生者




 すえた匂いがした。
 幾重にも重なり動かない腕や足は勿論、マネキンのモノではない。

 死んでから随分とたつのだろう。
 無理矢理動かされた為、もろい部分から崩れ、壊れた部品だけがそこここに転がっている。

 どす黒く変色した血の中を、神崎は躊躇わずに進む。
 血も、肉も、弾け飛んだ臓腑も全て想定内だ。

 死体蘇生者。
 この腐臭の館に住まう主は、自ら名を捨て、求められる役割のみを名の代わりに語っていた。

 そして、その名が真実を告げているかのように、館にある死体の殆どは腐りながらも動いていた。


 「……マスター」


 血と臓腑に彩られた世界の中で、影が蠢く。
 視線をやればそこには見知った顔がこちらを覗いていた。

 壁を背にその手と身体を血で濡らすのは彼の相棒、ウォード=ランカスターの姿に相違ない。


 「ウォード、大丈夫かい?」


 跪き一瞥し外傷を確認する。
 四肢は折れていないが……呼吸が妙だ。肋骨が折れているのだろう。


 「問題ありません。ですが……アバラがイってしまったようで  」


 自分の怪我は自分が一番よく心得ているのだろう。
 申し訳なさそうに頭を下げるが、ここまで良く戦ってくれた、これ以上無理をさせる必要もないだろう。


 「一人で大丈夫かい?」
 「はい……いえ、5分もすれば治ると思います。俺は、そういう身体ですから」


 言う間に肉が盛り上がり骨が修復される音がする。
 銀狼に転ずる「のろい」に蝕まれた彼の身体は、簡単に死なないように出来ていた。

 だが、この傷は流石のウォードでも修復に5分というのは無理があるだろう。
 少なく見繕っても、30分は経たなければ動くまで回復はしまい。

 かといって、30分待っていれば敵が逃げおおせるのに充分な時間となる。
 追撃しなければならない。
 これ以上、同じような「動く死体」を作らない為に、死体蘇生者の始末は絶対だった。


 「いいって、あとは総大将だけだから……俺一人で何とかするさね」
 「ですが、マスター。マスターは……」


 神崎の言葉に、ウォードは心配そうな表情を向ける。
 だがそれも、当然の事だろう。

 神崎は世界各地にある音を全て再現する事の出来る、異能力者だ。
 この能力を使えば、例えば苦痛にあえぐ霊を天上に誘うような聖歌を奏でる事も出来れば、闇に染まった動く死者を灰に戻す鎮魂歌を響かす事も出来る。
 死霊、悪霊などと呼ばれる化け物の相手なら、何ら苦戦する事もない。

 だが相手がそういった、闇の力と無縁のただの人間だったとしたら話は別だ。

 神崎にはウォードのような、超回復力の類はない。
 人並み外れた跳躍も不可能なら、視認出来る攻撃は人間なみ。
 暗闇の中だったら獣より攻撃に対する反応は鈍くなる。

 とどのつまり、神崎高志の身体能力はただの人間にすぎないのだ。
 殴られれば手足は折れるし打ち所が悪ければ死ぬ。

 ウォードはそれを心配しているのだろう。


 「はは、大丈夫さね。相手が何でも……ただの人間なら、場数の多い俺の方が有利だよ」


 神崎は普段と変わらぬ様子で笑い、靴をならして闇を行く。

 大事ないと思わせ飄々としたままでいる事。
 それが、怪我をして動けぬ身体でいるウォードの負担を軽くする唯一の方法だった。


 一人になって歩く。
 この先に「敵」がいるのは確実だが……。

 神崎は改めて自らの手持ちカードを確認した。

 弾丸はもうない。
 ここに来るまでの動く死体、その群に全て打ちつくしている。

 愛用の鋼糸も、ここまでの戦闘で切れ味を失い腕の飾りに成り下がっていた。

 頼みの綱はナイフ一本だが、これも相手の心臓を貫くには心許ない。
 よほど接近してなければ致命傷を与える事は出来ないだろう。

 今回は相手の抹殺が目的だが、殺しきる事が出来るだろうか……。

 階段を上りきった先、壊れた扉の向こうに、意外にも目的の存在は椅子にこしかけてくつろいでいた。
 逃走を諦めたのか、あるいは何かしらの逃走手段が来るのを待っていたのか……。


 「やぁ、まっていたよ。神崎高志……だよね」


 椅子にこしかけ笑うのは黒髪の男。
 もう壮年と呼ぶべきだろう、僅かに白い髪がある、猫背で細身の男だ。

 彼が恐らく「死体蘇生者」なのだろう。
 それが一目で分かった理由は、彼が生きた人間だったからだ。

 昔から死体蘇生者という類の人間は、自分以外の仲間をやたらと殺して生き返したがる。
 そして自分が、完全な自我を保ったまま蘇生する道を模索する。

 彼らはそういう人間なのだ。


 「いかにも……いや、知られているなんて有名になったもんさね」


 薄暗い部屋へ足を踏み入れ仮初めの敬意をはらえば、男は大げさに両手を差し伸べ陰鬱な笑みを浮かべていた。


 「まぁ……こんな世界に足をつっこんだもんだからな。色々、情報を得てこっちにアドバンテージをもっていきたいと思う訳だよ」


 そして男は肩を奮わせ、笑う。


 「神崎高志。本名、タカシ・アンドレイ・神崎。あらゆる楽器の音を、弾く事で再現する事ができ……特に鎮魂歌、聖歌、神曲その他、魔力を帯びたスコアを再現する事で不浄なる存在を浄化する、裏の仕事人……二つ名は、あやかしの笛(ディス・コード)で、あっているかな?」
 「……特に訂正する所はないねぇ」

 「生憎俺は、鎮魂歌で慰められるようなモノじゃない……それにその能力は、奏でる間に僅かスキが出来るそうだな。だったら、私にとってはキミはただの人間にすぎず、キミはもう武器も残り少ない……そうかな?」
 「……それも、特に否定する所はないかね」

 「よろしい。だったらこんなモノはどうだい?」


 男の背後から、黒い塊が現れる。
 塊、そう思っていたものは歪に肥大した犬の死骸だった。

 血のような赤い目をしたその犬は、恐らく薬剤で強化しているのだろう。
 激しい腐臭からそれもまた、死体蘇生者の実験台だったのがわかる。

 動きながらすでに壊れ始めているのは明白で、10分もすれば機能停止するのは明かであるほどに安定していなかった。
 だがその10分で、充分だと認識していたのだろう。


 「……10分程度動けば上等だろう。さぁ、私の可愛い黒犬。あの男を捕縛しろ。ただし殺すなよ。その身体も、実験に使いたいからな!」


 命令一つで犬が踊り、血と肉片とが飛び散る。
 僅か10分という短い間に、こちらの手足を奪うだけのケダモノ……。

 馬鹿げた事に命を使われた、悲しい玩具だ。
 だがその玩具でも、ただの人間である神崎を留めるのに充分な働きをした。

 至近距離の戦いで、ただ壊すためだけに作られた獣を倒しきれる程、神崎も体力が残ってはいなかったのだ。


 気付けば眼前には、傷つき横たわる犬がいた。
 寿命が来たのか、小刻みに震える身体はもう動きそうもない。

 だが、彼は立派に役目を果たした。
 震えるそれを見る神崎もまた、跪き動ける身体ではなくなっていたのだから。


 「でかしたぞ、黒犬」


 男は満足そうに笑うと、倒れた神崎の髪を掴む。


 「もう幾つも人間を壊しては直したが、皆器が脆すぎた……この男は上等だ。きっと今度は、うまくやれるだろう」


 最高の笑顔は、新しい玩具をもらった子供のようだった。
 死体蘇生者が逃げなかった理由……それは、新しい実験台がほしかったからだろう。

 これから他の死体にしたように、彼を殺してまた生き返すのだろうか。

 その方法を考え胸を躍らせているのだろう。
 死体蘇生者の耳に。


 「おとうさん」


 聞き覚えのある、声がした。


 「おとうさん、りなね。おとうさんのために、ケーキの絵をかいたのよ。おたんじょうびおめでとう!」


 その声はもう、記憶の中にしか存在しない声。


 「りなね、いつか病気なおったらおとうさんのお手伝いするね。りな、おとうさんの助手になるの。そしたらおとうさんと、ずっと一緒にいられるね」


 あの日。


 「りな、はやく病気なおるといいな」


 静かな夜に瞼を降ろし、そのまま二度と目をあけなかった。
 もうこの世界にいない、彼女の声だった。

 そう。
 彼はただ、彼女にまた会いたいだけだった……。


 「り、な? 理菜? りな、りな……そこに居るのか、りな?」


 顔を上げた男が最後に見たものは、自分が倒れ伏したはずの紫の目をした男が、彼の胸に銀色のナイフを突き立てる姿だった。


 「……そう、一つだけ訂正があったんさね。俺の能力。俺の能力ね、楽曲を再現出来るってのは、違うんさね。俺は……あらゆる音を再現出来る。それは例えば楽曲であり、例えば歌であり、例えば……」


 傷ついた身体を庇うように立ち上がり、神崎は吐息を漏らす。


 「そう、例えば……過去に失った誰かの、声とか。ねぇ」


 その目の前には、血だまりの中、寂しそうに笑う男の姿があった。



 「マスター、大丈夫ですか!?」


 程なくして現れたウォードは、一目みて状況を認識する。


 「お疲れさまです、マスター」


 そう言いながら身体をささえる。
 神崎は立つのも億劫そうだが、傷そのものは思ったより深くはなさそうである。

 ウォードは安堵の吐息をもらし、彼を支えながら歩き出した。


 「思ったより数が多かったですね。これだけの死体を弄ぶなんて……非道な術師もいたものです」


 傷も殆どよくなっており、任務も無事終える事が出来た事に安心しているのだろう。
 ウォードの口はいつもより軽い。


 「それで、マスター。死体蘇生者は、一体どんな奴でした?」


 帰り際、人里が近くなり、普段ならターゲットの事などまったく気にとめないウォードが、不意にそんな事を問いかける。
 神崎は少し考えるような素振りを見せると、やがて虚空を向いてからこたえた。


 「……人間だったよ」
 「はい?」

 「何処にでもいる、ただの人間だった」


 その答えにウォードは、意外そうな表情を浮かべる。
 数多の死体を弄び、残忍に人殺しを続けていたものの正体に納得しかねるといった所だろうか。

 そんなウォードに支えられ、神崎はただ寂しげに笑う。
 その脳裏には、微かな希望を求め、縋るような男の儚い笑顔が焼き付いていた。





 <神崎先輩は人間の善意や聖域を利用した時だけ、少し罪悪感を抱く。(戻るよ)>