>> だから彼は、月に慟哭(ほ)える
その日は、とても月の綺麗な夜だった。
「やれやれ……たった3000ポッチで狼の相手なんざ、聞いてねぇんだが」
蒼い満月の下、痩身の影がゆらりと蠢く。
片手に無骨な銃をかかえた、美しい顔の男だった。
「ンまぁ、化け物が居ましたからサッサと逃げました、ってンじゃぁ、この商売やってけねぇもんなぁ」
腰には鈍く光る銀の弾丸が、月に照らされ輝いている。
そうそれは、とても綺麗な満月が蒼く輝く夜だった。
鈍いエンジンの音がする。
土煙を巻き上げ、車が進むのはある小さな村だ。
「先輩、目的地はまだですかね」
揺れる車の中で、退屈そうなあくびをかみ殺しながらその男はいった。
男。
そう男だ。
名は…………もう、覚えてはいない。
「あくびをするな、ちゃんと前を向いて運転しろ!」
肘で小突けばその男は、無邪気に笑って頷いてから強くハンドルを握りしめる。
きゅ、と、乾いた革手袋の音がした。
「しかし、本当に山奥ですねぇ。まだこんな秘境があったなんて……あはは、自分の国っていったって、まだまだ知らない場所があるもんです」
男はそういい、また笑う。
そう、その男はやたらと良く笑う男だった。
緊迫した戦地の中でも。
重要な会議の途中でも、コロコロとよく笑っていた。
その態度から男を不真面目だと、規律がなってないと罵る奴もいた。
だが。
「……笑っている場合か。それより、武器の確認はしてあるんだな?」
「はい。現在積み荷にあるのは……」
こちらの質問に、男はつまる事なく答える。
……本来、この部隊に配属される事はない、労働階級の人間だ。
だが物覚えは良く仕事もマメな男だった。
小間使いの経験が長いからか準備に怠りがなく、何より男には「能力」が……この部隊で戦いを続けるのに都合のいい能力があった。
故に特例をみとめられ、今は戦友としてともにある。
そう、男は戦友だった。
決して良い出自でない為、それを貶めるものも多かった。
だがそれでも、男は彼の戦友だったのだ。
「しかし、本当に居るんですかねぇ……ウェアウルフ(人狼)なんて」
ハンドルを握りながら、男は退屈そうに言う。
繰り返す同じ景色に飽きてきたのだろうか、今日はいつもより口が軽い。
「17世紀初頭、我が騎士団では多くそれを狩った記録が今でも残っている……王立図書館にある黒博物館での記録だ、間違いはないだろう」
「え、マジですか?」
「あぁ……ウェアウルフの種別は、覚えているな?」
「はい!」
男はまた笑いながら、一度大きく頷く。
「現存するウェアウルフは、大別されて3種類……一つは、元より狼に転じる血を持つ一族、リカント一族。これは、古の時代、狼の血が何かしらの理由で混じった一族で、今。保護地区で僅かに生き延びるだけになっている……と」
「そうだ、現存するリカントは36名。そのうち、変身の能力を持つのは僅かに4人……全てが部分変化のみに能力を留めている」
「ですよね! そして、第二種は一般的にウェアウルフと呼ばれる存在(もの)……14世紀、錬金術師のイェシカ=カルステッドの完成させた『ウルヴスナイダー』という呪菌……呪術を付加された狂犬病より引き起こされ、爆発的に蔓延した伝染病より現れるもの……」
「そうだ」
「そして、最後の一つが……高きに住まう不埒の王、その怒りに触れた男……唯一なるヴェアヴォルフ、ウォード・ランカスターがもつ呪い……」
相変わらず、良く勉強をしている男だな、と思った。
普通であれば、前の二種は出るが……唯一なるヴェアヴォルフ。
ウォード・ランカスターの名は出ないだろう。
「そうだ、記録に残らない昔。呪詛の始祖とも、冥府の守人とも呼ばれる不埒の王……奴により影を獣へ変えられ、今でも世界の何処かを彷徨う唯一なる人狼……ヴェアヴォルフ。ウォード=ランカスターだ。よく知ってたな?」
「えへへ。この前、騎士団寮の図書室で調べたんですよ!」
男は得意そうに胸を張る。
「……まぁ、そのヴェアヴォルフ。なんてのは殆ど伝承だけの存在。ここに現れたという人狼はおおかた、呪菌・ウルヴスナイダーの魔術に魅せられただけだろう。さして問題にならん、銀の弾丸でもブチこんでやればいい」
「了解です、準備はしてあります!」
隣で笑うその顔はいつもと同じ、かげりは見えない。
彼は男のこの笑顔が、他の誰のそれよりも好きだった。
車が止まったのはそれから数時間ほどたった後だろう。
日は僅かに傾きはじめている。
今宵は満月ではないはずだが、それでも日暮れに狼男(それ)と出合うのは避けたい。
伝承同様、奴らは月の光で猛る。
夜に強くなるからだ。
「どうしますか、先輩」
傍らには彼が居た。
他にも、集まったのは二桁に届きそうな程の部隊……それでも異形の扱いに長けた、闇を闇へと葬る精鋭部隊だ。
気心も知れている。
たった一匹、獣のかり出しなどそれ程時間がかからないだろう。
「普段通りのフォーメーションでいく。αチームは二時の方向から。我々はこちらより燻り出す」
僅かな指示で、皆は頷く。
そして各々、動きだそうとしたその瞬間、がさりと、木陰で僅かに物音が響いた。
「誰だ」
誰も口にはしないが、誰もがそう思い草むらへと目を向ける。
威嚇射撃の準備さえ始めるものがいた、その中で男が一歩前に進む。
「大丈夫っすよ、皆さんが焦らなくても……こういう時の為の、俺の魔眼ですから」
男はそういい、笑いながら音の方を向く。
程なくして、木の葉や枝葉がみしり、みしりと音をたてはじめた。
次いで周囲のものが少しずつ。少しずつ押しつぶされていく……無論、そこに重りのようなものはない。
ややあって、鈍い獣の鳴き声がきこえた時、男は笑って振り返った。
「あはは……どうやら、リスが隠れていたみたいですねぇ」
そして今まで自らの見つめていたその場所へと膝をつくと、大きなふさの尻尾をもつ栗鼠を胸に抱いて現れた。
男は、魔眼。あるいは邪視と呼ばれる能力の使い手であった。
その能力は、自ら見える範囲のものに重力を付加できるというもの。
シンプルな能力であるが、与えられる重力はかなりのもの。
大概の魔物を捉える事が出来る為、得体の知れない相手と戦う事の多いこの部隊では重宝される能力でもあった。
「それじゃぁ、武運をな」
仲間と離れ、歩き出す。
この村に「狼男がいる」という情報があったのはおよそ一週間前だ。
被害が出ていない事を考えれば話がわかる相手かもしれないが、狼男は一度なってしまえば治す方法がない。
とりわけ、教会の力がつよいこの国では生きる事さえ許されぬ存在なのだ。
「元々人間なのに……殺さないといけないんすよね」
隣を進む男は、憂鬱そうに呟く。
彼自身も人を越えた闇の業を得た人間……本来なら処断される対象の存在だ。
追われる立場を知っている、故に追い立てる事に抵抗があるのだろう。
だが、同情して戦わぬという選択もまた、残されていないという事も知っているのだ。
「何とかならないんですかね、俺たちと、彼らと共生……」
自身が組織に飼われている道具である事を知っているのだろう、彼はそれ以上は何も言わず、探索に戻った。
それからどれだけ歩いたのだろうか。
時刻はそろそろ、夕暮れを迎えようとしていた。
狼男が相手なら、それ以上の探索は危険だろう。
一端捜索を切り上げるべきか。
そう思った彼の前に、その男が現れた。
「何だ……お前たちは。いや……その身なり。そうか、思ったよりは……早かった、か」
やつれた男だった。
無精髭がやや目立ち、髪も白くなりはじめているが年齢は案外と若そうにも思える。
その男は闇の中、目だけは爛々と輝いていた。
一見すればただのうらぶれた男だろうが、すぐに違うという事が肌で解る。
「ウェアウルフ……そうだな」
男は否定も肯定もせず、こちらを見ている。
ただ低い声で唸る所作は、人より狼のそれであった。
「お前がこの国にいられない理由はわかるな?」
黙っているが、理解はしているようだった。
僅かにみせる仕草は肯定の仕草だ。
「貴様ら夜族を前に、我ら王立騎士団が行う事……理解(わか)るな?」
黙って笑う。
全て納得しているのだろう。
「……覚悟はいいなら手を挙げろ、楽に殺してやる」
銃口を構える。
敵意がない相手にトリガーをひくのは躊躇いもあるが、仕事を早く終わらせたいのも本音である。
家族のバースディプレゼントを買う為、街で用もある。
幼い姪御に絵本の読み聞かせもしなければいけない。
だが男は、その所作にははじめて抵抗の仕草をみせた。
「悪いが……俺を、殺さない方がいい」
「……命乞いか? 無駄だな、この国には残念ながら、お前たちを置く法がない」
「 理解はしている。だが……俺を殺すというのなら俺は抵抗をする。そう、俺は……逃げるのにはとっくに疲れているがそれでも、誰かにこの運命を背負わせたくはないからな」
それは命乞いにしてはあまりに奇妙な言葉の羅列であった。
「何をいっているんだ、貴様」
「……さっき、お前さんは俺をこうよんだな。そう、ウェアウルフ、と。だがそれは違う、違うんだ」
「何が違う。貴様は人狼だろう?」
「違う、違うんだ……人狼だが俺は……」
風が周囲を吹き抜ける。
「俺は唯一なるヴェアヴォルフ……ウォード・ランカスターだ」
日は沈みかけ。
「だったら尚更、始末をしないとな」
新たな月が、昇ろうとしていた。
肩から滴る血を拭い、彼は静かに剣を抜く。
思ったよりは強敵であった。
だが……本人に戦う意志も途切れていたのだろう。
傷を負ったが、うち倒す事が出来た。
「伝説のヴェアヴォルフと名乗った割には……他愛もなかったな」
疼く傷をおさえながら、彼は仲間の元へと戻ろうとした。
一度、安全を確保した場所でよもや交戦するとは思わなかったが、仲間は何処まで進んでしまったのか……。
歩き出した彼の前に、青白い月の光が輝き出した。
傷が、熱い。
思ったより深かったのか……悪い菌が入ったのかも知れない。
身体が疼く。
熱っぽいような、灼けるような感覚が肌を包み込む。
思いの外進行の早い病をうつされでもしたのか……。
意識が朦朧とする中、彼は僅かに空を仰ぐ。
そこには、月光が鈍い光を放ち妖しく輝いていた。
気が付いたら、変貌していた。
月に照らされてうつる影は子牛ほどの大きさで、腕は、足は銀色の毛皮に包まれている。
「う、そ……ですよね、先輩?」
足下には、かつて仲間だった人間の肉片が散らばっていた。
だがそれ以上に眼前の男を驚かせていたのは、自分が着ていた服とその名だった。
「先輩、俺です。わかりませんか、俺、俺っ……」
魔眼をつかえばあるいは、男は彼を留める事が出来たのだろう。
だが、男はそれをしようとも思わなかった。
目の前にあるそれが、自分の知る「先輩」だとしたら…………。
使える訳がなかったのだろう。
「せんぱい!」
追いすがるように近づく男を前に、狼はその顔を向けた。
そして。
にこり。
笑うように牙を剥く。
狩猟の本能を、止める事は出来なかった。
土と鉄のにおいがする。
空が、いつもより高い。
目が覚めた時、彼の隣には見知らぬ男が座っていた。
「お、気付いたか。タフだ、タフ、流石に回復が早いねぇ」
慣れた手つきで包帯を巻くのは、女性のように美しい顔立ちの男だった。
黒髪、茶色の瞳……見慣れぬ顔だが、チャイニーズだろうか。
あれこれ思慮を廻らしながら起き上がる男は、その周囲にあるむせるような血の臭いにようやく気付いて驚いた。
「何だこれは、これはっ……」
血の理由を知り、彼は戦慄する。
そこには見知った仲間だった塊が、幾つも散らばっていた。
「どうした……いや、どうして。何があった、私は……一体誰がこんな事を」
狼狽える彼を横に、見知らぬ男は笑って言う。
「誰だって聞かれたらお前さんだってこたえるしか無ぇな。俺も」
「……な、に言ってるんだ。お前?」
「だから、狼男のお前が噛み散らかしたあとだって言ってンだよ」
冗談だと思った。
「何を言ってるんだお前は、私がそのようなマネをするはずが……」
冗談であればいいと思った。
「大体、皆は私の部下だぞ! それを、それを……」
傍らにある笑顔がもう永遠にないだと、信じたくはなかった。
だが。
「……最後まで私が獣になぞならないと信じた、あいつを。私が……私が……」
変わる肉体の事を鮮明に覚えすぎていた。
月光の下、血が沸くような昂揚はこれまでにない記憶だった。
血を浴びる事に獣の本能が目覚めていくようだった。
「狼男は、変化している時。理性がなくても、記憶まで抜け落ちる訳ではない……覚えているんだろう、狼だった頃の記憶もな」
黙ったまま肯定する。
自ら獣になり果て、その本能のまま戦う記憶。
思い当たるものが多すぎた。
「そうか、私が……私が、やったんだな……」
すぐさまわき出た死の衝動を、男の腕が止める。
「死ぬのはやめておけ。この呪いはタチが悪い……お前が死んだら、お前の血を持つ別の誰かがそれを請け負う事になるぞ」
「だがっ……」
「お前は親御さんを、あるいは兄弟を、あるいは子供を。自分の血をもつ誰かを、狼にしたいのか?」
「だったら、お前。この私を殺してくれ! すぐにだ!」
「……冗談はやめてくれっての。そんな事したら、俺が狼男だぜ?」
ヴェアヴォルフの呪い。
いにしえに、気紛れに作られたその呪いは、ただ一人を永遠に絶望に立たせる事に関しては一流であった。
「……私はどうしたらいいのだろうな」
力なくその場に膝をつく彼に、男がこんな提案した。
「お前、俺の国で仕事をしてみる気はないか?」
「……お前の?」
「俺の祖国で息子がね。こいつが甘っちょろくて危なっかしい奴なんだが、ちょうどいい相棒を捜しているんだよ。何、ガキのお守りをお前みたいな一流の軍人に任せるのは気が引けるが……行き場に困ってるなら、息子の店で働くといい。俺の国は各国の宗教観が一同に集まる事から、お前のような境遇の人間でも登録さえすめば追われる事はない……少なくてもここのように、灯火を掲げて追い立てられる事はないぞ?」
「だが……」
「お前とて、この国で留まり仲間たちを相手にしたくないだろう……?」
男の言う事も最もだった。
このままであれば、いずれ自分を追い立てにかつての仲間がやってくる。
かつての仲間に、今の自分と同じ苦悩を与える訳にはいかない。
戦場の中平常でいる彼の脳は、逆境の最中でも判断を鈍らす事はなかった。
「そう……だな」
彼の前に現れた男の言葉に嘘はないだろう。
確かに今、出奔するのにまさに渡りに舟だ。
「悪い話しではない……お前の提案、受けようか?」
「あ、切り替え早いねぇお前さん……頭の回転が速いのは良い事だ。ちょっとまてな、不正入国手続きはパッパと済ませちゃうわ……偉い所にコネがあると融通きくからいいよな」
男はそう言いながら、彼の胸にあった称号……彼の名を示すものを引きちぎる。
「何をするんだ、お前……」
「名はここに捨てていけ……かつて王立騎士団を率いた男は今死んだ。その方が、お前も気が楽だろう?」
「だが……」
「これから生きるのは王立騎士団を率い、仲間に慕われていた部隊長さんじゃねぇ……月を見ると本能に狂う獣、ウォード・ランカスターだ。その方がお前の為にも、いいだろう?」
返す言葉は、なかった。
そう、自分はもう獣なのだ……唯一の人狼・ヴェアヴォルフなのだ。
「……そう、だな」
自らを示す証を千切り、彼は黙って空を見る。
空にはもう、月はない。
だが……。
「ぁ……うぁぁぁっ……」
言葉にならない声が漏れる。
最後に見た月の色は、鮮明に幸福な日常の記憶を呼び覚ます。
だから彼は、月に慟哭(ほ)える。
それは、一人の男が死に獣が産声をあげた瞬間でもあった。