>> 夏まつりにいきました。





 商店街に、提灯の飾り付けが増える。

 何処かから笛や太鼓の音色が聞こえてくる。


 夏まつりの時期が近づいているのだろう。

 町中でも、浴衣で急ぐ女性の姿が目立つようになりはじめた。


 最も……今年は仕事のスケジュール上、とても行けそうにないが。

 椎名は内心、そう呟きながら自宅マンションのドアを開けた。



 「おかえり、淳兄ぃっ! 寂しくて死んじゃう所だったよッ」



 同時に、その襟元に従兄である七瀬が飛びついてくる。

 椎名の帰宅と同時に七瀬が飛びついてくる、というのがすでにこの家の常識となっていたが、その日は一つだけ、何時もと違う所があった。



 「……わかった、寂しいのは解ったから、離れろ」

 「いやー。ぎゅってしてくれるまで、離れないー」

 「……もう抱きしめているだろ、離れろ」

 「いやーだぁー。じゃぁ、ちゅってしてくれるまで、離れないー」

 「……キスならいくらでもくれてやるから、離れろ。離れないと唇を重ねる事だって出来ないだろう?」



 椎名に言われ、ようやくその拘束を解くと七瀬は照れたように微笑む。



 「やった……ほんと? 約束だよ、淳兄ぃ。ちゅぅって、オデコとかほっぺにして誤魔化すの、無しだからね!」



 そう言いながら指先を弄る七瀬の衣装は、濃紺の反物で誂えられた浴衣姿だった。


 普段から小柄で華奢。

 どちらかと言えば女性っぽい印象がある従兄だが、割合に落ち着いた色合いの浴衣を着ているせいか、今日は幾分か男らしく見える。


 ……とはいえ、童顔である為に少年っぽい印象は抜け切らないのだが。



 「いや、それはいいんだが……澪。どうしたんだ、その格好。それ、浴衣だろ?」



 椎名に聞かれ、七瀬は大きく頷いてからぐるりとその場で回ってみせる。



 「そうだよッ。ほら……友達から。梨花ちゃんから、浴衣の着付け教わってさ、俺、一人で着れるようになったんだよッ!」



 袖をつかみ、両手を振り、嬉しそうに語る。

 着慣れてない為か、少し袖を引くだけで僅かに覗く肌が今は妙に艶めかしい。



 「……なるほどな。しかし、どうして浴衣なんて着だしたんだ?」



 椎名は自分の理性を保つ為、あえて気を逸らすような質問をした。



 「え、だって、もうすぐ、近所の神社が夏まつりだろッ……ちょっとだけど、出店とか出て面白そうだし。せっかくの祭だから、浴衣着て淳兄ぃと一緒に行こうと思ってたんだけど……ダメかな?」

 「そうか……夏まつりは、何時だ」

 「えっと……この日!」



 七瀬はそう言いながら、傍にあるカレンダーを指さす。

 その日は偶然にも、今日上司より休日出勤を仰せつかった日だった。



 「あは、楽しみだなぁ。俺、この日の為にお小遣い貯金しておいたんだ、これで淳兄ぃにも、何かおごってあげるね!」



 七瀬はすっかり行く気だが……。

 この休日出勤は、納期を間に合わせる為にも絶対に出なければいけない日である。


 可愛そうだが、後回しにしても仕方ない。



 「……悪いが、俺はその日はいけない」

 「えっ。な、な、何でだよ、淳兄ぃ! 淳兄ぃ、カレンダー通りに休みが貰える人だろ!」

 「だがその日は、長期休み前の最後の追い込みだからな……悪いが、無理だ」

 「えー……どうしても、ダメぇ?」

 「ダメだな。これさえ終われば、長期の休みが取れるんだが……どうだ、その後の花火大会ならつれていってやるぞ?」

 「ううう。花火大会もいいけどっ……気分はもう、淳兄ぃと夏まつりだったんだよなぁ……なんだぁ、がっかり」



 七瀬はがっくり肩を落とすと、力無い足取りで部屋へと戻っていく。

 よほど夏まつりを楽しみにしていたのだろうか……。



 「悪かったな、澪……普段より、多めに小遣いをやるから、他の友達といってこい。何なら、俺から桐生に頼んでおこうか?」



 ネクタイを外しながら部屋に戻り、少しでも七瀬の喜びそうな提案を探るが、やはり七瀬の表情は浮かない。



 「俺、淳兄ぃと行きたかったんだもん……カズ君とも、面白いけどさ……淳兄ぃとカズ君、違うもん……」

 「だが、仕方ないだろ……長期休みに入ったら、好きな場所につれていくからな?」



 笑いながら頭を撫でようとする椎名の手を握りしめると、七瀬はふと思いついたようにこんな提案を語りだした。



 「そうだッ……じゃ、淳兄ぃ。夏まつり、一緒に行けないんだったらさ。せめて、おまつり、気分だけでもいいから……一緒に行こッ?」

 「気分だけ……か」

 「そうそう、おまつりいった気分だけ……夏まつりに出かけたつもりになって、せめていった気分だけ味わおう、えっと。こういうの何ていうんだっけ、しゅみれーしょん、じゃなくて……」


 「夏まつりのシミュレーションをする、という事か?」


 「そうそう、それそれ! 何処からお囃子がながれてきて、食べ物屋さんの出店があって……わー、淳兄ぃ、たこ焼き屋さんがあるよ、たこやき屋さん、あれ買って!」



 何処かの祭で聞いたような笛や太鼓の音を口ずさみ、椎名の手を握りしめると、七瀬はいつものマンション一室、その一角を指さしてさもそこにたこ焼き屋の屋台があるよう振る舞ってみせる。

 七瀬は元々、ままごとや電車ごっこ、お店屋ごっこなど、いわゆるごっこ遊びが好きな子どもだった。

 今ここで「おまつりごっこ」をする事で、自分と祭に行けない鬱憤をはらそうというのだろう。


 帰宅したばかりでまだ空腹であるが、このささやかな願いを聞き入れる事が出来ない程、椎名も余裕のない男ではない。



 「解ったわかった……たこ焼きだな、かってやる。一つでいいか?」

 「一つでいいよ、おまつりでは食べるものいっぱいあるし、一つを二人でわけっこして食べよ、ね?」

 「そうだな……親父、一つくれ。幾らになる?」



 財布を出す真似事をしながら、七瀬の示した一角へ向かえば、さっきまで隣に居た七瀬が今度は店の主人役となりとびっきりの笑顔を向ける。



 「へい、らっしゃい、いっこ400ペソです!」



 その値段は、まさかの異国通貨であった。



 「ん、それはフィリピン通貨か、それともチリ通貨か? そのどちらかで、10倍近く値段が変わるんだが……」


 「ロンドンペソです!」


 「しかもロンドンではそれは通貨ではないし、そもそもロンドンは国ではないのだが……まぁいい、払おう」

 「わぁ、流石淳兄ぃ、異国の通貨も支払える太っ腹。はーい、たこ焼き一個、はいりまーす!」



 一々、たこ焼きをひっくり返す仕草をし、パックにつめて手渡す。

 こういった仕草を一々丁寧に演じる事にかけて、七瀬は有る意味天才的な才能を持っていた。



 「わー、ありがとう淳兄ぃ! 早速、頂きまぁす!」



 自分が作る仕草をしたたこ焼きを、自分で受け取り、自分で食べる仕草をする……。

 傍目からすると妙な事をしているように思えるが。



 「もぐもぐもぐ……うん、おまつりで買うたこやきは、子どもの頃美味しかったのに、今食べると残念な味だ! けどっ……淳兄ぃが買ってくれたと思うとすっごく美味しいよ!」



 顔一杯に笑顔を作り、さも美味しそうに食べる仕草を見るというのは例え仮初めでもまんざらではない。



 「ほら、ほら、淳兄ぃも食べて。あーん、だよ、あーん!」

 「……俺は、遠慮しておく」

 「だーめ、ほら。あーん……あ、食べた、食べたねっ……わぁ……淳兄ぃと、間接キッスしちゃったね……」

 「お前な……」

 「……直接の方もしよっか?」



 まんざらでもないが……。

 この感覚、気恥ずかしさが強いか。



 「……少しだけだぞ?」



 七瀬の顎を引き寄せ、触れるだけの唇を重ねる。

 彼もまさか本気で唇を重ねるとは思っていなかったのだろう。


 見ている方も恥ずかしくなる位真っ赤に頬を染め上げると、照れたように俯いた。



 「あ、あの……ありがと、淳兄ぃ。で、でもっ……ホントにおまつりでそんな事したら、ダメだからね?」

 「……そうか?」

 「そ、そうだよっ。おまつりに人、いっぱいいるし! 人前でいきなりちゅーとか、俺凄く恥ずかしいしっ、人に見られるのイヤだしっ……」

 「わかった、わかった……次は何処に行く?」

 「え、えっと……次、次はねぇ」



 七瀬は部屋をキョロキョロ見渡し、テレビの前に立つと大きな手振りではしゃいで見せる。



 「あ、淳兄ぃ。淳兄ぃ、おめんも売ってるよ。いいなぁ、いかにも出店って感じで……ね、買って良い?」

 「お面、か……買っても役に立たないだろう?」

 「雰囲気だよ、雰囲気っ。俺、夏まつりにお面つけてみたいんだよぉ。子どもの頃、かってもらえなかったからッ!」



 七瀬は……幼い頃に、両親と別離している。

 その後は叔父夫婦に面倒を見てもらっていたようだが……随分と辛い仕打ちを受けていたらしい。


 夏まつりで楽しく遊んだ記憶、というのも無いのだろう。



 「……わかった、買ってやろう。さ、好きなの選べ。どれがいい?」



 椎名の許可を得て、安心したように笑うと七瀬は上から下まで。

 まるでそこに、本当にお面が並んでいるかのようにゆっくりと吟味すると。



 「それじゃぁ、そこの右上にある、ェーンソーをもった怪人がつけるようなホッケーマスク!」



 まさかのホラーなチョイスをした。



 「それは出店じゃなくてスポーツ用品店にあるモノだろうが! というか、そんなお面を買ってどうするんだお前は!? クリスタルレイクか。クリスタルレイクに出没する気か!? むしろニューヨークか!?」

 「そんな遠くに行かないよ、俺、パスポートももってないもん……えへへ、お面ゲットだよー。わーい、ありがとー、淳兄ぃ!」

 「あぁ……今お前がチェーンソーをもった怪人がつけるようなホッケーマスクを
被っているのだと思うと、隣を歩くのも憚られるがな……」

 「でも、俺は淳兄ぃの隣は譲らないよ。ここは、俺の場所ー」



 浴衣の袖を振り回しながら、七瀬は必死で隣の領土権を主張する。



 「そう主張しなくても、とっくの昔にお前専用だ」

 「えっ。ほんと、ほんと? ほんとならちょっと嬉しいな!」

 「……他に主張した人間もいないしな」

 「あれ、ほんと? ほんとなら、ちょっと寂しいんだけど……でもいいやっ、淳兄ぃのいいところは、俺だけがぜーんぶ知っていればいいもんね!」



 そう言いながら半歩、椎名の先に立ち七瀬は天井を仰いで考える。



 「さてさて、夏まつりの食べ物は満喫したけど……ね、淳兄ぃ。おみやげにお家で食べるのは、リンゴ飴がいいかな? わたあめがいいかな?」

 「俺は甘い物は苦手だが?」

 「むむ、だったら俺一人で食べるよっ。えっと……でも、どっち買って良い? 俺……迷うなぁ」

 「どっちも買ったらいいだろ?」

 「ほんとッ。じゃ、両方おみやげにして……両手を甘いので一杯にしたら、最後に金魚すくいやるんだ!」

 「……金魚すくい?」


 「そう、金魚すくい!」



 七瀬はそう言うと、部屋にあるガラステーブルを金魚すくいの出店に見立て、腰を下ろしてポイを構える。



 「俺、金魚すくいってやった事ないんだよね。だから、初めてやってみるんだ! でも、きっと初めてだから一匹も捕まえられないよ。残念だなぁ」

 「……一匹くらい捕まえられるだろう?」

 「そう、そこで淳兄ぃが、そう良いながらリベンジするんだけど……やっぱ、失敗するんだよ。淳兄ぃ、不器用だから!」


 「何で俺が失敗すると決めつけるんだ?」


 「だったら、捕まえられる自信、あるのかなっ?」

 「……それは、無い……な」

 「だろっ、淳兄ぃが失敗するのを見て、俺笑うんだよ。あはは、淳兄ぃは不器用だなぁって」

 「……悪かったな、不器用で」

 「うんっ。でも……アレは、上手だよね……淳兄ぃとさ、初めてした時から、淳兄ぃすごいなぁって思ったけど……俺、いっつも……ヘンな声、出ちゃうし……」

 「ん、何の事だ?」

 「あ! 何でもない!」



 そこで七瀬は浴衣の袖を握ると自分の持っているモノを指折り数えはじめた。



 「えっと、それで……俺は、わたがしと、リンゴ飴と……金魚すくいのおじさんが、サービスでくれた金魚を片手でもって、っと」

 「多いだろう、荷物は半分俺がもとう」

 「ありがと! で、あいている片手で……」



 そして、不意に椎名の開いている手を握りしめる。



 「……どうした、澪?」

 「別に。ただ……こうやって、ぎゅって、淳兄ぃと手ぇつないで……いっしょに、神社にお参りに行くんだ!」



 椎名の脳裏に、近くにある神社の長い階段が思い浮かんだ。



 「ほぅ……何を願う?」



 古ぼけた賽銭箱を前に、そう問いかける自分の姿が浮かぶ。



 「えへへ……ないしょ!」

 「何だ、もったいぶって。減るもんでもないだろう?」

 「そうだけど……でも、きっと、淳兄ぃと同じ事をお願いしているよ、だから別に、言わなくてもいいと思うんだ」



 七瀬にそう言われ、椎名はすぐに自分の願いを考える。

 自分の願いはただ一つ。


 ……傍らに、居てやる事だけだ。



 「そう……か」



 もしそれが、同じ願いというのなら……それなら別に、悪くない。

 椎名の顔は、自然と笑顔になっていた。



 「そうだよ! それで……帰りに、帰りに……神社の石段を下りて、人の少ない路地にまわるでしょ、そしたら、そこで」



 七瀬は一度言葉を切ると、その小柄な身体いっぱいを使って、椎名の胸に飛びついてきた。


 男の身体にしては弱々しい力で。

 だが精一杯の心を込めての抱擁は、七瀬の小さな鼓動を胸いっぱいに伝える。



 「澪……」



 柔らかな髪が、甘い香りを運ぶ。

 同じ食事、同じシャンプー、同じ石鹸をつかっているはずなのに、七瀬はいつも甘く優しい匂いがした。



 「こうやって、淳兄ぃに、ぎゅってしてもらうんだ……ぎゅって……」



 そう語り、自分の胸で静かに瞼を閉じる七瀬の姿で、自然と祭の情景が思い浮かぶ。


 こんなにも、自分と共に居る事を望む人間がこんなに近くに居るというのに。

 その願いをも、満足に叶えてやる事が出来ない。


 仕方ない事だが……憤りを感じずには、いられなかった。



 「澪……ゴメンな、夏まつり……一緒に、行けなくて……」



 全てを聞いた今、七瀬の言葉の意味がはっきりと分かる。

 他の友達ではなく、自分と一緒に居たかった理由……その全てがだ。


 だが七瀬は大げさなくらい左右に首をふると、柔らかな笑顔を向けた。



 「いいんだ、淳兄ぃ、お仕事だから仕方ないよ。それに、俺っ……夏まつりなら、もう行ったからね!」

 「ん?」

 「淳兄ぃと今、夏まつり一緒に行ったから、俺もう、今年の夏休みはいかなくていいんだ!」



 七瀬の言葉、その真意を読む事が出来ず、椎名は怪訝な顔になり聞き返す。



 「……何を言ってるんだ、澪。ここにはたこ焼き屋も、お面も、金魚すくいの屋台もないぞ?」

 「でも、ここには淳兄ぃがいるよ」



 七瀬の頬に、赤みがさす。



 「俺、出店なんてど本当はどうだっていいんだ。ただ、淳兄ぃがいてくれればいい。淳兄ぃがいてくれれば、俺、それだけで……夏まつり、行けちゃうんだ!」



 つまる所……七瀬にとって椎名が傍らにいれば、それだけでいいという事なのだろう。


 自分と同じ事を願う……。

 七瀬の言葉に、偽りはなかったのだ。



 「澪……よし、っと……」



 椎名は半ば強引に七瀬の身体を引き寄せると、無理矢理身体を抱き上げる。



 「ひゃぅっ……何するのさ、淳兄ぃ、急に……ダッコなんて……お姫様ダッコとか、恥ずかしい。恥ずかしいよぉ」

 「夏まつりの終わりに、お前を抱きかかえて家に帰るのもいいかと思ってな……ベッドまで……いいか?」

 「えッ?」

 「…………いいな?」


 「…………うん!」




 七瀬は顔を真っ赤にしたまま俯くと、そのまま身体を信頼する従弟へ預ける。


 その夏。

 自室の中だけで行われた夏まつりは、静かだが豊かに過ぎようとしていた。



 <はいはい、バカップルがいますよー。(戻るよ)>