>> ばいとこ。




 夏休みの時期がやってきた。

 飲食店には、長期休暇になれば忙しくなる店と、逆に客足が途絶えてしまう店とが出る。

 椎名淳平とその従兄の先輩であり、喫茶店「Equilibrium」(イクィリブリアム)のマスターである神崎高志の店は、どうやら前者であるようだった。



 「夏になるとサ、普段は店に来ないような、比較的年齢の若い学生さんなんかも良く来るようになるんだヨ。有り難いンだけど、忙しくなってねェ。俺と、もういい年齢になるジィさんとじゃ、とっても回しきれなくて。悪いんだけど、手伝いが欲しいんだよねェ」



 独特の、鼻にかかったようなしゃべり方でそう切り出した神崎の目的は他でもない。

 忙しい時期だから、彼の従兄……七瀬澪に、手伝いに来て欲しい、というモノだった。



 「勿論、バイト代は出すし、無理をさせるつもりもない……みぃを……お前の従兄の、七瀬澪を貸して欲しいンだけど、ダメかねェ……」



 椎名の従兄であり居候でもある七瀬澪は、自他とも認めるプロの自宅警備員である。

 だが、働く意欲は旺盛で、今までも幾度か神崎の店を手伝いに行っている。


 神崎としても、忙しい時期だけ仕事に不慣れなバイトを雇うより、すでに店の仕事を知っている七瀬に手伝いに来てもらった方が都合がいいのだろう。


 だが、今まで七瀬が手伝いに行っていたのは、夜になってから……。


 神崎高志の経営する店は、昼は軽食などを楽しめる喫茶店「Equilibrium」として営業しているが、夜は「Rebellion」(リベリオン)と言う名のショットバーとして営業している。


 今まで七瀬が手伝っていたのは夜の部であるRebellionのバーテンダーとしてだ。

 喫茶店の手伝いをした事は、無い。


 元々、人見知りも激しい七瀬に接客をさせるという事は抵抗があるというのが、椎名の本音ではあった。

 だが。



 「大丈夫だよッ、神崎のアニキが困っているってなら、一肌脱がないとねっ!」



 七瀬本人がやる気になっているのなら、断る理由はない。

 結局、気乗りはしないが、七瀬本人のやる気と神崎の「無理はさせない」という言葉を信じて、渋々ながら承諾する事にした。



 「アニキの店、本当に忙しいよっ、もー、大変だった!」

 「メニューも多いし、人もいっぱい注文言うし……」

 「テンパっちゃったよ、わたわたして、何がなんだかわかんなかった……しょんぼりだ」



 手伝いにいった、初日。

 やはり慣れない仕事だからか、忙しさに戸惑う発言が多かったが、その発言も一日、一日と日が経つにつれ前向きなものに変化していった。



 「お客さん、一杯来てくれるんだ、俺の名前覚えてくれる常連さんも居て、喫茶店も悪くないなぁって!」

 「メニューは全部覚えたよ。レシピも聞いてきたから、今度、淳兄ぃにも何かつくってあげるね!」

 「お店の常連さんが、凄くいい人で、俺の事良く気遣ってくれるんだ!」



 嬉々としてそう語る従兄を目の当たりにし、行かせて良かったと思えるようになってきていた。


 そう。

 実際、店に赴き、あの姿を目撃するまでは…………。




 神崎高志の店は、商店街の賑わいと住宅街の雰囲気。

 その両方を併せ持った路地の一角に存在する、落ち着いた雰囲気の店だ。



 「確かココだったよな」



 久しぶりに来る先輩の店に少し緊張を感じながら、椎名はドアを開ける。


 からん、からん、からん。


 軽快な鐘の音の後。



 「いらっしゃいませぇ!」



 女の子のような甘い声は、聞き覚えのある従兄……七瀬澪の声だ。

 どうやら、一生懸命働いているらしい。

 安心しながら従兄の姿を探す椎名の目に入ったのは……。



 猫の耳のようにも、小悪魔の角のようにも見える、ぴょこんととがった耳付き帽子。

 幾つものフリル、レースのついた、身体のラインが妙に艶やかに見えるジャケット。

 リボンのようなネクタイのついた、やたら装飾の多いブラウス。

 それとギンガムチェックのフリル付きキュロットスカートという。


 原宿あたりに行くと見られる衣装を身にまとった、七瀬澪の姿だった。



 「いらっしゃいませ、お客様!」



 そう言いながらぺこりと頭を下げれば、ふわふわとフリルが舞い、太股まですっぽり隠したレッグウォーマーの隙間から柔らかそうな足が見える。

 皆その、お辞儀姿を見たいのか。



 「みおちゃんッ、あのっ、注文お願いします!」

 「みおちゃん、ここ、おしぼりね!」

 「みおちゃん、特に用事はないけど顔見せにこっちに来てッ!」



 店内は、注文を希望する男たちでごった返していた。

 夏に、余計に暑苦しい光景である。



 「はい、かしこまりましたー、注文とります!」

 「はい、かしこまりましたー、おしぼりですね、どうぞ!」

 「はい、かしこまりましたー、見に来ましたよ、お客さんッ!」



 そしてその、数多の注文の中。

 従兄は右へ、左へ、ぱたぱたと走り回りながら、その無数の男達の相手に励んでいたのだ。



 (これは、一体どういう事だ)



 その光景を目の当たりにし、椎名は暫く考える。


 フリルやレースがたっぷりついた女の子の着るような服。

 それを身につけた従兄は、身体も小柄で声も女性的である為か、近くで見ても完璧に少女のようだった。


 恐らく、店の客。

 その大半は、この姿……従兄のこの、フリル付きでスカートの短い衣装を見に来る為、この店に来て居るのだろう。



 「みおちゃん、今日も可愛いねぇ!」



 度々聞こえる言葉から、それは容易に推測出来る。


 従兄が、男である事実に気付いているかどうかまでは伺い知る事は出来ないが、多かれ少なかれ。

 今、この店に来ている客の大半が、従兄に何かしらの興味を抱いている事は間違い無いだろう。


 椎名の胸に、形容しがたい感情が沸き上がって来た。


 そんな中、店に入ってきた椎名の姿に、気付いたのか、七瀬は小さく手を振ると、小走りで彼の隣に近づいて来た。



 「いらっしゃい、淳兄ぃっ、来てくれたんだねっ!」



 その刹那。



 ざわ……。

 ……ざわ。


 急に、店内の賑やかさが変わる。



 「今……みおタン、何て言った?」

 「兄ぃって……アレ、澪たんの兄さんか。全然似てないんだが……」

 「というか、みおタンに兄ぃ、なんて呼ばれているなんて実にけしからん! 俺と変われ!」



 その多くは、羨望と嫉妬に包まれている。

 差詰め、「俺の澪ちゃんに何てなれなれしいんだ!」という事だろうか。


 男という生き物は、どうして時としてバカだと思える行動に走ってしまうんだろうな。

 椎名の胸は、なま暖かい気持ちで一杯になっていた。



 「はーい、淳兄ぃごあんなーい!」



 七瀬澪は、椎名の袖を引いて席に案内しようとする。



 「ね、ね、淳兄ぃ、何か食べていくんだろ。よかったら、カウンターにおいでって、今メニュー持ってくるからさ!」



 その間も、椎名には嫉妬やら怨念やらが渦巻く視線が注がれていた。

 だが、今はその視線を気にしている場合ではない。



 「いや、メニューはどうでもいいんだが……」



 椎名はわざとらしい咳払いをすると、七瀬の服を凝視した。



 「お前っ、それ……どういう冗談だ?」



 椎名にそれを指摘され、彼もようやく自分がしている格好の異質さに気付いたのだろう。

 かっと照れたように頬を染めると、もじもじ指遊びをする。



 「え、え、やっぱ……コレ、ヘンかな?」

 「ヘンというか……」



 結論を言ってしまうと、似合いすぎていて怖いくらいなのだが。


 だがそれでも、この衣装。

 フリルが多くミニスカートのようなキュロットは、明らかに女性向け……少なくても、男の七瀬が着るモノではないだろう。



 「不可思議な格好ではある」



 とりあえず、オブラートに包んだ表現で伝えると、七瀬は照れたように笑ってみせた。



 「うん……俺も、最初見た時は冗談かな、って思ったんだけど……でも、仕方ないだろっ、コレが喫茶Equilibriumの制服なんだって、アニキが言うんだから!」



 この店に制服がある、なんていうのは初耳だし、以前この店に来た時、こんな服を着ている人間は居なかった。

 大方、神崎高志にからかわれるか騙されるかして、無理矢理着せられた衣装だろう。

 大体、コレでは制服というより……メイド喫茶である。



 「メイドは女性がするべき格好では、ないのか?」



 呆れ半分、怒り半分で椎名の口からそんな言葉が漏れる。



 「あ、淳兄ぃ、これ、メイドじゃないよ。ごしっくろりーた……っての? ゴスロリファッション、っていうんだってさ。ほら、確かに黒が基調だけど、メイドと違って、エプロンドレスもカチューシャもつけてないだろ?」



 その言葉を、七瀬は否定した。

 が……。



 「だが、女装だろ、それは?」



 そう、これが女装である事には代わりないだろう。

 切り口を変え、そう指摘するが。



 「違っ……女装なんて恥ずかしい真似、出来る訳ねーだろっ。これ、ほら、見て、スカートっぽいけど、ズボンなんだって、ほら。だからこれ、女装じゃないよ、女の子の服みたいだけど、男も着ていいんだってさ」



 そういいながら従兄は、キュロットの裾を広げてお辞儀してみせる。

 スカートがふわりと浮き、ずっとこちらを注視していた客の誰かが感嘆の声をあげた。

 恐らく、太股が見えたからだろう。


 ……従兄は、ズボンだから女装じゃないと。

 そう思いこんでいるが、やはりどう見ても女性にしか見えない。


 だが、従兄がこの衣装を疑ってないのだとすれば、恐らくこれが普通だと信じているのだろう。

 ズボンだから大丈夫だと神崎高志に言いくるめられ、単純な従兄は、それを信じてしまったのだ。


 そうなると、この店に制服があるという事自体がでっち上げである可能性が高い。

 つまり、神崎は最初から従兄弟を女装させる為に呼び出したという事だ。


 椎名の怒りが、沸々とこみ上げてくる。

 何でもいいから、一言伝えなければ気がすまなかった。



 「メニューはいい、実は今日は神崎に用があって来たんだ」

 「神崎って……ダメだぞ、淳兄ぃ。アニキは、俺らの先輩なんだから。ちゃんと、神崎先輩って呼ばないと!」

 「いいから、神崎は何処に居る」



 椎名の鬼気迫る表情に気圧されしたのか、七瀬は黙ってカウンター裏を指す。

 裏で料理でも作っているのか。



 「悪いな、少し話をしてくる……」

 「あ、淳兄ぃ、アニキと喧嘩しちゃ、ダメだぞ!」

 「ケンカをしない努力はしよう」



 そんなやりとりの後、指さされた裏手側に回る。

 七瀬の言う通りなら、ここに諸悪の根元が居るはずだが……そう思い、早速立ち上がり、店の裏側にまわるとそこには。



 「さぁて、ここのボーナスステージは何処にあったっけねぇ……それにしても小憎らしい演出だねェ、ボーナスステージを出す度に楽団が増えて行くなんて、面白いじゃないさね」



 テレビの前にあぐらをかき、ゲームに興じる神崎高志の姿があった。


 口先ばかり達者で他人を誑かす事を最も得意とする、あの先輩の事だ。

 厨房に居てもろくな仕事はしてないんだろうとは予測していたが、まさか仕事までしてないとは。


 裏の小部屋で熱心にファミコンのコントローラーを握る神崎の姿を見て、椎名の口から溜め息が漏れる。



 「何やってるんですか、神崎先輩?」



 不意に声をかけ、脅かしてやるつもりだった。

 だが、神崎は特に驚く様子も見せず、こちらも見ずに言葉を返した。



 「何やってるって、見れば解るでしょうに。 ファミコンだよ、ファミコン」

 「確かにそれは、見れば解りますが」

 「あぁ、タイトルの方を聞いてるのかぃ。コレ、迷宮組曲。俺がガキの頃、親戚の家でやったんだけど、結構面白くてねェ……最近、ファミコンごと手に入る 機会があったモンだから、ボーナスステージ全て探してみようと思って始めたんだけどサ。いやいや、すっかり腕が鈍ってて……これも歳かねェ」



 そこまで語り、神崎はようやくこちらを振り返る。



 「おっと、妙に低くてエロい声だから、まさかと思ったら……やっぱり、ジュンペイじゃぁ無いか。はは、久しぶりだねェ。どーしたの、今日は。はいコレ、串刺しイカ食べるかい?」

 「いりません。それに、久しぶりでもないです……何で澪をフロアで目一杯働かせている癖に、アナタはここでゲームなんてやってるんですか?」



 しかも8ビット機である。



 「ん……俺、今日は夜からフル出勤で働く予定だからねェ。みぃ……お前の従兄の、七瀬澪に頼んで、少し休ませてもらってた訳だけど、マズイか?」



 そう言いながら、コントローラーをはなす気配はない。

 どうやら、ゲームを辞める気はないようだ。


 ゲームをやっている以上、こちらの話を真面目に聞くつもりもなさそうである。



 仕方ない。

 椎名はコントローラーを放そうとしない神崎を横目に、黙ってファミコンのACアダプタを引っこ抜いた。



 「ちょ、ちょっ……何するんだよジュンペイ! あーあ、せっかくここまでノーミスだったんだけど、ちょっと非道くないかね?」

 「真面目に俺の話を聞こうとしないから、自業自得です」

 「真面目にって……俺、いっつも真剣。大まじめなつもりなんだけどねェ。どうにも昔から、誤解されやすい性格で困るよ」

 「どうだか……それより、何ですか、澪のあの格好はッ。いつからこの店は、あんないかがわしい衣装で営業するようになったんですか?」



 椎名の追求に、神崎は苦笑いをしながら頭を掻く。



 「いかがわしいって、失礼だねェお前は。まるで俺の店が、公共良俗に反する営業をしているとでも言いたげじゃぁないの。一応当店は、健全営業。良い子でも極悪人でも笑顔を振りまくニコニコ営業のつもりなんだけど、ねェ?」


 「……俺の澪にあんな珍奇な格好をさせておいて、それは無いんじゃないですかね? いかがわしい……」

 「おぃおぃ、あの程度でいかがわしいなんてェ言ってたら、世にあるメイド喫茶は愚か。アンミラも馬車道も営業終了じゃないかい。いーじゃない、いーじゃないあの程度。潤いだよ、う・る・お・い。都会の喧噪に飽き飽きした男たちの……ねェ」

 「ですが、あれは普通……女性が着るべき服じゃ、ないですかね?」

 「あぁ……そうかもしれないけど、いいじゃないの。みぃは、似合っている訳だし」

 「良くないですよ、女装じゃないですか、あれは!」

 「ん、女装じゃないだろ、アレ、スカートじゃないし」

 「スカートみたいなものでしょう。それに、ゴスロリは女装の領域です」



 椎名はさらに語調を強め、追求を続ける。

 だが、神崎は特に悪びれる様子も見せなかった。



 「いーいじゃないの、細かい事なんてどーだって。ほら、お客さんにも喜んで貰ってる訳だし。アイツだって嫌がってないし、店も好評だし、良いことづくしじゃないか。皆が幸せなのに、何がいけないのかねェ」

 「納得してないのがいけないんです……俺は聞いてませんでしたからね。澪にこんないかがわしい格好をさすると知っていたら……」

 「七瀬澪を貸し出すのは辞めていた、か?」



 神崎高志は、ポケットから煙草出すとそれをくわえて含み笑いをして見せる。



 「嫌だねェ、この従弟様は相変わらず七瀬澪の所有者気取りで……」

 「所有者気取り……」

 「みぃは、お前のモノじゃないだろ。違うか?」



 神崎の冷めた瞳が、椎名の姿を静かに見据える。

 やや灰色がかって見える神崎の目は、ふざけた態度と裏腹に時に驚く程鋭く、椎名の心をえぐっていた。



 「確かに……澪は、俺のモノじゃぁ……ありません、が」

 「だったら、いいんじゃないか。なァ、ジュンペイ」



 いつの間にか、紫煙が立ちこめる。

 神崎にくわえられた煙草は、独特の苦い匂いを放ち椎名の鼻孔を擽った。



 「……お前が従兄を居候させているのも知ってるし、従兄の為アレコレ気負っているのも解るさ。みぃが悪い奴に騙されて、非道い目にあったのも、ねぇ。ンでもさ、お前あいつの事、ちょいと背負いすぎなんじゃぁ、無いのかねェ?」



 つぱ、つぱ。

 口の中で煙を弄びながら、神崎は語り続ける。



 「……あの子をいつまで、カゴに入れて見つめているつもりなんだ、お前は?」



 鼓動が一つ、大きく鳴る。

 神崎の視線は相変わらず冷たく冴えていた。



 「いいんじゃないかねェ、みぃも、もうガキじゃないんだし。自分でアレコレ考えられるようにもなってンだ、お前が一々やっている事に首を突っ込む必要はないんじゃないかね?」



 論理的である椎名の口から、言葉が出なかったのは神崎の言う事が大まかな所で正論であったからだろう。

 論理的かつ合理的であろうとする椎名にとって、正論に準じないという事は普段の自身を否定する事であった。


 だが。



 「……ですが。いや、ですが……」



 それでもなお、神崎の言葉を覆すロジックを探している自分に、椎名自身も困惑していた。


 神崎の言う事は、おおむねあっている。

 七瀬澪は、見た目こそ10代にとられ、精神的にも幼くはあるが、確かに神崎の言う通り、自分より年上の男である。

 成人している七瀬が、自分で考え出し、納得して行っているのなら自分が口出しする必要はないのだろう。


 それでも椎名は従兄を庇う言葉を探していたのだ。

 ここで言うべき言葉が、無いにも関わらず。


 その姿を、神崎は暫く煙草を噴かしながら眺めている。

 だがやがて、溜め息混じりに笑うと。



 「やれやれ、俺が言ってやらねぇと自分の気持ちも満足に語れねぇのかねェ……」



 等と、小言のように呟いてから煙草を消して椎名を見つめた。



 「……それとも、なぁジュンペイ君。お前は、みぃがあの格好をするのが、腹立たしい訳かい?」

 「……は?」

 「いんや、だからねェ……お前、澪があのカッコするの、嫌なのかって聞いた訳よ、俺は」



 突然それを問いかけられ、椎名は戸惑う。

 同時に彼は、その言葉でようやく自分の怒り、その正体を知るに至った。


 だが、この怒りの正体は出来れば知られたくはない。

 人をからかうのが本業のような神崎には、特にだ。


 椎名は僅かに考えて、言葉を選び答えを聞かせた。



 「……嫌です。俺は、澪を見せ物みたいに扱われたくはない」

 「へェ、何で?」

 「従兄を客寄せパンダにされれば、誰だって嫌でしょう」



 僅かに浮かんだ解答の中では、最も的確な言い分だろうと椎名は思った。

 だが、神崎は不満そうに唇をとがらせる。


 「あー、それダウト!」

 「ダウト? 俺は、嘘なんて……」

 「でもそれ、お前建前でしょーがぁー、もー。お前、俺と付き合いはそこそこなのに、俺がそういう魂に響かない言葉嫌いだっての、全然解ってないんだねェ。お兄さん、悲しいねぇ……」

 「すいません、魂なんて非論理的な言葉、好きではないもので」

 「好きになる努力をしなよ。愛だの魂だのって形のないモノを愛でるのも、存外楽しいモンだぜ……っと。とにかく、俺そういう準備してきたみたいな言い訳を聞きたいんじゃぁなくて、その建前を言わせるに至った中身を聞かせて欲しい訳よ、わかる?」

 「……理解できませんね」

 「……そうさなぁ、じゃ、解りやすく言うと」



 神崎は唇を舐る。



 「七瀬澪の事、どう思ってるんだよ、お前さんは。 な、澪の事、どう思ってるから、そんな不愉快な訳さね?」

 「……何を、言いたいんですか?」

 「そのままの意味さ。聞かせてくれないかねェ。心配しなくても、他言はしないさね。俺、こう見えても口堅いからね。ねェ?」



 神崎が口が堅いのであれば世にある全ての人間が口が堅いという事になるだろう。

 だが……やはり神崎には隠し事は通用しない。


 この男は自分自身が、空気を吸うくらい簡単、かつ日常的に嘘をつくからだろう。

 人並み外れて、他人の嘘を見破るのが得意だったのだ。



 「……どうしても、言わせたいんですか」

 「あぁ、聞きたいさ」

 「言う必要はないと思うんですが?」

 「うン、そう思うのなら勝手さ。明日からみぃの制服を、もう少し露出を多めの大胆衣装でいかせてもらうだけだからねェ」

 「そんな事させませんっ、俺が今日限り、辞めさせますから」

 「あ、そ。それじゃ、俺は遠慮なく引き留めさせてもらうとするさね。そうだな……とりあえず、ジィさんには病気になってもらって、親父は急に失踪した事にでもするかね。あはァ、感受性豊かなアイツが、引き受けないとは思えないねぇ。こりゃ楽しみだ!」

 「くっ……」



 論理の舞台で勝負をすれば、椎名は神崎に負ける事はない。

 そういう自負も自信もある。


 だが、嘘と屁理屈の舞台で戦ったのなら、こちらは圧倒的に分が悪い。

 何せ敵は、非論理と嘘と屁理屈とで世の中を渡ってきたような男なのだ。



 「……あぁ、言わないんならいぃよ。さて、明日からみぃには、体操服で接客でもしてもらおうかねェ……ちょっと言いくるめて来るとするか。まぁ、アイツの事だから、5分もあれば言いくるめられるかねぇ?」

 「待てッ、神崎高志!」

 「……なぁんだぃ、椎名淳平くん。相変わらず先輩に対する配慮が欠けた発言、いかがなもんかと思うけどねェ」

 「そういうふざけた思いで澪を翻弄するのは、辞めろと言ってるんだぞ、俺は」

 「だァから、思いがふざけてようが真面目にしてようが、当人同士が納得してやってるんだから構うなって言ってるんだよ、俺は」



 神崎はそこで含み笑いをしてみせる。



 「最も、さっきも言ったが……お前に、させたくない理由があるんなら、仕方ないけどねェ」

 「……理由は、ある」

 「ほゥ。面白いじゃないの、言ってみろよ。念のため言っておくけど、さっきみたいな建前聞かせたら……もぅ、お前の言い分は聞いてやんないからな」



 つまり、これが最後のチャンスだという事か。

 椎名は少し唇を濡らすと、やがて意を決した表情を向けた。



 「俺は…………」






 それから暫く後。

 店の裏手側から、オーナーである神崎が爆笑する声が聞こえる。

 その直後。



 「おい、みぃ! ちょっと来い!」



 店内いっぱいに聞こえる声で、神崎はフロアをまわる七瀬を呼ぶ。

 そして彼を一度カウンター裏の控え室に戻してから、さらに数分後。



 「……ホントにいいのかい、アニキ。俺は、この方が動きやすいけど」



 控え室から出てきた七瀬はかつての、メイド服を連想させるゴスロリファッションではなく、白いワイシャツと黒のサロンエプロンという、いたって普通のカフェ店員の姿へと変貌していた。

 そんな七瀬の姿を見た瞬間、店内に残る客達の間に、激震が走る。



 「ちょ……澪たん……あれ?」

 「着替えてイメチェンしたというか……」

 「まさか……男、だって……!?」



 店内は暫く、ざわざわと賑わっていたが、その後。



 「夢をありがとう」

 「あぁ、だが、いい夢だった……」



 そんな捨て台詞を残し、一人、また一人と客の姿は減っていった。


 まぁ、数人は。



 「それはそれであり」



 と残ったものの、店内は一瞬で寂しい状況になる。



 「あれ、何か急に店が静かになった……」



 キョトンとする七瀬を横に、神崎は笑いをこらえながらカウンターにたつ。



 「ンまぁ、最近の客ときたら、可愛くて可憐な女子学生、七瀬澪のウェイトレス姿が見たくて来てたからねェ」

 「えー、何言ってるんですか、アニキ! 俺、女子でも学生でもないっすよ。本業は、椎名家をおはようからお休みまで守る、プロ自宅警備員です! 今年で四半世紀生きてます! それに、ウェイトレスじゃなく、ウェイターですよ!」



 それを本業と言い張っているのなら心底どうかと思うのだが。

 椎名はなま暖かい気持ちになりつつ、七瀬の姿を眺めていた。


 「でも、どうして急に制服取りやめになったンすか、アニキ。アニキはこれ、絶対着ろって。これを着て働くのが、父の遺言だったっていってませんでしたっけ?」



 しかもどうやら神崎は、こちらが予想していた以上にタチの悪い嘘をついていたらしい。

 ちなみに、椎名の記憶に認識違いがなければ、神崎の父親は健在だ。



 「ははッ、いーのいーの、急に男の姿であるお前が見たくなった訳だし」



 神崎はそう言い高らかに笑うと、カウンター席に腰掛ける。



 「それにっ……くくっ……お前の大事なジュンペイ君からっ……今年度一番の面白い話を、聞かせてもらったんだもんねェ……お前の女装くらい辞めさせないと、バチがあたっちゃうってモンさね」



 かと思うと、思い出し笑いをしながらそんな風に話し始めた。



 「え、え、淳兄ぃ、何か面白い事言ったんスか。珍しいっ、淳兄ぃ、滅多に冗談とか言わない人だよ!」

 「それが、冗談じゃないから面白いとでも言うのかねェ……あんまりに真面目に言うからっ……ククっ、いやいやいや……可愛いなぁ、お前の従弟は! 顔は 30代、精神年齢は60代の癖に、ほんっと、中学生みたいな所があるんだもんねェ、いやいや、純粋で羨ましい限りだよ!」

 「え、え、淳兄ぃ、可愛いなんて言う人、俺以外だとアニキくらいだよ……って、何て言ったのさ、淳兄ぃは! 凄く気になるんですけど!」

 「ん……聞きたいか、みぃ。いいよ、聞かせてやっても」

 「ほんと、聞きたい聞きたいッ!」

 「あのなぁ……ジュンペイの奴はな……」



 と、神崎が口を開こうとしたその時。

 椎名は氷入りのグラスを、神崎の顔めがけてわざとらしくぶちまけた。



 「わちゃっ……つ、冷てぇじゃないか、ジュンペイ! お前ッ、俺の店で何てことを……」

 「すまん、先輩。急に先輩の顔に、氷入りの水を零したい気分になったもんで、つい……な」

 「はぁ……気分になるのは勝手だが、実践しないで頂きたいモノだねぇ……」

 「うるさい。これ以上の被害を増やしたくなければ、発言は慎重にする事だな」



 いつになく、椎名の語調が熱い。



 「あれ……どうしたの、淳兄ぃ。怒ってる?」

 「怒ってない! この男が非常に腹立たしいだけだ!」

 「おやおや、嫌われたモンだねぇ……そういうの、怒ってるって言うんだと思うよ、ジュンペイ君」

 「うるさいっ、とにかく……言うな! 一言でもいったら……もう澪をこの店には寄らせないし、俺もこの店には来ない!」



 今にも暴れ出しそうになる椎名を見て、神崎は悪戯っぽく笑う。



 「はは……まぁ、貴重な常連客を失うのも、可愛い弟分を失うのも避けたいモノだから……仕方ない、黙っておいてあげるとするさね」



 そしてまた、思い出し笑いをして見せた。



 「っ……まだ笑うか、神崎ィ」

 「せんぱい、が抜けているぞ、ジュンペイ君。先輩は尊敬すべきだろう、違うか?」

 「……ふん。悪いが、俺はもう帰るッ。これ以上ここに居ても……得るモノなんて無いからな!」



 椎名はそう吐き捨てるように言うと、結局何も注文しないまま店外に出た。



 「待てよ、ジュンペイ! ……次はコーヒーくらい頼んでけ、な。こう見えて、旨いコーヒー煎れるからねェ」



 ドアが閉まる直前、そんな声が聞こえる。

 神崎の笑顔は、悪戯が成功した子どものようにも見えた。





 一人、街を歩く。

 そんな椎名の背後から、聞き慣れた声がした。



 「おーい、まってよ淳兄ぃ!」



 振り返れば、従兄である七瀬が小走りで近づいてくる。



 「……何だ、澪、店はどうした?」

 「え、アニキが……淳兄ぃが来たんなら、一緒に帰ればって、今日は終わりにしてくれたんだ!」



 神崎高志は、あんな性格だが妙に気を回す所がある。

 てっきり、椎名が居なくなれば早速あの秘密をバラすのだと思っていたが……。

 恐らく、まだ話さない方が面白いとでも思ったんだろう。



 「そうか、神崎らしい……」

 「あ、こら、またアニキの事そういう……ダメだよ、淳兄ぃ! アニキの事悪く言ったら!」



 七瀬はそう言い、椎名の隣で歩き出した。

 少し、歩いた後。



 「ありがと、淳兄ぃ」



 七瀬は照れたように口を開く。



 「ん……何の話だ?」

 「だから、その……ありがと。俺、正直言うと……俺も、アニキの店の制服、女装っぽくて少し抵抗あったんだ。それを……淳兄ぃが、辞めろって言ってくれたから辞めたんだって、アニキが言ってたから。だから、ありがとう!」



 その代償で、椎名は自分でも後悔する程の秘密を神崎に提供してしまった訳だが。



 「……俺、嬉しかったよ」



 だが、隣で微笑む従兄の顔。

 これがすぐ傍らで見られるのなら、損な取引ではないだろう。


 それに、あの言葉は全て本心なのだ、いずれ伝わったとしても……後悔する事など何もない。


 穏やかに笑う従兄の隣で、椎名は漠然と、そんな事を考えていた。





 ちなみに、後日。

 看板娘(?)の七瀬澪を失ったと思われた神崎の店だが、可愛い男の子が居ると好評であり。

 以前のファンの他にも女性客も増え、さして営業に差し支えはなかったのだが、それはまた別の話だろう。




 <従兄がせんぱいの店をてつだいにいきまして。というのが元のタイトルです。(戻るよ)>