>> ベッドの下のショタ男。





 はいはい……旦那がお探しというのは多分、あたしの事に違いないですよ。

 えぇ、拝み屋なんぞをしております。
 キツネ憑き、悪霊、生き霊なんて、そういったモノを落とすことを生業としております、しがない霊媒でございますよ。

 はい、はい……はぁ。
 確かにあたしは霊媒、っていうんですか。

 幽霊の類はちょっと囓っている自信もありますし、それでおまんま頂いているようなニンゲンなのですけれども。

 旦那の言うそれは、その……。
 そう、「都市伝説」って奴でしょう。

 物陰でうらめしやぁ、と出てくる幽霊の類だったらあたしら霊媒の出番なんでしょうが、都市伝説ってのはちょっと、手にあまりますね。



 うらぶれた路地の片隅でようやく見つけたその男の言葉は、全てが予想通りのものだった。

 そう、最初から全て分かっていたのだ。
 どれだけ靴をすり減らしたって、どれだけ噂を集めたってもう駄目なのだ。

 俺が求めている「都市伝説」は、もう何処にもないのだろうから……。

 無駄話をした手間賃がわりに、ビールを1ケース渡す。
 ここへ来る途中でかった、6本入りのケースだ。

 滅多に酒を飲む事はないのだろう。
 男は媚びたような愛想笑いをすると「申し訳ありませんねぇ」と、さして申し訳ないといった様子はなくそれを受け取った。

 帰ろう。そして眠って、全てを忘れよう。
 きっとそれがいい。

 そう思った俺を、男は不意に呼び止めた。


 ――ただ。
 ただ、貴方がどうしてもハナシをしたいってのなら、聞いてさし上げますよ。

 ビール1ケース分、飲み終わるまでの戯れでしょうが。
 アタシも一応、こういうモノで飯喰ってますし……お役にたてる事一つくらい、思い出すかもしれませんからね。


 男はそう宣うと、俺の隣に腰掛ける。
 だから俺は語り始めた。あの日出会ったあいつの事を……。

 都市伝説妖怪の、事を。






 そうその日はたしか朝から雨が降っていた。
 降りしきる雨のなか、傘を忘れて駅から走って自宅アパート……木造一階建ての小さな居城に滑り込んで戻ってきたその日。

 濡れたスーツやらコートやらをハンガーにかけ終わった後、俺は、ベッドの下で、斧をもっているあの男を見つけたのだ。

 見つけたのだが……。


 「ふにゅぅ、どうしよう。み、み、見つかったらやっぱりがおーとか言って出なきゃいけないのかなぁ。うぅ、キンチョーするよぅ」


 年の頃ならまだ、14,5才か……ひょっとしたらもっと小さいのかもしれない。
 斧をもつ手は震えていて、呟く声も頼りない。

 青ざめてガクガク震えるその姿を見た俺は、こりゃ、害はなさそうだな。と思ったので、とりあえず無視を決め込む事にした。

 外の雨は厳しく寒かった。
 今は一刻も早く部屋を暖めて、温かい珈琲でも飲みたかったのだ。


 
「っ、て、待てこらー。今キミ、ボクを無視しただろーっ!」


 無視を決め込もうと思ったのだが……どうやら、向こうはもう気付いていたようだった。
 チッ、めんどくさい。


 「なんだよ、気付いたなら驚けー。ほら、ボク斧持っているんだよ、斧。凶器だよ狂気だよっ、人だって切れるし、扉だってたたき壊せるんだからなっ!」


 そいつは、そう言いながらベッドより出ようとする。
 俺を脅そうとしているのだろうが。


 ガツッ!!!


 そんな、鈍い音がする。
 ベッドの下にいるというのに、立ち上がろうと思うからだ。

 案の定とでもいおうか、ベッドに潜むその少年はベッドの底に思いっきり頭をぶつけたようだ。


 「はぅぅ、い、い、痛、痛いぃ、痛すぎるぅぅう!」


 ぶつけた頭を押さえながら、ベッドの下でゴロゴロする。
 俺は黙って冷蔵庫からアイスノンを取り出すと、それをそいつに差し出した。


 「アイスノンでよければ、まぁ使えよ」
 「はぅぅ。う、こ、これは。敵に塩を送るって奴だな。そ、そ、その手は喰わないぞ。優しい振りをしてボクを食べるつもりだなっ!」
 「……使わないならそれはそれでいいけどな」


 俺はひとまずベッドの傍にアイスノンを置きっぱなしにして様子をみる。
 向こうは少し考えたが、結局それに手を伸ばすと自分の頭を冷やし始めた。俺を完全に信用してはいないようだが、痛みに耐えられなかったようだ。


 「で」

 俺は一つ咳払いをする。家主として、当然の質問をするためだ。


 「お前はどうしてこんな所に潜んでいるんだ」


 男は――まだ少年と呼んで差し支えのない姿をしたその男は、少し躊躇ったような表情を見せると斧をしっかり抱きしめてからこう答えた。


 「そ、それは。ぼ、ぼくが怪人だからだよ!」


 ……自分の事を悪い奴だと言う奴はいい奴という法則が、マンガではある。
 「俺みたいな大人になるな……」なんていうキャラは大概格好いいものだ。(そして大概死ぬのだ)

 だが、自分の事を怪人という奴はなんなんだろうな。
 善人なのか悪人なのか……どっちにしても、格好良くはなさそうだ。


 「はぁ、怪人ねぇ」


 だいたい目の前に居るこの少年は、俺のイメージする怪人とはおおよそかけ離れている。

 ホッケーマスクをかぶってナタを振り回す訳でもなければ、チェーンソーをもって肉屋を経営している訳でもなし。
 長い爪をもって夢の中で悪さするようにも、唐突に人を誘拐して殺人ゲームを繰り広げるような奴にも見えない。

 むしろ人より小柄で華奢な小動物。
 こんな所に潜んで斧もっているより、学生鞄でももって学校に行く方がよっぽどしっくりくる風体だ。

 ……家出か何かだろうか。
 それにしたって、路上で座っているならまだしも、他人の家のベッドが下に潜むなんて、正気の沙汰ではないのだが。

 だが家出少年ならもう少しマシな嘘をつくだろう。
 そもそも見知らぬ俺の部屋に来てベッドの下に潜むなんて、鍵はいったい何処から手に入れたのだ……。

 いや、仮に鍵を手に入れていたとして、わざわざベッドの下みたいに窮屈な場所に潜む理由がわからない。
 コイツは一体、何なんだ?

 あれこれ考えを巡らす俺の沈黙がバカにしているのだと勘違いしたのだろう。
 少年はプッと頬を膨らますと、やや怒ったようベッドより手を伸ばした。


 「あー、あったま来るなぁ。信じてないだろっ、でもボク本当に怪人なんだぞ。こう見えても、素手でコンクリートをスパスパ切れるんだからな!」


 素手でコンクリ切れる奴がベッドに頭ぶつけてのたうち回るのだろうか。
 ささやかな疑問が胸にわくが、今はそれを発言するとこの少年、怒りに狂ってまた立ち上がろうとし、ベッドに頭をぶつけかねないのでスルーする事にする。

 いい加減、腹も減ってきた。これ以上時間をかけるのは避けたい。


 「本当は、ジャンプすればインパラより凄いし、キックで戦車の装甲もぶち破れるし、気合いで花粉症もなおせるんだからな!」


 しかしこの少年、あえてつっこまずにいると胡散臭い話題がニョロニョロあふれ出る。
 つっこんで欲しいのだろうか? いや、ここでつっこんではいけない、世間は厳しいのだ。

 とにかく、怪人か何だか知らないが、頭が暖かいのは確からしい。

 見つけた時はすぐにでも通報するかと思ったが、幸いそう害のある奴ではなさそうだ。
 ハナシも妙だが面白いし、もう少しこの馬鹿げた茶番につきあってやってもいいか。

 もし困ったならベッドの下から引きずり出せばいいだけの話だ。
 子供一人、ベッドの下から引きずりだすだけ。大人の俺に出来ないはずはない。

 慌てるような相手ではない。
 そう、分かった時俺は自分でも驚く程冷静になっていた。

 小説、映画に漫画にゲーム。
 世に言うオタク趣味を概ね受け入れ、年に何度か妄想が詰め合わされた本などを買い急ぐタイプの人間である俺は、非現実な事態にも寛容だった。

 ……それに、このベッドの下の少年嫌いな顔立ちじゃない。
 むしろ不可思議なほど可愛らしい顔立ちをしている。

 主たる「妄想が詰め合わされた本」の嗜好が「少年が何かされてるようなやつ」の俺は、非現実のなかでも少年には特に寛大なのである。


 「はいはい、じゃ。その怪人さんがどうしてベッドの下に居るってんだ」


 俺の問いかけに、少年は胸を張ると自信満々で答える。


 「それは、ボクがベッドの下の男だからだよっ!」
 「それは見れば解る」


 少なくても、ベッドの上に居るようには見えないしましてや女にも見えない。


 「そうじゃなくって、ほら。お前だって知ってるだろっ、ベッドの下に潜む、男の噂」


 ……ベッドの下の男の噂。
 そういわれ、俺は学生時代友達から聞いたある話の事を思い出していた。

 確かあれは、俺の友達のクラスメイトの姉に実際おこった話……だったか。


 概要はこうだ。


 友達が先輩を家に泊まらせる事になった時、先輩が部屋にはいってすぐ。
 「コンビニにいっしょにいこう」とか「ちょっと外の空気吸いにいかない」とか、やたらと外に出ようと誘ってきた。

 おかしいな。
 そう思いながら、先輩に促され外に出た所、先輩がまっ青な顔をしながら。「警察よんで、すぐに! 携帯!」と言い出すのだ。

 何で警察に、と不思議に思うと先輩は青ざめたまま、こう告げる。


 「貴方の部屋のベッドの下にね…………斧をもった男が居たんだよ!」


 と。
 驚いて警察に電話するが、その時すでに男の姿は消えていたのだ……。



 ……まぁ、よくある噂話……いや、都市伝説って奴だ。
 誰が流したかわからない、根も葉もない噂にすぎない。


 「バカか、ありゃ作り話だろう」


 実際、ストーカー連中でも熱心な奴は家にも潜む事があるらしい。
 だが、このベッド下の男は昔からある作り話だ。
 俺も最初聞いた時は怖かったのだが、後で他の連中から、今度は友達の友達から聞いた話と聞かされた時、こういう嘘なんだという事を知った。

 俺はわざと嘲るように笑うと、少年はやや憤慨した様子を見せた。


 「そう、作り話さ。いわゆる怪談、お化け話。都市伝説って奴だよ。でも……ぼくは、その噂から生まれた……現代妖怪なのさ」


 まさか。
 思わず笑ってしまう俺を見て、少年はぷっと頬を膨らませた。


 「お前、バカにしただろ。そんな、噂が現実になるなんてあり得ねぇー。って。でもねぇ。君が思っているより、言葉の力は強いんだぞっ」


 呆れで黙っていた俺だが、向こうは俺が素直に話を聞いているとでも思ったのだろうか。
 急に饒舌に語り続けた。


 「言霊って言葉があるだろう。言葉ってのは、それ一言でも魂みたいなものを持っているのさ。都市伝説は噂の噂、口から口で伝わる嘘の産物だけれども、数多に紡がれた言葉の力は君が思っている以上に強い力を持っているんだ。ボクくらい有名になれば、こうして実体化出来るんだよ」


 つまり、要約するとこいつは、ベッドの下の噂が、具現化したものと。そういう事を言いたいらしい。
 なるほど、嘘もここまで饒舌に並べられれば感心する。

 やっぱり、家出少年か何かだろう。家出がバレないために必死なのか……。


 「あ、お前。信じてないな」


 少年はそう言うが、信じろという方がどだい無理な話である。
 何が悲しくていい大人が都市伝説を、妖怪を信じろなんていうのだ。

 さて、そろそろこいつの冗談にも飽きてきた。
 コイツもベッド下から出る事はなさそうだし、警察にでも連絡して、お取り引き願おうか。

 ……携帯電話は何処に置いたかな。


 「もう、信じてないってならボクの事をさわってみろってんだ!」


 少年はそう言いながら、自分の身体を指し示す。
 そんな事より携帯電話を探さなければいけないんだが……など思いつつ、俺はお人好しだ。

 言われた通り少年の身体に触れようとする。
 触ろうとするのだが……。

 触れられない。
 いや、触れているはずなのになんだろうこの感覚は。

 触れている感覚がない……とでもいうのか。
 さわれない訳ではないのだが、体温は全く感じない。心臓の鼓動さえ感じないのだ。


 「ボクはまだ、トイレの花子さんとかみたいに有名じゃないから。目で見える事が出来ても、さわるとこう。触感が曖昧なんだ……どうだ、少なくても人間には見えないだろ」


 確かにその通り。
 まるで人形でも撫でているみたいな。いや、もっと柔らかいか。とにかく形容しがたい不可思議な感覚が俺の指先に伝わる。


 「ど、ど、どうなっているんだ。これ」
 「どう、ボクの事、少しは信じたかい?」


 完全に信じたといえば嘘になるが、少なくてもコイツは人間とは違うらしい。

 だとすると、連絡先は警察じゃなくて寺か神社か。
 もしくは、妖怪ポストか。

 いや、妖怪ポストは実在しない。
 流石の俺も、いよいよ混乱してきた……少し状況を整理しなければいけなそうだ。


 「つまり、お前はベッドの下の男であり、妖怪であると」
 「うんっ……まだ、あんまり有名な都市伝説じゃないから、具現化しても半人前。こんな、子供みたいな姿にしかなれてないんだけどね」

 「では、あの都市伝説を再現するためにいるのか」
 「そうだよ……ボクら都市伝説の怪人は、噂に忠実。噂と違う事はしない主義なんだ。君の知っているボクの噂は」

 「友達が、遊びに来て、お前を見つけて、俺をともなって脱出して、通報」
 「じゃ、ボクは、君の友達がボクを発見して、君をともなって脱出して、通報されるまでここに潜んでいるから」

 「潜んでいるもなにも、もう俺が見つけてしまったのだが」
 「う、うぅう」

 「確かあの噂では、俺が知らない間にお前が潜んでいて、先に友人が気付いて事なきを得るって流れになってないか」
 「いいじゃないですか、見なかった事にすれば」

 「それでいいのかよ?」
 「いいっ! もう細かい事気にしてられないから、そんないじめないでよぅ。ボクら噂にとって、噂を否定されるのが一番力が弱まるんだから」

 「へぇ。力が弱まるとどうなるんだよ?」
 「……もっとボクが小さくなったりして。今だって、○学生くらいにしか見えないのに。もっと子供っぽくなっちゃったりしちゃう……かなぁ?」
 「そうか……」


 それはいい。いいぞ、もっとやれ。だ。
 ショタっけが強い俺にとって、少年が小さくなるのは大歓迎なのである。


 「よし、お前の力を弱くするため、俺はあえてお前が潜んでいた事を忘れないようにしよう」


 そうしたらこいつはずっと小さいままだ。
 何という俺得……。


 「えぇぇえ、こ、こ、困る。それは困るよぅ。そ、それでなくてもボクは……現実に似た事件がおこっちゃって。噂が現実になっているから、都市伝説としての力が弱くなっているっていうのにっ!」

 「……そういうもんなのか?」

 「そういうもんなのっ。曲がりなりにも噂なんだから、嘘じゃないとダメだってのにさ。真実になちゃったら、存在意義がなくなっちゃうんだ。だから、力が弱くなるの。幸い、あの事件も完全に噂通りじゃなかったからボクは今でも存在出来るけど」


 お化けや妖怪は学校もなく仕事もない、気楽なものだと思っていたが、これで意外とルールが多いらしい。
 いや、人間社会にもルールがあるように案外妖怪や幽霊というのもルール上で生活しているのかもしれないか。


 「おかげでボク、大分力が弱くなっちゃって……これでも、昔は何処の山男ですか。っていう屈強な男で、見るからに変態じみた、ジャック・ニコルソンの演じる狂気の怪人だったのに。今はすっかり子供っぽくなっちゃってさぁ」


 バカだなぁ。
 
ちっちゃいから、いいんじゃないか……!

 俺は内心の言葉を、ぐっと飲み込む。



 「こうして、ベッドの下に潜むだけの力が戻ったのもごく最近なんだ。だからさぁ、ね。ね。慈善事業だと思って、ボクの噂に協力してよ」
 「協力……?」
 「そうそう。ボクたち都市伝説は、噂を実戦する事で力を戻す事が出来るんだ。ね、いいだろっ。ボクもまた、昔の怪人としての力を取り戻して、若いお姉ちゃんたちを怖がらせたいんだよぉ」


 つまり、俺が噂を再現すれば、こいつは昔通り怖い男に戻れると。
 だからここは俺に見て見ぬふりをして驚けと。

 まぁ、そういう事だろうか。


 「俺が友達をつれてきて、お前を見つけて驚いて、俺をつれだし警察に通報」
 「そうそう」

 「この段取りでお前は消えると、まぁそういう事か?」
 「そういう事! その段取りを踏んで貰えればボクもある程度力が戻るからね。大丈夫、君の知っている噂はボクが君を殺してENDではないみたいだから、君には一切危害を加えないって約束するよ」

 「もし、やらないと言ったら」
 「その時は……」


 ベッドの下の怪人は、持っている斧を精一杯のばす。


 「ボクだって怪人のはしくれだよ。確かにもう力は弱いけど、ボクだって本気を出せば君を血祭りにする位、出来ちゃうんだからねっ」


 ちびっこが言うのでイマイチ迫力に欠けるが、向こうが人間でないと解った以上刺激は禁物か。


 「わかった。とはいえ、俺だってすぐに友達つれてこれないし。だいたい、友達を泊める事なんて普段ないからな。少し、時間をくれるな」
 「了解っ。思いっきり怖がってくれる人つれてきてねっ。相手が怖がれば怖がる程、ボクの力も回復するんだからねっ」


 そんなやりとりを得て、俺と妖怪の、奇妙な共同生活が始まった。





 言葉の力が強いというのは本当ですぜ。
 3本目のビールを空けた時、拝み屋を自称する男はそんな話をした。


 「結局の所、拝み屋も、悪魔払いも、人間同士の小競り合いも、相手を黙らすのに言葉の力を使うのは一緒でさぁ」


 でもね。
 と、拝み屋は酒で唇を湿らせる。


 「いくら名うての拝み屋でも、なくしてしまった相手を蘇らせる術ってのはなかなかねぇ。あたしらだって、一度死んだらはいそれまでよ。でしょう。つまりね、そういう事でさぁ」


 言いながら、4本目の缶を開ける。
 夜はまだ長いようだ。





 話を続けよう。
 あれはそう――俺の家に現代妖怪が住み着いてから、一ヶ月が過ぎた頃だった。


 「ただいま」


 といえば。


 「おかえりー」


 なんて、ベッドの下から声がする。


 「あ、今日は海鮮あんかけかたやきそばを買ってきたんだねっ」


 一ヶ月、俺のベッドの下でくらしていたコイツは、俺がコンビニで買ってきたモノのにおいで何を買ったか解るレベルにまで生活にとけ込んでいた。


 「お前も喰うか?」


 いつものように飯をすすめてみるが。


 「遠慮しておくー」


 返事はいつもこうだ。

 コイツは、見た目はどうひいき目に見てもただベッドの下に居る子供だが、現代妖怪というのは本当らしく、俺に発見されてから一ヶ月。
 ベッドの下で生活しているにもかかわらず、一度だって食事をとったことはない。

 勿論、便所にも行かないし風呂にさえ入らないのだ。
 最も、風呂に入っていなくても一切不快な臭いはしないが……最初は半信半疑だったが、どうやら妖怪というのは本当だったらしい。


 「飯食えないってのは寂しいよな、お前は」


 コンビニから運ぶ途中で随分と暖かさを失ったかた焼きそばを頬張る俺を、アイツはベッド下から満足そうに見つめる。


 「んー、確かに君がいつも美味しそうに、はふはふご飯を頬張る姿を見ていると、食べる楽しみがある人間ってのが羨ましくなるかも」


 そうだろう。
 こいつは、堅焼きそばのぱりぱり食感も、上にのっているあんかけとからみあいしっとりとした食感に変わっていく魅力も味わえないのだ。


 「でも、ボクは人の恐怖と絶望を食べる事が出来るからねっ。あの、味と舌触り。アレを楽しめるんだから、妖怪も悪くないもんだよ」


 だがアイツにはアイツなりの楽しみというものがあるらしい。
 舌なめずりをして至福の顔をするアイツの表情からすれば、それはさぞ旨いんだろう。


 「へぇ、そうなのか……それってどういう味だ」
 「んーとね」


 アイツはベッド下にて、指先で唇に触れながら考える仕草を見せた。


 「じゅくせーした、ワインのような芳醇な香りと、情熱的かつ濃厚なキスみたいな味だよ」


 ポエミーすぎてさっぱりわからん!


 「つまり、うまいと」
 「うん、美味!」


 熟成したワインなんて飲んだ事もなければ見た事もない俺に、コイツの言ってる表現は良く解らない。
 だがそれで馬鹿にされるのはしゃくに障るので、とりあえず解った事にしておく。


 「それよりもさー、ねー、そろそろマリオカート勝負しようよー。ボク、君がいない間にちょっとうまくなったんだよ」


 俺が勤めに出ている間、なんとなく退屈が気の毒だと思った俺は、アイツにテレビのリモコンと、ゲーム機を自由に使わせてやる事にした。

 最初は人間の文明に抵抗があったアイツだが、元より近代に生まれた妖怪というのもあるのだろう。
 意外と早く適応し、今はすっかりお昼のワイドショー通である。

 最近はゲームもお気に入りで、特にマリオカートが好みのようだ。


 「今日こそ、レインボーロードを完走してやるんだからね!」


 未だ、こいつはレインボーロードを完走する事が出来ず、このコースで俺と勝負するとショートカットを覚えている俺に全く太刀打ち出来ない。

 でも根が負けず嫌いなのだろう。
 負けても何度だって俺に挑んでくるのだ。


 「また勝負してよ、勝負」
 「何言ってるんだ、ノコノコしか使えないお前が俺のヨッシーに挑むなんて10年早ぇぞ」


 言い忘れたが、うちのマリオカートはスーファミである。


 「赤い亀の甲羅があればボクだって勝てるもん」
 「バカがー、万年8位が常に独走の俺にどうやって赤亀当てるのか聞いてみてーもんだー」

 「言ったなー、今日こそぎゃふんと言わせてやるんだからー」
 「言うのはお前だ。よーし、勝負すっか」
 「うんっ、あ。マリオカートの次はパネポンやろーねー」

 「いいけど、フレアは俺の嫁だからな」
 「君こそ、ボクのティアナを勝手にとったら承知しないんだからね!」


 いつものようにゲームを始める。
 うちのスーファミもいい加減年期がはいってきて、純正品のコントローラーは使いつぶしてしまい、今は専らホリパットの活用となる。

 そろそろ壊れかけているので、本格的に次世代機の導入をすすめるべきだろうと思うのだが、パネポンで妖精さんのグラフィックを楽しめるのはSFCだけ。
 まだまだ頑張ってもらわないと、俺のフレアに会えなくなるから、もう少し頑張らるつもりである。

 ちなみに、あれだけ息巻いていたアイツは結局レインボーロードで俺と対決する事はおろか、完走する事も出来ないまま、1プレイ目は終わりを迎えた。


 「弱ぇ、お前ちょう弱ぇ」
 「ち、ち、ちくしょー。次は負けないんだからね!」


 これでは、レインボーロードを完走するのにあと一週間はかかりそうだ。
 俺はまだまだ安泰な地位を確信しながら、ふと、今し方していた会話で、気になる事を聞いてみる事にした。


 「そういえば、お前さぁ」
 「何。言っておくけど、パネポンならティアナ以外使わないんだからね」

 「それは俺だってフレアしか使わない。そうじゃなくてさ……お前、さっき恐怖と絶望の味を語ってただろ」
 「ん。君がどんな味って聞いたからね」

 「それに、お前芳醇なワインと濃厚なキス。みたいな事言ってただろ」
 「言ったね、それが」

 「お前、ちゅーした事あんの?」


 冗談のつもりで聞いた俺の言葉で、アイツのノコノコはレインボーロードから落下した。


 「え、あ。そ、そ、そんな事どーでもいいだ、ろ。な、な、何聞いてるの、妖怪だよ、ぼく?」
 「妖怪でもさ、やっぱ妖怪相手に恋愛とかすんのかって思って。やっぱトイレの花子さんとかが相手か?」

 「そ、そ、そんな。大先輩に向かってえっちな事考えないよ、恐ろしい!」


 トイレの花子さんは、幼女だが大先輩らしい。
 たしかに噂は俺の子供の頃からあった……実年齢は、もうババアと呼ぶ年頃なのかもしれない。


 「でも、そういうのあんのか。お前」
 「え。あー……うーぅん……。まぁ、一応ね。ボクら現代妖怪は、人間ベースの感情を抱いているから……ほら。この国にだって、雪女と結婚した男の話とかあるだろ」
 「あるらしいな」


 コイツと知り合ってから、俺も少し妖怪について調べるようになっていた。
 小泉八雲の本で、雪女と契った男の話を見たのも最近の事だ。


 「だからボクもさ、人を好きになったりするよ。うん。でも……ほら、ボクなんてベッドの下に勝手に潜む変質者じゃない?」


 どうやら自分が妖怪でなければ変態という部類に属するという事は、こいつも薄々勘付いているらしい。


 「しかも結構出落ちキャラな所もあるし」


 長い人間生活で、コイツは人間味溢れる言葉を随分と覚えてしまったようだ。


 「だからとても、キスなんて……だいたい、ボク見たらすぐ女の子もビビっちゃうし。キスなんて感情に持ち込む事なんてとっても出来ないっていうか」
 「つまり、チューした事ないんだな、お前は」


 さらに俺が追求すると、アイツは顔を真っ赤にして。


 「な、ないよ……仕方ないじゃないか」


 ぽつりと、そう呟いた。
 レインボーロードから落ちたノコノコは、ジュゲムが無事に救済してくれたが、それから動く気配はない。


 「そうか、ないのか」


 ストップしているノコノコにも容赦なく、俺はショートカットコースを突き進んだ。
 また独走である、俺最強。

 その、レース状況を見てまずいと思ったのだろう、遅れていたノコノコも、ようやく走り出す。


 「じゃ、俺としてみるか?」


 走り出した瞬間問いかければ、再びノコノコの進みが止まる。


 「え、あ、はいぃ?」


 声が裏返り、元々蛇行運転気味の運転が酩酊状態の足取りへと変化した。


 「だから、俺とキスしないか。と」


 俺のさらに追い打ち。


 「俺がキスしてやろうか。と」


 俺の追加攻撃。


 「お前のファーストキス、俺にくれよ」


 俺の、一人トライアングルアタック。


 「え、あ、うぇっ。あの、あれっ?」


 ノコノコは再び、ジュゲムの救済が必要な程のコースアウトをした。


 「え、何言ってるのボク妖怪だよ」


 妖怪なのは知っている。
 触れる感覚が人と違う事もだ。

 だが、以前触れた感覚を思い出す。

 コイツは確かに、明らかに実体がない。
 体温も感じないし、さわっているという感覚も乏しい。

 だが確かに、コイツの存在はあるのだ。
 さわっている感覚が極端に少ないが、コイツは確かに存在する。

 飯も食わす一ヶ月、ピンピンしているコイツが現代妖怪である事はもう疑う余地はない。
 だが、コイツが妖怪で、現実と非現実を彷徨う存在だとしても、コイツに実体があるのは確かなのだ。

 そこに、こいつが居るなら……好きになっても、いいはずだ。


 「俺は妖精のフレアちゃん萌えだからな。お前が妖怪である事くらいは、問題ない」
 「でっ、でっ、でもっ。その、そもそも……お、男だよ。ぼく」

 「妖怪でも性別があるのか?」
 「無いのもいるよ、噂でどっちでもないってされている人は、性別ないから。でも、ボクはベッドの下に潜む男って、明らかに男としての噂がある人だから。性別はきっちり男だよ。だから、君とそういう関係になるのは、その……」

 「普通じゃない、と」
 「そ、そうそう。それだ。ふ、ふ、普通じゃないんだろう。そういうの、君達は男女で対になるモンで、その。男同士では……」
 「それ言ったら、そもそも、妖怪ってのが普通じゃないだろう。それが大丈夫なんだぞ、俺は」


 俺に突っ込まれ、向こうはぐぅと黙ってしまう。
 俺の追加攻撃再開。


 「俺とお前は出会いからしてもう、常識的じゃないと思う。だから今は、常識非常識とか、そういうモノ取っ払らって聞く」


 俺の畳みかけ攻撃。


 「俺とするのは嫌か?」


 何時の間にか、俺のヨッシーも動かなくなってきている。
 返答があったのは、恐らく実際の時間で2,3秒の感覚だろう。

 だが俺にとっては、レインボーロード自己ベストタイムくらいの長さに感じた。


 「ぼくは……」


 僅かに、息をのむ。


 「君なら……いいよ。ううん、違う。君に、してほしい……な」


 返事を最後まで言い終わる前に、俺はコントローラーを置いていた。
 アイツの潜むベッド下は、アイツよりずっと身体の大きい俺はよっぽど身体を折り畳まないと入れない窮屈な場所だ。

 だがその不自由さが、その時はかえって俺の情欲をかき乱した。
 夢中になって身体を抱いても、抱いている感覚に乏しくまるで消え入りそうな身体をしている。


 「そ、そんなに乱暴にしないでおいて……ボク……」


 何か言いかける唇を塞いでしまおう。
 そう思いぐっと顔を近づけた、その時。


 ガサ、バリバリ、ドサッ。


 玄関口の方からすさまじい音が聞こえてくる――テメェなんだマジで空気読め!(マジギレ)


 「ね……なんか来たみたいだよ」


 本気でプチ切れた俺は無視を決め込みこのまま強引にキスの雰囲気に引き戻そうとするが、向こうの気がそれたようだった。

 怒りは内面に押さえつけ、仕方なく俺は玄関に向かう。
 俺が玄関に向かう頃には、もうなんの気配もない。

 代わりにポストには、宛先のない封筒が一つ突っ込まれていた。

 飾り気のない茶封筒だ。
 なんだろう。

 好奇心から封筒を開ける。
 中には一枚のメッセージカードに。

 オレハ、オマエヲ、カナラズ、コロス。

 定規でかかれたような角張った字で、そうとだけかかれていた。
 恨みを買う心当たりはないのだが、悪戯だろうか。

 手紙を丸めてゴミ箱に捨てて、何事もなかったように部屋に戻る。


 「何だったの?」


 ベッドの下からする声に、俺は誤魔化し笑いをする。
 それでアイツは安心したのか。


 「そう。じゃ、パネポン勝負しよう、パネポン!」


 いつもの調子でゲームの対戦をねだる。

 今日はもう、誘ってもダメだろうな。

 俺はひとまずここにある、非現実的な日常に興じる事にした。

 これが、後の事件を引き起こす。そのきっかけを作る事になるとは知らずに。





 そいつは、思い出になっちまった。
 だから、キレイなんですよ。


 空になったばかりのビール缶を握りつぶして言った拝み屋の言葉を俺はただ笑って聞いていた。
 笑っている事しか、出来なかった。





 ……そう、いつの間にかそれが当たり前になっていた。


 「ただいま」


 その一言で。


 「あ、おかえりなさーい」


 すぐにそう、かえってくる。


 「あ。君ッ、もー、まーた友達連れて来なかったなー」


 そして、俺が一人で帰ってきたのに気が付くと拗ねたようにそう言った。


 「仕方ないだろう、自慢じゃないが俺は友達居ないんだ」


 平然とした様子で靴を脱ぎ部屋にあがれば、あいつはベッドの下から少しだけ頭を出す。


 「居なくても連れてくるのっ。もー、君が友達をつれてきて、ボクの事見つけてくれなけりゃ、ボクはずっとここに居なくちゃいけないんだからね」
 「そう言われてもな……俺くらいの年齢になると、なかなか泊まりに来てまで遊びに来る奴なんて居ねぇんだよ」


 冷蔵庫からビールを取り出し、それを開けてコンビニ弁当を暖める。
 一連の流れを、あいつはベッド下から眺めていた。


 「本当に、友達居ないの?」
 「居ない」

 「幼なじみとか、学校の同級生とかに連絡してみればいいだろっ」
 「俺、地方出身だからな。幼なじみは大概、田舎で安穏と生活している。化け物のお前を見せる為にわざわざ呼ぶ訳にもいかないだろ」


 見た目はベッドの下で斧を持っている○学生なコイツも、れっきとした都市伝説の妖怪。
 俺に都市伝説を再現してもらわなければこの場から移動する事が出来ないらしい。

 そして、その都市伝説を再現するには俺が、友人を泊めて、ベッド下に居るコイツを発見する。という段取りを踏まなければならないのだ。

 だが俺は、未だに友人をつれて来た事はない。
 コイツにはこうやって、友達が居ないからと言い張っているが、理由は他にある。



 「もー、ゲームオタの引きこもりは理屈っぽいから嫌いなんだよっ。まさかこんなに一つの家に居着く事になるなんて思わなかった」


 いつものように俺の嘘を真に受けて、あいつは膨れた顔で言う。


 「ま、来なかったのは仕方ないから。今日は諦めるとして、さ……ね、どうせすぐにするんだろ。ほら、ボクと……しよっ」


 かと思うと、急に甘い声でそんなお強請りをはじめた。


 「まぁ、待て。今コンビニの弁当喰うから……」
 「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だっ。昨日、あんな風に一方的にされたんだよッ。ボクもう待ちきれないよ、ボク。ね、いっかいだけ。お願い!」


 晩飯前に一仕事になりそうだが、まぁ仕方ないだろう。


 「お前好きだな、アレ……」
 「だってぇ……君、とっても上手なんだもん。ボク、はじめてだったのに……すっごく、興奮しちゃってさ」

 「仕方ないだろ、お前があんまり夢中になるから、俺もつい本気になっちまったんだよ」
 「だからって、あんなに攻めあげるなんて酷いよ……ボク、あんなに何回も入れられちゃうなんて思わなかった」

 「だから悪かったって。でも、お前……意外と知ってたよな」
 「うん、だってボクも……結構好きだもんね。でも、ボクがそういうの知ってるのって、意外かな?」

 「あぁ、妖怪はそういうのに興味がないと思っていた」
 「あるよー、妖怪だって結構ビンカンなんだからね。あぁっ、色々話してたら早くヤリたくなってきたっ。ね、ね、早く……しようよ」


 お強請りの声が一層甘く、耳に絡みつく。


 「仕方ないな。今晩も、容赦しないぞ」


 飯も食わないまま、俺はあいつの側に寄る。
 二人の気持ちをぐっと近づける為の、儀式が始まった。

 ……え、何をしているのか、ですって。
 嫌だなぁ、サッカーゲーム、ウイイレの話ですよ、卑猥な事じゃありませんってば。


 「で、お前どこのチーム取るの。今日は国か、クラブか?」
 「オランダ。緑の巨人が今日こそ、君のシュートを防いでやるのだっ」

 「解った、じゃ、俺は」
 「君は日本!」


 何ですかその、ヒディングマジックでも巻き返しが難しそうな組み合わせは。
 と、普通の奴なら考える所だろうが……。


 「面白い。俺のシュンスケのフリーキックで、緑の巨人とやらが護る城門をこじ開けてやろうではないか」


 悪いが俺は、今のコイツ相手ならバーチ○ットを使っても負ける気がしない。

 案の定。
 今日も6−0で俺が快勝した。(ちなみに、うちのウイイレは9で時が止まっているのだ)


 「あぅ……強すぎる。どうして、ゴール前でバックパスする日本が、君が使うとこんなに強いんだよぅ。」


 当然だろう。
 俺の三都主は上がるし、俺の柳沢はゴール前で転んだまま暫く動かないなんて事はないからだ。

 俺は、煙草に火をつけると立ち上る紫煙をぼんやりと眺めた。


 「というか、お前本当にサッカー詳しいよな……本当に妖怪か?」
 「だーから、さっきも言ったでしょ。妖怪って言っても結構流行にはビンカンなの。それにっ、ボクが一番強くて怖がられていた時代は90年代初期。Jリーグは、1993年からでしょっ。全盛期の頃の流行りモンだから、ボクも詳しいのさ」


 90年代というと、もう10年以上も前か。


 「するってぇと、お前はもう10年以上もこうやって、人ん家のベッドに潜んでは脅かしを繰り返している訳だ」
 「そーだよ。といっても、ボクのご先祖様はもう100年近くもこうやってベッド下に潜んでいるんだから、それと比べたらまだまだだけどね」


 妖怪にご先祖様なんて居るのかと思うが、都市伝説から生まれた現代妖怪の場合派生した噂同士が、人間で言う血縁にあたるらしい。

 たとえば、トイレの花子さんには太郎君という兄が居るのだが、知名度の関係で断然花子さんの方が力が強く、よく妖怪が行くバーで。
 「兄より強ぇ妹なんて普通居ねぇーだろーが」
 と、何処かのジャギ様みたいな愚痴をこぼしているのだと言うし。

 高速道路を猛烈な勢いで走り車を追い抜く、という噂で有名なターボ婆ちゃんは、全身紫色で相手を金縛りにし命を奪うという紫ババアとは姉妹なのだが、紫ババアは、年甲斐なく暴走行為を繰り返す姉のやんちゃっぷりが。

 ターボ婆ちゃんは、陰険に相手を金縛りにして命を奪う紫ババアのやり口が、それぞれ気に喰わず姉妹仲は最悪なのだそうだ。

 ちなみに、コイツのご先祖様はアメリカ人で、今でも現役バリバリで活躍中。
 映画などにもたびたび出演されている、人気者なのだという。


 「ボクも早く力を取り戻して、ご先祖様みたいに聞いただけで怯えられる位のビッグスターになりたいなぁ……」


 そう呟き熱心にウイイレをプレイするコイツの姿はどう見ても○学生。
 斧を持っている癖に恐怖感ゼロだ。


 「その姿で言っても説得力ないな……」


 ついうっかりそう漏らす俺の言葉を聞いて、アイツは俺を睨み付ける。


 「だーからッ、君がいつまでたっても友達連れてこないから、ボクは力を取り戻せないんじゃないかぁッ」


 しまった。話を蒸し返してしまった。


 「悪かった、悪かった。仕方ねぇなぁ……今度連れてくる、今度」
 「今度って何時だよっ、何時何分、何曜日ッ。地球が何回まわる時ッ!」
 「今度は今度だ。そうだな……彼女でも連れてくるとするか」


 まぁ、彼女なんて居ないんだから今度という日が来るのは当分無いのだが。
 冗談のつもりだった俺の言葉に。



 「え、彼女?」


 向こうが予想以上に食いついて来た。


 「え、何。君、彼女居るの。恋人」
 「あ、いや……。」
 「え、それ。どんな人。色白、色黒? あー、君は引きこもりだから活発そうな色黒の女性に好かれる訳はない。色白だな。 髪型は、ロング、ショート? あ、君はポニーテール萌えだからロングだろーな。 年齢はっ。年上、年下? あ、君はロリでショタだから年下以外とはつき合わないか。じゃ、色白ロングで年下、だな」


 俺の恋人像がアイツの中で勝手に決定した。


 「どうして恋人居るって教えてくれなかったのさ。どうして」
 「ん。いや、なんというか……」


 なんだか、今更恋人なんて居ないなんて言いづ
らい空気になってきた。
 どうする、俺……。


 「だ、だいたいさぁ。この前、ボクとキスしてくれるって話してたじゃないか。アレとか、何だったのさ。ボクがキスもした事ないから、ちょっとからかってみただけって、そういう奴?」
 「それは、違う。別にそういう訳では……」
 「だったらヒドイよ、ぼく。ぼく……」


 アイツの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ出す。
 それは、俺が見たあいつの始めての涙だった。


 「君ならいいと思ってたのに……」


 気まずい空気が流れる。


 「あ、あのさ。俺……」
 「もうやだッ、聞きたくないッ」


 アイツはベッドの下に引っ込むとくるりと俺から背を向けた。
 俺のベッドは壁際にある為、背を向けられると表情が解らない。

 だが、肩が震えるその姿で泣いているのがわかる。

 妖怪も泣くのか。
 いや、感心している場合ではない。

 普段はあいつの領域だからと、極力立ち入らないようにしていたベッドの下に、俺は意を決して潜り込む事にした。
 匍匐前進で進むベッドの下は、予想以上に狭い。


 「なんだよ、出ていけよッ。ここは、ボクの場所だろッ」
 「いや、俺の賃貸アパートだ。だから、出ていかない。俺のアパートで俺が何処にいようと、俺の勝手だからな」


 それに、ここで出ていったら俺はきっと後悔する。
 そう思い、俺は半ば強引にその場に留まる事にした。


 「な、少し俺の話をきけって」
 「断るッ。もう、君の声なんて聞きたくないッ」


 うーむ、とりつく島がないとはこの事か。
 俺が次の言葉を考える前に、向こうが口を開いた。


 「だいたいさ、最初からボクは君の事なんて大ッ嫌いだったんだもんね。顔はさえないし、身体は貧弱だし、休みとなれば一日ゴロゴロしているかゲームしているし、夜はパソコンの前でシュッシュするし、しかも一日に3回はするし!」


 何故それを知っているッ!

 いや。
 休みとなればゲームしかしないのは今でもそうだから仕方ないが、パソコンの前での主に下半身を中心とした自主トレーニングはコイツが来てから自制していたのだが……。
 さてはコイツ、俺が見つける以前から潜んでいたか……。


 「だから、別に。全然いいんだもんね。君に恋人が居たって、全然ショックじゃないんだから。だいたいさ、君は、ボクにとってただの食料なんだよ。それに、君がキスしてくれるって言った時も、嬉しくなんかなかったんだもんね。全然、嬉しくなんかなかったんだもん」
 「だから俺の話少し聞けって……」

 「さわるなよッ!」


 肩に触れようとした俺の手を、アイツは激しく叩く。
 ものすごい拒絶だ。


 「今までその手で、色白で黒髪のデカメロンなポニーテール美女を、メイドコスプレさせておっぱいさわったりしたんだろっ。そんな手でボクを触るなよッ」


 なんだか、アイツの妄想の中に居る俺の彼女が、素晴らしいディテールを構築しはじめた。
 というか、そんな彼女居たら、こんなベッドの下に潜り込んでまで、コイツを説得しようとか考えない。


 「そうだよ。そんな、暖かくて大きな手はさ……ボクみたいな化け物じゃなくて、君の人間の恋人の手を握ってあげるべきなんだよ」
 「いや、だから……」
 「だからさわるなよっ。ボクの事なんて気にしないで、恋人といちゃいちゃしてればいいんだよ」


 コイツ、絶対に俺の話を聞くつもりはないらしい。


 「全く、強情で仕方ねぇー餓鬼だなー」
 「餓鬼じゃないもん、妖怪だもん!」

 「見た目が餓鬼なら餓鬼だ。俺の話を聞かないってんなら……」


 俺はアイツの両肩を無理に掴み俺の方へと引き寄せた。


 「オマエが聞く耳持たないから、実力行使といかせてもらう」


 そしてアイツが動き出す前に、半ば強引にアイツと唇を重ねた。


 「はぅんっ……」


 まだ文句が言い足りなかったのか、僅かに開いていた唇から簡単に舌が滑り込む。

 雪女と結婚した男ってのは居たが、現代妖怪とベロチューした男ってのは何人くらい居るのだろうか。
 そんな事を考えながら舌を絡ませる。

 アイツは、最初小さく抵抗を見せたが、すぐに諦めたのか、次第に俺を受け入れるよう、小さく俺の手を握りしめた。


 「……悪ぃ」


 唇を離してすぐに俺から出たのは、謝罪の言葉だった。
 そんな俺を、アイツは冷たい目で見据える。


 「謝るなら最初からしないで……それに、ヒドイよ。こういうの……だって、君、恋人居るんでしょ。恋人居る癖に、ボクと、こういうの……良くないよ。 ボク、知ってるでしょ。今のこれ、初めてだったんだよ。ぼく、ぼく……こういう事されたら、困るよ。だって、本気に……なっちゃうもん……」

 「是非、そうしてくれ」
 「だ、ダメだよ。だって、二股かけるの。そういうの良くないし、ぼく、誰かのついでに愛されるのはイヤだ。君の恋人も、不幸にしたくないもん」
 「それなんだがな」


 俺は少し鼻をこする。


 「さっき、恋人が居ると言ったが、スマン、ありゃ嘘だった」
 「へ……」

 「それと、俺に友達が居ないってのも嘘でな、お前を見つける前には多いと一ヶ月で3,4回は泊まりに来る悪友が居る」
 「え、え。嘘だろ。だって、もうボクここに半年くらい居るけど一回も……」

 「お前を見つけてから呼ぶのを辞めた。つーか、来るなって言ってる。泊まるって言った時も、ケツ蹴って追い出してる」
 「なんで、なんでそんな事……」

 「お前を手放したく無いからだ。それじゃ、理由にならんか?」


 アイツはキョトンとした様子で俺の方を見る。
 俺の言葉の意味をはかりかねているのか。

 やはり、はっきり伝えないと駄目か。


 「今更こんな事を言うのもなんだが……あの時、お前に一目惚れだ。お前の人となりを。じゃない、妖怪となりを知ってからは、好きになってく一方だ。だから、な。俺と……つき合ってくれ」
 「え、え。あれ、その……」


 ファーストキスと初告白が同時に来て、相当テンパって居たのだろう。
 アイツは暫く、アレコレソレの入り交じった独り言を呟いた後。


 「ぼく、妖怪だよ。君と違う、人間じゃないよ。それでも……いいの?」
 「問題ない」

 「それに、そのッ。お、お……男だよ。見えないかもしんないけど、一応機能としては男の子だよ。そ、それでも……大丈夫。」
 「大丈夫すぎて怖いくらいだ」

 「あと、ベッドの下の男だから。ベッドの下に潜むのが仕事で、ベッドの下から出られないよ。それでも……いい?」
 「変態だからそういう束縛された環境でのプレイこそ我が真髄とも言えよう。だから問題ない。むしろ、任せてくれ」


 そんな幾つかの質問をして。


 「……ボクで良ければ、よろしくお願いします」


 はにかんだ笑顔で頷いて見せる。
 その笑顔があまりに愛らしく、とても、愛おしく思えたから。


 「え、あ。あのっ、ちょ……」


 俺の手は自然とアイツの身体に伸び、唇は幾度も重なる。
 任せてくれとまで言った手前、少しサービスしないとな、変態として。

 そう思いアイツのシャツを脱がそうとすれば。


 「んもぅ……気が早いな、君は……はいっ」


 自分からシャツをたくし上げ、俺の前にその艶やかな肌を露わにする。
 僅かに汗ばんだ肌が、妙に色っぽい。

 そこで俺は、ちょっと気になる質問を投げかけた。


 「雪女と結婚した男ってのがいたみたいだが……」
 「ん?」

 「現代妖怪とつき合っている男って、前例あるのか?」
 「崖っぷちで落ちるようドライバーをし向けて、落ちなかった相手に『死ねばよかったのに』と呟く幽霊はツンデ霊になって、人間の彼氏が出来たみたいだけど」

 「現代妖怪と、ここまでした男ってのは?」
 「さぁ。少なくても、ボクは聞いたことない。けど……」


 そこでアイツは、俺の首に手を絡める。
 普段希薄なアイツの存在が、今日は胸の鼓動まで感じられる程近くなる。


 「君が前例になればいいだけの話、だろ。ね……」


 据え膳喰わねば男の恥とは良く言ったモノだ。

 んじゃま、遠慮なく……。
 場所の狭さがまどろっこしいが、今はそれがかえって熱い。

 その気持ちのまま、アイツの肢体を、今まさに俺の自由にしてやろうとした、その瞬間。


 ドガ、ガサガサガサ、ガサッ。


 と。
 これでもかという勢いでポストに何か投げ込まれたってお前本当に空気読め!(マジ切れ)


 「ね、何か来た……みたいだよ」


 無視を決め込みこのまま励もうと思っていたのだが、向こうがそれを許さない。
 俺は仕方なくベッド下から這い出ると、ドアに備え付けてある郵便受けの蓋を開けた。
 その瞬間。

 ザザザザザー。

 そんな擬音が聞こえる位、大量の手紙がこぼれ出た。
 しかも。


 シネ。

 キエロ。

 コロス。


 赤文字で書き殴られたその文字は悪意と殺意が入り交じっていた。
 直接投函されているのだろう、全て消印が入ってない。


 俺は、妖怪であるアイツとまぁ、あそこまで出来る男だ。
 大概のモノは怖くないつもりだし、度胸も座っている方だと思う。
 だが、さしもの俺でもこれは背筋に寒いモノが走った。

 以前、似たような投函があってからこれまでも、たびたびこんな手紙が来ていた。

 まぁ、悪戯だろう。
 そう思ってあまり重要には考えていなかったが、流石にこの量は異常だ。

 近々、警察に相談してくるか。
 出てきた手紙を袋につめて、アイツから見えない場所に放置する。


 「ね、何が来てた。なんか、今日は朝からいっぱい来ていたみたいだけれども」


 ベッドの下から少しだけ顔を出し、アイツはそう問いかける。


 「ごめんね、手紙。本当は、ボク、一日中家に居るんだから君の代わりに手紙とったり、集金はらったりすべきなんだろうけど。ここから出られないからさ。来ているの解っていたけど、とりに行けなかったんだ」


 ベッドの下の男。
 その名が示す通り、アイツはベッドの下に居る事が存在意義であ
る。

 ベッドから出てしまえば、存在意義を失う。
 つまり、消滅する。

 そんな事情のため、アイツはベッドの下から出る事が出来ないのだ。


 「いや、大丈夫だ」


 だが、今日はそれが幸いした。
 あんな不気味な手紙見せたら、アイツが怯えて不安がるだろう。

 例え妖怪でも、好きな奴にそういう思いはさせたくない。

 しかし、不気味なモン見た。
 これじゃ、気が削げちまう……。


 「それじゃ……ね、続き……しよっ」


 事もなかった。


 「了解、むしろ喜んで!」


 俺は嬉々としてベッド下に潜り込む。

 少しずつ。少しずつ。
 危機が迫っている事も、気付かずに。





 「ま、結局の所。一番怖いのは、人間なんでしょうね」


 最後の一本になるビールを開ける男に、俺は黙って頷いた。
 頷く事しか、出来ないでいた。





 その日も、普段と変わりない日だった。


 「ただいま」
 「おかえり」


 いつものやりとり。


 「ね、また勝負しよ。勝負ッ」


 いつものゲーム。
 これが済めば俺はまた少し、アイツと会話して、向こうの気がのっていたらベッドの下に潜り込み、ほんの少し強い愛情をその身体いっぱいに注ぎ込む。

 そんな日常は、変わりなく続くんだと、思っていた。


 ピンポン。
 呼び鈴が、部屋に響く。


 「あ、誰か来たよー。」


 アイツの声に頷いて、俺は玄関に向かう。

 お届け物です、だか。書留です、だか。
 どっちだか解らない。

 だが、扉の向こうの相手はそんな事を言っていたから、俺は不用意にドアを開けた。

 すぐに腹が、熱くなる。


 「……何だ」


 事態が飲み込めないまま、もう一度。
 今は胸元が熱くなる、それで俺は、ようやく理解した。

 向こうは、刃物を持っている。

 腹が熱くなったのは、腹を刺されたから。
 胸が熱くなったのは、胸を切られたからだ。

 アイツの手に握られたナイフと、シャツに滲んだ血を見て、俺はやっとそれを理解した。


 「お、お、お。お前だろ、あの人を陥れたのは……ボ、ボ、ボクは許さないぞ。必ずお前をころ、ころ、殺して……やる……」


 扉の向こうに居たのはうつろな目をした大柄な男だった。

 狂っている。
 そう思い、恐怖を感じる以前に俺はまずこう思った。

 なんとかして、コイツを撃退しなければ部屋に居るアイツが危ない。
 と。

 危機に直面しているというのに、俺は驚く程冷静になっていた。
 少し辺りを見回し、目に入った消化スプレーを手に取る。

 天ぷら油に火がついたら危険だから、置いておいた方がいい。
 友人にそう言われ買い置きしていたものだ。

 俺はすぐにそれを構え、ナイフを握る男の鼻面めがけて思いっきりそれを噴射する。


 「ぐぁ、あ、あ、ああ」


 効果はすぐに現れ、男はすぐに後ずさりをする。
 とにかく、コイツを部屋から出さなければ。

 とっさにそう思った俺は、側に置いてあった傘を手に取ると、それがねじ曲がる程強く相手を滅多打ちにした。

 武器に頼る奴というのは、痛みに弱い奴が多い。
 自分が傷つくのがイヤだから、相手を傷つける為にもナイフなんて道具をつかうんだ。

 だから俺が力いっぱい打ち据えると、アイツはひるんで身構える。

 向こうの攻撃の手がゆるんだ。
 それを見計らった俺は、渾身の力を込めた体当たりで相手を部屋から押し出すと、勢いよく扉を閉めた。


 「畜生、この程度で……畜生。ボクはお前を許さない。絶対にッ、許さないぞ!」


 扉の向こうで何度も体当たりをする男の様子が分かる。
 随分と重量がありそうな男だったが、いくらなんでも扉を破る事はあるまい。

 とはいえ、家は一階だ。
 窓をぶち破って入ってくる可能性がある。

 危機はまだ去ってないか。
 しかし、暫くは時間が稼げそうだ。

 とにかく、警察に連絡するか。
 俺は、携帯を探しに部屋へ戻る。


 「え、え。どどど、どうしたの。そ、そ、それ。大丈夫ッ」


 そんな俺の姿を見て、アイツは素っ頓狂な声を上げた。


 「ん。あぁ、だいじょう……」


 大丈夫だ。
 そう言おうと口を開くが、アイツの顔見て緊張の糸がとけたんだろう。


 「つつつっ……」


 俺はその場に蹲る。
 激しい痛みが俺に襲いかかってきた。


 「傷、見せてっ。早く!」


 ベッドの脇に座り込む俺のシャツをまくり上げ、アイツが傷の確認する。


 「胸のは、大丈夫。ちょっとなぞられただけだよ、致命傷じゃない。けど……お腹のコレは……」


 それは俺も解っていた。
 胸の方はさして痛みがないが、腹の方がヒドイ。

 今でも血が遠慮なく流れてきている。


 「とにかく、救急車呼ぼう、救急車」
 「あぁ……あと、警察も……頼む」


 アイツは、俺の携帯電話から手際良く救急車を手配する。
 都市伝説妖怪のアイツが呼ぶ救急車だからとはいえ、まさか黄色い救急車は来ないだろうな。

 そう思いながら、アイツを眺める。
 ベッドからシーツを引き剥がして、それで止血をしているのだがそんな止血役に立たないくらい血は溢れ続けている。

 手から、足から。
 どんどん力がなくなり、意識が遠のいていく感じがした。

 まだ、さして時間はたってないんだろうが、駄目だ、身体が…寒い……。


 「大丈夫かい。救急車、すぐ来るよ。警察も。だから、だから……死なないで。お願いだから……」


 意識を失いかける俺を、アイツの声がつないでくれた。
 そうだ、俺がここで死ぬ訳には……。

 そんな俺の耳に、ガラスの割れる音がする。
 同時に、熊のように巨大な影が俺の前に躍り出た。

 ドアに体当たりをぶちかましていた男が、窓に回った方が早いと気付いたのだろう。
 散乱したガラスは、容赦なく俺の身体を傷つける。

 しかしそれから身を防ぐ力も、もう俺には残っていなかった。
 奇声をあげ、俺に馬乗りになると、男はそのまま俺の首を締め上げる。

 抵抗する力が、出ない。
 必死で男の腕をふりほどこうとするが、僅かに相手の皮膚を引っ掻くだけだ。

 このままじゃ、とても、警察が来るまで持たない。
 それどころか、命の方も持たないか。

 せめて腕をふりほどかなければ。
 抵抗を続け腕をばたつかせる俺の身体が、不意に軽くなったのはその時だった。


 「いい加減にしろッ、この人をこれ以上傷つけるのは……ボクが、許さないからなッ!」


 その時、俺の頭にあったのは、身体が軽くなった事に対する安心感ではなかった。


 「駄目だ……」


 傷より、心が痛む。
 俺にはとても退かす事の出来なかった大男が、俺の前から退かされる。

 それがどれだけ大変な事か、俺にはわかっていたからだ。


 「出るな、出るな……あと少し、あと少しで警察が来るんだ。それまで出るな……そこから出たら、お前は……消えてしまうんだろう。だから……出るな。頼む……俺なんて、どーでもいいから。な、頼む……」


 必死で声を絞り出す。
 だが、もう、その時には、すでに手遅れだった。

 蹲る俺の横を悠然と歩く。
 それは、はじめてベッドの外に出た、アイツの姿だった。


 「もう、大丈夫だから……」


 アイツは俺の額に口付けをすると、男を睨み付ける。


 「さて、何処の豚だか知らないけれども……よくもこのボクを引きずり出してくれたね。これでボクはもうベッドの下の男として存在してはいられなくなってしまった、けど……」


 アイツの腕に握られていた斧が、怪しく輝く。


 「その前に、紛れ込んだ豚を一匹始末する位の余力はありそうだから。そうだな、ここは一つ。豚を一匹、屠るとしようか」


 それから、時間にしたらたった一分かそこらの。
 湯がぬるくなる程度の短い時間しかたっていなかっただろうが、俺はそこで一生分の拷問というモノを見た。

 見た目餓鬼で現代妖怪と言い張っているだけかと思っていたが、あれはあれ、やはり妖怪なのだ。

 まるで箸でも使うように、自分の身の丈以上ある大斧を振り回し、殴る所がない程滅多打ちにした後、身動きしなくなったのを確認すると、何処からともなく取り出した麻袋に男を詰めて、部屋の外へと放り出す。

 するとすぐにいくつかの人影が現れ、麻袋ごと男を担ぐとそのまま何処かへ消え去った。


 「ごめん。最後の最後でこんな化け物の姿、君に見せちゃって……」


 返り血にまみれたアイツの姿は不気味だったんだろう。
 だけれども、笑っているアイツは普段と変わらず愛らしかった。


 「あの男は……」


 アイツに滅多打ちにされていたが、まだ生きてはいるだろう。
 流石に殺されては気の毒だ。

 根が平和主義者の俺は、そんな事を思う。


 「別に、殺してしまってもいいんだけどね」


 アイツは可愛い顔に似合わない恐ろしい台詞を吐いた後。


 「でも、君がそれだとイヤだろう。だからね、一応。生かしておく事にしたよ。知り合いの、達者(だるま)を作る子が居てね。彼らに連絡して取りに来ても らったんだ。だからね、彼は大丈夫。これから、ずっと。達者になって、生きていてくれるよ。そう、ずっと、ずぅっと、ずぅっとね」


 アイツは穏やかにそう言い笑うが、俺はアイツの言う「達者」の意味を知っていたから、苦笑いしか出来なくなっていた。
 そんな俺の顔を見て、アイツは申し訳なさそうに言う。


 「ごめん。ぼく……怖いだろう」


 持っていた斧を普段通り、手斧程度の大きさに戻してアイツは俺の前に座る。
 あの男に対しては鬼のように振る舞っていたが、こうしている姿はいつものアイツだ。


 「ボクの事……嫌いになった?」


 おそるおそる問いかけるアイツに、俺は自然と笑顔になる。


 「バカ言うな……」


 こんなに必死になって俺を助けてくれたアイツを見て、不気味だと思った自分が恥ずかしい。
 そうだ、コイツは俺を助けてくれた。

 恩人なんだ、嫌いになる訳がない。


 「そう、良かった……」


 アイツは嬉しそうに、恥ずかしそうに笑うと、俺の前にぺたんと腰を下ろす。


 「もう、大丈夫だ……救急車もすぐ来る、警察も。な。だから、ベッドの下入ってろよ。お前……ベッドの下に居ねぇと、駄目なんだ……ろ」


 俺の言葉に、アイツは静かに首を振る。


 「もう……駄目なんだ。出てしまったから、ボクは……それに、力も使いすぎてしまったから……」


 そう言っている側から、アイツの身体が希薄になっていくのを感じた。


 「はは。冗談きついな……早く戻ってろって。な……頼むよ」
 「冗談なんかじゃ……ないんだ。ごめん。ごめんね……本当に……」

 「嘘だろ、な。早くさ……戻ってまた、ゲームで勝負しようぜ。今なら、わざと……負けてやってもいいからさ」


 アイツは笑って俺を見る。


 「そういえば、とうとう一回も勝てなかったね」
 「とうとう、なんて……」


 言うな。
 もう、出来ないみたいじゃないか。

 俺の目から、自然と涙があふれ出る。


 「バカ言うな、冗談も、嘘も、言うな。お前は、出てない。俺、お前が出てる所なんて見た事無ぇし。だからな、まだ大丈夫だ。いつもみたいに。いつもみたいにさ、バカやろうぜ。俺、まだ。お前と……お前と、一緒に……居たいんだ。お前とッ……」


 血が出て、意識も遠くなっていたはずの俺から、自分でも信じられないくらいに力強い声が出る。
 そんな俺の頬をつたう涙を拭うと、あいつはまた優しく笑って見せた。


 「ぼくは、君に何度か泣かされたけどさ。初めてだね。君が、ボクの為に泣いてくれたのはさ」


 何言ってるんだ。
 俺に泣いて欲しいなら、何時だって泣いてやる。


 「うれしいな」


 拭った涙を舐めながら、あいつは笑ってそう言った。


 「やめてくれよ……」


 まるで、今生の別れみたいじゃないか。
 勘弁してくれ。

 俺、そういう冗談嫌いなのは知ってるだろうが。だから、もう……。


 「ごめん。ごめんね、本当にごめん……」


 あいつの姿が、風景にとけだして行く。
 声が、暖かさが、どんどん遠のいていくのがわかる。


 「待て、行くな。行くなッ、頼むから……」


 声を絞り出し手を伸ばすが、アイツの身体に届かない。
 アイツは困ったように笑うと、すっかり薄くなった身体で俺と口付けを交わした。

 以前した時とは明らかに違う、風が触れたような感覚だけが俺の唇に触れる。
 それで、俺ははっきりと、あいつの「死」を理解した。


 「あ……」


 その時、あいつの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。


 「イヤだな、君には笑っているボクの姿だけ思い出して欲しかったのに、最後の最後で泣いちゃった」


 必死で目をこすり、溢れる涙を抑えながら、あいつは精一杯の笑顔を見せる。


 「本当にごめんね、ぼく。泣き虫だから、駄目だね。こういうのさ」


 声が、姿が。
 見る見るうちにかき消えていく。


 「いままで、ありがとう。それと……」


 唇が、動く。


 『あなたのことが、だいすきです




 だが、声は届かないまま……アイツは、姿を消して、俺はそのままその場で意識を失った。






 暫く、無言の時間が続く。
 ビールはすでにない。

 夜ももう、終わろうとしていた。






 ……気が付いた時、俺は病院のベッド上に居た。
 傷は深かったが、なんとか一命を取り留めたらしい。

 不動産屋から聞いた話だと、俺の住んでいた部屋の以前の住人はストーカー被害にあっていたらしい。
 今回の事も犯人はそのストーカーだろうとの事だった。

 俺を襲ったストーカーは、あのまま失踪してしまったらしい。
 逃亡してどこかに潜伏している可能性があるから注意は怠らないようにと警察には言われたが、俺はそれはないという確信があった。

 アイツが始末したのだ。
 少なくてもあの男が、ここに戻る事はあるまい。

 暫く入院の後、日常生活に不自由が無い程に回復した。
 そして俺は再び、あの部屋に戻ってくる。

 だが。


 「ただいま」


 その声に。


 「ただいま」


 もう。


 「ただいまッ!」


 返事はない。
 そこに、俺の望んだ日常は、もう、何処にも無かった。






 「アンタの言いたい事は解りました。」


 空になったビール缶を丁寧に全部潰すと、男は俺にそう言った。


 「ですけどね。あたしは、拝み屋ですから。幽霊お化け妖怪紛い、そういったのをブチ殺すのが仕事で御座いますモンで。その逆の方法は、心得ておりませんで。はい」


 そう、だろうな。
 そう、だと思った。

 頭では解っているんだ。
 あいつは、もう、どこにも居ない。

 わかっているのに。
 わかっているのに……な。


 「ですがねぇ」


 男は自分の耳に触れ、めんどくさそうに続けた。


 「あたしも詳しい事は知らないですけどね。えぇと、四谷でしたっけ。その辺りの公園に金色の公衆電話が あるそうなんですよ。公園の名前は確か……ね。そういう名前の公園で、その電話に、ギザ十で電話をかけると……電話番号は、その金色の公衆電話に書いてある奴です。繋がった相手に、自分の会いたい人の名前を言うんです。そうしたら……会いたい人に誰だって、あえると。そんな噂が、あるそうですよ」


 男はあくびを一つすると。


 「ま、こういう都市伝説を信じるのもバカげてると思いますけどね」


 そう言いながら、俺を見て笑う。


 「そういや、さっきひろった十円をアンタに一つくれましょうか。えぇ、気になさらないでくだせぇ。ギザ十ですよ。これ、自動販売機じゃ使えないでしょ。不便で仕方ないからアンタにくれてやるだけです。まぁ……お好きなようにお使いくだせぇ」


 始発にはまだ早いが、今は立ち止まっている場合ではない。
 俺はそれを受け取ると、夢中になって走り出した。


 「やれやれ、ビールの代金にしちゃ、あたしもお人好しすぎますかね」


 長い夜が、開けようとしていた。







 こういうのは、何か不思議な感覚だよね。
 うん……。

 イヤな気分という訳ではないんだけど、今まで実体が無かっただろう。
 だからこう、身体があるのって不思議な気分なんだ。

 身体は、そうだね。
 前とは……うん、前とは違うかな。たぶん、前よりニンゲンに近いんだと……思う。

 だってほら、ベッドの下にひっこまなくても存在していられるだろう。
 今までの僕だったら、考えられない事だよ。

 斧ももってないし……。

 えぇっ、斧があった方がボクらしいって。
 イヤだなぁ、実はあれ、無骨でかっこわるいってちょっと気にしてたんだから、あんまり言わないで欲しいな。

 そうだね。
 たぶん今の僕は、妖怪とニンゲン、その中間くらいの存在なんだろうね。

 うん、人間と妖怪のハーフは居るよ。
 でも、ボクみたいな方法で半人半妖になるのは、あんまり居ないんじゃないかな。

 自分の身体がどうなっているのか、ボクにもまだ良く解らないし。
 これからボクがどうなるのかも、まだ良くわかんない。

 けど……。
 大丈夫だよ、君が居てくれるんだもん。なんとかしてみせるって。

 ベッドの下が恋しいかいって。

 勿論だよ。
 たぶん元が元だから、あっちの方が安心するんだろうね。

 でも、こうして君の隣を並んで歩ける方がやっぱりいいな。
 あ、そうだ。

 遊園地って場所、つれていってくれるかい。
 動物園とか、水族館とか。そういうの。

 行った事ないから、行ってみたいと思っていたんだ。

 えっ。
 その前に、言うべき言葉があるだろうって。

 ……そうだね。
 今までずっと、君から言われるばっかりで、ボクからそれを言った事はなかったよね。

 わかった。
 言うよ、ずっと君を一人にしていて、ごめんね……それと。


 「……ただいま」






 <ショタっこがベッドの下に入れるベッドちょっとかってくる! (戻るよ)>