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 奥村が何か隠しているという事は薄々感じていた。


 「正義さーん。今度の長期休み、一緒にどこか行きましょうよ。ね、いいでしょっ。付き合って初めての長い休みなんですから!」


 旅行雑誌を両手に抱え無邪気に笑う奥村は先にある旅行への期待に胸一杯といった様子だ。
 高野との旅行を、心から楽しみにしているのだろう。

 元より出不精で、休日は勿論のこと長期休みに入っても最も遠出するのは都内にある実家までといった生活が身に付いていた高野だったが、恋人の笑顔を前に重い腰を上げぬほど物臭ではなかった。


 「別にいいが……何処へ行くつもりだ?」
 「海外! と、行きたい所なんですけど……俺、あんまり金ないんで。国内で! 温泉行きましょう。草津とか行ってみたかったんですよ」

 「草津か……悪くないが、随分とまぁ渋いチョイスだな」
 「もう少し先立つモノがあれば遠出出来るんですけどね……大人の先輩が旅費を何とかしてくれる、というのは…………だめっすか?」

 「ダメだ」
 「ですよねー……あーあ、正義さんとのハネムーンは海外が良かったんだけどなぁ……」

 「何がハネムーンだ! ……それに、お前は俺なんかと一緒にいてもいいのか?」
 「えっ、どうしてですか?」

 「……前の休みの時も実家に戻ってないだろう、お前は。たしかお前は郷里(くに)から離れて一人暮らししてたよな? いいのか、故郷に戻らなくても」


 故郷。
 その言葉で、それまで無邪気に輝いていた奥村の笑顔に微かに陰りが見えた。


 「……里帰りはね、いーんですよ。俺は、正月にちょっと、顔出せばいいって言われてますから」


 そして寂しそう笑うと取り繕うような言い訳をして、部屋いっぱいに旅行雑誌を広げる事で全てを曖昧のまま誤魔化すのだった。

 そういった態度から、何となく分かっていた。
 奥村の隠し事は、故郷の。そして、家族の事だという事は。

 彼がそうやって過去を隠そうとするたびに、高野はその内にある秘密を想像した。

 家族と折り合いが悪いのだろうか。
 奥村の恋愛傾向はマイノリティだ。その点で家族とうまく話がついていない事も、充分考えられる。
 だが、高野の想像に及ばぬ程悪い秘密を故郷に置いてきているかもしれない。

 あれこれ想像を膨らませるが、いつも最後に高野は同じ結論へ達する。

 必要になったらきっと、奥村から話してくれるだろう。それまで余計な詮索はすべきではないという事に。
 そして、例え過去に何があったとしても自分が愛しいと思うのは今の奥村だという事に。

 だから高野は何があっても深く追求する事はせず、ただ彼が望むように寄り添うようにしていたのだった。



 それから一月、二月と時は大きな変化ももたらさず安穏と流れていった。
 そして、彼らが恋人同士の付き合いをはじめてから半年以上過ぎようとした頃。


 「正義さん……お願いがあるんですけど、いいですか?」


 その頃は、仕事が終わると奥村の足は自然と高野の暮らすマンションへ向くようになっていた。
 積み上げられた日用品や毎週増える漫画雑誌は、少しずつ高野の部屋を浸食してくる。

 長く一人で過ごしていた高野はそんな生活に最初困惑していたが、今はこうして傍らに彼がいる事。日常に、彼の風景がある事に心地よさを覚えるようになっていた。

 奥村がそれを切り出したのは、そんな日常の最中だった。


 「何だ、真面目な顔して……お小遣いをくれ、ってのならお断りだぞ。俺はお前のパパさんをやるつもりは、無いからな」
 「なぁっ、なに冗談言ってるんすかもー、ほんと、真面目なお願いのつもりだったんですけど……」

 「はは、悪い悪い。あんまり思い詰めた顔してたから少し気を紛らわせようと思ったんだが……どうやら、そういった雰囲気の話じゃなさそうだな。それで、何だ」
 「あっ。はい。えぇっと……」


 奥村は高野に対面し、きっちり正座をしながら、もぞもぞと動き次の言葉を探す。
 だが、よほど言いづらい事なのだったのだろう。

 奥村はただ唇を湿らせ俯いて視線を漂わせるばかりで、先の言葉を継げようとしない。
 時々何か語ろうとするが、いつも「えぇっと……」それだけで終わってしまう。

 そんな時間が暫く続いた。


 「……時間は、沢山ある。ゆっくりと、話せる所から話してくれ」


 高野は一端席を離れると暖めたミルクをもって戻ってくる。


 「……ありがとうございます」


 奥村はそれを一口すすると、やがて意を決したように高野の方を向き直った。


 「あのっ。正義さん、俺……こんどの休日に、里帰りしようと思うんですよ。それ、正義さんにも一緒にいって欲しいと、思うんです…………いいですか?」


 真っ直ぐな瞳が、高野を見据える。
 今まで頑なに語ろうとしなかった故郷の事、家族の事。奥村が唯一隠し続けた扉を、今、彼が自ら開こうとしてくれていた。


 「……あぁ、わかった。たしかお前の実家は、関西の方だったよな」


 奥村が自分のチームに入る以前、上司から「関西方面の高専生をとる予定になっているから任してもいいか」と打診を受けたのを高野は覚えていた。、
 だから高野はずっと、彼の出身は関西だとばかり思っていたのだが。


 「あっ……俺、本当の実家はそっちじゃないんです。S県なんですけど……」
 「S県? なんだ、思ったより近場じゃないか……関西だとばかり思っていたんだが……」

 「はい……えぇっと、たしかに俺、育ちは関西なんですよ。小学校四年生の頃だったな。それからずっと親戚の家で暮らしていたんで……でも、俺は本当はS県出身なんです」
 「親戚の……お前、両親は……?」

 「……そういうのも含めて、ゆっくり話がしたいんで。いいですか? あんまり面白くない話、しちゃうと思うんですけど」
 「普段から、お前あんまり面白い話してないだろ?」

 「なぁっ、そんな事ないっすよ! いつも俺はハッピートークしてますってば!」
 「はは……わかった、とにかく付き合ってやるよ。俺も、お前にそろそろ話そうと思っていた事があるからな」

 「えっ。な、何すか。話したい事って?」
 「……秘密だ。いいだろ、後で話す」

 「えぇっ、い、今言ってくださいよぉ。な、何すかもー」
 「秘密だ、と言っただろ。心配するな、お前が不安になるような事じゃない……と、思うからな」

 「と、思うとかっ。言わないでくださいよ! ふ、不安になる……」


 隣でいつもより小さくなる奥村の身体を抱き寄せると、高野は黙ってその額にキスをする。


 「心配するな。大丈夫だ。ずっと傍にいてやるから。な?」
 「……はい!」


 奥村はその温もりに身を委ねる。
 その夜、二つの影は静かに重なりあっていた。



 それから数日後。
 約束のその日、高野は朝からS県へ向けて車を飛ばしていた。


 「うわー、美味しそうだ。ほら、正義さん。美味しそうですよたこ焼き。食べます?」
 「運転中だ、見てわからないのか?」

 「それは、わかってますけど。ほら、朝から何も食べてないじゃないですか、そろそろ何か腹に入れておかないと倒れちゃいますよ。ほら、あーん」
 「危ないからやめろ、メシなら黙って食え」

 「むー、ノリ悪いなぁ……はーい、わかりました。俺じゃぁ、先に食べちゃいますからね。後で欲しいっていってもダメですよ」


 奥村がたこ焼きを頬張る隣で、高野は見慣れぬ道を直走る。

 車はもっているが通勤には使わず、休日の買い物に出るか実家に戻る程度にしか乗らない高野にとって、隣県とはいえS県までの運転は長距離運転に入る。
 だが未知の旅路を進む不安よりも期待が大きいのは、きっと傍らに奥村がいたからだろう。

 慣れぬ道行きに不安になった時、隣に座る奥村の姿を見るだけでもずっと気分が楽になる自分がいた。


 「それより、知樹。本当に道はこっちであってるんだよな? 俺はお前の故郷を知らないから、しっかりナビを頼むぞ」
 「え? えぇーっと……あってます、あってますよ! 多分」

 「多分って何だ多分って! ちゃんとナビをしてくれ、俺の車カーナビついてないんだから、頼むぞ」
 「はーい」


 慌ててたこ焼きを頬張りつつ、地図を広げる奥村の気配を感じながら、高野は強くハンドルを握る。
 目的地までは、もうすぐのようだった。


 「……えぇっと。あ、その信号を左折です。そこに駐車場があるみたいですから」


 頼りないナビだったが、何とか目的地にたどり着く。
 都心から一時間程度走っただけだと思っていたが、その場所は都会の喧噪とは無縁な、静かで落ち着いた住宅街だった。

 今日は休日だからだろう。
 そこここの家から、子供たちの笑い声が漏れ聞こえる。

 激しい車のエンジン音もなければ、黙々と目的地へ向かう人の波もない。
 平穏な街なんだろう。
 そんな事を思いながら高野は車から降りた。


 「さぁ、行きましょう。正義さん!」


 静かな住宅街その街並みを眺める高野の手をとると、奥村は勢いよく走り出した。


 「お、おい。急に走って……行く宛はあるのか、知樹?」
 「当然ですよぉ、俺この街に住んでたんですから! ……とりあえず、ガッコ行きましょう。ガッコ」


 勢いよく走り出したのはいいのだが、住んでいたのはもう10年以上前のだからだろう。
 「あれ、こっちだっけな」「違ったかな」

 そんな風に立ち止まる事数度。
 目的地である学校を見つけるのに、たっぷり30分は歩き通す事となった。


 「あー、やっとみつけたー。ここ、ここ。ここが俺の母校ですよ。正義さん!」
 「あぁ、そう。そうか……」


 長い坂道を登った、小高い丘のような場所にその学校はあった。
 小学校なのだろうが、休日だが静まりかえり人の気配はない。

 高野が小さい頃は、休日ともなれば学校へ赴いて遊ぶ少年少女たちも少なくなかったのだが、最近は休日に学校を開放している所は少ないのだろう。
 その正門は、重苦しい鉄の柵で閉ざされていた。


 「うわぁっ、懐かしいなぁ……なんか、ちょっと新しくなっている気がしますけど。あは、俺の記憶にある学校とかわってないや」


 だが、入る事が出来なくても奥村にとってこの場所に来れただけでもう充分嬉しかったのだろう。
 高いフェンスごしに見る校舎を、懐かしそうに目を細めて眺めている。


 「俺、小学校四年生までこの学校に通っていたんですよ。学校で、どんな風に過ごしていたとか。誰と仲良かったとか、そういうのはあんまり覚えてないんですけどね。でも、楽しかったなぁって……そういうのは、ぼんやり覚えているんですよね。楽しかったなぁ……うん、楽しかった」


 そしてそう語ると、寂しそうに笑うのだった。
 高野はその姿を暫く黙って見つめていたが、やがて静かにその肩を抱く。

 放っていたら、奥村が壊れてしまうような。そんな脆さを感じたからだ。
 それを証明するかのように、抱いた奥村の肩は微かに震えていた。


 「正義さん……すいません」


 その腕に甘えるよう、奥村もまたその身を委ねる。
 後ろを誰かが通っていく気配がしても、今日は気にしない事にした。

 今はただ、心に秘めた思いを必死で吐き出そうとする奥村を支えていたかった。


 「ありがとうございます……それじゃ、行きましょう」


 奥村は彼らしくない不器用な作り笑いを浮かべると、今きた道を戻りだした。


 「俺、小さい頃この道を通って学校いってたんですよ。坂道を下って……横断歩道を渡るでしょう。そしたら細い道がある。抜け道の裏路地なんですけど、ここが俺の通学路だったんです」


 住宅街を抜けながら、奥村はただ歩く。
 高野にとっては何の変哲もない静かな住宅街だが、奥村にとっては10年ぶりに歩く懐かしい通学路だったのだろう。


 「あぁ、あの駄菓子屋まだあるんだ……駄菓子屋というかちょっとお店っぽくなっちゃったけど。あぁ、あの先の家には犬がいたんですよ。すっごい大きい、黒い犬で俺が来るたびに吼えていて。俺、それが凄い怖くて。今でもだから犬はちょっと苦手なんすよねぇ……」


 記憶の糸を手繰りながら歩く奥村の足取りも軽く、その口もいつも通り滑らかだった。
 そう、思ったのだが。


 「あっ……」


 不意に立ち止まった奥村は、それから何も言えなくなり、ただ黙って俯いていた。
 彼の前にはまだ新しい、3階建ての家が建っている。

 休日だから、今日は家族が家中で過ごしているのだろう。
 窓の奥からは暖かな照明が揺れていた。

 その温もりを、奥村は暫く呆然と眺めている。


 「……どうした、奥村。顔色が悪いぞ」
 「えっ? あぁ、すいません……」

 「大丈夫か?」
 「はい、大丈夫です。ただ……」


 奥村は再び、その家を眺める。
 ガレージには赤い車が止まっていた。子供がいるのだろう、車中にはチャイルドシートが備え付けられているのがわかる。


 「ただ、ここにね……昔、俺の家があったんです。父さんと母さんと……俺が、住んでた家が……でも、そうですよね……10年も過ぎてるんだから、残ってるはずがないんだ。残ってるはずが……」


 奥村の言葉で、彼の視線その意味を知る。
 温かな小さな誰かの幸せ……それが今、自分のものではない事実。

 何気ない日常が、悪戯に彼の心を締め付けていた。


 「……知樹」
 「すいません、正義さん。行きましょうか。たしか、ちょっといった所に公園があったはずですから」


 だが悲しく顔を歪めたのは一瞬。
 奥村は虚ろに笑うと、彼の手を引き歩き出した。

 5分も歩かない場所に、奥村のいう公園はあった。
 だがその場所は公園というより、空き地に遊具がおいてあり無理矢理公園らしく仕立てた場所という印象だ。

 緑も少なければ遊具もあまり手入れはされていない。
 休日だというのに子供は勿論、立ち止まって話をする人影もまばらだったのは、寒さのせいだけではなかっただろう。


 「何か、俺の思い出ではもっと広い公園だと思ってたんですけど……こうして見ると狭いッスね」


 公園のベンチに座りながら、近くの自動販売機で買ったカフェオレをすする。


 「お前がそれだけ成長したって事じゃないのか、知樹」
 「あはは、そうかもしれないッスね。ここまで来るのに、ほんと、時間かかっちゃったから……」


 ベンチの上でそう語る奥村の手もとには、湯気をたてたカフェオレが握られていた。
 高野は黙ってその隣にすわると、暫く一緒に同じ空を眺める。


 「……そろそろ、話してくるのか。お前が、言いたかった事を」
 「あ、はい。そうですね……わかりました」


 奥村はまた一口、カフェオレをすする。
 ちぎれ雲が早足で、空の上を流れていた。


 「俺の両親は、この街で俺と三人。特別に裕福という訳でもなければ、貧乏だった訳でもない。何の変哲もない普通の家庭として毎日を、過ごしていたんです。父さんはサラリーマンで、母さんはパート主婦。
 母さんがパートに出ちゃっていたから、俺が学校から戻っても誰も家にいない事もあって寂しい思いをした事もあったんですけどね。

 一人で寂しい時でも料理好きの母さんはいつも手作りのデザートと手紙を準備しておいてくれたから、俺はそれでも案外幸せで……。
 ずっとこんな生活が続くんだって、疑ってなかったんです」


 何処かでトラックのクラクションが激しくなる音がする。
 ここは住宅街の合間にある細い道だが、道を抜けると大通りとなるからだろう。

 苛立たしげに道を走る車の音だけが、公園に響いていた。


 「……あの日の事は、俺、今でもわりとハッキリと覚えているんですよ。

 父さんも母さんも、朝から何だか優しくて。
 あの日はたしか平日だったはずなのに、今日は学校にいかなくてもいいから、ゆっくり家族三人で過ごそうって言われて……。

 あの頃は、俺の両親ちょっとトラブってたみたいでしてね。
 毎日喧嘩ばっかりしている声を聞いていたから、朝から両親が喧嘩しないでいるのが嬉しかったのを覚えてます。

 おまけに、久しぶり家族で遊園地にいって。
 それから、レストランで食事をしようって話になっていたから、俺は本当に楽しくて……あぁ、こんな風に楽しいのは何日ぶりだろうって、無邪気に喜んでました。

 そうやって遊んで、疲れて眠った俺が、次に目を覚ました時には、周囲が火に包まれていた」


 高野の脳裏に、彼の身体が思い浮かぶ。

 彼の背中にはうっすらとだが、傷痕のように引っかかる箇所があったのだ。
 だがそれについて聞いても奥村はいつも曖昧にはぐらかすばかりだった。

 ……やはりあれは火傷の痕だったのだ。


 「……助けてくれたのはね、両親なんですよ」


 奥村はさらにそう続ける。


 「俺は炎があがった車の中から気付いたら外に放り出されていました。

 炎が上がった原因はね。
 自動車が、電柱につっこんだから……事故だったんです。ガソリンに引火したのか、すぐに火があがって……。
 目が覚めた時、俺の回りが真っ赤だったのは今でも覚えてますよ。

 非道い事故だったんだと、思います。
 でも俺はほとんど怪我がなかった。今でも火傷の痕なんてほんの少し。気にならない程度しか残ってないくらいです。

 後部座席にいた母さんが、全身で俺の事庇ってくれたから。
 火の中をすぐに父さんが、抱き寄せて助け出してくれたから。

 あの時は火と衝撃が非道くて。
 助けにきてくれた救急隊の人に、何度も怖かったかい。大丈夫かいって聞かれたのは覚えているんですけどね。

 あぁ、だけど俺が怖かったのは、炎の赤じゃなかった。
 それよりも恐ろしかったのはあの時、車の中から俺を必死に抱き寄せて引きずり出して、何とか外へと放り出してくれた父さんの手。

 あの大きくて優しい手が、ふっと放れてしまった事……」


 奥村は自分の身体を抱くと、一度小さく身震いした。


 「対向車のトラックを避けようとしてハンドルの操作を誤り、事故をおこしたんだろうと。大人になってから、親戚に聞かされました。

 でもね、実際対向車がきていたのかとか。今となってはわからないじゃないですか。
 傍目から見たら、父さんの車が電柱に衝突しただけ。

 そういう死に方だったもんですから、事故じゃなくて自殺じゃなかったのか。
 一家で無理心中の挙げ句、子供の俺が偶然助かったんじゃないのか……。

 噂好きのオバサンや親戚連中色々言われましたし、今の俺も、あれが本当に事故だったのかわかんないんですよ。
 故意におこされたものじゃないか、って言われたら、そういう気もするんです。

 あの頃の両親は喧嘩も絶えなかったし、平日に子供を連れだして遊園地やらレストランやら……。
 普段そんな事をしなかった両親が、急にそんな事をしたんですから、いかにも覚悟の自殺って感じもするでしょう。

 あぁでも、そんな事はどうだってよかったんです。
 ただある事実は一つだけ。

 両親が死んで、俺だけが生きてる。その事実だけでしたから……」


 湯気のがっていた缶コーヒーは、いつの間にかすっかり冷めていた。
 空を漂っていたはずのちぎれ雲も、もう何処にも見えない。


 「……いやだったなぁ。ずっと。父さんと母さんを殺して自分がのうのうと生き延びちゃった気がしてね。

 俺、これで結構自分を攻めたりしましたよ。

 引き取ってくれた親戚も概ねいい人でしてね。
 余所の子である俺の事も、ちゃんと育てようと向き合ってくれました。今でも親戚には、感謝してますよ。

 だけど、俺は何より自分が許せなかった……。

 ガキながら、両親を守りきれなかった自分がいやで嫌でしょうがなかったんです。
 そうやって段々、大きくなっていった。自分を許せないまま……今でもね。あぁ、まだ何処か負い目はあるんですよ。

 ……年上の男に身を任せるようになったのはね。何というんでしょうか。
 そういう人は優しいってのもあるんですけど。自分の中で贖罪みたいなのがあったんですよ。

 自然と父さんに似ている人を選んでる自分がいて。
 そういうのが自分に相応しいって、追い込んでいく事で自分の心がちょっと楽になるんです。

 非道い事されてもね。それが自分に相応しいと思う事で、楽になるんですよ。
 そうやって、俺はずっと自分を辱めて、傷つけて、追い込む事で、救いを求めてきた。

 正義さんもね。
 貴方の事も、そうだったんです。貴方は、顔も背格好も、死んだ父さんにそっくりだった。
 おまけに父さんが死んだ歳が、今の貴方と同じ年齢だったんですよ。
 だから……。

 父さんに似ている貴方に抱かれる事が、俺をどんどん追い込んだ。
 そうやって俺は贖罪を続けているんだと、思いこもうとしたんです。

 ……逃げているだけだって、分かっていながらね」


 奥村は暫く目を閉じてから、一度大きく背伸びをする。
 そして不意に立ち上がると。


 「行きましょうか」


 そう呟いて、唐突に歩き出した。
 まだ話は終わってない気がするのだが……。


 「わかった」


 それでも何も聞かず、高野は彼について行く。
 今日はとことん、彼に付き合おう。彼の語りたい事だけ語らせ、ありのままを受け入れよう。

 高野はその覚悟で、彼に寄り添う事にしていた。

 それから暫く歩いた後、丘の上の見晴らしがいい場所にずらりと並んだ墓所へとたどり着く。


 「あぁ、あったあった。ここだここ……」


 立ち止まる墓石が誰のものだかは、奥村が静かに手をあわせた事で語らなくても理解した。
 この下に、彼の両親は静かに眠っているのだろう。


 「……あれから、ここに来るのが怖くて。ほとんどここに来る事がなかったけど、今日久しぶりにきたよ。父さん、母さん」


 線香から煙が立ちのぼる。
 彼にならって高野も、黙って祈りを捧げた。


 「……あれからずっと、自分を追い込んで傷つけて。そうする事で、逃げていた俺の足は、どんどん両親の前から遠ざかっていってました。

 わかってましたよとっくに。
 逃げてるだけだ、贖罪をしているつもりになって、自分からも過去からも何もかも忘れようとしているだけだって。

 ……それでも辛くなかったのは、大概の相手は優しかったから。
 俺より年上で、俺よりずっと色々な事をしっていて、俺よりもきもちいい事が好きで……。

 甘い言葉の一つや二つ耳に置いておけば、簡単に身体をゆるす。
 そういう都合のいい俺を手元に置いておく為に、年上連中はみんなそう。そうやって俺の身体の事、大事にしてくれた……。

 最も、誰も俺の心をは向き合ってくれませんでしたけどね」


 立ちのぼる煙を眺める奥村の目は、ただ遠くを捉えている。
 その視線が曖昧であまりに遠くを見ていた気がしたから、高野はこのまま彼が遠く。手の届かない所に行ってしまうのではないか。

 不意にそんな不安に狩られ、ただ黙ってその手を握る。
 手を握っていれば心がつなぎ止められる。

 幼稚に思えるが、そんな気がしたからだ。
 奥村は暫く遠くを見た後、微かに笑うとゆっくりその手を握り返した。


 「……だけど、今日。やっと、ここにくる事が出来ました。正義さん、貴方がいたから」


 高野を見つめる彼の目は、もう遠くにはない。
 ただ高野だけを捉え、傍らにある彼の姿を映しだしている。


 「正義さん、貴方は不器用で鈍感で偏屈で……男慣れしてないから、ってのを理由に結構俺に、非道い扱いしてきましたよね」
 「う……それは、その。悪かった」

 「仕事出来る癖に、家事とかはへったくそで。たまに料理作るとみそ汁なんて茶色の色水だし」
 「そ、それは。その……」

 「普段、あんまり外出しないでしょ。デートの時もちゃんとそれらしくエスコートしてくれた事なんて、ほとんどない」
 「……面目ない」

 「でも、貴方は誰より俺の事を知ろうとしてくれた……俺がどうしたら喜ぶのか。俺が何が好きで何が苦手なのか。そういうの、ちゃんと考えて。俺と向き合って、俺の事を見つめようとしてくれて。今でもずっと、そうしようとしてくれている……」


 奥村はいつもの明朗な印象とは真逆の、儚げな笑顔を浮かべる。
 その笑顔を前に、高野はただ手を強く握る事しか出来なかった。


 「俺がコーヒーにいれる砂糖の数も、覚えてくれましたよね」
 「あぁ……」

 「俺が好きな映画も、何だかんだいって全部付き合ってくれた」
 「……普段見ないタイプの映画も、案外面白いもんだ」

 「年甲斐もなくゲーセンにつれていったりして。でも、今では音ゲーもちょっと出来るようになりましたもんね」
 「……流石にお前と一緒じゃないとまだ、一人で行くのは照れくさいがな」

 「そんな貴方の事が、俺は段々本当に好きになっていったんです」
 「……何だ、最初から好きだった訳じゃないのか?」


 ふてくされたように言う高野を前に、奥村はくすくす笑う。


 「えぇ、まぁ……最初はね。好きっていえば好きなんですけど、何というんだろうな。好みの顔で、いい身体してて、抱かれてみたいって思ってた。観賞用みたいな所ありましたから、正義さんは」
 「観賞用ってなぁ……」

 「そもそも、付き合えるなんて思ってませんでしたから。だって、ノンケだったじゃないですか正義さん」
 「そうだが……」

 「仕事では隙がなくて冷静で、どんな無茶なスケジュールでもやってのけた貴方の事、俺は勝手に完璧な人だと思いこんでた。付き合ってもすぐに飽きられるんじゃないか。捨てられて遊ばれてるんじゃないか。

 そういうのが怖い反面、俺にはそれが相応しいかなとか。
 そういう思いもあってね。

 貴方と付き合った最初は、不安ばっかり先立ってた。
 でも、実際付き合ってみたら何だか貴方は思ったより格好良くなかったんですよね。

 仕事だとあんなバリバリやるくせに、休日は凄いルーズ。
 ちょっとからかうとすぐ真っ赤になる癖に、急に格好良くなって俺の事ドキドキさせて……。

 完璧だと思っていた貴方は、不器用ですごく人間くさくて、そのギャップに最初戸惑ったんですけど……。
 ……俺はそんな貴方が、どんどん好きになっていった。付き合う前のイメージだった、完璧だった頃よりずっと」

 「……それは、誉め言葉と受け取っていいんだよな?」


 さぁ、どうでしょう?
 奥村はそう言いたげに首を傾げて笑うと、振り返り墓前に向かって胸を張る。


 「父さん、母さん。ずっと来れなくてごめん。それと……紹介します。俺の恋人、高野正義さんです」


 奥村のよく通る声が、静かな墓所に響く。
 その突然の紹介に困惑する高野を前に、奥村は涼しい顔をしたまま続けた。


 「……父さん、母さん。驚いたと思うけどさ、俺あれから色々恋をして、大人の経験もしてみたんだけど、やっぱりどうしても。どうあっても男の方が好きみたいなんだ。こればっかりは変えられない性分で、自分でもどうする事も出来なくて……。

 命かけて守ってもらったくせに、ごめん。
 でも……正義さんは、本当に心から自慢できる俺の恋人だから、どうしても父さんと母さんに紹介したくて。だから今日、一緒に来たんだ。

 な、いい人だろ。
 父さん、母さん。俺……。

 二人を失ってからずっと自分から逃げて生きてきたけど、やっと貴方たちに胸を張って生きていける気がするんだ……」


 奥村の肩が、微かに震えるのがわかる。
 高野は黙ってそれを抱くと、彼とともに目を閉じた。

 墓前にともされた線香の火は間もなく消えようとしていた。




 半日ほど街を、彷徨っていただろうか。


 「寒くなってきたし、そろそろ帰りましょうか?」


 奥村の言葉で彼の故郷巡りは終わりを告げ、二人は足早に帰路につく。

 その帰り道。
 何でも甘い飲み物ばかり作る事で有名なチェーンのコーヒー店の、その中でも一等に甘いコーヒーをすすりながら、奥村は思いだしたように言った。


 「あ、そういえば先輩、聞きたい事があったんですけど」
 「ん、どうした?」

 「ここに来る前に、何か俺に言いたい事があるとか話したい事があるとか……そんな事言ってしたよね? アレ、何ですか」
 「あぁ、その事か……別に、今じゃなくてもいいんだが……」

 「……何ですか? 気になってたんですよ、あれから……仕事の話ですか?」
 「仕事の話をプライベートに持ち込む程野暮じゃない」

 「えー、じゃぁ何ですか、教えてくださいよ。いいでしょー?」


 もうすぐ駐車場に着く。
 本当は車中か、あるいは家に帰ってから言うつもりだったのだが……。

 ……まぁいい。
 言うつもりだったが、もし聞かれなければこのまま言いそびれていたかもしれない。

 ズルズル先延ばししても仕方ない。
 聞かれたのなら今が言うべき時なのだろう。


 「そうだな……もう、今更という気もするんだが…………」


 高野はその場で足をとめると、二度三度、鼻を掻いて。
 それから、先を行く奥村が振り返るのを見てから言った。


 「……知樹、俺と一緒に暮らさないか?」
 「えっ?」

 「最も、おまえは最近仕事が終わると俺の家に来るのが日課になりつつあるし。まぁ半ば俺の家に住んでるようなモノだから今更だと思うんだが……中途半端に家を行き来して曖昧にしておくのは良くないと思ってな。

 ……改めて、俺と一緒になってくれ。
 俺には、知樹が必要だ」

 「えっ? えっ、ちょ、正義さぁっ……何いって……」
 「……いつまでも俺を独り身にさせておくつもりか?」

 「あ……」


 最初は戸惑った表情だった奥村の顔が、徐々に笑顔へと変わる。
 その目にはうっすらとだが、涙が溜まっていた。


 「はいっ、はい……はいっ! 正義さぁっ……わかりました……一緒に……お願いしますっ」


 奥村は転がるように走り出し、身体いっぱい使って高野を抱きしめた。

 冬空には間もなく、夜の帳が降りようとしていた。
 外灯が映し出す二人の影は長く伸びている。

 そんな寒空の下、二人はただ静かに抱きしめあっていた。

 繋いだ心を確かめ合うように。
 そしてこれからも、この言葉と心がお互いの中にともに有り続ける事を願うかのように。






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