その日も、駅前に唯一存在するゲームセンターの看板は色とりどりのネオンに彩られていた。
一歩、中に足を踏み入れればそこここで賑やかな筐体の効果音などが重なり合い、どの音がどのゲームから響いているのかハッキリ判別はつかない。
ビデオゲームコーナーでは、高野がまだ子供と呼べる歳の頃からある横スクロールシューティングゲームやら、学生の頃に流行った2D格闘ゲームの最新作などがひしめき合って並び、椅子に座る男たち(そのプレイヤーは大半男である)が、慣れた様子でボタンを叩く姿が見える。
プライスゲームコーナーの方に目をやれば、到底恋人には見えない、親子ほど歳の違う男女が仲良く腕を組みながら、大きな猫のぬいぐるみを前に幾度めかのコインを投入していた。
あんな脆弱なアームで果たしてあれほど大きな景品が取れるのだろうかと疑問に思うが、隣の女性の猫撫で声には頬も財布もゆるむといった所だろう……。
メダルゲームの前には、幾枚ものメダルを並べる男女の姿と、もうもうと立ちこめる煙草の煙とがあった。
以前は煙草を吸っていた高野だったが、禁煙生活も5年を過ぎるとこの煙が少々辛くなってくる。
結局の所、このゲームセンターという場所には高野の居場所はないのだろう。
やや広めのゲームセンター内を手持ち無沙汰で一蹴した後、彼は結局奥村が遊ぶゲームの前まで戻り、彼のプレイする姿を後ろから眺める仕事に従事し始めた。
奥村がプレイしているのは、いわゆる「音ゲー」と呼ばれるものだった。
上から振ってくる、色とりどりのマカロン(に、高野には見えたが実際は何だかよくわかっていない)にあわせて、対応する色のボタンを押していくといったシンプルなゲームだ。
最も、ルールこそシンプルではあるが、無数のボタンと止め処なく落ちてくる画面を見るだけで高野はもう自分には手の出ないゲームだという事だけを認識していた。
「あ、正義さん。もう、ずっと見てないで一緒にやったらどうッスか? これ、二人でも出来ますよ」
時々、奥村がこちらに気付いて振り返り、そうやって誘ってはくれたが、高野は静かに首を振るだけだった。
そんな彼の姿を見て、奥村の隣に立つ青年は、申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
奥村より、幾分か背が高い青年だ。
だが、やや細身の為に長身というよりひょろ長い、といった形容のほうがよく似合う。
彼の名前は、野上総史……。
奥村が中学時代からよく連んでいた友人なのだという。
また、奥村の性癖を……高野と奥村が恋人同士であるという事を知った上で、彼らと普通に接する事が出来るという、奥村にとっては頼れる親友だという事だ。
「すいません、高野さん。何かずーっと、俺がトモを独り占めしてるみたいで……」
「いや、気にするな。元々、君たちの輪に勝手に潜り込んできたのは俺だからな」
丁重に頭を下げる野上につられ、高野もまた頭を下げる。
奥村と同級生という話だったが、野上には奥村より落ち着いた印象がある。
爽やかな好青年、というのをそのまま体現したような男だった。
「そうだよー、高野さんは勝手についてきただけだから、そーちゃんが気にする事ないんだってーば!」
ぎこちなく笑う二人の間に割ってはいると、奥村は。
「それじゃ、次はあっち! あっちのガンシューやりにいこうぜ。な、そーちゃん!」
無邪気に笑いながら野上の腕をひいて、別のゲームの元へと進んでいった。
高野は一つ、溜め息をつくと、そんな二人の後をのろのろとついて歩く。
何故、ゲームもやらない高野がこんな場所に来ているのか……。
それは全て、先日の事。
奥村との、何気ないやりとりがきっかけだった。
「正義さん、今度の土日は俺、高野さんトコ行けませんけどいいですかね?」
いつもと変わらぬ昼食で、弁当を広げながら奥村は不意にそんな話をはじめた。
恋人として、付き合っている……。
とはいえ、いつも一緒にいる義理はない。
特に、高野と奥村は同じ職場で顔を合わせている、上司と部下の関係だ。
休日までべったり過ごす必要はないのだろうが……。
「どうした、何か用事でも出来たのか?」
それでも、高野がそう問いかけてしまう程度は奥村の事が気になっていたし、奥村もまた、最近は当たり前のように休日ともなれば……いや、休日以外の日でも時間があれば高野の家に入り浸っていた為、日曜に来られないといった事はその日が初めてだったのだ。
「用事ってほど、重要じゃないんスけど……昔の友達が、会わないかって誘ってくれたんで」
「昔の友達?」
「えぇ、中学時代からの親友で……野上っていうんですけどね。久しぶりに、休みに何処かいかないか、って誘われたんで……」
奥村と付き合いはじめて、半年近くが経とうとしていた。
だが、友人と連れ立って遊びにいく、というのは初めての事だ。
奥村の年頃であれば、同年代の友達と遊びに行くのは普通の事だろう。
しかし、普段から友達の話題は勿論、過去の事をほとんど話さない奥村から出た突然の提案に、高野は少なからず動揺をしていた。
「中学の親友って、どんな奴だ?」
「どんなって……普通の奴ですよ。大学で、こっち来てて……俺、地方出身なんで、大学でこっち来てる友達ってホント少なくて。で、ずっとそいつ就職活動してたんスけど、最近やっと内定もらえたからまた連もうって話きて……いいですよね」
「そうか……幾つくらいだ?」
「幾つくらいって、俺の親友ですよ、俺と同じ歳に決まってるじゃないッスか」
「外見は、どんなタイプだ。背は高いのか、低いのか?」
「俺より高いですから、高い方ですよねぇ。正義さんと違って、ガタイがいい訳じゃないんスけど……って、何すか正義さん? 妙に絡みますね」
「……当然だろう? 急に誰かと遊びに行く、なんて言われたら心配する。……恋人、だからな」
最後の一言は、気恥ずかしさから上擦ってしまったのが自分でもわかった。
だが奥村は、そんな高野の態度も愛しいといった様子で笑う。
「そんな、心配しなくても大丈夫ッスよ……野上、男ですから!」
「普通だったらそれは心配しなくて大丈夫になるのかもしれんが、俺たちの場合それは全く心配しなくて大丈夫の要素にならないんだぞ、知樹?」
「あ、そうでしたね……でも、大丈夫ッスよ。野上、ノンケですからそういう趣味ないし、フラれたとはいえ彼女も居たんで完全ノーマルですよ」
「でもなぁ……」
「それに、野上にはもう俺に恋人出来たって話してありますから……間違いなんておきませんって。心配しなくても大丈夫ッス」
どうやら、奥村はその野上という男を随分信頼しているようだった。
だが、だからこそ言いようのない感情が高野を包む。
それは、高野が知らない中学時代の奥村との時間を共有し、今もなお彼の親友として傍にいる事が許されている野上という男に対する嫉妬だったのだろう。
「オマエがそう言うなら……あぁ、まぁ、とめないが……」
しぶしぶ、といった様子で歯切れ悪く頷けば、奥村の笑顔は苦笑いに変わる。
「もー、そんなに俺が信用できないんすか、高野さん?」
「いや、信用してない訳じゃないんだ。ただ、その何というんだ……」
「だったら、会ってみます? 野上に」
「はぁっ?」
「だから、会ってみてくださいよ。会ってみれば疑惑はなくなるでしょ? それに……実は、野上にも新しい恋人紹介してくれって言われてるんですよ。写真でも見せようと思ってたけど、先輩が来てくれるんなら手間が省けるし。いいでしょ、来てくださいよ!」
「あ、あぁ……」
結局、奥村の提案にのって、その日高野も野上という男に会ってみる事にした。
奥村と、野上は親友同士で中学時代から連んでいた幼馴染みだ。
つもる話もあるだろう。
そんな所に自分が邪魔をしていいのかという思いもあったし、そこに自分が紛れ込んでもまともな会話が出来るとは到底思えなかった。
思えなかったのだが、それ以上に自分の目で確かめたかったのだ。
幼い頃の奥村を知る男。
それが一体、どんな男なのかという事を。
「あぁっ、やられたー、もう終わっちゃったよ、ちぇっ」
軽い舌打ちの後、奥村は重々しい銃型のコントローラーを元の位置に戻す。
奥村より先にゲームを終えていた野上は、笑いながら高野と並んでゲームに興じる奥村の背中を眺めていた。
その間、お互いにほとんど会話はない。
奥村にとっては長年付き合いのある親友だが、高野にとってはその時初めて会う男なのだ、会話にならないのも無理はないだろう。
高野は決して人付き合いがいい方でもないのだ。
これでもう少し歳が近ければ、幾分かするべき話題もあるのだろうが、野上が奥村と同じ年齢であれば高野とは一回り以上歳が離れているという事になる。
何を話せばわからないまま、時間だけが過ぎていた。
「お待たせ、高野さん。そーちゃん」
コントローラーを置いた奥村は、小走りで二人に近づいてくる。
そんな奥村を、野上は片手をあげて笑う事で出迎えた。
「それで、そーちゃん。これからどうする? カラオケ行くなら付き合うけど……」
ゲーセンに行って、軽く食事を済ませた後、カラオケで熱唱をするというのが、事前に奥村が話していた今日の大まかの予定である。
カラオケは、奥村はあまり得意ではないのだが野上の方が随分と得意にしているらしく、野上と連む時は大概シメがカラオケになるそうだ。
例え二人でも、朝まで。喉が掠れるまで歌い尽くす日だって珍しくないのだという。
「そうだなぁ……カラオケもいいけど、それより先にご飯食べに行かないか? ……いいですよね、高野さん」
野上は、高野の顔色をうかがうようにこちらを眺める。
年上である高野を気遣っているのだろうが、それが一層よそよそしさを感じさせた。
「あぁ、そうだな……」
この辺で、何処か美味しい店はあっただろうか。
高野の脳細胞は目まぐるしく回転し、リーズナブルかつ美味い店を脳内で検索する。
だがその答えが出るより先に、奥村は高野の手に絡みつくとその腕を引っ張りながら明朗な様子で言った。
「だったら、ファミレスでいいよね。高野さんも、別にいいだろ?」
ファミレスという場所は、高野の歳だと入るのに少々気恥ずかしさを感じる所の一つではあった。
客層は子供を連れた家族か、学校帰りの女子学生か、昼下がりに時間を持て余したおばさま連中か……。
そういった群衆がほとんどだった為、高野のように独り身の男は好奇の目を浴びがちだったからだ。
だが、奥村くらいの年頃だと逆にそういった雑多な客層のあつまるファミレスの方が落ち着いていられるのだろう。
給料も高野と比べればまだまだ少ない。
高級感漂う店は、逆に入りづらいのかもしれない。
ましてや、野上はまだ学生なのだ。
「……あぁ、わかった。野上くんも、それでいいよな」
「あっ、はい」
頷く野上を横目にし、高野は腕を引かれるままに外に出た。
ゲームをしている間は外の世界から隔絶されていて、全く気付かなかったが、今は小雨がぱらついてきているらしい。
傘をもってなかった俺たちは小走りになると、そのまま近くのファミレスへと駆け込んだ。
まだ夕食にも早い時間だったからだろう。
幸い店内は人が疎らで、俺たちはすぐにテーブル席へと案内される。
人気は少ない。
だが、この街は会社からもそう遠くはない場所だ。
同僚に見つかったら、何か言われるだろうか……。
会社の部下と食事をするのはそれほど珍しい事でもないだろうが、部下の友人も交じって食事をするというのは部外者からみたらどう映るのだろう。
それに、ファミレスの店員も自分たちの事をどうやってみているのだろうか。
二十歳そこらの学生風な男をつれた自分が、まさか友達には見えないだろうが……。
「じゃぁ、そーちゃんはコレでいいんだね。俺は……あ、高野さんこれ注文しておきますね」
あれこれ考えてしまい周囲の様子を伺う高野をよそに、奥村はいつもと代わりのない様子で注文を済ませると。
「じゃ、俺ドリンクバーで何かジュースとってくるから……そーちゃんと、高野さんの分も適当に選んでもってくるよ。任せて!」
そんな事を言って、早々に席を立ってしまった。
テーブルには、高野と野上が対面した状態で残されてしまう。
お互い、奥村の知り合いではあるが今日が初対面だ。
何を話したらいいのだろうか……いや、話すといってもこっちの話題は、天気の話題くらいしかないのだが。
「面倒見いいというか……マメでしょう?」
何を話したらいいのかも定まらず、ただ沈黙に身を預けていた高野より先に、野上がその沈黙を破った。
「面倒見……?」
「トモ…………奥村の事ですよ。あいつ、マメで色々な事するでしょ。掃除したり、メシつくったり……」
「そうだな……おかげで、以前より食生活がよくなった」
「でしょう? 昔っからそうなんですよ、マメというか、よく気付くというか、気を使いすぎるというか……尽くすタイプなんですよね、アイツ。だから無理してないか心配で……無理してないですか?」
無理してないか……そう聞かれ、高野は普段の奥村を思い返していた。
多少の無理難題でも「いいっすよ」の一言で引き受け、遅くまで残って仕事をする後ろ姿……家に帰ってからも「暖かいもの一つくらいあった方がいいっすから」なんて笑いながら、料理をつくる姿……。
……無理をさせているのかもしれない。
勿論、なるべく無理はさせない為に、その都度自分がフォローにまわっているのだが。
「……無理をさせるつもりはないんだが、何かと無理をしたがる奴だからな」
「そうですよねぇ……トモの奴、チャラく見える割には自分が頑張らないとって無理する所ありますから……」
と、そこで野上は言葉を切ると、上から下まで。まるで値踏みでもするかのように、高野を観察しはじめる。
「……何だ、俺に何かついてるか?」
その視線が何だか気恥ずかしくなって問いかければ、野上は慌てて頭を下げた。
「あっ、すいません不躾にじろじろ見るような真似して……いや、でも何というか……トモの今度の恋人は、今までと違ってその……遊んでる風じゃないな、って思いまして……トモ、年上好きだけど何かちょっと、遊ばれてんじゃないかなぁって人に引っかかる事結構あったから……」
「……そうだったのか?」
「優しくされちゃうと凄く弱いんですよ、アイツ。だからそういう所につけ込まれて……みたいなのが多かったんで、今度のはどんな奴かなぁって内心ちょっと心配だったんですけど、高野さんなんかすげぇ真面目そうで……何か、ちょっと安心しました」
野上は僅かに笑いながら、紙おしぼりで丁重に手を拭く。
「……トモは、小さい頃から色々あって……ずっと一人だった。自分で、そう思っている所があるんですよ。だから、昔から……求めちゃうんでしょうね、年上の相手に、家族みたいな感情を……それを失いたくないから、頑張っちゃうんですよ、きっと」
野上は昔を懐かしむかのように目を細め語る。
本人は何気なく零した言葉のようだったが、それは全て聞き流せるような話ではなかった。
「昔、何かあったのか。奥村に……」
すかさず問えば、野上は一瞬キョトンとした顔をみせたが、すぐに自分の失言に気付いたのだろう。
苦笑いになりながら、自分の頭を掻く。
「あぁ、ひょっとして何も聞いてないんですか。奥村から……家族の事……」
「……あぁ」
実のところをいうと、奥村が家族の話題を避けているのは高野も薄々勘付いていた。
今年のゴールデンウィークに、里帰りもせず高野の家に入り浸る彼に問いた事があったからだ。
『里帰りしなくてもいいのか、オマエは……たしか、地元はこの辺りじゃないだろう。折角の長期休暇だ、親御さんに顔くらいみせにいったらどうなんだ……』
あの時は、たしかそんな風に聞いた気がする。
だが、奥村はその問いかけには答えず、ただ寂しそうに笑うと、『大丈夫ですよ』とだけ繰り返すのだった。
その時から漠然と、奥村は家族と何かあるのだろうと思っていた。
だがその漠然とした思いが、友人である野上の言葉で確信に変わる。
……奥村はいったい、何を隠しているのだろうか。
「……トモが、高野さんにそれを言ってないんだとしたら、俺の口から言える訳ないですよ」
暫くの沈黙の後、野上はそう呟いた。
親友として、当然の事だろう。
高野もそれ以上追求する事なく、静かに頷くだけに留めた。
「お待たせー、はい。高野さん、アイスコーヒーでいいですよねっ。そーちゃんは、コーラ。そーちゃんはいっつもコーラ」
手際よくグラスを並べる奥村の笑顔は、相変わらず温かい。
「ありがとう、奥村」
「いえいえ、どういたしまして!」
グラスを受け取る、指先と指先が触れる。
奥村の指先はその笑顔と同様に、何処か温かかった。
食事を終えた俺たちは、30分ほど他愛もない話をし、ゆるゆると外に出る。
店に入る以前はぱらついていた程度の小雨だったが、今は多少だが雨足が強まっているようだった。
「思ったより、雨が強くなってきているようだな……」
このファミレスは仕事場からも近く、近所には見知った顔も多く住んでいる。
面倒な言い訳はしたくなかった俺は出来れば知り合いに会いたくない気持ちから早く席を立ちたかったのが本音だが、これならもう少し店内でくつろいでいた方が良かったか。
最も、後悔してもすでに会計は済ませてしまったのだが……。
「コンビニで傘でも買いに行くか?」
高野の提案に、奥村は少し野上の様子を伺ってから静かに首を振った。
その手は高野の袖を僅かに握っている。
「ここから、カラオケ屋までなら走っていけば一気にいけますって、なぁ、そーちゃん」
「ん、あぁ……」
「あれ、そーちゃん?」
声をかけたが、野上は心ここにあらず、といった印象で雨が降り注ぐ空を苦々しく見つめているだけだった。
「どうしたんだよ、そーちゃん。どっか、具合悪いのか?」
「んっ……あぁ、いや、具合が悪いって訳じゃないんだ。けどさ……雨も降ってきたし、俺そろそろ帰ろうかな。と思って……」
「えっ、もう帰るのかよっ、カラオケも行ってないのに、オマエ、本当にそーちゃん?」
「本当に総史だよおい、俺の中に他の誰かが入っているとでもいうのか全く……いや、たださ、久しぶりにトモに会えたし、それに……」
と、そこで野上は高野の方に一瞬だけ視線をやると、穏やかに笑って見せた。
「それに、今日は俺がちょっと邪魔なんじゃないか、って思えて。な?」
「な、何言ってるんだよぉ、そーちゃん全然邪魔じゃないって、ね。高野さん? そーだろ、高野さん」
高野は無言のまま頷きながら、邪魔だというのなら多分自分の方だろうなと漠然と思っていた。
だが野上は笑顔のまま首を振り、軽く奥村の肘を小突いて見せる。
「何いってんだよトモ、おまえずーっと高野さんばっかり見て俺なんかほとんど構ってねー癖によ」
「べ、別にそんな事っ……」
「ガンシューだって普段は俺より下手なくせに、今日はいい所見せようって妙に張り切ってたんじゃねぇのか?」
「あっ、べ、べ、別にそんな事ないって、ほんとだって!」
奥村は否定するが、耳まで赤くしているのを見ると野上の指摘も強ち間違いではなかったのだろう。
最も、折角張り切ってくれたのはいいのだが、その魅力が全く高野に伝わってないのは少々問題だろうが……。
「とにかく、気を使わなくてもいいからさ! いいよ、いこう。そーちゃんカラオケ行きたいんだろっ!」
「ホントにいいんだって、俺はトモが元気そうな姿見れてまぁ安心だし、それにさ」
と、そこで野上は何かを奥村に耳打ちする。
すでにうっすら赤くなっていた奥村の頬が見る見るうちに紅潮していくのが分かった。
「なぁっ、何いってんだよそーちゃっ……俺っ、そんな事言われても……っ」
「何だよこの程度で赤くなっちゃって、本当にトモは子供みたいな所があるよなぁっ」
「だって、急にそーちゃんが変な事っ……」
「あはは……はい、高野さん」
野上は軽く奥村の背を押して、半ば強引に高野の方へと寄せた。
勢い付いて足下がふらつく奥村を、支えるように高野が抱き留める。
「トモの事……奥村の事、よろしくお願いしますよ。それじゃぁ!」
そこで野上は嬉しそうに笑うと、何か言いたげな奥村をよそに雨の中を颯爽と駆けだしていった。
「もう、何いってるんでしょうねっ、野上の奴っ……」
奥村は頬を赤くしたまま一人でそう抗議するが、野上の発言を知らない高野は頷く事も出来ず適当に相槌をうつに留まる。
それより、雨足はさらに強まってきた方が高野は気がかりだった。
鞄の中に傘をいれておいたか……。
手持ちのバッグを探れば、幸いな事に折り畳み傘が一本だけ入っていた。
「……よし、あった。傘、一本だがあったぞ知樹。入っていくよな?」
「えっ、大丈夫っすよ……家までそんな遠くないじゃないですか、俺は濡れてても平気ッスから」
「二人とも傘がないならそれでいいが、俺がもっているのにわざわざ濡れる必要もないだろう? さぁ、入っていけ」
そう言いながら、高野は傘を開く。
大人一人が入るのには充分な大きさの傘ではあるが、高野の身体が大きいからか、傘はやたらと小振りに見えた。
「何処か寄りたい場所はないな、知樹?」
「あっ、はい……」
「よし、それならこのまま帰るぞ」
ここからなら、高野の家まで15分程度だ。
雨が降っているからいつもより足取りが遅くなったとしても、30分はかからないだろう……濡れたくない気持ちが先走り、やや早足になる高野。
その後ろを、奥村は辿々しい足取りで付いてきた。
「どうした、知樹? 具合でも悪いのか。そんな遅いと、雨に濡れるぞ?」
「べ、別に具合は悪くないっすよ! ただ、えーっと。その……」
「どうした、ちゃんと俺にくっついてないと……それでなくても、傘はそんなに大きくないんだ、濡れるぞ?」
「でもっ、その……あ、あんまりくっつくの、恥ずかしいんスよ!」
それまで散々、腕に絡みついたり袖を握りしめたりとくっついてきた癖に、何を今更と思う。
「さっきまで、散々ベタベタしていた癖に、何をいまさら……」
思うだけではなく、つい言葉としても漏れていた。
そんな高野の腕を軽く叩くと、奥村は耳まで赤くしたまま答える。
「だ、だぁって、さっきまではそーちゃんも居たけどっ……今は、二人っきりじゃないッスか。俺、最近ちょっとダメなんすよ……二人っきりとか、意識しちゃうと、何というか……」
奥村はそんな事をいいながら、指先をもじもじと弄ぶ。
全く、奔放に見えて妙な所で奥手な所がある男も居たもんだ……。
「いいから、傍にこい。濡れるぞ」
「でぇっ、でもぉ……」
「いいからこっちに来い」
動こうとしない奥村にかわり、高野はその手をとるとすぐ傍に抱き寄せる。
「……あっ、だ、ダメですよ正義さぁっ……近すぎて、心臓の音聞こえちゃ……それに、俺ら男だし。ヘンに思われちゃいますよ……?」
「こんな雨の中だ、顔まで見てないだろ」
「で、でもぉ……」
「黙ってもっとくっついてろ……その方が気付かれないだろうし。俺は……オマエと、こうしていたいんだからな?」
「あっ……は、はい!」
奥村は促されるまま腕に絡みつき、高野はそんな奥村に傘を傾ける。
「知樹…………」
隣にある奥村は、多少の気恥ずかしさもあるのか。その体温はいつもより温かく感じる。
だがその向ける笑顔は普段と変わらない、いつもの奥村そのままだ。
普段と変わらない奥村。
だからこそ、高野は野上の言っていた言葉が気にかかっていた。
『ひょっとして何も聞いてないんですか。奥村から……家族の事……』
野上はたしかにそう言っていた。
この笑顔の奥で、彼は一体何を隠しているのだろうか……。
気にかかる事は、気にかかる。
もしそれを、自分が背負える事が出来るのなら背負ってやりたいのだとも思う。
だがそれを……今まで一時も語ったことのないそれを、自分が無理矢理掘り起こしていいものだろうか…………。
「知樹」
「何すか、正義さん?」
「……オマエが、昔何があったのかは知らない。だけど……もし、話していいと思ったら、聞かせてくれないか?」
「えっ? な、何いって……あ、そーちゃん。そーちゃんに何か言われたんスか? 俺、別に……」
「……俺も背負えるなら、背負ってやるから。一人で、あまり抱えこむな」
「あ……は、はいっ! いつか……その時が来たのなら……」
奥村は頷くと、高野の身体により強く絡みつく。
降り注ぐ雨の中。
奥村の親友との出会いと、その雨が、二人の距離を確実に縮めていた。