この世の中、神も仏もないなんて言葉があるけれど、僕はそうは思わない。
少なくても、神はいる。
そう。
築35年、6畳、風呂、トイレ付きでロフト付き。
都会の片隅にある僕の小さな城には、神様が住んでいるのだから。
「はぁ…………まだいるのかな、アレ…………」
ポケットの中で鍵を弄び、暫く部屋に入るのを躊躇う。
できればもう、僕の所にいるのは飽きて居なくなっていてくれればいいんだけれども……。
「……ただいま」
覚悟を決めて扉を開ければ、部屋の奥……たった6畳の僕の部屋から、一人の少年が飛び出してくる。
「おぉ! ようやく帰ってきおったのか、若造……遅かったのぉ、待ちくたびれたわ! さぁて、ワシは非道く腹がへっておるぞ。今日は何を馳走してくれるのかぇ? ……現世のメシはうまいでな、今一番の楽しみじゃて」
背丈は、僕の腰程だろうか。
幼い顔立ちと無邪気な笑顔は、ほとんど少年といって差し支えない。
だけどその真っ黒なほとんど黒目だけの瞳が。
色白を通り越して、青白い肌にある鱗が。
両手首、足首にはヒレを思わせるひだが。
その頭にある二股にわかれた角が。
彼がただの少年でないのを物語っている……。
1000年前、封印された龍神。
彼は、自分の事をそう話していた。
……やはり、まだ居たか。内心で僕はそう呟く。
最も、彼に他に行く場所なんてないのだろうけれども……。
「一応、メシかってきましたよ。人間の僕が食べるモノなんで、神様の口にあうかわかりませんが……」
「気を使わなくてもよいぞえ。ワシも封印生活中はよく、供物の菓子などを食っておった……人が作るものは食事も、酒も、なかなかに美味じゃと思うておる。何でも有り難く頂こうぞ」
少年は僕の腕からビニール袋をとると、中身を興味深げにのぞきしきりに鼻をひくひく動かす。
そしてすぐに揚げたての唐揚げを見つけると、それを取り出し頬張った。
「おお……ほんにいいニオイがすると思うたが、味も美味じゃのぉ……これは、これは、何と申す?」
「唐揚げ、です……鶏肉を、油であげた奴……」
「ほぅ、ほぅ! からあっげとな……鶏肉とは、鶏の肉かえ? ……うまいのぉ、1000年前は味気ない食事ばかりじゃったが……今の食事はほんに、ほんに美味じゃ……」
感嘆の吐息を漏らしながら、少年は言う。
ほとんど黒目だけの瞳は、じっと僕の姿を捉えていた。
……僕がこの「神様」と出会ったのは、今から10日ほど前の事だ。
仕事でも、私生活でも失敗ばかりだった僕……。
この流れをかえようと思ってふと、立ち寄った神社で、僕の不注意で壊してしまった塚……。
そこから、出てきたのが「彼」だった。
彼は自分の事を「1000年前に封印された龍神」といい、封印を解いた僕に運気を授けるといった。
でも、力が戻ってないらしく子供の姿にしかなれないようで、今はこんな人と龍の間みたいな格好をしているのだ、という。
封印された龍だなんて、漫画みたいな話だけど……。
今、目の前にいる少年の姿は、おおよそ人間とは思えない。
それに、僕は見ているんだ。
僕の何倍もある巨大な龍が、僕の目の前でこの少年になる所を……。
だから僕はいま、彼を家に置いている。
神様だから御利益があるかも! というよりも……バチがあたるのが怖い、というのが本音だ。
それに……彼も1000年ぶりに人間の世界に戻ってきたらしい。
何かと分からない事だらけで不便だろうと、心配になってしまったのだ。
「ふぅ……馳走になった、ワシは満足じゃ!」
僕が買ってきた食べ物を、ほとんど全部食べ尽くして、龍神様はごろりと横になる。
彼は、見た目こそ小さいけれども食事の量は大人並……いや、牛馬並だ。
この調子で食べられたら……。
僕の給料が食費で潰される日も、そう遠くないのかもしれない。
だが、今日は満足したらしい。
とりあえず一安心か……と思ったら。
「そうじゃ! おい人の子よ……甘味は?」
「えっ?」
「だから、甘味じゃ! ……ないのかえ? ワシはたまに供物で、おはぎというモノやら饅頭というものやら食しておったが、どれも美味であったぞ! ……ワシはあれを所望する。甘味をくりゃれ?」
……どうやら彼の食欲はまだ、満たされていなかったようだ。
でも……和菓子とは、こまったな。
甘いものは嫌いではないけれど、和菓子なんて普段はあまり食べない……和菓子のストックなんてないのだけれども。
「和菓子はないですけど……コレなら」
仕方なく、僕は以前買っておいたデザートを取り出す。
シュークリームだ。
……和菓子ではないが、甘味であるには違いない。
気に入ってくれればいいのだが……。
「何じゃ、これは」
見慣れぬ菓子を前に出され、彼は露骨にイヤそうな顔を向けた。
「シュークリームですよ」
「しゅーくりん、とな? ……モナカではないのかえ? わしは、饅頭が食べたかったのじゃが」
「モナカや饅頭が所望なら今度買ってきますから、ひとまずこれを……甘いですよ」
「むぅ……そなたが、甘いと申すのならきっと甘いのじゃろうが……ほんに、これが饅頭のように甘いのかのぉ……ふわりとした雲のような見た目の、何とも珍妙な食べ物じゃて……」
やはり見た事もないものを食べるのには抵抗があるのだろう。
「中にカスタードクリームが入っていて、甘いですよ」
「かすたっど? ……ふぅむ、そなたが申すなら食べてやってもよいが……」
と、そこで全身の毛が逆立つような気配が少年の周囲から発せられる。
……これは、殺気だ。
焼け付くような殺気……。
「もし、ワシを騙し甘うもないモノを喰らわすような真似をすれば……ワシが黄泉路へつくより先に、そなたの命が潰えるものと思えよ……」
……たかだか甘味で何で僕が命を賭けなきゃいけないんだ!
「ちょっ! まってください龍神さま! そ、そんなに饅頭がいいなら、僕ちょっと買ってきますから……」
僕だって、シュークリームが甘くなかっただけで殺されたくはない。
それだったら確実に所望している饅頭を納めた方がよっぽどマシだ。
そう思って留めるが、僕が留めるより先に彼はシュークリームを一口で平らげてしまった。
「はむっ……ふむぅ。はむぅ……ほう……ほぅ……」
食べてしまった。
そうなれば、もう僕は彼がこの味を気に入ってくれるよう祈るしかない…………。
シュークリームは甘いから、甘みを求めているなら許してくれるだろう。
でも、もし彼の口に合わなかったら……。
生唾を飲み込んで、僕は彼の所作をただ見守っていた。
「……これはッ」
程なくして溢れるような気迫が、僕の毛穴を逆立たせる。
これは、闘気だ。
この闘気……よもや、この味が気に入らなかったのでは。
そして今すぐにでも、僕を叩きつぶす気なのでは……。
……思い返せば24年。
いい事も悪い事もあったけど、何よりしでかした事の多かった僕がまさかシュークリームで殺されるとは……。
……父さん、母さん今まで育ててくれてありがとうございました。
こんな下らない事で死んでしまう息子を許してください……。
覚悟を決めて手をあわせる僕の方を、龍神様は振り返ると。
「……………うまい!」
ただ一言そう語り、ふわりと宙を漂い始めた。
「この甘味! この歯触りに舌触り! 滑らかかつとろけ落ちそうな甘み! 優しさ! ……どれも一品じゃ! 素晴らしい、素晴らしいのぉ人の子らは。ワシが寝ているたかだか1000年の間に、斯様な美味なる甘味をつくりおったわ!」
よほど気に入ったのだろう。
龍神様は、先ほどから地に足をつけるのも忘れ、ふわふわと室内を飛び回っている。
……どうやら、殺されずに済んだらしい。
僕は安堵の吐息をはくと、ただその場に力無く座り込んでいた。
「人の子よ! ワシは、もっとこの甘味を楽しみたいぞぇ!」
かと思うと、不意に龍神様の無垢な笑顔が僕へと向けられる。
そんな事言われても、もうシュークリームのストックなんて無いのだが……。
「ちょ、まってくださいよ龍神さま。そう言われても、冷蔵庫にもうシュークリームはないですよ」
「もうないのかえ? この素晴らしき甘味が、もうないのかえ……?」
「明日かってきますから。明日……ね?」
「人の子よ…………ワシは1000年の間、貴様ら人の子に封じられるという辱めを味わった身……その上、この甘味を味あわせぬ、というのかえ?」
「いえ、別にそういう訳じゃ……ただ」
「ワシの望みが聞き届けられぬというのであれば……ワシも相応の事をせねばならぬでな?」
一時は収まったと思った殺気が、再び解放される。
一難去ってまた一難とはよくいったものだが……この方、少々気紛れすぎやしないだろうか……!?
「わ、わかりましたよ! 買ってきます。買ってきますよ……!」
僕は泣く泣く財布を手に取ると、逃げるように夜の街へ、シュークリームを求めて彷徨う事と相成った。
家に住まう龍神様、その逆鱗に触れない為に…………。
近所にあるコンビニや空いてるスーパーに飛び込んで、そこにあるシュークリームを片っ端から買い込む作業に従事していたら、帰宅する頃にはすっかり夜も更けはじめていた。
「……これだけあれば、龍神様も満足するだろ」
ビニールの中には、50個近いシュークリームが詰め込まれている。
コンビニに入り、あるシュークリームをほとんど買い占めるを繰り返した結果の戦果だ。
財布の中は大分痛手ではあったが、ひとまず龍神様のお怒りが収まるなら安い買い物である。
……これで足りるといいが。
僕はポケットの中にある鍵を弄ぶと、祈るような気持ちを抱きドアを開けた。
「ただいま、龍神さま。はい、買ってきましたよ、シュークリー……」
「遅ぉいいいっ! 遅いのぉ、人の子はぁぁっ!」
すぐに、龍神様の声が僕の耳をつんざく。
だが、その声には怒気は感じられない……。
不思議に思って部屋を見れば、僕の部屋あちこちにビール缶やらチューハイ缶やら、酒の缶が転がっている。
缶だけじゃない。
正月にでも飲もうと思って、大事にとっておいた先輩からもらった上等の日本酒まで開けられている……。
「何やってるんですか、龍神さま。酒っ……これ、僕の! 秘蔵のっ……楽しみにしていたのに!」
「良いではないか……酒など飾って見ていても何にもならぬぞ? このように、飲んで楽しまねばな!」
「……何で僕の酒勝手に飲んでるんですかっ! 龍神様の外見は、今は人間の子供くらいなんだから見つかるとマズイですよ。だから、お酒飲んだら駄目って普段から言ってるじゃないですか……大体、1000年前も酒で失敗して人間に封印されたんじゃなかったんですか?」
「一々煩い奴じゃのぉ……ワシの女房でもあるまいし……」
龍神様は、ふてくされたようにそう言いながら、部屋の中を漂いながらゴロゴロと寝転がる。
今は随分気を抜いてるらしく、普段はしまっているはずの長い尻尾まで出しっぱなしになっていた。
(大体、龍神様が空を飛んでいる時点で大分気を抜いている時だ。普段はこの人……人ではないのだけれども……は、無闇に自分の正体を暴かれるのは嫌うので、自分が神であるといった行動は滅多にしない)
「女房じゃないですけど、今は一応は貴方の保護者ですからね……はい、コレ。遅くなりましたけど、シュークリームです。足りるかわかりませんけど……」
「おお! しゅーくりんまでかって来てくれたのかえ! ほんに、ほんにそなたはワシの喜ぶ事ばかりしてくれるのぉ……!」
ふわり、ふわりと宙を漂いながら、龍神様は僕の首もとへ絡みついてくる。
「……そなたに、褒美をとらすぞ。受け取るがいい」
柔らかな吐息が、僕の頬を撫でる。
少し、酒臭いな……そう思っていた僕の唇に、柔らかな感触が触れた。
龍神様のご褒美である、彼の柔らかなキスだ。
「ワシの唇が加護は、あらゆる邪気を打ち払う力があるぞえ? ……光栄に思うがいい」
「あ……」
突然のキスに戸惑う僕を前に、龍神様は悪戯っぽく微笑む。
「さて、それではお主が買ってきた甘味、楽しませて頂こうかの……さぁ、しゅーくりんをくりゃれ!」
「あっ……待って下さいよ龍神様。一度に全部食べちゃ駄目ですよ、少しずつ……」
「馳走になるぞえ! それ、あーん……」
「だから、一度に全部食べちゃ駄目ですってば!」
……突然現れた彼は、気紛れでワガママで尊大で。
僕の事なんて、召使い程度に思っているのかもしれない。
だけど、それでも。
「ほら、そなたもどうじゃ。一つ……」
「元々、僕が買ってきたものですよ。それ……」
「ワシに献上されたのじゃから、もうワシの供物じゃ……何なら、口移しでお主に与えようかえ?」
「何いってるんですか、全く……」
それでも、彼といるこの時間は何処か温かく、彼のワガママに振り回されている時も案外に楽しいから。
「……でも、龍神様がそのおつもりでしたら、お願いしちゃいますかね。出来ますか、口移し」
「何ぞ! ……本気かえ?」
「龍神様が仰ったんですよ?」
「そうじゃが……全く、仕方ないのぉ。お主は、特別じゃからな?」
だから僕たちは自然と触れあう。
たまに龍神様が気紛れすぎて、殺されると思う事もあるけど……。
「ん……」
触れあう肌は人のそれとは違う、鱗に包まれた彼の身体は人のそれとは大きく違う。
けれども、触れあう唇は今日も温かい。
……一緒にいる事で苦労も多い、秘密ばかりの契りだけれども、それでも僕は幸せだった。
「……ほんに、甘い唇じゃの。ずっとお主の口を吸い続けていたい位じゃ」
傍らにある笑顔は、苦労よりも多くの温もりを僕にくれていたから。