>> 恋人モード





 最近、随分と色気づいてきたとは思っていた。


 「おい、オマエさ。たしか格好いい服もってたよなっ! オレ、ちょっと着てみたいんだけど、貸せよ! ……駄目っていっても、もう着ちゃってるけどなっ!」


 オレのクローゼットを勝手に開けては、シャツやパーカーを勝手に引きずり出し着る。

 その殆どがアイツの身体には大きすぎる衣服で、指先も見えない程にダボダボ。
 ズボンはゆるゆるな上、まるで時代劇に出る大仰な袴のように裾を引きずる程に長い為、実際俺の服を着て外に出る事はないのだが、それでも大人の服を着ている自分が、何となく楽しいのだろう。


 「やっぱ、このワイシャツにはシックなジャケットが似合うよなぁ……こっちのシャツには、パーカーが似合う。どっちも格好いいなー。なぁ、オマエさ。どっちが格好いいと思う?」


 そんな事を呟きながら、鏡を使って自分の姿を映し大はしゃぎするのがアイツの、最近の日課となっていた。

 勿論、全身が映る大きな鏡も俺の私物になる。
 アイツは日曜くらいゆっくり寝ていたい俺の気持ちなど関係なく、俺の部屋へと乗り込んでくると音をたて勝手にファッションショーを始めるのだ。


 「よっし、今日はパーカーにカーゴ……おい、見てるのかオマエ。どうだ、俺、格好いいだろ!」


 今日も朝から俺の、大きすぎる服を着てご機嫌になりながらベッドのまわりをバタバタ走り回っていた。
 ……このままアイツの好きにさせていたら、俺の安眠が無くなる。

 俺は、先日のバイト代が振り込まれたのを思い出すと徐に起き上がり、新しい服を物色しはじめるアイツの腕を掴んで止めた。


 「なぁっ、何すんだよ! 痛ぇだろ、ばーか!」
 「……服を脱げ」

 「服を脱げって、何言ってんだオマエ! 脱いだら裸になっちまうだろー、何だ、おまえそういう趣味あったのか。この変態! 変態変態へんたーい!」
 「違う! ……俺の服を返せって言ってんだ。それで、自分の服に着替えろ」

 「えー。やだやだやだ、折角俺格好いい服着て楽しんでるんだぜ。子供の無邪気な楽しみ、取るつもりかよ!」
 「子供だからって何でもしていいって訳じゃないんだ! ……わかったらとっとと自分の服に着替えろ。今から……オマエに、服を買ってやるからな」

 「えっ?」


 俺の言葉に、アイツは暫く目を丸くして立ちつくす。


 「何だ? ……こんな服が欲しかったんじゃ無ぇのか? いいぜ、小遣いあるから買ってやる」
 「え、えっ。ま、ま、マジで? いいの?」

 「あぁ。そのかわり……もう俺の部屋で、自分の身体にゃ到底会わないようなぶかぶかの服を着て遊ぶんじゃねーぞ? その約束が守れたらだけど、出来ンな?」
 「う、うん! 出来る出来る! やるやる、オレやりまーす! そっか、兄ちゃんが服買ってくれるのか……」

 「分かったら仕度しろ。すぐに出発するからな」
 「おう! 兄ちゃん、ありがと!」


 アイツは俺の服を脱ぎ散らかすと、自分の部屋へと戻っていく。


 「おい、片づけくらいしろ! 全く……」


 しかし、服を買ってやるといったらあの表情の変わりよう。
 まだまだガキだと思っていたが……そろそろ遊びより恋に興味を持つお年頃何だろうか。


 「好きな人でも出来たかねぇ……」


 俺が脱ぎ散らかした服を片づけ終わったのと、アイツの仕度が終わったのは殆ど同時だった。


 「準備できたー! 兄ちゃん、行こーぜー!」


 短パンにスニーカーとトレーナーは、この周辺に住んでる同じ年頃の子供なら大概している服装だ。
 だが、アイツは他の子供達より若干小柄な為、年齢より一層幼く見えた。

 このガキっぽい姿が、俺の行きつけの店で幾分か大人っぽくなるのだろうか。
 そもそもあの店に、コイツのサイズがあるのだろうか……。

 疑問に思いながらもアイツと出かける。
 思えば、大学が始まってから数ヶ月……授業の忙しさに加え、バイト生活をしている事もあり、コイツに構う機会もすっかり少なくなっていた。

 こうして、ゆっくり二人で出かけるのも久しぶりな気がするが……。


 「でな、兄ちゃん。オレ、駅前のゲーセンで、音ゲー一回100円で出来る店見つけたんだけどさ!」
 「オレとしては、やっぱりカップ麺といったらカレー味! これは外せないんだよ」
 「最近結構凝ってるゲームがあるんだけどさ。兄ちゃん、今度勝負しようって。あれ絶対面白いから、兄ちゃんでもハマるからさ!」


 ……話す事といったらいつもと代わりがない。
 ゲームや漫画、アニメの話題か食べ物の話ばかりだ。

 色気付き、格好良くなろうと服に気を使う……。
 異性を気にする年頃にはなったが、中身はまだまだガキだって事か。


 「で、オマエさ……誰が好きなんだよ」


 会話がゲームの話題から漫画の話題に移行しはじめた頃、俺は何気なくそう聞いてみた。
 そのとたん、アイツの顔が面白い程に赤くなる。


 「ばぁっ。な、な、な……何突然聞いてんだよ、オマエ! そんっ。そんな、言える訳ねーだろ、ばーか! ばーか!」
 「別にいいだろ、減るモンじゃなし……それに、俺の知ってる奴なら人生の先輩としてアドバイス出来るかもしれないだろ。これでもオマエより先行ってるし。どうだ、幼馴染みの梨花ちゃんか? あの子可愛いよなー、いかにもお嬢様って感じだし、胸小さいけど足なんか綺麗だし」

 「ちがっ……違うし! 何だよ兄ちゃん、芹沢の事そんな目で見てたのかよー……ロリコンか?」
 「ロリコンって失礼な奴だな……だが、違うのか? じゃぁ、この前ゲーセンで知り合ったとかいう、若葉って子かな? あの子たしか結構胸あったし、活発そうで……俺は結構好みだけど」

 「何だよ! オマエ、女の子ばっか見てんだなー! すけべ! エロ! 変態!」
 「おっぱい見るのがスケベだったら、男はみんなスケベだろうが……しかし、誰なんだ。俺が知ってる奴か? なぁ、教えろよ」

 「誰が教えるかよ、ばーか! ばーか!」


 アイツは急に真っ赤になって俯くと、俺を振りきるように走り出し先にある街へと走っていった。
 全く、あんなに赤くなるほど恥ずかしがるなんて、やっぱりまだガキだな……。


 「おい、そんな急ぐと転ぶぞー?」


 小さくなりはじめた背中の後を追い、俺たちは賑やかな繁華街へと入っていった。


 「おー、すっげー。すっげー人がいるなー、な、兄ちゃん。何処の店がいい? どこの店行く?」


 普段、自分の住んでる場所から自転車で行ける距離までしか移動しないコイツは、近場でもこの繁華街にはほとんど来た事がないようだった。
 立ち並ぶ店は最近流行だという斬新な色使いのシャツやズボンを所狭しと並べている。

 いつも服よりゲームや漫画ばかり買っているコイツには、さぞ面白い光景に見えたのだろう。
 キョロキョロとしきりに辺りを見回しながら「すげー、すげー」と呟くアイツの姿はまるでお上りさんを見ているようだった。

 だが、やはりこのあたりの店だとアイツのサイズにあう服はなさそうだ。
 ……仕方ない、少し危険だが奥の通りまで行くか。

 俺は無言のままアイツの手を掴むと、少し乱暴に手を引いた。


 「うわっ! ちょ、何すんだよ、急に手なんかっ……手なんか、繋いでさ……」
 「いいだろ? ……今から行く店はちょっと奥の路地にある。人混みをかき分けて進まなきゃいけないし、危ねぇ奴も一杯居る場所なんだ。だから、俺の手を離すなよ。迷子になっても知らないからな」

 「何だよ、迷子になんかなるかよ! オレ、ガキじゃねーし!」


 アイツはそう言いながら、オレの手を振りほどく。

 ……もしはぐれた時、トラブルにでも巻き込まれたりしたら大変だ。
 そう思って気を使ったつもりだったが、どうやらかえってアイツの機嫌を損ねたらしい。

 子供の癖に、子供扱いをされるのは嫌だったようだ。
 いや、子供だからこそ、か。


 「迷子になっても知らないぞ?」
 「な、な、ならねーよ! 言っただろ、オレもう子供じゃねーんだぞ!」

 「……わかったわかった。その代わり、しっかり俺についてこいよ」
 「わかった!」

 「もしはぐれたら、俺の電話番号は知ってるな?」
 「知ってる! けど、はぐれるかよ! 何度も言わすんじゃねーよ、オレ、子供じゃねーかんな!」


 子供じゃない、を主張するのは子供のする事なのだがそれを指摘するとかえってややこしい事になるだろうから、俺は黙って歩く事にした。
 人混みに注意しながらゆっくり歩けば、あいつも人をかき分け進む。


 「おい、遅いぞオマエ。でっかい癖にトロいんだなー……足短いのか?」


 そんな悪態をつく余裕もあるようだ。


 「何だ、このガキっ……人が優しくしてやればつけあがりやがってなぁ……わかった、もう少し早足で行く。ちゃんとついてこいよ!」
 「おう!」


 ……だが、そこで俺も年甲斐なくムキになったのはいけなかった。

 人混みをかき分け右左。
 俺にとっては慣れた道筋だ。この人混みも、いつもみる雑踏にすぎない。

 だが、俺より小柄なアイツにとっては周囲に壁が迫っているのと同等の感覚だったのだろう。


 「随分静かだなぁ、ちゃんとついてきてるか?」


 振り返った時、アイツの姿はすでにそこにはなかった。


 「おい……おい、何処にいったんだ? 迷子にはならないって言っただろ?」


 最初はふざけて隠れているだけだと、そう思ったのだがすぐにそんな利点アイツにない事に気付く。


 「……しまった、おい。何処いった。返事しろ!」


 俺は慌てて来た道を戻り、アイツの姿を探しはじめた。
 携帯電話にはまだ、着信はない。

 姿が見えなくなったとはいえ、まだそう時間はたってないはずだ。
 この辺に居るとは思うのだが……。


 「すいません、この位の背丈で……短髪でハーフパンツの子供。見かけませんでしたか?」


 駄目で元々の勢いで、店先に出ている店員に問いかける。
 これだけの人通りだ、見てないと思ったのだが。


 「あぁ、その子か。うん、見たよ……裏路地の方に、アンタくらいの背の男と歩いていたけど……ツレの子供、ちょっと怖がってた風に見えたから少し気になってたんだよね」


 街頭に立っている人間はそれほど人など見ていないと、俺は勝手に思っていたがどうやら案外と見ているらしい。
 ……子供が怯えている風に見えたなら、一声かけて欲しいものだが今はそんな事も言ってられない。
 覚えていてくれただけ感謝しよう。


 「ありがとうございます!」


 俺は簡単に礼を言うと、男が指し示す裏路地へと走っていった。
 たしかこの道は、袋小路だったはずだ。見つかればいいが……。


 「やだ! やだやだやだ、何すんだよぉ……止めっ……」


 姿を見る前に、アイツの声がした。
 よかった、どうやらアイツはここに居る。はぐれたと思ったが……何とか見つかったらしい。

 だが、事態は思ったより深刻だったようだ。
 俺の目に入ったのは、大柄な男に半ば強引に押さえつけられているアイツの姿だった。

 ……仲間らしい姿は見ない。
 だが、男の手には刃物のような何かが握られている。
 怯えるアイツの顔が壁に押しつけられているのが見えた。

 とっさに思う。
 これはヤバイ状態だと。
 俺だけで何とかなる状況でもないだろう、と。

 すぐに誰か人を呼んできた方がいいだろう。
 警察……だが最寄りの警察も交番も、走ってたっぷり10分はかかる場所だ。
 そうこうしているうちに、取り返しのつかない事になる。

 それより、路地に出て助けを呼ぶか。
 その方が一人でやりあうより現実的だ。だが、声をあげて集まる程善人が沢山居るだろうか?
 皆、関わり合いたくなく逃げてしまうのではないだろうか……。


 「くっそ、世話かかるなアイツはよぉ!」


 アレコレ考えがまとまらないうちに、俺は動き出していた。
 今、男はアイツにばかり目をやって俺には気付いていない……気付かれないうちなら何とかなる。

 そう判断した俺は勢いだけのタックルをする。
 見知らぬ男は鈍い呻き声をあげると、その場で膝をついた。

 カラン、カラン、カラン。
 乾いた音をたて、ナイフが床へと転がる。俺はとっさにそのナイフを、男がいる方角と反対の場所へと蹴りつけた。


 「なっ、誰だ……くそ、ツレがいたのか……」


 ナイフの驚異はなくなった。
 男は……大柄に見えたが、俺と身長は同程度にも見えた。体つきも俺とさほど代わりはない。

 マトモにケンカしたらあるいは勝機もあるだろう。
 だが、今はアイツがいる……俺は、アイツが無事ならそれでいい。アイツさえ取り戻せれば……。


 「手ぇのばせ!」


 腹から声をあげれば、アイツは驚いたように手を差し伸べる。
 日に焼けた健康的な肌が、今は気の毒なくらいに青ざめ小刻みに震えている……。

 俺はその壊れそうな手を掴むと思いっきり引き寄せ、一度抱き留めてやる。


 「あっ……兄ちゃん。来て、くれたんだ。兄ちゃん……」


 目を離したのは俺なのに、アイツはそれを詰ることもなく嬉しそうに微笑むと、静かに俺へと身を委ねた。
 ……アイツが戻ってきた。

 だが、まだ窮地は脱していない。
 大柄な男は憎々しげな瞳を向けゆっくりと立ち上がる。


 「……逃げるぞ!」


 俺はアイツの手を握ると、今度こそ離さないようにして賢明に走りはじめた。

 ……追いかけてくる気配はない。
 元々、一人で歩いている少年を狙っていたのかもしれない。
 何が目的だったかは知らないが……。


 「……何とか、逃げ切れたみたいだな」


 繁華街から離れた公園で呼吸を整えれば、アイツの不安そうな顔も幾分か和らいだようでいつも通りの無邪気な笑顔を浮かべていた。


 「あぁ……でも、兄ちゃん格好悪いな。アイツと戦って勝つんだと思ったら、逃げちゃうんだから」
 「おいおい、そう言うがなぁ……アイツ、刃物とか持ってただろ。そんな奴とマトモにケンカしたら馬鹿だぜ? ……というか、オマエ何であんな奴と一緒に居たんだ?」

 「う……知らないよ。オレ、兄ちゃん見失ったと思ったら突然引っ張られて、ナイフ突きつけられたんだって……」


 思い出したら恐ろしかったのだろう。
 アイツは少し身震いすると、暗く俯いて見せる。

 ……いけないな、俺は。こいつはさっき怖い目にあったばかりなんだ。
 今は安心させてやらなきゃいけないってのに、怖い場面を思い出させてどうするつもりだというのだ。


 「まぁ、オマエが無事なら別にいいけどな」


 俺はなるべく優しい笑顔になると、あいつの頬を撫でてやる。


 「兄ちゃん……」


 アイツは少しはにかんだように笑うと、その小さな身体全部で俺の腰に抱きついてきた。


 「オレも、兄ちゃんが……兄ちゃんが、怪我とかしないでよかったよ……」
 「ん、何かいったか?」

 「べ、べ、別に! 何でもねーし!」


 公園には疎らに人がいる。
 カップルも多いのだろう、皆思い思いに自然との時間を楽しんでいるようだった。


 「俺たちも少し歩くか」
 「オレ、それより少し座りたいな。ずっと走って疲れちゃったから」
 「ん、そうだな。じゃ、ベンチを探すか」


 公園を歩けばベンチはすぐに見つかった。
 とはいえ、休日はあちこちのベンチがすでに親子連れやカップルで埋まっていた為、俺たちが休めたのは人気のない日陰だった。

 景色も悪く少し肌寒いが、ここなら仮にあの男が探してきても見つからないだろう。
 それに、今は賑やかな場所より静かな場所で過ごしていたい。

 俺たちは静かなベンチに座ると、暫くぼーっと空を見ていた。
 穏やかな天気の中、雲が流れていく。


 「……さっきは、ありがとな。兄ちゃん」
 「ん?」

 「オレ、本当はすっげぇ怖かった。兄ちゃんが来てくれなかったらって思うと……」
 「何だ……気にするなって、目を離した俺が悪いんだからな」


 だが、本当に危機一髪だった気がする。
 アイツが消えた事にすぐ気付いて、追いかける事が出来たから大事にはならなかったが……あの男の目的は何だか知らないが、放置していれば不幸な結果を迎えていたのは明かだった。

 俺の胸に、あいつが消えた時間が思い出される。
 ……賑やかで自分勝手、ワガママな奴だと思っていたが……居なくなると、こうも不安になるとはな……。


 「俺の方こそ、悪かったな」
 「えっ、何が?」

 「……オマエの事、守れなくなる所だった。オマエの兄ちゃんなのに、情けないよな?」
 「そ、そんな事無ぇって、兄ちゃん……ちょっと格好良かったよ」

 「ちょっとだけか?」
 「あはは……」


 笑うあいつの笑顔が、今傍にある。
 当たり前の日常だ。だが、それが今はえらく大切なものに思える。
 一度、失いかけたからだろうか……。

 俺の手は、自然とアイツの腕を握っていた。
 嫌がられるかと思ったが、アイツも自然と手を握り返す。

 俺と比べればまだ小さい手だ。
 だから俺が守ってやらないと……。


 「……今度は、守るから」
 「えっ?」

 「今度はもう離さないからな。ちゃんと、オマエの事守ってやる。だから……あんまり遠くに行くなよ?」


 握った手から、高鳴る鼓動が感じられた気がした。


 「何いってんだよ、兄ちゃん。オレ、そんな事言われたらさぁ。オレ……オレさぁ……」


 ガマン、出来ないから……。
 そんな言葉が聞こえたと思うより先に、目の前が暗くなる。

 すぐに柔らかな感覚が唇へと触れ、暖かな吐息が俺の顔を。肌を擽った。

 ……キスをしているのだ。
 それを認識した自分は、驚く程冷静にこの事実を受け止めていた。

 むしろ俺たちはいずれ、こうなるのだと確信していたように思える。
 好きな人の名前をあいつがひた隠しにした理由も、今ならよく分かった。

 アイツに会わせた、ただ触れるだけのキスだったがそれでも俺たちは充分に心を繋ぎあった。


 「……何するんだよ、オマエは」


 キスの余韻を残しながらゆっくりと離れた後、俺はわざと意地悪く聞く。
 (これは、俺からではなくアイツからされた事に対する多少の悔しさもあったのだろう)


 「な、なっ。何って……ちゅーだよ。悪いかよ」
 「悪くはない、けどな。するならするって一言くらい……」

 「何だよ、兄ちゃんが悪いんだろ! ……優しくしてくれたり、格好いい所見せたと思ったらさ。情けなく顔歪めたりして、急に俺の事守るとかカッコつけたりするし。オレ、オレさ、そんな事言われたら、ガマン出来ねぇもん! オレ、兄ちゃんに……オレ、兄ちゃんにずっとぎゅぅってしてほしかった……」


 ……俺の部屋で着替えて見せたのも。
 休みとなれば俺の部屋に来るのも、ずっと俺に見て欲しかったからなのだろう。

 今考えれば単純な事だ。
 だが俺は随分と鈍感だったようだな……。


 「……行くか」
 「えっ……何処へ?」

 「ゲーセンでもいい。漫画でもゲームでも、好きなやつ一つだけ買ってやるからな」
 「えー、でも。服はどうするんだよー、俺まだ買ってもらって……」

 「俺は、今のままのお前でも充分だ……それでいいんじゃないのか?」
 「なぁっ! 何言ってんだよ、オマエ! ばーか。ばーか!」


 悪態をつきながら、アイツは俺の手に絡みつく。
 まんざらでもなかったのだろう。


 「……でも、もう離すなよ? 今日は、俺の事離したら絶対許さないんだからな」


 小声で呟くあいつのはにかんだ笑顔が隣にある。
 今日の俺は、それだけで幸福だった。






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