>> 日溜まりコート
今日も、アイツの回りを可愛い女の子たちが取り巻いていた。
俺は遠くから見ているだけだから、何を話しているかまでは分からない。
ただ時々、女の子たちが一斉に笑いながらアイツを見る事で、決してつまらない話をしているワケじゃないってのは充分に分かった。
「もう、冗談ばっかり言って、ばかっ」
アイツと並んでいた女子の一人が、軽く小突く真似をする。
アイツはそれも嫌な様子を見せずに受けると、少女の頭をぐりぐり撫でていた。
女子が周囲に集まった時、自慢のギャグで場を和ませようとしたら凍り付いた経験が何度かある俺とは違い、アイツは人を喜ばせる会話に慣れているような所があった。
だからこそ自然と、人が集まってくるのだろう。
だが……。
「……何時まで話し込んでるつもりなんだろうな、アイツ」
今日は俺と一緒に帰る約束を、朝一番でしていたはずだ。
帰って、ゲーセンに寄って、コンビニで肉まんでも買って……いつものコースでダラダラ話し込むはずなのに……。
下校時刻はもうとっくに過ぎていた。
だがアイツは未だクラスメイトとの話を留めるつもりはないようだった。
話はじめて止まらなくなったのか。
帰る機会を逃してしまったのかもしれないが……。
「ホント、アイツは俺の約束すぐ破るよなぁ……」
そろそろ諦めて一人で帰ろうか。
そうとも思うが、その度にアイツはそろそろ帰りそうな素振りを見せるので、俺も期待しこの場から動けなくなる。
だが期待したのも一瞬。
アイツはまた周囲にいる女子生徒たちと笑顔で会話をしはじめた。
「何だよ、オレ様との約束、忘れちまったのか。まったく……」
窓からは暖かな日差しが差し込み、待ち時間は次第に微睡みを運んでくる。
「ふぁ……」
一度背伸びをした後、机に突っ伏せば暖かな日溜まりが俺の頬を、髪を、身体を包み込む。
視線の先には、相変わらず女子に囲まれたアイツの姿が見えた。
「何だよ、楽しそうにしやがってさ……」
瞼が少しずつ重くなり、視界が少しずつぼやけている。
暖かな日溜まりは、俺をゆっくりと眠りの世界へ誘っていった……。
……目を開けた時、教室はすでに薄暗くなっていた。
目を閉じる時までクラスメイトらに囲まれて笑って話していたあいつの姿は、もうない。
それどころか、普段なら練習後に教室へ寄って集まる運動部の連中その姿までなかった。
さっきまで俺を包んでいた日溜まりも、もうない。
時計は6時を回っていた。
「うわっ、何だよすっかり寝こんじまったじゃねーか……ってか、何で誰もオレ様に声かけていかねーんだよ、くそー、みんな白状モンだな!」
それに、アイツも非道い事この上ない。
俺と一緒に帰る約束をしていたのに、他の連中と話しこんでいて、その上寝ている俺を置いて先に帰っちまうなんて……。
「くそ、頭にきた! もう帰る!」
誰に聞かせる訳でもなく呟いて立ち上がれば、肩にかかっていた上着がふわりと待って床へと落ちる。
それは、厚手のコートのようだった。
学校規程のコートは、見覚えがある。
朝、アイツが着ていたコートに間違いはない。
日溜まりは微睡みを運ぶ程に温かい時期だが、外を出歩くにはコートがなければ寒い季節だった。
それだというのにアイツは、俺にコートをかけて行ったのだ。
……眠っている俺を起こさないように。
「何だよ! こんな優しいマネとかしやがってさぁ……」
床に落ちたコートを拾い上げれば、アイツのにおいが微かにする。
俺が眠ってしまったから、起こすと悪いとそう思い黙って去っていったのだろうか。
この寒い中、俺にコートだけおいて……。
「俺の事ほっとく癖に。俺の約束なんて忘れて、とっとと帰っちまうくせにさ。どうしてこんな事すんだよ、アイツ……俺。オレ様さぁ、そういう事されると……誤解、しちゃうだろ……」
とにかく、アイツには何か言ってやらなければ気が済まない。
幸いアイツが何処に住んでいるかは知っている。
コートを返しに行くついでに、文句もたっぷり言ってやる。
今朝、約束したのにどうしてすぐに一緒に帰らないんだよ、って言ってやるんだ。
放課後、ずっと女の子とばっかり話していて少しは俺とも話せよ、って言ってやるんだ。
コートかけておくなんて下手に優しくするくらいなら、起こして無理矢理でも一緒に連れて帰れよって言ってやるんだ……。
様々な言葉が頭の中を渦巻き、アイツの家の前に立つ。
だけど。
「あれ……上杉じゃないか。どうしたんだい、こんな時間に」
開いたドアの向こうからアイツの笑顔が見えた時、俺の中にあった言葉は何も無くなってしまったんだ。
少し大きめのシャツに、ゆるめのズボン。
ゆったりとした部屋着姿のアイツは、普段学校で見せる姿とも。遊びに出かけた時に見せる姿とも違う、ずっとラフで無防備な姿だった。
「え、えぇっと。あ、あのな……」
あれだけ文句を言おうと息巻いていた癖に、いざアイツを前にするとその姿に釘付けで言葉がなくなってしまう。
アイツの笑顔が見られただけで、安心してしまう。
全く、俺はいつからこんな風になってしまったんだろうな。
アイツの顔を見ているだけで、何でも許せるようになっちまうなんて……。
「こ、こっ。これ! ほら、オレ様にコートかけていったの、オマエだろ! ……コレないと、明日寒いだろーと思って。ほら、かえすから!」
かろうじてそう言うと、俺は半ば強引にもってたコートを押しつける。
「あぁ、ありがとう……でも、別によかったんだよ。明日でも」
「何だよ、せっかくオレ様がもってきたんだから、有り難くうけとれ、ばーか!」
「あはは……わかったよ、上杉。ありがとう……でも、その様子だと、気付かなかったみたいだね」
「? 気付かなかった、って何の事だよ……」
そこでアイツは受け取ったコートを抱いたまま、そっと俺に耳打ちした。
「だから、キスマーク」
「はぁっ?」
「……つけておいたんだ、首に。ね? ……気付かなかったんだろ?」
まさか。
俺はとっさに首筋をなぞり、アイツの痕跡を確認する。
……言われてみればあるような気がするが、自分の目では確かめる事など出来ない。
だが、もし本当にあったとしたら……。
俺はコートも羽織らずに、ボタンを開けて走っていた。他の誰かに変な目で見られていたのかもしれないが……。
「何だよ、変な事すんなよっ、おまえ……」
「確かめて、みる?」
「なぁっ、何をだよ……」
「だから、キスマーク……ホントにあるか、気になるでしょ。部屋に鏡があるから……寄っていくだろ?」
今日、誰もいないから何だったら泊まっていってもいいよ?
あいつはまた俺に近づくと、そんな風に耳打ちして悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
本当にアイツはそう。
いつもそうやって俺を振り回して、俺の事子供みたいに扱って、自由にならないアイツに俺はヤキモキしてばっかりだけれども。
「……さ、おいで。秀彦」
戸惑い立ち止まる俺の手を握り、アイツは部屋へと引き入れる。
アイツは本当、俺の思い通りにならない奴だけど。
いつも最後には、俺のしてほしい事をしてくれる奴だから。
「……仕方ねぇな、ちょっとだけだからな」
俺はその手に導かれ、あいつの傍らへと向かう。
アイツは本当に気紛れで、ちょっと俺には冷たくて、思い通りにならない奴だけど、それでもこの手は温かく俺を導いてくれるから。
だから俺は今日も幸せだった。