>> 空色の風景







 何時かみんなで行こう。

 そう約束していた遊園地。


 約束した時は、ずっと先の事だと思えて、ただ待ち遠しいだけだったけど、約束の日は、来てしまえば一瞬。

 楽しい時間は過ぎ去って、もうすぐ夕暮れになろうとしていた。



 「まだ乗るのか?」



 誰かの声。



 「そろそろ最後にしないとね」



 交わされる言葉。



 「えー、まだ全然遊び足りないって言うかァ……」



 誰かかの声がきっかけで動き出すヒトの影。

 私はその中から彼の姿を見つけだすと、影と影との間にある彼の手をぎゅっと握りしめる。



 「……マキ?」



 戸惑う彼の表情をなるべく見ないようにして、私は、夢中で駆けだした。


 彼と、二人で、空の下。

 どうしても、伝えたい言葉があるから。



 「ご、ごめんねっ、急に、走ったりして……」



 肩で呼吸を整える。

 苦しい。


 病院での生活から抜け出して、随分経っているはずだけど、それでもまだ動くのが辛い時がある。



 「いや、いいんだ……それより、大丈夫なのかい?」



 そんな私の顔を彼が、心配そうにのぞき込む。


 優しい目。

 柔らかい手。


 私が大好きなそれが、今目の前にある。


 心臓がどきどきするのは、走り出したせいじゃない。



 「うん、大丈夫。ごめんね、わたし、どうしても……貴方と、一緒に、観覧車に乗りたかったから……」



 この遊園地の観覧車は、あまり大きくないからか。

 人気がないのか、列んでいる人影もなく、スタッフさんはすぐに私たち二人を観覧車へ案内する。



 「乗りたいなら、言ってくれればいいだろ……そうすれば、走らなくても良かったじゃないか」



 それは、そうだけど。

 でも、言うときっと、みんなも一緒に付いて来ちゃう。


 それに、彼と一緒に観覧車に乗りたいのは、私だけじゃないはずだ。



 「……だって、どうしても、貴方と二人で乗りたかったんだもん」



 抜け駆けしたのは、ずるい子だと思うけど。

 それでも、どうしても今日は一緒に居たかったのだ。



 ……伝えたい事が、あるから。



 「全く、仕方ないな……皆が心配するぞ」

 「うン……そうだね、私、下に行ったらちゃんとみんなに謝るよ」

 「あぁ……一緒に、あやまろう」

 「えっ?」

 「抜け出したのは一緒だからね」



 少しずつ動き出す観覧車は、下にある人影も小さくする。

 ゴンドラは風で揺れながら、空へと動き出した。



 「……でも、珍しいな」

 「えっ、何が?」

 「いや、マキがこぅ……自分から何かするのがさ」



 彼に言われて、自分でもそう思う。

 私は……あれから、変わっていこうと努力して。


 少しずつ、変わる力をみんなからもらって。

 出来ない事もまだ、沢山あるけど……出来る事もどんどん、増えていった。

 そう、思っていた。



 でも、まだ……。

 彼の前に居ると、どうしても……言い出せない事が増えてしまうのだ。



 彼を、意識してしまう。

 彼の事を、そして……。



 彼が今でも思っている、もう一人の私の事を。



 「そう、だね」



 俯いてしまう。

 真っ直ぐ、彼を見られない。



 「でもッ、どうしても話したい事があったの。だから、その……ごめんね」



 言葉が思うように出ない。

 何を言っても、彼に嫌われてしまうような気がする。


 うぅん、実際嫌な子だよね。

 いきなり手を引っ張って、自分が話したい事があるからって、無理矢理つれてきて……。


 なんでこんな事したんだろう。

 彼の言う通り、みんなに聞いてからでも良かったのに。


 色々な考えがぐるぐる巡り、自分の嫌な所ばっかり思いついてしまう。

 それでも彼は。



 「いいさ」



 ほんの少し、笑顔を見せると。



 「マキがしたい事ならな」



 そうやって、笑ってくれた。

 ゴンドラはゆっくり、ゆっくり、空へと近づいていた。



 「えっと……」



 時々ゴンドラは大きく風に揺られる。

 私は高いのも、怖いのも少し苦手で、普段なら観覧車に揺られるのも凄く怖いのだけれども。

 それでも今、どきどきしているのは、高い所にいる恐怖からじゃない。


 何から話していいんだろう。

 何から話せばいいんだろう。


 自分から誘った癖に私は、何もしゃべれないまま近づく空を感じていた。



 「……ずっとね、見ていたんだ」



 ゴンドラで空に向かう。

 風にゆられるそれが不安定なように、私もふわふわした気持ちで口を開く。



 「気が付いたらね、目で探しているんだよ。その、探しているヒトがね、気が付いた時に、いつも同じ人になっているんだよ」



 彼の目は、まだ見られないから。

 私は空に向かうゴンドラの中で、ただ自分の手ばっかり見ている。



 「なんで、彼の事ばっかり追いかけているのかね。最初は、良くわからなかったの。多分、憧れていたヒト……内藤君を見ている時とね、彼……いつも目で探している彼を、見ている時だとね。心臓の、どきどきが……全然、違ったから」



 もう、どれくらいの高さになったんだろう。

 景色を見る事も、彼の顔を見る事も出来ない私に、それを知る術はない。



 「私ね、内藤君の事……好きだと、そう思っていたんだ。だって、内藤君を見ていると、胸がドキドキして楽しい気分になるから、そういうのが、好きっていうんだろうって、私そう思っていたんだ。けど……」



 手が、声が、震えるのがわかる。

 でも私は、それに気付かないふりをした。



 「彼を見てると違ったの。彼を見ていると、胸はやっぱりドキドキするし、顔も紅くなってくるけど……それ以上にね、幸せにも思うけど、ものすごく切ないんだよ。胸がぎゅぅっと、締め付けられるみたいに苦しいんだよ。私、こんな気持ち初めてだったから……」



 右手で自分の、胸を押さえる。

 腕から心臓が飛び出そうな程、胸が高鳴っていた。



 「だから私、わからなかったの。こんなに苦しくて、切ないのが……好きだっていう、気持ちなんだって事が」



 そこまで伝えて私はやっと、顔をあげて彼を見る。


 鈍い色のピアス。

 それに少しだけ触れながら、彼はずぅっと、私を見ていた。


 思いは、伝えている。

 でも、まだ断片的でしかない。


 このままじゃ、ダメ。

 ちゃんと、伝えないと……私はきっと、ずっと後悔するから。



 「だからね、私っ……私……」



 言わないと、伝えないと。

 思いが募る、けど、声が出ない。


 あの時私の中に居た、もう一人の私はちゃんと伝える事が出来たのだから……。



 「わたし……」



 大きく、深呼吸をする。

 震えた手を見る。

 やり場のない視線を彷徨わせて、ガラス越しに空を見る。



 私を包み込むように迫っていた空色は、気付いたらまたずっと、ずっと遠い所に行っていた。



 「……降りるぞ」



 私の気持ちが定まる前に、ゴンドラは地上へ到着する。


 結局、言えなかった。

 勇気を出して、思い切って。


 理想だった自分に少しでも近づこうと、自分なりに頑張ってみたけど……。



 やっぱり、ダメだったかな。



 「……うん」



 ゴンドラの中で、少し躊躇う私に、彼の手が伸びる。


 つないでも、いいのかな。

 私は少し、躊躇ったけど思いきってその手に触れた。



 「みんなの所に、戻らないとね」



 つないだ手が、暖かい。

 彼の背中は相変わらず、細く見えるけど私には大きくて。

 空の色は、少しずつ茜色に染まっていた。


 思いを、最後まで語る事は出来なかったけど。

 そんな勇気のない私でも、思い出を残すのは……いいよね。

 私はぎゅっと手を握り、彼の隣で歩き出す。



 みんなの所に、帰るために。

 私の思いを、思い出にする為に。



 その覚悟をして、歩き出す。

 その足は、私の思わぬ方へと向いた。



 「……ど、何処行くの。そっち、さっきの場所。観覧車の方だよ?」

 「……いいだろ、もう一回、付き合ってくれよ」

 「で、でもっ……」



 みんなから離れて、もう随分たつ。

 そろそろ私たちが居ない事に気付いた誰かが、探し始めている頃だろう。

 ひょっとしたら、一回くらいは迷子のアナウンスもされているかもしれない。


 色々考えてしまう私の言葉を、彼は見据える事で止めた。



 「一度、マキのワガママに付き合ったんだからな。今度は、俺のワガママにつきあってもらわないとな」

 「そっ、そうかもしれないけど……でも」

 「もう一度、俺に……あの、空色の風景を見せてくれないか?」



 彼の目が、あまりに真剣だったから私はただ、頷く事しか出来ず、今おりたばかりの観覧車に、再び列ぶ事にした。



 「今、降りたばっかりなのに。またきた、って言われちゃうね」

 「あぁ、そうかもな……」



 僅かな待ち時間が、今は妙に長く感じる。

 普段は物静かな方で、あまり自分からしたい事を訴える事はなかったから、それに驚いているのもある。


 今さっき、自分の思いを伝えきれなかった私だから、何を話したらいいのか。

 それさえわからず俯いてしまう。


 そんな私に気付いているのか。

 彼は私の手を握ったままで、優しい語調ではなしはじめた。



 「……空が、近いな」

 「え、あ、う。うん……」



 言葉の意味は良くわからないけど、彼はそう思ったらしい。

 彼は真面目に見えるけど、時々不思議な事を口走るのだ。



 「高い所に行くとさ、普通は下とか景色とかを見るものなんだろう。小さい家を見てはしゃいだり、遠くの景色を眺めたり。でも、俺は違ったんだ。高い所に行くと、空を見たくなる。空が、近く見えると……妙に嬉しかったんだよな」

 「そ、そう……なんだ」

 「……変わってるよな?」

 「うぅん、そんな事ないよ。別に、変じゃない……ちょっとだけ、変かもしれないけど。でも、悪いことじゃないよ」



 まだどこか、浮ついた気持ちだったから、きっと私も変な事を言ってたんだろう。

 僅かに笑う彼の口元だけが見えて、私は少し恥ずかしくなる。


 二度目のゴンドラは、間近に迫っていた。



 「……空色の風景が好きなんだ」



 つないだ手を放さないで、彼は言う。



 「だから今度は、マキにもそれを見て欲しい」



 さっきは俯いて見れなかった景色を、見ようと言う。



 「俺が好きな空を、色を、景色を……俺が好きな相手と、見ていたいからさ」



 そして突然、彼は。

 私が勇気を振り絞っても言えなかった言葉を、いとも簡単に言い放った。



 「えっ、あっ、あの……あれ?」



 驚いた。

 空耳かな、とも思った。



 だけど驚いて顔をあげる私を、今度は身体ごと抱きしめると彼は私の髪に、優しく口付けてくれた。



 「好きだよ、マキ……大切な事だから、先に言っておく」



 驚き、戸惑い。

 その他色々な感情が頭の中を渦巻いている私の手を、彼は再び握りしめた。



 「行くぞ」

 「えっ、えっと、何処へ?」

 「空を見に……いいだろ?」



 彼は……。

 私では、なかなか追いつけない人かもしれない。


 私が勇気を振り絞っても届かない事でも、簡単にしてしまう。

 そんな人だから。


 それでも、彼が。

 傍に居てもいいと、そういってくれるなら……。



 「うん!」



 私は少し早足になり、彼の傍らで歩き出す。


 私ではなかなか追いつけないかもしれないけれども。

 それでも彼と、同じ方を向いて歩けるのなら……。



 傍に居よう。

 彼の、心の傍に。



 夕暮れ時の遊園地。

 空に向かうゴンドラの中。


 代わり行く景色の中、私は静かに願っていた。

 この気持ちが、心が。

 何時までも変わらず、彼とともに有り続ける事を。







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