>>雨と猫







 激動の一週間。
 その末にあったのは、繰り返される退屈な毎日。

 ただそれだけだった。

 行き交う人。
 飛び交う声。

 その中に自分が居るという、この感覚は慣れちまえば悪くねぇ。

 平和な世界。
 それが戻ってきた事も、喜ばしい事に違いねぇ。

 だが……。

 あの時俺には別の道もあったのではないか。
 この、退屈な日以外の別の道も。

 そんな思いを抱く日が、最近多くなった気がする。
 特にこんな切れ間のない雨の日は、古傷が疼くよう、そんな思いが疼きやがる。

 テメェの運命はこれじゃねぇ。
 行き場のない闘争心が。


 「ちッ、気分悪ィな……」


 外に出かけても別段する事もねぇが、雨だと尚更出る気にならねぇ。
 今朝方会った取り巻き連中の誘いに乗り気がしなかったのも、この絶え間なく降る雨のせいに違いねぇ。

 まとわりつくような空気が、俺を怠惰にさせる。

 他の連中も、そっけない俺の様子を見て虫の居所が悪ぃとでも思ったのだろう。
 どいつもコイツも話かけず、俺から目を逸らしていた。

 だが今日はそれでいい。

 誰とも話さず、この雨が。
 この気持ちが収まるまで、黙って過ごすのは悪か無ぇ。

 俺はそう決め、何時もの店でコーヒーの湯気と、降り続く雨を交互に眺めていた。
 その時。


 「いたっ、やっぱりカイドーだ!」


 俺の連れでもねぇ。
 店の常連でもねぇ。

 聞き慣れない、だが俺は聞いたコトのある声が、店一杯に響き渡る。


 「お前っ……」


 名前は、確か……アツロウ、だったか。
 以前、東京封鎖の時に、俺の前にチョロチョロと顔を見せやがった男だ。

 自他とも認めるパソコン野郎がまさか、こんな大雨の中、外に出てるなんて……コイツ、この大雨を台風にでもするつもりか。
 パソコン野郎は、俺の傍まで駆け寄ると肩で呼吸を整える。

 俺に用事でもあるんだろうが、聞いてやる義理もねぇ。
 他人のフリしてやり過ごそうかと思ったが。


 「よかったー、おい。カイドーカイドーカイドーカイドー! なぁ、ちょっと頼みがあるんだ、聞いてくれ!」


 ココが何処だかわかってねぇのか、人目も気にせず大声で俺の名前を連呼する。
 顔見知りも居るこの店で、騒ぎを起こしたくはねぇ。

 派手に暴れてやんのは嫌いじゃねぇが、他人の騒ぎに巻き込まれンのはまっぴらだ。
 俺はアイツを一瞥すると、ゆっくりと立ち上がる。


 「おぁっ……ど、何処行くんだよガイドー、俺の話聞いてくれって!」
 「うっせぇンだよテメェはごちゃごちゃとヨ……行くぜ、ここの客はガキの戯言聞く程、暇じゃねぇんだ」

 「え、あれ。おい、それって俺の話聞いてくれるって事かよ、カイドー。おーい!」


 背後からそんな声が聞こえるが、聞こえないふりをすると俺は簡単に勘定を済ませ店を出る。
 外は相変わらずの大雨が降り注いでいた。


 「ちッ、嫌な雨だぜ」


 空に向かって悪態をつく俺の脇から、アツロウが姿を現す。


 「うわー、やっぱ降ってるよ。今日は一日降るっていってたけど、マジっぽいなぁ……カイドー、傘持ってる?」
 「もってねぇ。持ってても、お前にだけは貸さねぇけどヨ」

 「なぁっ……俺だって、お前からだけは借りねぇーよ、ちぇ……だいたい、俺ちゃんと傘持ってるし……」


 アツロウはそう良いながら、頬を膨らませ壁際に置いてあるビニール傘へ手を伸ばす。
 まさかコイツ、傘のあるなしを聞くためだけに俺を呼びだしたんじゃ無ぇだろうな……。


 「何だよ、テメェ……用が無ぇなら、俺は行くぜ」


 俺が呆れるその言葉を、アイツは叫び声で止める。


 「あー、いや、待て。待て待て、カイドー! 用はあるんだ、そこに!」


 そして、あいつが立てかけていた傘。
 その隣に置いてある、濡れて汚ねぇ段ボールを指さした。


 「ンだよ、その汚ぇ段ボールは……」


 雨と泥水に汚れた段ボールを、アツロウは大事そうに抱えかと思うと、それを俺に差し出す。


 「ほら……これ、見てくれよ!」


 差し出した、って事は開けて見ろって事か。
 汚ねぇモンに触りたくはねぇんだが、向こうは触らなければ騒ぎ立てる気が見てとれる。

 俺は仕方なくその汚ねぇ箱の端をもつと、恐る恐るそれを開けた。
 中に入っていたのは……。


 「……っ、何だ!」


 暗闇から、二つ。
 緑色に輝く目玉が、ぎょろりと覗く。

 一瞬だけ驚いたが、良く見ればそれはどうやら仔猫のようだった。


 「コンビニでお菓子でも買おうかと思って外に出たら、鳴き声が聞こえて……見たら、ダンボールの中に子猫が鎮座されていたんだよ」


 アツロウはそう言いながら、箱の中で震える仔猫を撫でる。


 「それで、見捨てられねぇから拾ってきたのかヨ……」
 「ま、そういう事……で、カイドー。こういうの、どうしたらいいか、知ってるか?」

 「何だとテメェ……まさか、どうしていいかわからないのに俺の所に連れてきたって訳じゃ無ぇだろうな……」


 俺にそれを指摘されると、アツロウは図星といった印象で顔を歪めた。


 「だ、だって俺、仔猫とかどうしていいかわかんねぇし。しかも、今日に限ってアイツも、ナオヤさんも、ソデコもみーんな連絡付かねぇし。かといって、ほっといて死んじゃったら可愛そうだろ! 困って、誰か居ないかなーって探してたら……」

 「俺に会ったって訳か?」
 「へへ、当ッたりー」


 全く、ついてねぇ……。
 それなら、俺じゃなくても他の連中に頼ればいいだろうが。

 そう思ったが。


 「本当は、このままマリ先生の所に行こうかと思ってたんだけど、マリ先生ン所まで結構距離あるし。正直、カイドーにここであえてラッキーだったよ。な、何とかしてくれよ、カイドー」


 どうやらコイツ、俺に断られたらマリ姉ぇの所に猫を押しつけにいくようだ。
 マリ姉ぇは、頼まれると嫌とは言わねぇ。

 ……コイツに猫を押しつけられたら、そのまま素直に飼い主を捜すンだろう。


 「何言ってンだ、馬鹿野郎。マリ姉ぇだって忙しいンだぜ……変な事押しつけようとすんじゃ無ぇよ」
 「カイドーがダメならもぅマリ先生しか知り合い居ねぇんだから仕方ねぇだろ!」

 「……チッ、仕方ねぇな……ついてこい」


 俺は小さく舌打ちすると、雨の中を歩き始めた。
 後ろから段ボールを大事そうにかかえ付いてくる、足音を聞きながら。




 とはいえ、ココから近ぇ場所といえば俺の家くらいしか無ぇ、か。


 「あんまり汚すんじゃねぇぞ、叩き出すからな」
 「うぁ、ここカイドーん家か。すげぇ、何か変なモンがあるけど、これ何……」

 「触ったら鼻へし折るから覚悟しとけ」
 「う。ま、まだ触ってねぇ、というか、頼まれても触んねーよ、ばーか!」


 俺の言葉に鼻を膨らまして抗議をするアツロウの方は見ず、俺は汚れた段ボールを開ける。
 中には体中を濡らした仔猫が、震えて小さく丸まっていた。

 ヤベェなコレは……濡れているせいで随分、弱っているのがわかる。


 「な、どうだカイドー。猫、大丈夫そうか?」


 アツロウはそんな俺の様子を、後ろから物珍しそうに眺めていた。
 どうやらこのパソコン野郎、普段からパソコン前に居座るのが仕事だがこういった生物相手ってのはあんまり経験無ぇらしい。


 「そうだな……とりあえず、この汚ねぇ箱は捨てるか。雑菌の温床で猫にも俺の家にも悪ぃからな」
 「えー、だったら猫どうするんだよ猫!」

 「代わりに別の箱準備するからヨ……とにかくその濡れた箱は捨てちまえ、何の役にもたたねぇ」
 「そっか、わかった。コレは捨てていいんだな」


 俺の言う事でも、アツロウは猫の為と思うと動きが早ぇ。
 しかしこの濡れた身体は、いくら猫も気の毒だな……せめて、少し暖めてやらねぇと。


 「次に……とりあえず、身体を暖めるぞ、アツロウ。すぐに準備しやがれ、もたもたしてんじゃ無ぇ」


 そんな俺の言葉に、アツロウの手が止まる。
 かと思うと。


 「……か、か、カイドー、急に何言い出すンだ。俺、お前とそーいう事する趣味はねーよ……」


 何かえらい勘違いをした、というかそういう意味でじゃ無ぇよ!
 だいたい、俺にだってそんな趣味は無ぇ。


 「全く、どんだけ思春期だお前! 暖めるって、この場では猫に決まってるだろうが、この馬鹿ッ……」
 「え、あ。だよなー。急に言われても、暖めるって……何準備したらいい、お湯とか?」

 「濡らしたタオルをレンジでチンして蒸しタオルつくってやれよ、湯沸かすより早ぇだろ。」
 「あぁ、わかった。えと、濡れタオル……蒸しタオル……を、レンジで……」

 「蒸しタオルにして身体を拭いてやったら、その後、普通のタオルで身体を乾かしてやりゃいいんだ。俺は、いらねぇ毛布でも探してきてやるからヨ」


 アツロウの動きも、最初こそ戸惑うようだったが、徐々に手際が良くなっていく。
 そして、30分ほどした後。

 仔猫の身体もすっかり乾き、暖かくなって落ち着いてきたのか、俺が準備した新しい住処でうとうとしはじめた。


 「ふぅ、ビックリした……でも、一段落ついたみたいだな」


 箱の中で寝息をたてる猫を撫でながら、アツロウは笑う。
 アツロウの言う通り、危険な状態は去ったと言ってもいいに違いねぇ。

 だとすると、次の問題を片づけないといけねぇ、か。
 俺はバスタオルを一枚とってくると、ソレをアツロウに手渡した。


 「ん。何だよ、カイドー。猫ならもぅ、乾いてるぜ」


 アツロウは俺が差し出したタオルを、訝しげに見つめている。


 「馬鹿かオメェは……お前の使う分のタオルに決まってんだろ」
 「は?」

 「オメェ、猫にばっか夢中で自分が濡れてるのに気付かなかったのか? この雨の中、傘さしても自分じゃなく猫の入った箱ばっかりにさしててヨ……そりゃ、濡れるのも当然だぜ……替えのシャツくらいくれてやるから、シャワー浴びてこい」

 「へっ、いいのか、カイドー。俺、礼とか出来ないけど……」
 「誤解すんじゃ、ネェぞ。俺ン家が濡れるのが嫌なだけだからヨ。むしろ、それ以上濡れた身体で動くな。イラつくからヨ……」


 次いで俺は、アイツのサイズに合いそうなシャツを一枚投げてやる。


 「あ……わかった、カイドー。ちょっと、シャワー借りるな」
 「あぁ、手早く済ませろよ……汚したら裸でつまみ出すぞ」

 「はは……ありがとな、カイドー」


 アツロウは、俺から手渡されたシャツを受け取ると、小さく頭を下げてみせた。


 「……礼なんて言うなよ、慈善は好きじゃねぇんだ、前からよ」


 誰へともなく呟く俺の傍らには、未だ眠る仔猫の姿がある。
 見た所、もぅミルクは卒業していそうだが……この猫を拾って、アイツはどうするつもりだってんだ。

 育ててやるつもりなのか。
 それとも、飼い主を捜すつもりなのか。

 どっちにしても、マリ姉ぇを巻き込むのだけは勘弁だが……。


 「ン……こいつ……」


 その時、俺はその猫のある特徴に気付く。
 一見すればこいつは、ただの雉虎猫だ、が……。


 「まさか……いや、確認する価値はあるか……」


 俺は一人で呟くと、携帯電話を取り出した。
 仔猫の写真をある場所に、メールでおくってやる為に。


 「ふぁ……生き返ったぜー。悪い、カイドー助かった! シャワーのおかげですっかり、身体暖まったぜ」


 そうこうしている間に、俺がくれてやった着替えを身につけたアツロウが姿を現す。


 「でも、カイドー。このシャツ、凄い変わった趣味だな……水色に1って数字だけのシャツって……何か意味あんのか、これ?」
 「俺もよくわかんねぇけどよ……何に対しても一番になれ、って意味らしいぜ、それ。」

 「何だそれ? あ、それより、猫どうした猫」


 そして乱暴に髪を拭くと、仔猫の眠る箱をのぞき込んだ。


 「うわ、良く寝てるなー。こーいうのって、やっぱり、牛乳とかあげた方がいいのか?」
 「いや、牛乳はダメだ。下痢する可能性があるからヨ……仔猫用のミルクがあればいいんだが、なければ砂糖水だな……」

 「カイドー、何かこういうの詳しいな……実は、猫好きとか?」
 「……マリ姉ぇがこういうの好きだったからヨ。俺も少しだけ知ってンだ」

 「へぇーっ、はぁー、ふーん。そうか、マリ先生とねぇ。なるほど、なるほど」


 アツロウは意味ありげに何度も頷くと、にやけた顔を俺に向ける。
 俺の右手は自然と、アイツの頭を捉えていた。


 「舐めた事言ってると、ブン殴るぜ」
 「いっつぅ……殴ってから言うなよ、ばか!」


 殴られた頭をさすりながらも、アツロウにめげる様子は一切ない。
 俺の隣に腰掛けると、中で眠る仔猫の様子をうかがっていた。


 「へへ……でも良く見ると可愛いよな、猫。あ……でもこの猫、何か変じゃないか?」
 「……そうかヨ。」

 「そうだって。ほら、何つーか、耳がタレて……ピンて、たってないし。猫って普通耳が尖ってるだろ、コイツは垂れ耳で……病気かな、これ?」
 「いや……多分こいつ、スコティッシュフォールドだ。生後一ヶ月未満、って所か……」

 「すてこっしゅ……何だそれ。」
 「スコティッシュフォールド。まぁ、ようするに耳が垂れている品種の猫だな……」

 「品種? こいつ、血統書付きってやつ?」


 アツロウが箱の中に向ける視線が、輝く。
 コイツ、血統書って響きに弱いンか?


 「血統書ついてるか知らねぇけどヨ……まぁ、普通の猫とは違うみてぇだナ。スコティッシュフォールドは純血種であっても耳が垂れる確立は低いみてぇだし……」
 「へぇ、そっかー。よぅ、猫。お前実は珍しいんだってよ。珍しいんだ、にゃぁ。にゃ?」


 箱の中をのぞき込みながら、アツロウは何故か猫言葉を話し出す。

 そう。
 この猫は……特別な品種なんだよナ……。

 その時、俺の携帯電話にメールが入る。
 そしてそれを見て……俺は、一つ溜め息をついた。


 「な、カイドー。やっぱこの猫、名前つけてやった方がいいかな」


 箱の中を覗くアツロウの目は、無邪気なガキの目そのものだ。
 この目を前にすると……流石の俺も、躊躇いが出る。

 だが、どんな事でも後回しにしたってろくな事ぁねぇ。


 「その必要は無ぇよ」
 「ん、何でだよ?」

 「その猫の、本当の飼い主見つかったからナ……ほらヨ」


 俺の言葉を聞いて、アツロウは意味が分からないといった顔を暫く俺に向けていた。


 「探し猫の依頼がヨ……三日くらい前に、どこぞの奴から届いてたんだ。ったく、俺らの事を何だと思ってンのか、たまにそんな的はずれな事言ってくる奴が居るんだがよ……今回はその的も、大外れって訳じゃなかったみてぇだナ……」


 そして俺は、ツレに送ってもらった探し猫の画像をアツロウに向けた。

 スコティッシュフォールドの雌猫で、タビー、生後一ヶ月程度……。
 全部こいつの条件にあてはまってる上、写真もコイツの姿そのものだった。

 間違いないだろう。


 「うぁ、コイツ、探されてたんだ!」


 アツロウは驚きながら、喜びと戸惑いと、少し哀しそうな表情を俺に見せる。

 ……この雨の中。
 テメェの身体が濡れるのも気にせず、必死になって守った命だ。

 短い間でも、多少情が移ってたに違いねぇ。


 「向こうで可愛がってもらえる、よ、な……」


 そんな事まで宣いやがる。


 「……俺が知るかよ、そんな事」
 「う、そうだけどさ……。」

 「でもよ、そいつも見てわからないモンかね。俺らが厄介事の始末を請け負う事があるって言っても、猫探しまで受け付ける程お人好しの集団じゃ無ぇ事くらいヨ。それでもこんな目つきの悪い俺らに、頭下げてきた奴が居たんだぜ。なりふり構わず探してンだ……よっぽど大事な猫だったんだろうよ」


 事実を言ってやっただけ。
 コイツの背中を押したつもりは無ぇ。

 だがアイツは、俺の言葉で何かを決めたみてぇにいい顔になると。


 「……そうだよな。だったら、俺……返してくるよ、その飼い主に。この、猫をさ」


 真っ直ぐな目で、俺を見据えた。


 「あぁ……頼むぜ。住所はコレだ、テメェの足なら、そう遠くもねぇだろ」
 「了解っ。あ、その……カイドー、悪かったな、色々とさ……助かったよ、ホント。お前、案外良いや……」

 「誤解すんじゃ無ぇよ。勘違いで頼み事して来た馬鹿のお使いを、テメェに押しつけただけだ」
 「良い奴、だと思ったけど……やっぱひねくれ者だな、うん」


 そういうコイツも、油断して聞いていれば一言多い事がある。
 何だと思い、もう一発ブン殴ってやろうかと手をあげたが、俺の攻撃に気付いたのか。

 アツロウは箱を抱えると、身軽に俺の攻撃から逃れて笑った。


 「おっと、危ねぇ。もう殴られるのはゴメンだからな……それじゃ、ありがとな、カイドー!」
 「ん……」

 「それと、お前もー少し素直でかわいげのある事言えって、そうしたら、きっとマリ先生もお前の事もう少し気にしてくれると思うぜ!」


 どうしてそこでマリ姉ぇが出ンだよ。
 そう言おうと思ったが、アイツは脱兎が如く駆け出し、俺の前から消える。

 後には俺と、アツロウが置いていったビニール傘だけが残っていた。


 「全く、猫に夢中で傘おいていきやがった、あの馬鹿……」


 濡れた傘の滴をはらおうと、出入り口のドア前で傘をひらけばその時、俺はようやく外がはれている事に気付く。


 「ン……何だ、今日は一日雨だと思ったンだがな」


 どうやらアツロウも、外に出てみれば雨が降っていなかったから傘を忘れていったみてぇだ。
 まぁ……必要なモンなら取りに来るだろう、俺の気にする事じゃねぇ。

 だが……何だ、この感覚。


 「イライラ……しねぇな」


 雨があがったからか。
 薄暗い店内で怠惰を傍らに時を持て余していた俺の心にあった、あの焦燥感は消えていた。


 「ココは俺の望んだ世界じゃ無ぇ気も、したけどヨ……」


 それは今でもある、確かにある。
 東京封鎖、あの時俺の運命は、もっと別の場所に転がってたかもしれねぇ。

 そんな思いが確かにある、が。


 「ココも案外、悪くねぇ……か」


 不思議とそんな、思いが巡る。
 原因は……何だ。

 猫か。
 パソコン野郎か。

 それとも……。


 「……雨が、あがったからだナ」


 雲との間に、微かに日が射す。

 雑踏に包まれた平穏は、俺には少し暖かすぎる。
 俺の望んだ居場所とは、随分違う世界かもしれねぇ。

 だが、今日はこのぬるま湯のような空気が悪くないよう感じられる。

 いずれはこの平穏が、俺のこの闘争心をも静めちまうのかもしれねが、今日はそれも悪くないと思えている自分が居る。
 そんなの、俺らしくもネェ考えだが……。


 「そうだ、雨が、あがったからだ」


 俺はそんな気紛れ、その原因の全てを空の気紛れで片づけ、今はその思いに浸る事にした。
 暖かで何処かくすぐってぇ。

 「ありがとう」の言葉を繰り返して。





 <二階堂さんって案外保父さんとか向いてると思う>