>>おとなのじかん






 激動の7日間が終わり、平穏の日々が、再び東京へ戻ってくる。
 失われた命は戻ってこないが、破壊された道や建物は徐々に修復されていき、東京はあの混乱を過去のものへと変えようとしていった。

 その少年が店に来たのは、そんなある日の事である。


 「だから、ねッ。ジンさん。俺にも、大人のアソビってのを教えて欲しいんスよ」


 開店前の店内、そのカウンターに入り浸るのは、アルコールを扱う店にはおおよそ不似合いな少年の姿だった。

 彼の名前は、木原篤郎。
 世に知られていないが、あの東京封鎖で平穏を取り戻す為戦った少年らの一人である。

 あの日、ともに死線を越えて以来、互いに良く知り合う事となった俺達は、今でも連絡を取り合う関係になっていた。

 特にこの少年。
 木原篤郎……アツロウは、普段両親が家にも居ないせいかたびたび俺の元に訪れては、他愛のない雑談を交わすようになっていた。


 『全く、ジンさんも物好きっすね。何が好きでこんなパソコンオタクに付き合うんだか……』


 以前、店に来た二階堂は、カウンター席でコーラをあけるアツロウを見てそう悪態をついたが、何てことはない。
 二階堂自身、二年前はこの少年と同様にカウンター席で管を巻くのが仕事だったようなものだ。

 二階堂からしてみれば、以前の自分を写し見るようで苛立つ気持ちもあるのだろうが、俺からしてみればどっちもどっち。
 弟分が一人増えたというだけの事であり日常が乱される事はない。


 『そういうのが、世話焼きのアンタらしい所だね』


 戯れに話した時、ハルはそう言い笑っていた。
 だが……今回の提案は、少々厄介な事になりそうだ。


 「ねっ、ジンさん。お願いッスから……ほら、こういうの頼めるのって俺の知り合いではジンさんだけっすから……ダメ、ですかね?」


 アツロウは、そう言いながら上目遣いでこちらの様子をうかがう。

 断るのは簡単だ。
 だが、俺が拒んだ後、他の人間に同様の頼みをする可能性があるのが困りモノだ。

 特にこの少年は、頭の回転が速いわりに根っこの部分がお人好しなものだから、人の悪意に鈍感すぎる所がある。


 「大人のアソビ、ねぇ……」


 店に置かれたボトルの位置を直しながら、注意深く言葉を選ぶ。
 目の前には少年の、屈託のない笑顔があった。

 こんな無邪気な笑顔を浮かべるのだから、別段深い意味はなさそうだ。
 それならば。


 「あぁ、別に構わないさ。そうだな、俺の休みはこの店の定休日と一緒だ、キミの都合と合う日に声をかけてくれさえすれば、エスコートさせてもらおうか」


 悪戯っぽく茶化してみれば。


 「えすっ……な、何言ってるんすか、ジンさん! そんなっ、べ、別にデートとかに行く訳じゃないんスから……ったく、からかわないでくださいよ」


 すぐに耳まで真っ赤にする。
 こんなに初々しい反応をするのだから、悪い戯れに興味があるという訳ではない。

 大人たちの雑踏に、混じってみたいだけなのだろう。


 「それだったら……この日なんスけど、開いてます?」


 目が輝き、言葉が弾む。


 「何すか、ジンさん。まためんどくさい事やってますね」


 たまたま店に来ていた二階堂が、俺たちのやりとりに気づき呆れたような顔をみせる。
 だが。


 「あぁ、別に構わないぞ」
 「へへ、やった! じゃ、この日! 2時に渋谷で待ち合わせましょう。 ははっ、楽しみにしてますね!」


 この笑顔が。
 この時間が。

 俺は別に、嫌いではなかった。




 約束の、その日。
 渋谷の街は、数多の人と音とで埋め尽くされていた。

 夜の散歩に付き合ってやる。
 そう言ったが、保護者を買って出たからには危険な目にあわせる訳にはいくまい。

 賑やかな場所が苦手だとも言っていた。
 知人が経営するプールバーがあったから、そこでビリヤードの手ほどきでもしてやるか。

 漠然とそう考えていた俺にとって。


 「うぁ、ちょっ……これでも喰らえッ、よっしゃぁ、やった!」


 目の前で銃の形をしたコントローラーを握り、ゲームの結果に一喜一憂するアツロウの姿は想定外のモノであった。


 「……アツロウ、くん?」
 「えー、何すかジンさん? ちょ、今ちょっと待っていてくださいよ……っと、この面のボス、ちみっと固くて……あぁ、くそ! ジンさん、ちょっと2Pでやってくれませんかね? 一人じゃ辛いんすよ!」


 そう言いながら必死になっているのは、所謂ガンシューティングというものらしい。
 銃の形をしたコントローラーで照準を合わせ敵……このゲームの場合、7つの罪を司る悪魔らしいのだが。そいつらを倒して進んでいくゲームのようだ。


 「あぁっ! あー……ちぇ、やられちゃいましたよコレ」


 アツロウはそう言いながら、銃器の形をしたコントローラーを置く。
 幾度かコンティニューを繰り返したようだが、流石にこのステージのボスは倒せる気にならなかったのだろう。

 ようやく諦めがついたのか、俺の隣に小走りで近づくとぺこりと小さく頭を下げてみせた。


 「あは、スイマセン、ジンさん。今日は俺に付き合ってくれてるってのに、俺だけ勝手に盛り上がっちゃって」


 大人の遊びを教えて欲しい。
 そう、アツロウにせがまれ付き合ってやる事になったのだが、最初に入ったのがゲームセンターと大人の印象とはほど遠い場所だった。


 「あぁ、別に構わないんだが……」


 周囲を見渡せば、この時間に居るのはまだ年若い少年たちが多いからだろう。
 俺の年代でここに出入りしている事が珍しいのか、通りがてらに俺を見ていく人間が多いように思えた。


 「ただ――さっきから、妙に視線を感じる気がして、な」
 「あぁ、ひょっとしたらジンさん、ナンパか何かかと間違えられているのかも」

 「……何だって?」
 「だってほら、ジンさんさっきからゲームもやらないで一人でブラブラしてんでしょ。こーいう所でも結構、ナンパとかあるらしいっすから」


 なるほど。
 俺が再び店内を見渡せば、確かに女性からの視線が多い。

 警戒されていた、か。


 「全く、そうだと知っていれば嘘でも適当な所に座っていれば良かったな」
 「そうっすね……っか、ジンさんも少し遊んでみたらどうですか。こういうゲーム、やってみると結構ハマりますよ」


 アツロウに誘われ、俺は再びゲーム画面を見る。

 めまぐるしく変わる背景に、本物と見まごう迫力をもつクリーチャー。
 ……ゲームなんてガキの頃に少し触れただけの俺には、到底出来そうになかった。


 「いや、俺は遠慮しておくよ。ゲームなんてキミよりまだ若い頃に少し遊んだだけだからな」
 「へぇ……ジンさん、どんなゲームやってたんですか?」

 「どんなって……俺がガキの頃流行ったゲームといえば、格闘ゲームが多かったな。若返る婆さんの出るゲームとか……」
 「あ、それ、今もあるっすよ!」

 「何、本当か!?」
 「えぇ、マジッス。はい、こっちこっちー」


 アツロウは屈託なく笑うと、俺の腕に全身を絡み付けるようにし、ぐいぐいと引っ張って進む。


 「馬鹿ッ、あんまり引っ張るな。そしてくっつくな、人目があるだろうが……」
 「えっと、確かソレの最新作、4月くらいからロケテしてたはずなんでそろそろ出回っていても……あ、ほら。ありましたよコレ」


 こちらの言葉は聞こえてないのか。
 アツロウは全身で俺を誘導し、人混みをかき分けながらあるゲームの前へとやってきた。


 「あったあった、コレコレ、ほら。ジンさんの言ってたゲームって、これの事じゃないっすか?」
 「何言ってるんだ、俺がそのゲームをやっていたのは、十年以上も前の……」


 と、いいかけた俺の目の前にある画面を見て、俺は我が目を疑う。
 そこには確かに俺の記憶にあるゲームが存在していた。


 「あぁ、確かにコレだ……驚いたな、まだあるなんて」


 目の前にある画面は絵柄も随分と綺麗になっている風に見えるが、この雰囲気は俺の記憶にあるそれと大差ない。


 「格闘ゲームって、一時期さっぱり出なくなりましたけど、最近また新作がボチボチ出てるんすよ」
 「そうなのか……いや、なつかしいな」


 俺はそう言いながら、十年ぶりにゲームのスティックに触れる。


 「あ、せっかくですから、少しやってみませんか、ジンさん?」
 「対戦って……俺はもぅ、十年近くやってないんだぞ……」

 「いいじゃないっすか、せっかく、懐かしのゲームと再会したんすから……ね」


 アツロウはそう言いながら、俺の返答も聞かずにコインをいれた。


 「ほらッ、1プレイは俺のおごりッスから。せっかく来たんですから、遊んでかないと損ですって!」
 「あぁ……それじゃ、やってみるとするか」


 アツロウに促され、半ば強制的に始めたゲームだったが……。

 懐かしさと目新しさがあってか。
 俺は結局そのまま30分程度、そのゲームの前に居る事になった。


 「よしッ」


 無意識に言葉がこぼれる。
 昔のカンとビギナーズラックが重なり、結局アツロウからもらったワンコインで何とか最終ステージも攻略する事に成功していた。


 「ほぁ、すっ、すごいじゃないっすか、ジンさんッ。久しぶりにゲームやって、いきなりノーコンティニューでクリアしちゃうなんて……」
 「あぁ……案外、覚えてるモンだな」

 「いや、マジで凄いですよ。俺だって、流石に慣れてないゲームじゃワンコインクリアなんて無理ですから」


 アツロウは尊敬のまなざしを向ける。
 誉められるのは悪くないが、こういうのは何処か気恥ずかしい。


 「それより、これからどうする。まだもう少し、ゲームをしていくのか? それとも。」


 と、俺は腕時計で時間の確認をする。
 時刻は夕食の事を考えてもいい頃合いになっていた。


 「えと、そうっすね……もぅこんな時間か」


 夕食にするなら、近くの店に案内してもいいのだが。

 値段は安いが、味も雰囲気もいい店だ。
 他の連中にはまだ教えてないが、彼になら別に構わないだろう。

 そう、口を開こうとしたその時。


 「じゃ、ジンさん。まだ時間ありそうッスから、カラオケボックスにでも行きましょう! 俺、ここで安くていーいトコ知ってんですよ」


 安くていい店を知っているのは、向こうも同様のようであった。


 「へっ……ちょ、ちょっと待てアツロウ君っ」
 「ちょっと、部屋代が高いんスけど、飲み放題ですし……フードが安くて結構沢山喰えて、仲間うちでも評判いいんスよ」


 断るのは簡単だが。


 「……ジンさんも、気に入ってくれるといいんスけど」


 笑顔を作る瞳の奥に、不安の色が伺える。
 手をさしのべられるのを待つ、怯えた仔猫のような表情だ。

 こんな表情を向けられれば……。


 「はは……わかった、キミが一番お勧めだというその場所に、付き合わせてもらうとするよ」


 満たしてやりたくなるじゃないか。
 その不安そうな表情を、笑顔に変えてみたくなるじゃないか。

 押さえられないその欲求から出たよどみのない言葉に、アツロウは俺の望む表情を顔いっぱいに浮かべてみせた。




 アツロウご推薦の店は、賑やかな繁華街からほんの少し離れた場所にあった。
 予想していたより広くはなさそうだが、雰囲気は落ち着いているいい店だ。


 「あー、スイマセン、ジンさん。俺、なんか来て早々飯ばっかり食っちまって」


 2,3曲歌った所でアツロウは、徐にインターホンを手に取りテーブルにのりきるかも解らない量の注文をした。
 どうやら、カラオケがメインではなく食事がメインでこの店に入ったらしい。


 「いや、別に構わんさ。俺も、小腹が減っていた所だったしな」


 焼きそば、ポテト、たこやき等。
 カラオケボックスといえば定番でありそうなメニューのうち幾つかをつまみながら、俺はそんな相づちをする。


 「へへ、だったら良かったんすけど……あ、俺、やっぱまだまだガキなんすかね。どうも、飯っていうとこういうのが、うまくて仕方ないんですよ」


 そう言いながら焼きそばをつまむアツロウの身体は、華奢に見えるがもうかなりの量の食事が吸い込まれていた。
 俺も、それなりに食べる方ではあるが……やはりまだ、育ち盛り、か。

 だがこの様子。
 夜だの、大人だのと言う男が見せる姿とは、到底思えない。


 「それで、アツロウくん……今日は、本当はいったい何の用があったんだ」


 さては他に目的があったのではないか。
 かまをかけるつもりだったが……恐らくこの少年は元々、嘘偽りを言う事は不得手なのだろう。

 急に深刻な顔になると、さっきまでの元気な様子を潜ませてがっくりと項垂れると力無い声で語り始めた。


 「はは、流石ですねジンさん、俺の事でももー、何でもお見通しっつーか……」


 元々解りやすい性格だからな。
 というのは、彼のいい個性だと思うから言わないでおこう。


 「でも、マジで言うとあんま、意味なんてなかったんです。ただ……大人になるてのが、どういう事なのか……知ってみたくなって……」


 からん、とグラスの氷が揺れた。


 「夏休みに、あれだけ色々な事があって……アイツらとも凄く近くにいるような感じが、あの時はしたんですよ。でも、何つーかな。月日が経つと、そういう記憶も薄らいで……アイツらとの距離も、少し、遠くなったような気がして……ほら、この街だってあれだけの事があったのに、もぅ、以前と同じような状態に戻りつつあるじゃないっすか。あれだけ、色々な事があったのに……」


 僅かに流れる空調の温度が少し暖かい。
 あの夏からすでに数ヶ月が過ぎていた。


 「時間が経つと人間ってやっぱ、忘れちまうもんなんだなって頭では解ってんですけどね……そういうのが大人になる事だなんて思うと。はは、ガラにもなく哀しくなったりもするんすよ。でも……こーいう考え方そのものが、ガキ臭のかなって思うと……何つーか、誰かに言うのもこっ恥ずかしくて……」

 「それで、俺に白羽の矢がたった、と?」
 「そーいう事ッス」


 アツロウは笑顔を作るが、その表情には何処か力ない。


 「はは……あ、別に応えてくれなくてもいいっすよ、ジンさん。その、俺がただ一人で悶々と考えてんのが嫌で、ちょっと聞いてもらっただけッスから……聞いてくれただけで俺、充分嬉しいっす。ありがとーございます」


 アツロウはそう言う、が……。


 「忘れていく訳では、ないだろう」


 黙っては、いられなかった。


 「そう、ただしまっておくだけだ。大切な記憶だから、大切な所に……。キミの大事な思い出は、決して消え去ってしまう訳ではないのだからな」
 「……そう、ですかね」

 「確かにそれを、毎日のように思い出す事は段々と出来なくなってくるだろう。時の流れは緩やかに見えて、驚く程早く激しく人の運命を飲み込んでいくからな……。 だが、今まであった出会いは、記憶は、その人間が生きて歩む為の光として、確実に輝いているもんだ。そう、確実に、な」


 俺は無意識に、自分の胸に触れていた。

 押し流されそうに激しい時の流れは、あいつの思い出に浸る事さえ許そうとしなかったが。
 それでも俺は一日だって、あいつの存在を感じない日はない。

 確かに胸で光る、この暖かな灯火のような存在を。


 「ジンさん……」


 俺の言葉が。あるいは笑顔が、今のアツロウにとって充分すぎる返答だったのだろう。
 彼は少しだけ俯くと、それから不意に顔をあげ、何か吹っ切れたような笑顔に戻り、素早くマイクを手に取った。


 「へへッ、すいません。何かしみったれた話しちゃって……カラオケなのにさっきから全然歌ってないし、いけませんよねコレじゃ」


 その様子に、さっきまでの憂鬱な表情はない。
 切り替えが早いのは、彼らしいいい所だ。


 「と、言う訳で……さっきまではジンさんの前で遠慮してましたがッ。調子良くなってきましたんで、ここらで連続アニソン30曲、いっちゃってみたいと思いますッ!」


 ……いや、少々元気を取り戻しすぎた気もするが。

 まぁいい。
 それでも、今日は全てを許してやろう。

 今は俺も、ただこの笑顔の傍らに居たかった。




 一曲、歌い終えた後。
 普段であれ拍手で出迎えるアツロウが、妙に大人しい。


 「どうした、アツロウくん?」


 不思議に思ってその顔をのぞき込めば何の事はない。
 そこには、壁を枕に寝息をたてる少年の姿があった。

 とばしすぎている、とは思ったがどうやら俺が思っていたより向こうは疲れていたようだ。


 「何だ、全く……自分が散々歌っておいて、最後は寝ちまうなんてなぁ」


 呆れつつも俺が笑っていたのは、その寝顔があまりに無邪気なそれだったからだろう。
 俺は羽織っていた上着を一枚、少年の肩にかけるとその髪に触れる。


 「んぅ……ぅ……」


 起きるか、と思ったがどうやら思ったよりぐっすり、寝入っているようだった。


 「全く、俺の歌は子守歌か……」


 だが、時間も差し迫っている。
 たたき起こしても別に、怒る相手ではないだろう、が……。


 「仕方ない、今日は特別だぞ」


 俺は自らの言葉で覚悟を決め、未だ夢の世界に居る少年の身体を抱きかかえる。
 こうまでされても目覚めないのに多少の驚きも覚えるが、この少年の事だ。

 目覚めた時また、耳まで真っ赤にして俺の事を詰るのだろうがそれはそれ。
 今日、散々振り回してくれた罰だと言い返してやればいい。

 少し戯れてやるつもりが、とんだ大荷物になってしまったが……。

 何故だろう。
 二階堂の言う面倒な、厄介事が今日はやけに心地よい。


 「……ジンさ……ありがと、ございます……」


 微かに漏れるのは寝言か、それともまだ多少は意識があるのかは解らない。
 だがどちらでもいい。

 今はただこの暖かな時を、大切にしていたかった。






 <アツロウさんの存在がデスバウンド>