>>アツロウさんの場合






 東京封鎖が始まって、いよいよ7日目。
 最後の審判が下ろうとする、その日。


 「アヤ――必ず、お前の好きだった世界を取り戻してみせる。必ず……」


 封鎖のせいですっかり乱雑になった自身の店でただ一人。
 蝋燭の灯りを前に自身の決意を抱くジンの元――。

 その少年は、現れた。


 「もうやってらんねぇッスよ、世の中ってどーしてこんなに理不尽なんだ!」


 半ば叫びにも似た声を発しながら勢いよく店の扉を開いた少年は、設定年齢17才。
 だが、外見はまだぎりぎり中学指定の学生服を着ても許される造詣の……有り体に言う所、ショタっこの部類に含めてもよい造詣の少年であった。

 やや大きめの白い帽子と、大きめの鞄にはノートパソコンなどを詰め込んだこの少年は見たコトがある。
 確か……。


 「えぇっと、キミは確か……アツロウ君、だったか」


 脳髄の記憶を呼び覚まし、出てきた名前を呼んでみる。
 彼の記憶に間違いはなかった様で、ジンに名前を呼ばれると少年は。


 「うぃ、そーっす。ども、ジンさん、ちょっといーッスか」


 と、妙に場慣れした様子で店に上がり込むと転がっている椅子を一つ拾い上げ、ジンと対峙するよう腰掛けた。
 すでに上がり込んできている所を見ると、コチラが何を言おうと聞く耳は持たないらしい。


 「どうした、子供に出してやる酒はないが」
 「でも、コーラくらいはあるっしょ?」

 「6日間、全く冷やされてなかった温いコーラならな」


 ジンはそう言いながら、店の奥にあったコーラ瓶をあける。
 明らかに糖度が増していると思われるコーラの甘ったるい匂いが、室内に充満した。


 「……で、どうしたんだいったい。こんな時間に、一人で……何の用事だ」


 一度は消した燭台に再び火をともせば怒りに震えるアツロウ少年の姿が見える。



 「どうしたもこうしたも無ぇっすよ!」



 アツロウ少年は憤りに満ちあふれた表情でテーブルを叩くと、コーラの注がれたグラスを勢いよく握りしめた。



 「実は俺、明日の決戦を前にもー一度皆と打ち合わせっーか……調べモノしようと思ってたんスよ」
 「……調べモノ、だって?」

 「えぇ……ほら、明日一応決戦な訳じゃないっすか。その前に、少しでも有利な情報を何か引き出せないかなって、COMPいじってたりしたんス。ホラ。明日俺らが頑張んねーと、全部ダメになっちまうかもしんねぇでしょ。だから、出来る事はやろうと思って」
 「そうか……立派な事だな」

 「えっ。あ、いやー。そんな事ないっすよ、当然の事ッス!」


 アツロウはそう言いながらも、ジンに誉められまんざらでも無かったのだろう。
 照れたように笑いながら、自分の鼻を擦るその仕草はまだ何処かあどけなささえ残る。

 いや、実際まだあどけない少年と。そう呼んでも差し支えないだろう。

 まだ17才だ。
 この封鎖の中にさえいなければ友達と遊んで日々をすごしているであろう少年なのだ。

 こんな少年少女に人の、東京の命運を背負わせようとするのだから……我ながら残酷な男だな。
 ジンは内心そう呟くと、罪悪感から少年の頭に手を伸ばす。


 「んぅっ……なぁ、何するんスか、ジンさん?」


 突然伸びた大きな手に悪意を感じなかったからだろう。
 アツロウは特に頭を撫でられる事には抵抗も拒否も見せなかったが、驚きと戸惑いの表情を向ける。


 「いや、別に。ただ――頑張っているな、と思ってな。悪い、子供扱いしたつもりは無いんだが」


 ジンは以前、ハルを励ますつもりで同じよう頭を撫でてやって、子供扱いするなと拒絶された事を思い出していた。


 「えっと――いえっ、別に頭撫でられたりってのは嫌いじゃ無いんすよ。ただ、いきなりでビックリしたっつーか」


 アツロウはコーラの泡を眺めながら、照れたように笑う。


 「……ジンさん、手ぇおっきいから、何か照れたっつーか。それだけっす、ホント。たは、何言ってんだろ、俺」


 妙な沈黙が、流れる。
 くすぐったい空気だ。


 「それで、調べて、どうしたんだ?」


 沈黙に耐えかね口を開いたジンの言葉を待っていたかのように、アツロウはまた早口でまくし立てた。


 「いえ、結局何もわかんなかったんですけどね……。ノートPCも使えないし、COMPからデータを引き出す事も出来なかった訳っすから。でも、有効なヒントがあるかもって一応頑張ったんすよ、俺。で、ふっと顔を上げると……誰も、居ないんですよ」

 「誰もいない? ……どういう事だ?」


 「こっちが聞きたいッスよ! 俺が必死でデータいじっている間、気付いたらソデコの奴も、ケイスケもミドリちゃんも……親友(ダチ)のアイツだって居なくなってるんスから!」


 アツロウはそう言いながら、やや興奮気味にグラスを置く。


 「お、おい、グラスを壊すなよ……東京が元に戻ったらまた、店を開けるんだからな」
 「あ。サーセン、つい……」

 「まぁ別にいいが……それで、どうしたんだ」


 聞けば少年たちは、夜の公園で野宿をするような日々を送っているのだという。

 夜の闇の中。
 気付いた時、一人になっていた少年の心細さは想像に難くない。


 「そりゃッ、急にボッチになってたら……寂しいってか。あ、いえ、別に心細いとかじゃ無いんスけど、でも何かあったんじゃ無いかって心配じゃ無いッスか。ケイスケやアイツとかはまぁ、男だから心配ないですけど、ソデコやミドリちゃんは女の子な訳だし。だから俺、すぐに探しに行ったんですよ、そしたら……」


 と、そこでアツロウは唇を噛みしめる。
 何かよほど言いたくないような事が、あったのだろうか。

 心配になり声をかけようとジンが唇を開いた、その時。



 「そしたら……ケイスケの奴、居たんです。 ミドリちゃんと……。ミドリちゃんとッ、暗闇の中、二人で! その体温を確かめ合うよー、しっかりとお互い抱きしめあってね!!!」



 その瞬間。
 アツロウ少年の背後から嫉妬の炎が立ち上るのが、ジンからも見てとれた。



 「だいたい、おふざけがすぎていると思いませんかッ、ジンさん! 俺ら、明日は命の危険がデンジャラスかもしれないという一世一代の大勝負を控えているというのにッ、そんな。暗闇の、公園で、女の子と、だ、だ、抱き合っているなんて! もう、実に破廉恥でけしからん行為ですよ! そんな、命のやりとりの前に破廉恥なんてけしからん、破廉恥けしからんって奴です。コレは僻みじゃないッスよ! 純粋に、明日、東京の運命を憂う若者の一人として言っているんです。 僻みじゃない! 僻みじゃないっすよ!


 「そういうのを、僻みというのだろう……」



 「僻みじゃねぇっす! 仮に僻みであったとしても、僻みという名の正義感っすよ!」



 言葉の意味はよく解らないが、有無を言わせぬ凄味はある。
 さしものジンも思わず一歩退き、アツロウの僻みという名の正義感を受け入れざるを得なかった。


 「わ、わかった……これは限りなく僻みの感情に近いモノだと思うが、ひとまずそれも正義感だと思う事にしよう。それで、その正義感とやらに狩られた後、キミはいったいどうしたってんだ?」


 ジンが限りなく否定よりでこそあるが、自らの意見に肯定の色を見せた事にひとまず満足はしたのだろう。
 アツロウはにっこりと微笑むと、さらに熱っぽく語り続けた。



 「そりゃ、正義感溢れる俺ですから、そういう破廉恥な行為を公園で堂々と行う連中、許しておく訳にはいかないじゃないっすか! とはいえ、ほら。ムードが盛り上がっている中、俺がいきなり出ていった所で盛り下げるのも悪いと思うし。それにホラ。二人が結構盛り上がりすぎてたりしたら、逆に俺の存在がスルーされる可能性さえあるっしょ。だからこー。からかうなら、もっと人数居た方がいいじゃないっすか。なもんで、ひとまずね。ソデコとアイツを探して、呼びにいったんすよ。一緒に、ケイスケたちをからかってやろーと思いまして、ね……」


 正義感溢れる少年らしからぬ俗っぽい行動だな。

 ジンは内心そう呟き、蝋燭の灯りを眺めた。
 この一週間世話になった蝋燭も、間もなく役目を終えようとしている。


 「ほぅ、それでどうした」

 「いえ……ま、公園っていっても俺らが使っている場所はもー、大概決まってましたから。ケイスケ同様ね。アイツとソデコも、まぁ、簡単に見つかったんすよ、簡単に……簡単にッ、お互い寄り添って、ち、ち、チューなんてしている所をね!



 その時。
 ジンの目には、アツロウの目から溢れる血の涙が見えた。

 実際には流れていない涙ではあるが、その光景。現実ではなく精神(こころ)で見る事が出来たのだ!


 「はは……俺の知らない間に、俺以外、みーんな……みーんな、よろしくやっていた訳ッスよ……」


 そういいながら、アツロウはがっくりとその場で項垂れる。

 その姿。
 あたかも、キーパーまで抜いてゴール目の前というのにシュートしたらふかしてゴールのはるか彼方へとばしてしまったストライカーの背中のようであった。


 「ねぇ……ジンさん、俺って……イケてないっすかね。そんな、女性から見て魅力無いッスかね……」
 「だ、大丈夫だアツロウくん、キミはその……充分、いい奴だって」


 まぁ。
 いい奴が往々にしてモテる訳ではない事、ジンはよく心得ているのだがそれは今言うべきではないだろう。


 「そうっすよね、別に俺ッ……オタクかもしんねーけど、悪人とかじゃ、無いっすよね!」
 「あぁ、オタクかもしれんが……だが、オタクだと思えない位アグレッシブで社交的だ!」

 「ソデコにも、良くからかわれてたけど……でも、影で結構頼れる奴って言われていたみたいだし」
 「あぁ、キミは頼れる男だぞ。 何せキミのハッキング能力がなければ打開出来ない局面もあったと聞くしな」

 「ミドリちゃんも、俺の事一応頼れる友人みたいに扱われて、慕われてましたし!」
 「キミは人なつっこく愛嬌もあるから、初対面の相手でもうち解けやすい。慕われるのも当然だろう」



 「…………それなのに、それなのに、何で俺じゃないんだよチクショー!!!」



 しまった。
 慰めていたつもりだったが、逆にアツロウの心の傷を刺激していたようだ。


 「や、やめろアツロウくん! キミが貫通+物理激化+デスバウンドしたら、東京が平和になっても店が開けられん!



 「うあぁああ! 俺より幸福な奴はゾンビになればいーんだーぁああ!」



 「そんな事されたら、キミ以外全員ゾンビになりかねん! ったく、仕方ない、少し荒療治だが!」



 少年が鬼神となり、止められないという事実を悟った時。
 ジンがとったのは、パラライズでもなければマヒ追加でもない。


 まさかの物理反射装備であった。


 「うぁ、うぁら、あぶぇしぃ!」


 暴れまくったその代償を、己の肉体で受け止め後方へ吹っ飛び、アツロウは倒れ伏す。
 激化状態の攻撃だ、おそらくは軽く三途の川を見ている事だろう。


 「……リカーム」


 だが今、復活魔法がデフォルトであるこの世界において一時倒れる事は敗北ではない。
 ボソっと呟いたジンの言葉で、アツロウはゆっくり起き上がった。


 「あ……ジンさん、おはようございまっす」
 「あぁ、おはよう……少しは落ち着いた、か?」


 「えぇ……まぁ、まだ少しはデスバウンドりたい気分も残ってますけど……」


 「その時はまた、物理反射だな……」
 「はは、あんなに痛ぇのはゴメンなんで、もーやめときますよ」


 アツロウは力なく笑うと、倒れた椅子をおこす。

 全く、どうなる事かと思ったが。
 ジンは一つ嘆息をつくと、すっかり暖かくなったコーラのグラスを見つめるアツロウと向き合った。


 「全く、下らない事で店をこわそうとするな」
 「はは、サーセン」

 「それに、そんなに気に入らなかったのか、その……ケイスケ君や、彼が恋人と過ごしている事が」


 ぱちん、と。
 コーラから、小さな泡が弾けて消える。


 「いえ、凄く……嬉しいッスよ、これは、マジです」


 指が、唇が。
 微かに震えている。


 「ケイスケの奴、面倒見いいからミドリちゃんみたいな子は絶対に放っておけねーと思うし。ミドリちゃんなら、ケイスケが今置かれている状況とか解ってても助けてやれそうな気ぃしますから……。はは、結構お似合いなんじゃないっすか。お互いにあれ、似たタイプですからね」


 語られる言葉も、今は嫉妬のかけらも見えない。


 「それに……俺、知ってたんスよ。ソデコ……ユズが、昔っからアイツの事好きだったっての……ね。アイツは鈍感だから気付いてなかったかもしんないっすけど。俺とか、他の男友達とは明らかに違う視線で、ユズはあいつの事見てましたから。ずっと、ずっと。ユズにとって、アイツだけが特別な奴だったから……」


 ぱちん、と泡がまた弾けアツロウの顔に、優しい笑顔が浮かぶ。


 「だからもし、ユズのそういうのがアイツに伝わったんなら……嬉しいッスよね、マジで。おめでとうって言ってやりたいッスよ」



 手が、指先が、声が
 微かに。

 だが、明らかに震える。


 「でも、何ででしょうね。おめでとうって言いたいのに、喜ばしい事なのに……」


 ぽつりと、こぼれた滴がカウンターを濡らす。
 雨ではない。


 「喜んでやんなきゃいけねーのに、さっきから俺、涙が止まらないんスよ……」


 少年の目からこぼれる滴は、暖かさと優しさに満ちあふれていたが、ほんの少し塩辛かった。
 その涙を受けるよう、ジンは一つ空のグラスを差し出す。


 「?、何すか、コレ」


 不意に現れた空のグラスを見て虚を突かれたような表情を見せる少年に、ジンは優しい笑顔を向けた。


 「東京の封鎖が終わり、全てが元通りに戻ったら……夏休みが終わる前でもいい、俺の店に、遊びに来い」
 「え、いいんすかっ。だって、ジンさん。この店、アレでしょ。大人が洒落て飲むタイプの……」

 「別にいいさ。キミは……もう立派な大人だからな」


 空のグラスが、涙を受ける。


 「へへッ、ありがとうございます。それじゃッ……未来の俺がココで洒落た大人の世界を知る為に、明日は頑張りましょうかね」
 「あぁ、よろしく頼むぞ、アツロウ君」

 「えぇッ……そのっ、ジンさんも。全部終わったら、いーい酒とか教えてくださいね。約束ッスよ」
 「はは、それは……キミの活躍次第、だな」


 薄明かりは影を映し、互いの影は寄り添うように揺れる。

 決戦が近づく中。
 それぞれの夜、それぞれに、信じ会える絆が出来ようとしていた。





 <アツロウさんはジャンル、ショタっこで>