>>ミドリ、ヒカリ。
日が巡る限り、世界に光が潰える事はないと。
そう、思っていた。
だが――。
一度は闇に染まったこの僕に、光を受ける資格が果たしてあるのだろうか。
この、僕に――。
「あっ、いたいた。ケイスケ、探したんだよ!」
仲間達から離れて一人で夜の公園を歩いていた僕に声をかけてきたのは、ミドリちゃんだった。
彼女は、僕が軽率だったばかりに危険な事を始めるに至り、そして残酷な事件に巻き込まれてる事になってしまった子だ。
それにも関わらず、僕を責める事もなければ泣き言を漏らす事もなく何かと僕を気遣ってくれている。
僕より年下だけど――僕よりずっと、強い少女だ。
「もー、何処行ってたのケースケ! 気が付いたらケイスケが居なくなってたから、私すっごく心配したんだよ」
彼女はそう言いながら、スカートの回りにつけられた装飾のリボンを指先でいじる。
笑顔も、仕草も。
初めて出会った時と変わらずあどけなく、だからこそ眩しい。
僕は、彼女を巻き込んでしまった。
そんな負い目があったから、彼女の笑顔を見る事が出来ないでいた。
「ごめん、ミドリちゃん。ちょっと考え事がしたくて、ね」
目を伏せて呟く僕の目の鼻先に、彼女の白く細い指が一瞬だけ触れる。
「もうっ、だったらみんなに一声かけてよ。急に居なくなったら心配するんだから!」
感情の起伏こそ激しいがどちらかと言えば温厚ととれる彼女の語調が、珍しく荒い。
怒っているのか。
「ごめん、ミドリちゃん。もう少し歩いたら、また皆の所に戻るよ」
小さく頭を下げ、彼女の顔を見ないよう振り返る。
そんな僕の隣に小走りで近づくと、彼女は列んで歩き始めた。
「……ミドリちゃん?」
「だったら、私も行く。停電で暗いし、悪魔も居るかもしれないでしょ。一人より二人の方が安全だよ、ケイスケ」
「でも……」
僕には、彼女を巻き込んでしまったという罪悪感がある。
だが彼女は、何も変わらず僕に優しい笑顔を向ける。
彼女のその優しさが、今の僕には苦痛だった。
それに、思う。
果たして僕に、彼女と居る資格なんかあるんだろうか、と。
自分が信じる公平な世界の為に、人を傷つける事さえ厭わなかったこの僕が。
自分が信じる正義のため、自分を犠牲にする事だって厭わなかった彼女と並んでいる資格が。
「……でも、ミドリちゃん。心配ないよ。COMPもあるし。僕なら大丈夫だから」
断ろうと思った。
今の僕には、彼女の光に触れる資格はない。
そう、思っていた。
だが。
「いやだよ、ケイスケ。わたし、ケイスケと一緒にいたい!」
彼女は半ば強引に僕の腕を取り、身体一杯つかって僕の腕を抱きしめる。
華奢だが暖かな彼女の体温が、僕の腕を包み込んだ。
「嫌だよ、ケイスケ……もう、一人で何処かに行っちゃわないで。みんなと。ううん、私と一緒に居て……こうして、私の傍にいて……」
触れて初めて、彼女の身体が震えているのに気付く。
その時、僕はやっと気付いた。
彼女は、たった一人で僕の事を探しに来たのだ。
こんな暗い場所に、たった一人で。
……女の子一人では、よっぽど怖かっただろう。
でも彼女は、そんな想いまでして僕を捜しに来てくれたのだ。
「ごめん、ミドリちゃん……」
僕は本当に、彼女を傷つけてばかりいるな……。
その思いから無意識に出た言葉に、彼女はまた無邪気に笑った。
「あは、ケイスケってば本当に謝ってばっかり。別に今は何も悪い事してないのにね」
そしてさらに強く、僕の腕を抱きしめると。
「ね、ケイスケ。少し、歩こう。皆の所に戻る前に、少し……」
そういいながら、半ば強引に僕の手を握りしめて歩き始めた。
「考えてみれば、ケイスケと二人で居るのは最初に会った時以来だよね」
その言葉で僕の脳裏に、初めて彼女と会ったあの日の光景が蘇る。
「COMPを使って悪魔退治をし、一人でも多くの人を救う。そんな正義のヒーローになりたいんだ!」
恥ずかしがる事もなくそう話し、熱心にCOMPの扱い方を聞いていた彼女の「正義の味方になりたい」なんて夢は、大人たちからしてみれば下らない事だっただろう。
だが、彼女の熱意は本物だった。
人を助けたいと思う気持ち。
その思いに感化された僕は、惜しみなく彼女にCOMPの使い方とその知識とを教えた。
その輝く目と、笑顔とを信じて。
「もぅ、何か言ってよケイスケ。全く、ケイスケってばそっけないなぁ。最初は、もっと色々と話したじゃない。ねぇ」
何も言わず物思いに耽る僕に、彼女は少し頬を膨らます。
そう、最初はそうだった。
僕はCOMPの使い方を彼女に教える事で、彼女が守れると思っていたから。
そうする事で彼女が、多くの人を救ってくれると信じていたから。
何より僕自身、今ほど人間に絶望していなかったから、色々語る事も出来ていた。
だけど、今は――。
果たしてあの裁きは、本当に正しかったのだろうか。
皆の元に戻ってきた今でも、その思いが僕を締め付ける。
そう、僕は一度は覗いてしまったのだ。
人としての理性、それを越えた向こう側にある、闇より暗い心の深淵を
そんな僕にどうやって、未だ光の中にある彼女たちと、笑って歩けというのだろうか。
一体、どうやって。
「ね、ケイスケ。私と一緒に居るの――嫌?」
思いを巡らす僕にとって、彼女の疑問はまさに思わぬモノであった。
「何言ってるんだよ、ミドリちゃん。別に、そんな――」
「だって、ケイスケ。皆といる時より静かだし、私の方もあんまり見ないし――ずっと、私の事避けている。そんな気がしたから」
確かに彼女の言う通り、僕は彼女を避けている。
彼女を一番傷つけたのは紛れもなく自分だから、そう思っていたからだ。
でもそれを言えば、彼女を傷つけるだけではないか。
「……そんな事ないよ。ただ、疲れてきたからさ」
だから僕は、思いやりの嘘でその場をやり過ごそうとした。
その瞬間。
「うそつきっ!」
突然、彼女が声をあげる。
「そんな事言って、ケイスケ。本当は何か悩んでるんでしょ。悩んで、辛い思いしてるんでしょ。そうなんでしょ。ね、ケイスケ。もしそうなら、本当の事言って」
そして、早口でそうまくし立て。
「ケイスケが辛いのは私も辛いの……もう、ケイスケがあんな風になっちゃうの、私、嫌だ……」
泣き出しそうになりながら、僕の胸へと縋り付く。
「ミドリちゃん……」
僕は何をしているんだろう。
彼女を不安にさせないようにとついた嘘で余計に不安にさせている。
……本当は彼女の顔を、こんな風にはしたくない。
彼女は。
彼女にだけは、笑っていて欲しいのに。
「……ね、ケイスケ。お願いだよ。辛いとか、苦しいとか。そういうの、一人で背負い込まないで。私、もうケイスケが一人で苦しんでるの、見たくないよ」
「でも、僕は……」
「ずっと背負っていたんでしょ。自分がした事の、大きさ。重さ……」
隠しているつもりだったが、彼女には見透かされていたようだ。
僕は自然と苦笑いになると、無言で頷き肯定する。
背負っていた。
いや、過去形ではない。
今でも背負っている。
皆と一緒に東京を元に戻す為という名目で頑張っているが、本当は事の重大さ。
罪の意識で胸が押しつぶされそうになる。
「……僕のした事は、それだけの事だよ」
だから背負っていこう。
向き合えるかどうかはわからない、だけど、この重みとともに生きていこう。
僕にはその覚悟があった。
だから。
「だったら、それ……私にも、少しだけ分けてほしいんだ。ケイスケの重み、少しだけでも私も、背負いたいもの」
優しい笑顔で笑う彼女がそう救いの手をさしのべた時。
「駄目だ!」
僕は強い拒絶をした。
「悪いけどあれは全て僕の責務だ。僕が悪いのであって、キミは関係ない。だからこれ以上、僕に関わらないでくれ!」
僕はただ。
彼女には、暖かな光の中を歩いていてほしいから、だから。
だから強い、強い拒絶をした。
だけど。
「駄目だっていっても、駄目だもん!」
彼女は僕の拒絶に、さらに強い拒絶を見せる。
「ケイスケはそうやって何でも一人で頑張っちゃうんだもん。でも、一人でばっかり頑張らなくてもいいんだよ!」
彼女の言いたい事は解るし最もだとも思った。
だがそれでも、やはり僕の責務は他人に担わせるにはあまりに大きく、重く……そして、暗すぎる。
僕の闇はそれほど大きいもの、だったのだ。
「……気持ちは嬉しいけど、そういう優しさはただ残酷なだけだ」
僕は彼女の身体から離れると、わざと突き放すような冷たい語調で言った。
「キミが、僕の責任を背負う理由なんて……ないだろう。キミには、関係ないんだから」
こんなに黒い思い彼女に与える訳にはいけない。
そう。
彼女にだけは、背負わせたくないのだ。
屈託のない笑顔の似合う彼女が、苦しむ顔など見たくはないから。
彼女が笑っていられる事。
今の僕にはそれだけが、唯一の希望なのだから。
「それじゃ、ミドリちゃん。僕……もう少し一人で考え事があるから」
彼女に背を向け歩き出す。
目の前にはただ暗く、深い闇が広がっている。
永遠に続く都会の闇は、僕を飲み込む精神の深淵その色にも似ていた。
だが、僕が進むに相応しい色だ。
内心そう呟いて、闇へ一歩進もうとした。その、僕の背中から。
「理由なら、あるもん!」
彼女の、声がする。
震えた声に気付かぬふりをし歩もうとする僕をさらに強い声が引き留めた。
「私は、ケイスケが好きだから!」
振り返らないようにしよう。
そう思っていた僕の足が止まる。
「私、ケイスケの事が好きだから辛いの! ケイスケが辛い顔をしている所見るのが嫌なの! 皆の所から離れちゃうんじゃないかって、それが嫌なの!」
止まった僕の足をさらに引き戻そうと、彼女の必死の告白は続く。
僕は……。
今になって自分の不甲斐なさに気付く。
女の子に、ここまで言わせないと気付かないなんて。
いや。
彼女にここまで言われないと、自分の気持ちと向き合う事も出来ないなんて……な。
「僕が……」
振り返らずに、告げる。
思いのまま、思うがままに。
「背負ってきたものはひょっとしたら、凄く重くて醜いものかもしれないよ。それでも……そんな事、言うのかい」
「言う。言うよ、ケイスケが好き。誰よりも好き」
「キミが思っているより僕はずっと、臆病で不甲斐ない情けない人間だ。それでも、一緒に居てくれるっていうのかい」
「うん、一緒に居るよ。私、そんなケイスケと、ずっと。ずっと一緒にいたい!」
「だったら……」
振り返った時、僕の前には涙で濡れた彼女の姿があった。
「キミの涙を拭う事を、僕に許してくれ。 僕も……キミの傍に、居たい」
涙で濡れていた顔が一瞬で、明るく輝く。
かと思えば。
「ケイスケっ!」
彼女はその全身を使い、僕の身体に飛び込んでくる。
腕からは暖かさの他に僅かな震えも伝えたが、それが恐怖からくるものではないのは繋がる心で理解出来た。
「ケイスケ、ケイスケ、ケイスケっ、よかった……私、ずっと嫌われているんじゃないかなって思っていたから」
「違う。僕は……ミドリちゃんを危ない目に遭わせたし、嫌な所も見せた。キミには相応しくないと思っていた、それだけだったんだ」
「……そうなの? 良かったぁ。良かった、本当に良かったぁ」
辛くても、嬉しくても。
同じように涙を流す彼女の、その涙を唇で拭うと、僕は静かに彼女を抱く。
僕は。
世界がこのまま終わってしまっても終わらなくても、大差ないと心の何処かで思っていた。
世界が終われば、ただ、犠牲になった数多の命、その一つとして消えていくだけ。
終わらなければ、元のあの牢獄のような空間に追いやられるだけだ。
苦痛が一瞬か、長く続くか。
それだけの違いでしかないだろう。
そう思っている所があったのだ。
だが……。
今、この瞬間からは違う。
彼女が居てくれるなら、きっとそれだけではないはずだ。
確信ではないが、そうなる自信はある。
一度、深淵を覗いた僕だけれども、日が巡る限り開けない夜がないように。
希望の火種が潰えない限り、光のない闇もまた無いのだろう。
終焉が近づく中。
陰鬱だった心に温かな光が射し込む。
夜は巡り朝がくる。
決戦は近づこうとしていた。