>> アツロウたんとバレンタインするよ!





 2月の冷たい風が頬を切る。
 その歳のバレンタインは休日だったとはいえ、空の鞄がむなしさを助長した。


 「んまぁ、本命チョコなんてぇものは実在しないんだ。都市伝説だからな。うん」


 自らを慰めるよう呟く言葉も今はただ吹き付ける空っ風に吸い込まれている。

 今日は心身共に冷える。
 一刻も早く家に戻り、今日はゆっくり風呂にでも入って暖まろう……。

 その思いより自然と足が速くなる俺の耳に、聞き覚えのある声がしたのはまさにその時だった。


 「おーい、せんぱーい!」


 片腕を振りながら息を弾ませ走ってくるのは、木原篤郎……。
 俺が不安から「アツロウ」と呼んで可愛がっている男だ。

 ……何時からの付き合いかは、実は正直覚えていない。
 ただ、気付いた時アツロウは俺の事を「先輩」と呼び、俺の前によく現れるようになっていた。

 プログラマーを目指しているとか、普段は家に引きこもってパソコンを弄っている……。
 そう公言していたものだから、取っつきにくい男かと思ったが人なつっこくよく笑う可愛い奴なもんだから、俺もつい目をかけて色々世話をしているのだ。

 ……最もこうして付き合っているのも、アツロウの奴がやたらと俺に懐いて、連んでくるからな訳だが。


 「何だ、そんな全力で走ってきて……」

 「はー、はー、はぁーっ……いえ、ほら先輩。今日はバレンタインデーでしょう。だから、先輩、チョコ貰えたかなー、と思って」


 アツロウは相変わらず愛嬌たっぷりの人なつっこい笑顔で、的確に俺の傷をえぐりにかかってくる。

 ……人とあわなかった休日だ。
 元より異性より同性にモテる俺の元にわざわざ、チョコを届けるような異性など思い当たらない。


 「へへ、もし先輩が貰ってたら、俺、お零れ貰おうかなと思って。ほら、先輩モテそーじゃないっすか」


 アツロウの奴。
 この俺が普段から女性を侍らして歩いている所を一度でも見た事あるのだろうか。

 いつも俺の周囲にいるのは屈強な筋肉のメンズばかり。
 俺の知り合いで一番可愛い顔と性格をしているのは、目の前にいるアツロウだと思う程女性には縁がないというのに……。


 「モテる訳ないだろうが。お前は、俺を買いかぶりすぎだ」

 「えー、まさか!」
 「まさかじゃなく、一個ももらって無ぇよ、お生憎様だったな」

 「マジでっ、ゼロっすか。あー、そりゃ良かっ……じゃない、残念残念。まま、来年ありますって、ははっ」


 アツロウはそう言いながら、俺の背中をバンバン叩く。
 だがさり気なく「そりゃ良かった」なんて口走った事を、聞き逃しはしなかった。

 全く、地味に喜んでんじゃない……こっちは結構、切実なのだ。


 「そういうお前は、どうなんだよ」
 「えっ、どうなんだって……何がっすか?」

 「だから、 チョコ。一個くらいは貰えたのか?」
 「えっ。俺ですか? たはー、厳しいトコついて来ますね……俺も全然でしたよ。だいたい、貰えてたら先輩にチョコタカリにきたりしませんって」


 それもそうだ。
 どうやら今年のバレンタインは、お互いにとくに成果もないまま静かに過ぎていたらしい。

 まぁ、俺もアツロウも女の子達と勇んで絡むより、男同士で馬鹿やっている方が面白いというタイプだ。
 これも、当然の結果なのだと思うが……。

 北風が身に染みる。
 寒い冬が余計に寒く思えた。


 「……先輩、本当にもらってないんすね?」
 「当たり前だ。だからやるモンはねーぞ」

 「そうっすか、へへ……」


 そこでアツロウは照れたように笑うと、俺の腕に絡みついてきた。

 アツロウは……。
 背丈は多分、一般的な少年とそれほど変わらないのだろうが、何処か幼い顔立ちと無邪気で愛嬌たっぷりの笑顔に、少し子供っぽい行動も相まって時々女の子のように愛らしく見える事がある。


 「……よかった」


 僅かに頬を赤らめて鼻先を掻き、俺に聞こえないよう小さく呟くその所作が、俺の好きなその「愛らしい仕草」だったから、俺もつい視線を逸らす。

 ……あの表情を見ていたら、俺は簡単に一線を越えてしまう。
 その自信しかなかったからだ。


 「なっ……何だよ、急にくっついたりして……」


 上擦った声を隠しながら、傍らにあるアツロウの体温を感じる。

 「別に……深い意味なんか、ないっすよ。ただ、貰えないモン同士仲良くやりましょってだけです……それとも、俺がくっつくの、いやですか?」
 「いや、そういう訳では……」

 「だったら、いいじゃないっすか。少し一緒に、歩かせてくださいよ」


 結局俺は、アツロウの笑顔に負けそのまま腕に絡むアツロウを許容する事と相成った。
 他愛もない事を話しながら歩けば、程なくして俺の自宅前へとたどり着く。


 「えっと、少し待ってろ。鍵、何処にいれたっけな。鍵……」


 ポケットをまさぐり鍵を出そうとする俺を横に、アツロウはポストを指さした。


 「あ……せんぱい。先輩の家のポスト……何か、入ってるみたいですよ」
 「馬鹿言うなよ、何が入ってるってんだよ」

 「ひょっとして、チョコレートかもしれませんよ、ほら」
 「チョコ? 何で俺の家にまでわざわざチョコ届ける奴がいるんだ……あっ」


 アツロウに言われ、半信半疑でポストに手を突っ込めば、指先に箱のようなものが触れる。

 思い切って取り出してみれば、綺麗にラッピングされたチョコレートらしきものが現れた。
 甘い物にはうとい俺でも知っている、有名店のものだ。

 生憎、差出人は誰だかわからないが、有名店のチョコ。
 それも、この大きさのチョコだ。

 決して安いモノではない。


 「先輩、それ、チョコ? チョコですよね!」
 「あー、うーん。う……みたいだな」

 「良かったじゃないっすか。 ちゃんとチョコ貰えて! しかもそれ、その大きさ。多分、本命チョコっすよ! 都市伝説でしか存在しないはずの!」
 「う、あぁ。そうだな……」


 アツロウはまるで自分の事のように喜んでくれるが、正直俺は微妙な気分だった。

 本命チョコを貰えてないアツロウを前に、こうしてチョコを貰っているという負い目もある。
 だが、何より差出人がわからない所が頂けない。

 誰のものだかわからないチョコレートを安易に口に出来る程、俺も度胸のある男じゃないのだ。


 「あれ……先輩、嬉しくなさそーっすね。食べないんですか、それ」
 「あぁ、そうだな……いや、アツロウが貰ってないのに、俺だけ食べると悪いし……」

 「そんなっ! 俺、別に全然気にしないっすよ。先輩の幸せ、素直に祝福出来るっす!」
 「それに……見知らぬ相手からのチョコレートってのは、流石の俺もちょっと怖いからな……」

 「えっ! えっ、じゃぁ、それ食べないんすか?」
 「……誰からか分からないモノだ。毒でも入ってたらたまらないだろう?」

 「でも、でも……それ、まだ封を開けた形跡ないじゃないっすか。まだ開けてないっぽいから、毒なんて入ってないんじゃないですかねぇ?」
 「開けた痕跡がなくても、テープやラッピングをしなおしたのかも、しれないだろ?」

 「でも、それネット通販でしか買えないチョコっよ、ネット限定品のっ、有名店の……勿体ないじゃないっすか!」
 「何だ、そうなのかこれ……」

 「そうっす。何処のサイトでも売り切れだった所、やっと見つけたんスよ!」


 何だろう。
 アツロウの奴、いやに俺にこのチョコをすすめてくる。

 いや、それだけじゃない。
 いやに、このチョコについて詳しい。

 ひょっとしたら、このチョコレートを準備したのは、目の前にいるアツロウなのでは。
 僅かに抱いた疑念を胸に、俺はもう少し揺さぶってアツロウの証言を引き出す事にした。

 少しでも、ボロを出してくれるといいのだが……。


 「でも、俺甘い苦手だろう。限定品とか言って、甘すぎると食べられないからな……」
 「そ、それくらい知ってますよ! でも、おれ、先輩でも食べられそうなチョコレート選んで探したんですから……あ」


 運良くボロを出してくれればいい。
 そうは思っていたが、ここまで簡単にボロを出してくれるのは正直拍子抜けだった。

 拍子抜けだったが、このチョコレートの正体を知る事が出来たのでひとまず良しとしよう。


 「……えっと。これ、お前から?」
 「あ。 ちがっ。 違わないけど、そのっ。 違うんすよ、別に、俺が先輩の事を好きだとか、先輩に恋してるとか……そんな、変な意味とかじゃなくって。 何て言うのかな、先輩には、世話になっているし。何というか、先輩はアニキみたいに頼れる存在というか、一緒に居て嬉しい人だから……別に、深い意味とかは無く……」

 「そうか。ありがと」
 「……えっ?」

 「いや、嬉しい ……開けていいか?」
 「え、いいんすか。先輩?」

 「……何が」
 「だって、俺、一応男だから……男からのチョコレートなんて、変だー。とか。喰えないー、とか。そういうのは……」

 「誰からかわからないチョコだったら怖くて食えなかったし、人から貰ったチョコならお前に悪いと思ったんだが……これ、お前からだろ? お前が心を込めて選んでくれたチョコレートなら、食べるさ」

 「え、でも。 通販で買った奴だからひょっとしたらすげーマズイかもしれねーし。 というか、俺の目の前で食べるのとか、恥ずかしーし!」
 「喰って欲しいのか喰って欲しくねーのかどっちだ、お前は?」

 「え。そ、それは…………先輩が、食べてくれれば俺、嬉しいけど……」
 「だったら……貰うぞ」


 俺はその場で包み紙をあけて、中にあるチョコレートを一つ頬張る。

 なるほど、アツロウの言う通り。
 カカオの苦味が舌に広がる、甘いものが苦手な俺でも苦もなく食べれる味だ。


 「どうっすか、先輩。どうっすか……」


 アツロウは顔を真っ赤に染めながら、俺の服その裾を何度も引っ張って問いかける。


 「うん? うまいぞ、少し苦味が強いが……それが俺にちょうどいい」
 「ホントっすか……ホント? ホントに?」

 「そんなに気になるなら、お前も一つ食べてみたらどうだ。ほら?」
 「お、俺は……俺はいいっすよ、それ、先輩にくれた奴ですから」


 でも、良かった。
 アツロウはそう呟いてから、嬉しそうに微笑んで俯く。

 その所作に、言葉に、深い慈しみとそれ以上の感情が含まれていた事は、普段は人の気持ちに鈍感だと言われる俺の心にも充分すぎる程に伝わっていた。

 違うと、何でもないと。
 繰り返しそう語っていたが、アツロウはきっと、ずっと以前より俺の事を好きでいてくれたのだろう。

 俺に懐いていたのも、ただ俺と馬鹿騒ぎするのが好きだっただけじゃない。
 この俺の傍らにいるのが、好きだったのだ。

 思いに気付いた今、アツロウの全てが愛おしく思える。

 同時にその思いに答えを出してやりたい。
 叶えてやりたいという欲求が、俺の胸に沸きだした。


 「なぁ、アツロウ」


 一つ、とびっきり甘くみえたチョコレートを口に含み、優しい声でその名を呼べば。


 「何すか、先輩?」


 アツロウは無防備な顔を、俺の方へと向ける。

 元々、俺とアツロウの距離は他の連中と比べればずっとずっと近くにあった。
 触れようと思えば何時だって触れる事が出来るし、手だって繋ごうと思えばいつもすぐ傍にある距離だった。

 だからそう、唇も奪おうと思えば何時だって奪えるのだ。


 「……っんぅっ!?」


 驚き甘い吐息を漏らすアツロウの柔らかな唇が、俺の上で蠢く。

 戸惑い、何か言おうとするその隙間から、俺は素早く舌を滑り込ませて口に含んだチョコレートを押し込んだ。
 互いの口中で、少しほろ苦い味がゆっくり、広がり消えていく。


 「……ぷはっ。 なっ、何するんですかっ、先輩」
 「何って……言わないと、分からなかったか?」

 「わ、わ、わからない事はないですけどッ……急にっ、こんな……誰か見られてたらどうするんスか……」
 「な、美味しかっただろ。チョコ」

 「だ、だからってこんなチョコの食わせ方しなくても、いいじゃないっすか……俺、今の……はじめて、だったのに……っ」
 「そうか……じゃ、悪い事したかな。俺?」

 「えっ。え、いえ……あの。確かにいきなりってのはビックリしたんですけど……でも。俺っ……俺、せんぱいと……」


 アツロウの手が、俺の袖を握る。


 「俺、ずっと先輩にこういう風にされたかったから……」


 だからいいっすよ。
 俺、先輩になら何をされてもいいんです。

 アツロウは笑顔でそう語る。
 俺はこのアツロウの、無邪気な笑顔が好きだから。


 「……それじゃ、もういっこ。食べるか?」


 俺はもっとアツロウを喜ばせたくなって、そんな悪戯な提案をする。


 「も、もう一個って……全く、先輩ってばずるいんだ、そーやって俺をからかってばっかりで」
 「……いらないか?」

 「い、いらなくないっす! ……もう一個だけ、いいっすか。俺……今度は、もう少しゆっくり、先輩と……したい……」


 恥じらいながら俺の指を握る仕草は相変わらず、少年っぽいが何処か愛らしいアツロウの顔だ。

 俺が、誰より笑わせてやりたいと。
 幸せにしてやりたいと思える顔でもある。


 「あぁ、了解……っと」


 俺はアツロウが握った指先を握り返して、その手を強引に引き寄せる。
 そして、崩れかかった姿勢を支えるふりをして、その細い身体を抱き上げてやった。


 「えっ。あ、せせ、先輩! 何するんですかっ、ちょっ……」
 「だから。もーいっこは……俺ん家で、な。ここだと、お前も恥ずかしいだろうし……キスしか出来ないもんな?」

 「ななな、何言ってるんすか。それに、こんな急に……お姫様ダッコとか……」
 「心配するな。嫌ならやめる……お前の嫌がる事はしないつもりだが、さぁて、どうする?」

 「もう……ホントずるいっすよ先輩は。俺が、そー言われて断れる訳ねぇって知っててそんな事言うんすから……」


 アツロウは微笑みながら、俺の胸元を小さく小突いた。
 そして。


 「……俺、こういう経験ないからっ……優しくお願いしますね、せんぱい?」


 甘い声と吐息が、耳に絡まる。

 外は相変わらず冷たい風が吹き荒んでいたが、俺たちの中にはすでに冷たい風は消えてなくなっていた。






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