『どうしてこんなことになったんだろう…』
私立SEED学園高等部第2学年に在籍するイザーク・ジュールは焦っていた。
どのくらい焦っているかというと、いわゆるところの告白というやつを大嫌いなはずのクラスメイト――その後紆余曲折して付き合うことになった彼の名をアスラン・ザラという――からされた時と同じくらいで。
けれど決定的に違うのは、その時は逃げるという選択肢があったが、今は狭い試着室の四角い箱の中で逃げ場はないという点だった。
正確に言えば出入口は一ヶ所あるのだが、カーテンで仕切られたその向こうには、ラクスとミリアリアとフレイが見張っているものだから、とても逃げ出せるものではない。
つまり、得意の逃げ足の速さを披露する機会すらないということで。
イザークは、手にもたされたとんでもないモノ――少なくとも彼女にとっては――に目を落とし、もう何度目かもわからない深い溜息を吐いた。
「ほんとにもう、なんでこんなことになったんだ…」
ことの始まりは女子更衣室での出来事。体育の授業終了後、後片付けがあったため一人遅れて着替えていたイザークに、背後から甲高い声がかけられた。
「ちょっと、イザーク! あなたブラしてないのっ!?」
声の主はクラスメイトのフレイ。厄介な相手に厄介なことを…と顔を顰めつつも、律儀なイザークは着替えの手は休めずに答えた。
「そんな窮屈なモノ、できるはずがないだろう。大体、私にはそんなモノ必要ない」
「なんで必要ないなんて言うのよ」
既に着替え終わったフレイがイザークの顔を覗き込むと、彼女はふいと顔を逸らして短く言い捨てた。
「…サイズが小さい」
「小さいからってしなくていいってもんじゃないの! あなたとそうサイズが変わらないカガリでさえしてるのに」
「――悪かったな、小さくて。余計なお世話だ!」
名前を出されたカガリに不機嫌そうに睨みつけられても、彼女は臆した風もなくにっこり笑って言った。
「あら、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
そんなつもりじゃなければどんなつもりだったんだと、ツッコミたいのを我慢する。言えば倍になって返ってくるのがわかっているからこその賢明な判断と言えよう。
「そういえば、イザークがブラジャーをつけていらっしゃる姿って、拝見したことありませんわね」
思い出したようにラクスが言った。幼稚舎からずっと一緒の彼女には、それこそホクロの位置まで知られている仲だ。
「当たり前だ。今までしたことないんだから」
ようやく制服に着替え終えたイザークが、それが何だという視線で周囲を見渡す。
「って、威張ることじゃないでしょ」
呆れたようにフレイに溜息を吐かれ、イザークのただでさえ低い沸点が臨界を越えた。
「大体そんなモノ、胸の大きい人がそれ以上垂れないように固定するためのものだろっ! フレイ達ならともかく、私には必要ない!」
「――イザーク、それちょっと違うと思う…」
今まで事の成り行きを見守っていたミリアリアが、人差し指で頭を押さえながら言った。いや、ある意味正しいのだが、言い方がまずいというかなんというか…。
「…あら。胸の小さな人だって、ブラすれば大きく見せられるのよ?」
微妙に顔を引き攣らせたフレイが、明らかに無理しているとわかる笑顔を向ける。しかし当然その目は笑っておらず、イザークの言葉がいかに彼女の自尊心を刺激したかわかろうというものだ。
「それに、アスランだって、ブラしなさいって言うでしょ?」
「そこで何でアスランが出てくる!」
「あら、だって彼氏でしょ?」
「かっ…!!」
その言葉に、瞬時に顔を真っ赤に染めたイザークが絶句する。アスランと端で見ていてじれったいほどの清い交際をスタートさせたばかりの彼女にとって、彼氏だの彼女だの恋人だのという単語は、まだまだ慣れないらしい。
そんなイザークの様子に少しばかり溜飲を下げたフレイは、
「口に出さなくても、アスランだってイザークにブラしてほしいって思ってるわよ。やっぱり彼氏としては気になるんじゃない?」
「…何故だ?」
イザークにしてみれば、自分がブラジャーをするしないを何故アスランが気にするのか全く理解できなかった。第一、付き合い始めてこの方、そんな素振りを見せられたことも言われたこともなかったから。
自分のことでさえ無頓着なイザークに、アスランの男心を理解しろという方が無理な話だろう。それがよーくわかるだけに、その場にいた誰もがアスランに深く同情した。
「―――わかりました。それじゃあ、アスランに聞いてみましょう」
「…?」
聞くって何を?
視線で問い掛けると、緋色の髪の幼馴染みは花のような笑みを浮かべて言った。
「勿論、イザークがブラジャーをした方がいいかどうかですわ。ここはきちんと彼氏の意向も伺っておきませんとね」
ラクスの発言にイザークは耳を疑った。
アスランに何を聞くって…?
「それ、いいわね。アスランに言われれば、イザークだって素直にブラするかもしれないし」
嬉々として賛同するフレイに、気を取り直したイザークの怒声が続く。
「じょ、冗談じゃないっっ!!! なんでアスランにそんなこと聞かなきゃならないんだっ!!」
「だって、する気ないんでしょ? ブラ」
「当たり前だっ!!」
「でしたら、この際強硬手段に出るのもやむなしですわね。覚悟なさいましね、イザーク」
「覚悟って…」
にっこり笑うラクスは、その優しげな微笑からは想像もつかないほど有無を言わせぬ迫力がある。うっかり呑まれそうになったイザークが身を引きかけた時、始業ベルが鳴った。それに助けられるように、彼女は女友達の輪の中から身を翻す。
「とにかく。私は誰に言われようが絶対にしないからなっっ!!!」
ドアに手を掛け、振り向きざまに宣言する。
「ちょっと、イザーク! 逃げる気!?」
追いすがるフレイの声を背中に受けつつ、イザークは逃げるが勝ちとばかりに更衣室を後にした。