ファースト・コンタクト
38 「答えろっ!」 苛立たしげに何度も肩を揺さぶられる。こんな風に荒々しいロックオンは見たこともなく、その迫力に気圧されてしまったティエリアは声も出せずにされるがままだった。 何故ロックオンはこれほどまでに怒っているのだろう。理由がまったくわからないティエリアは、戸惑いのまなざしをロックオンに向ける。何か言わなければと口を開きかけるが、鋭い緑の双眸に睨まれると咽喉の奥が麻痺したようになって明確な音を紡ぎ出せない。 そんなティエリアに焦れたロックオンが、両肩を掴んだ手の力をさらに強くする。その痛みに呪縛が解けたティエリアが、眉を顰めながら抗議しようとした途端、暗い声が耳朶を打った。 「―――――あの男……グラハム・エーカーに会うのか?」 「…っ!?」 驚愕に目を瞠ったティエリアを、感情を削げ落としたターコイズブルーの瞳が冷徹に見下ろす。先程までの激昂した状態から打って変わった暗く獰猛な表情に、ティエリアは息を飲んだ。 「――――――――ど……して、それ…を………?」 喘ぐようにようやく口にした言葉は掠れていて、ティエリアの混乱と衝撃の深さを物語っていた。 グラハムと再会したことは、誰にも話していない。初めて会ったとき二人が諍いを起したから、プライベートなことでもあるし敢えて告げない方がいいと判断したからだ。 だから、ロックオンの口からグラハムの名を告げられて、ティエリアはひどく動揺した。まさかロックオンが気付いているとは思いもしなかったから。 それでも、なんとか気を取り直そうとしたティエリアは、続くロックオンの言葉に肩を揺らした。 「この間地上に降りたとき、『タワー』であの男に会ったんだろ?」 「…っ!? 何故、知って……」 弾かれたように反応を返すティエリアに、ロックオンは口元を皮肉げに歪めた。 「……へえ。ロビーであの野郎を見かけたから、もしかしたら…と思っていたんだが、やっぱりそうか」 「ロックオン……」 目を眇めたロックオンは、戸惑い揺れる赤い瞳を覗き込むと嘲笑うように言った。 「俺たちに何も言わないで、影でこそこそとあの野郎と連絡を取っていたわけだ。おまえもなかなかやるな」 侮蔑を孕んだその声音に、ロックオンに気圧されていたティエリアも流石に反論する。 「何を…っ! 貴方はわたしを馬鹿にしているんですかっ!?」 怒りを滲ませたワインレッドの瞳で睨み上げると、ターコイズブルーのまなざしが奇妙に歪んだ。剣呑なその気配を察したティエリアは、はっとして身構える。 「……許さねえ。許さねえぞ、ティエリア! あいつだけは絶対に!」 「…っ!」 骨も砕かんばかりに両肩を掴まれ、ティエリアが痛みに顔を歪ませた。それでもロックオンに気圧されていた悔しさも手伝って、痛みを堪えて睨みつける。 「あ、貴方にそんなことを言われる筋合いはありません!」 「あるさ! あの男はユニオンの軍人なんだぞ!? 言わば俺たちの敵だ!」 「…っ!?」 ロックオンの激昂に、ティエリアは雷に打たれたように身を震わせた。茫然と目を瞠ったままロックオンを見上げていたティエリアから、みるみるうちに表情が消えてゆく。 「―――――そんなことは言われなくてもわかっています。だから、何だというんですか? わたしがマイスターの機密を彼に漏らすとでも?」 冷ややかにティエリアが告げると、ロックオンが苛立ったように返した。 「そんなことを言ってるんじゃねえ!」 「ならば、何が問題だというんです?」 「あの男はフラッグファイターだ。ティエリア。おまえ、戦場であの男と遭遇したら、戦えるのか?」 「…っ!?」 予想もしなかったロックオンの言葉に、ティエリアは声を失う。 そんなこと、考えもしなかった―――。 表情を強張らせたティエリアに、ロックオンはやさしく宥めるように言った。 「……できないだろう? だから、あの男のことは忘れるんだ。な…?」 「―――――――できます」 「…え?」 「わたしは、ソレスタルビーイングのガンダムマイスターです。計画遂行のためならば、相手が誰であろうが躊躇うことなく戦えます!」 ワインレッドの瞳に覚悟を滲ませたティエリアが、真っ直ぐにロックオンを見上げる。その誇り高いまなざしに偽りはないだろう。 だが、ティエリアは知らない。 愛する人間と敵味方として争うことがどんなに辛いか。愛する人間から憎悪の念を向けられることがどれほど堪えがたいことか。 ティエリアは、何も知らないのだ―――。 だからこそ、簡単に戦えるなんてそんなことが言える。そして、実際にそうなったとき、ティエリアがどれほどの衝撃を受けるのか想像できてしまうから、ロックオンは見過ごせないのだ。 「―――――そんな思い、おまえにさせてたまるかよ…っ!」 「…っ!?」 唸るように呟いたロックオンは、ティエリアの身体を胸の中に抱きしめた。 「は、放してください…っ!」 突然のロックオンの行動に驚いたティエリアが、腕の束縛から逃れようと身を捩るが、さらに力を込められて逃れることができない。 痛いくらいの抱擁に息苦しくなりながらも、それでも抵抗をやめないティエリアの耳朶に押し殺したような囁きが落とされた。 「―――――俺にしておけよ……」 「……え?」 思わず抵抗を止めて視線を向けると、拘束する力を緩めたロックオンが真摯な瞳で見下ろしていた。 「おまえが好きだ、ティエリア」 「…っ!?」 驚きに目を瞠るティエリアに、ロックオンが熱いまなざしで告げる。 「初めて会ったときから、ずっとおまえを見てきた。あんな男に、大切なおまえを渡したくない…!」 ―――――ロックオンが……わたしを………? 思いもよらぬロックオンの告白に、ティエリアは戸惑うように瞳を揺らした。 まさかロックオンが自分に対してそんな想いを抱いてくれていたなんて―――。 知らぬこととはいえ、彼の好意に甘えきっていたことに改めてティエリアは気付かされ、申し訳なく思う。 ロックオンのことを好きかと聞かれれば是と答えるだろう。だがそれは仲間としての信頼関係からくるもので、グラハムに対する想いとはまた違うと思う。 グラハムのことを考えると胸が締めつけられるような、それでいてふわふわと甘やかな気持ちになる。こんな想いを抱くのはグラハムに対してだけなのだ。 人の感情に疎いティエリアでも、その違いはわかる。そしてそれをティエリアに教えてくれたのは、他でもないグラハムなのだ。 「―――――すみません……」 長い沈黙の後、俯いたティエリアが消え入るような声で告げた。 「貴方の気持ちには、こたえられません………」 「…っ!」 ティエリアの謝罪の言葉に、ロックオンが息を飲んだのがわかる。 彼に対してひどいことをしてしまった。結果的にロックオンの心を弄ぶことになってしまったのだ。知らなかったではすまされないだろう。 償えと言われればなんでもする。けれど、グラハムに対するこの想いだけは、捨てることなどできないから。 ―――――ごめんなさい、ロックオン……。 そっと彼から身を離そうとしたティエリアは、ふいにその腕を掴まれる。 「ロックオン・ストラトス…?」 訝しげに見上げると、見たこともない暗い影を差したターコイズブルーの瞳にぶつかった。 「―――なら、力ずくで俺のものにするだけだ」 「…っ!」 その獰猛なまなざしの意図を察したティエリアが逃れよう身を捩るより一瞬早く、ロックオンが再び華奢な身体を腕の中に拘束する。そして、抗議の声を上げる隙を与えぬように、ティエリアの唇を己がそれで塞いだ。 「……っ」 驚愕に目を瞠ったティエリアは、腕の中から逃れようと闇雲に暴れた。けれどロックオンの戒めは強くて、ろくな抵抗もできないままベッドの上に組み敷かれてしまう。 「何をするんですか…っ!」 突然の暴挙にワインレッドの瞳を怒りに燃え上がらせたティエリアが、ロックオンを睨みつける。 「何って…この体勢でわからねえか?」 ひどく酷薄な笑みを口元に浮かべながら、ロックオンは暗い情動の孕んだまなざしでティエリアを見つめた。 「あの男のところになんて行かせねえ。たとえおまえを泣かせることになっても、な」 「やめ…っ!」 再びくちづけられ、首筋に熱い息を落とされる。ちりっ…と軽い痛みを感じ、ティエリアは眉を寄せた。その間にも、ロックオンの手がティエリアの身体のラインを探るように下ろされてゆく。 嘘だと思いたかった。まさかロックオンが自分にこんなことをするなんて。 これも罰なのか? ロックオンの好意を踏みにじった自分への―――。 「ティエリア…」 情欲の滲んだターコイズブルーの瞳が見下ろしている。 これは、誰だ?とティエリアは思った。 こんな男は知らない。自分の知っている、あの優しいロックオン・ストラトスじゃない――! いいようのない恐怖がティエリアの心を支配し、全身が瘧のように震える。 「―――――や…だ……」 限界まで見開かれたワインレッドの瞳から涙が零れ落ち、ゆるゆると首を振るたびにシーツに染みを作る。 「―――――ロック、オン……、助け………」 恐怖に顔を歪ませながらも、自分の名を呼び涙を流すティエリアに、我に返ったロックオンが弾かれるように身体を起こす。 ―――――俺は…なんて事を……っ! ティエリアに断られたからといって、こんな無理矢理身体を奪うような真似をするなんて、人間として最低だ。 「―――すまない、ティエリア……」 慙愧の念にかられながらティエリアの身体を起こそうと手を伸ばすと、触れた瞬間ティエリアはびくりと身体を震わせた。ロックオンの手から逃れるように、懸命に身体を後ろに下がらせる。 「………」 そのワインレッドの瞳に映っているのは、怒りでも侮蔑でもなく、恐怖だった。そのことに、己が冒した罪の大きさを思い知らさせる。 「ティエリア……」 滑らかな白い頬を伝ういく筋もの涙の跡がひどく痛々しい。この涙を流させたのが己が妄挙だと思うと、ロックオンは自分自身を殺してやりたいくらい憎んだ。 「―――許してくれなんて言わない。いくらでも俺を罵ってくれていい。俺はそれだけのことをおまえにしてしまったんだ」 がっくりと肩を落としながら、深い悔恨の念に苛まれた声音で弱々しくロックオンが言葉を紡ぐ。その姿を見たティエリアの瞳からまた涙が溢れ出した。 恐かった。本当に、恐かったのだ―――。 「…っ!」 ひくりと咽喉を震わせたティエリアは、もう耐えられないとばかりに固く目を閉じた。 ここにはいられないと思った次の瞬間、素早く立ち上がったかと思うと、ロックオンの脇をすり抜けて真っ直ぐにドアへ駆け出す。 「ティエリア…っ!」 ロックオンの悲痛な呼び声が背中に突き刺さり一瞬動きが鈍りかけるが、ティエリアはそのままドアの向こうへと消えていった。 |