原因

肝腫瘍。

 

 

 

 

 

 

なんてビッグなネーミングだ。

 

 

 

診断書を見て息が止まったぞ。

 

 

 

 

 

 

奇しくも、その日のワイドショーの特集のタイトルは、

 

 

 

 

三木のり平さん

 

肝腫瘍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逝ったんかーいっ!

 

 

 

 

こらこらぁ。勘弁してくれよぉ。

 

 

俺はイヤやぞ。

 

 

 

 

そもそも、今回この病気になってしまった原因は何だろう?

 

 

嫁の池ちゃんは、

 

「シーチキンの食べ過ぎじゃけぇよ!

 

もうシーチキン缶ごと食べるんはやめんさい!(広島弁)」

 

と怒りまくっているが、

 

 

私からとりなんこつシーチキン

 

ハマチの刺し身サッポロ一番塩ラーメンを取ったら

 

何が残るというのだ。

 

 

 

 

「それだけかい!」

 

 

 

 

 

そ。

 

 

 

 

食い物は原因ではないと思いたい。

 

 

だって肝臓でしょ?

 

 

酒も飲めないこの私が肝臓を患ったと聞いて、

 

大抵の人は「ウソやろ?」と笑う。

 

 

それぐらい、私と肝臓の病気は似合わないらしい。

 

 

 

私の肝腫瘍に関しては、会社の同僚の間でいろんな説があげられた。

 

 

地球を征服しに来たエイリアン潜伏説

 

 

実は双子のお兄さん説

 

 

7月まで時間待ちの『恐怖の大王』説

 

 

腹でこっそり猫を飼育説

 

 

 

そして最後に

 

 

 

 

 

 

でっかいウンコ説

 

 

 

 

 

もっと真面目なんはないんかい!

 

 

 

 

 

かく言う私は

 

 

 

 

でっかいウンコ説を信じていた。

 

 

 

人間ドックの検査で引っ掛かる前から、その存在には気付いていた。

 

右の脇腹あたりに猫の頭くらいの塊があった。

 

触ってみれば簡単にわかるほどの大きさだ。

 

 

ちょうどその頃、

 

普段はなったことのない便秘に悩まされていたため、

 

「くっそぉ。グルッとまわってこんなところまでウンコが来とるがな。

 

大腸が足りんで終いにゃ小腸まで行ってしまうぞ」

 

くらいにしか思っていなかった。

 

 

その後、すぐに便秘は解消されたものの、塊は消えなかった。

 

 

しかし、痛みがないので内臓の何かだろうくらいにしか考えず、

 

当然病院に行くなんてこともしない。

 

 

 

人間ドックの超音波検査で、

 

 

先生「あげはらさん、ここに大きな塊ができていますね」

 

 

私「あ、それ、でっかいウンコとちゃうんですかね?」

 

 

 

先「・・・」

 

 

 

 

 

コイツには何を話しても無駄じゃと言わんばかりに

 

先生は黙ったまま検査を再開した。

 

 

ま、いずれにしても悪いところが見つかったので良かった良かった。

 

 

 

 

 

で、結局、原因は何だろう?

 

ひょっとしたらストレスが原因なんだろうか?

 

 

 

ストレスと言えば、一昨年の今頃はまさに地獄の日々だった。

 

 

 

平成9年1月15日付で広島から

 

百貨店新規店舗の開店準備のため

 

出身地の高松へ転勤して来た私は、

 

転勤後、たった1日休んだだけで、

 

地獄の連続出勤

 

がスタートした。

 

 

 

百貨店の開店準備業務で、しかも人事と言ったら大概の人は、

 

「何の仕事があるん?人事って何の仕事しよるん?

 

ヒマなんちゃうん?」と言うが、

 

 

とんでもない。

 

 

 

 

実は私もあれほど忙しくなるとは

 

夢にも思っていなかった。

 

 

 

 

朝8時半出勤、

 

翌朝午前3時帰宅はザラ。

 

 

帰り支度をして会社を出ると

 

新聞配達のオジサンと出くわすことも度々あった。

 

 

 

ひどい時は、朝出勤してそのまま不眠不休で働き続けて

 

翌朝になってしまい、

 

8時過ぎに出勤してきた外商部長から、

 

「お。さすが人事は早いねぇ」

 

と言われたこともある。

 

 

 

 

 

遅いんじゃい!

 

 

 

 

それから家に帰って、風呂に入って着替えて

 

2時間後にはもう出勤し、

 

そこからさらに午前様である。

 

 

 

 

一体1日何時間仕事をすれば開店に間に合うんだろう?

 

いつもそんな不安に怯えながら働きまくった。

 

 

 

次々に書類を作成し、全課長の席に配布する。

 

書類の隅にはプリントアウトした時間が表示されている。

 

 

 

 

 

午前5時17分

 

 

 

営業部の課長から、

 

「朝、会社に来たら机の上に必ず人事からの書類が置いてある。

 

真夜中に帰っても、

 

翌朝にはまた新しいのが置いてある。

 

お前ら、一体何時まで仕事しよるんや?」

 

としょっちゅう尋ねられた。

 

 

 

 

それが働く誇りと自信になる反面、

 

モロに身体にこたえた。

 

 

 

 

まず、胃がキリキリ痛む。

 

まぶたがピクピク痙攣しっぱなしだ。

 

 

パソコンの画面が霞んで見えなくなってくる。

 

 

 

歯茎が痩せて、歯がぐらつき始めた。

 

 

 

さらには

 

 

 

 

 

髪の毛がどんどん抜け始めた。

 

 

 

 

 

 

 

もう、ヤバイと思った頃には、

 

過労でになった。

 

これは本当に痛かった。

 

 

 

 

 

そして最終的には4月下旬に開店を迎えて1週間後、

 

60人以上のアルバイトを大催会場に配属し、

 

ひと山越えて安心したら、

 

見事に肺炎でぶっ倒れた。

 

 

 

 

 

 

39.8度。

 

 

 

数日前から微熱が続くなとは思っていたが、

 

まさかそんなにがあるとは思ってもみなかった。

 

 

 

人間、根性があれば

 

40度近くの熱があっても

 

微熱にしか感じないまま、

 

最低3日間は働けるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、になるかもヨ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに小児用リココデ

 

肺炎には効かない。

 

 

 

 

 

当たり前だ。

 

 

 

 

 

 

 

ついに、休みを取ることができた。

 

 

前回、1月に休んだ時はが降っていた。

 

5月の今はみんな半袖になろうとしている。

 

 

 

 

なんと100日ぶりの休みである。

 

しかも、1日8時間労働の100日ぶりではない。

 

1日に最低でも18時間労働をし続けての

 

100日ぶりの休みである。

 

 

 

 

尋常ではない。

 

 

 

 

それでも、1日休んだだけで翌日には出勤した。

 

仕事の合間に点滴を受けながら…。

 

 

 

 

もし、死んでいたら、

 

確実に過労死として労災が認められるに違いない。

 

 

この記録はうちの会社では誰にも破られていないし、

 

今後破られることも絶対ないだろう。

 

私が入社以来、最も働いた100日間だった。

 

 

 

経験した者にしかわからない

 

精神的プレッシャーと肉体的疲労。

 

今でこそ笑って話すことができるが、

 

もう2度と同じことはできない。

 

考えただけでも気が遠くなる。

 

 

もし、今の病気の原因がストレスだったとしたら、

 

この100日間と

 

その後しばらくのハードワークしか考えられない。