かなりスレスレの内容ですが、
この寓話は、実在の人物・人形・鳥には一切関係がありません(笑)。
執事ジャスパーと名のった男は、この回廊から一歩ふみだすと、緑色のちいさなオウムになるのだと言った。ならば、わたくしは一体、この回廊から出ればいったいどんな姿をしているのかと思う。
ここは人形の回廊だ、とその男は言った。
「人形(ヒトガタ)の回廊なのですよ」
そして皮肉っぽく笑った。
緑色のオウムだというのに、彼の髪も服も漆黒の色をしている。
からすなのではないの、と問うと、
「からすなんてものをご存知だなんて、素晴らしい」
いったいどちらでご覧になったのですか、と聞いてくる執事の顔は意地悪く見えた。そのクルクルと虹彩がのびちぢみする様は、確かにオウムの目だと思った。
そんなことも、何故知っているのか、わたくしには分からない。
わたくしはうす暗いこの回廊をぐるりと取り囲むガラスに自分を映してみる。
ゆらゆらと流れるくすんだ色の髪はひっぱればプツンと切れる絹の髪。
あごから下には、たくさんのガラスと鏡、そして布に支えられているけれど、何も無い。
何も無い。
何かが足りないのはわかっている。
けれど何が足りないのかはわからない。
そのことにひどく焦っている。わたくしには何かが欠けている。執事ジャスパーの瞳がオウムのものそっくりであることや、黒い濡れたような羽を持った、からすという鳥が塔の外に飛んでいることはわかっているのに、こんなつまらないことが分からない。
あるはずの無いものがマボロシのように痛む、ひどく焦る、哀しくさえ思う。
いったい何が足りないのか分からないのだけれど。
執事ジャスパーは、おそろしいほど白い、まるでわたくしの肌のようにきめこまかい陶のティーカップをわたくしのくちびるに寄せながら、なぐさめるように言った。
「硝子姫のおからだを手に入れるのはとても難しいのです。大きな砂漠をひとつ、それから山をふたつみつ越えて、そうすると海があります。しんきろうではない、ほんものの潮のにおいのする、大きな青い海です。この海を越えたところに、水晶のとれる山があるのです。その山からほり出した水晶のかたまりの中には、灯りをあてると、七色のプリズムが見える水晶が混じっていることがあります。それは非常に高く売れるので、海賊たちが奪いとりにやってまいります。いくつかは時計の中やお菓子つぼの中に隠されて気づかれませんが、いくつかは海賊たちの手に渡ります。海賊たちは美しい水晶のプリズムを眺めるよりも、ぴかぴかした黄金の山を眺めているのがすきなので、よろこんで海辺の商人たちに水晶を売りつけます。商人たちは、それを絹のふとんにならべて、市場に出します。塔の遣いの者はランプをもっています。ふしぎな、白い光の出る特別なランプです。このランプがあると、砂漠で塔のしんきろうを見つけても、迷わずに塔にたどりつくことが出来るのですが、それはまあいい、とにかくこのランプを水晶にあてて、プリズムを見つけたら、その水晶を買って、塔に持ち帰ります。分かりましたか、この水晶が無いと、あなたのおからだの為に必要な、きれいで固い、素晴らしいがらすを造ることが出来ないのですよ」
ティーカップには何も入っていない。
それでも、まるで熱い紅茶が入っているかのように執事ジャスパーはそれをふうふうと吹いて、そしてこぼすのを恐れるかのように、そうっとわたくしのくちびるに傾ける。
「美味しいですか?上等のアールグレイですよ」
にっこり、とオウムの目を細めて、彼は笑った。
「本当はもうすこし醜く仕上げようと思っていたのだけれど」
「さようでございましょうとも」
執事ジャスパーは、気取ってそっくりかえった。そうするとフカフカの緑色の羽がぷわんと広がる。
彼は今はちいさな緑のオウムとなって、塔の主人の肩にとまっていた。
ほんとうは、彼は自分の人間執事フォームが気に入っている。オウムの姿のまんまでは、周りの目に己の執事としての優秀さを知らしめることがむずかしいと知っているからだ。実際、彼は塔の主人のいい話し相手であり、気まぐれではあるがいい執事なのだが、オウムの姿のままではやれることは知れている。
だから、オウムの姿の時はせめて、いつでも出来るだけ賢そうに、気取ってそっくり返ることにしている。
「あれは非常に醜い子供だったものだから、けれども私にはそれがとびきり、美しいものに見えていたから、だからあの子供をそっくり、映しとった人形が欲しいと思ったのだけれど」
「ようく、ようく、存じ上げておりますよ」
「元来、美しさとは平凡なもののことを言いあらわしがちだから、そうでしょう、美しい、などと呟いたときに、誰しもうなずくものはたいがい、ありきたりのものだから」
「ご見識でございます、まことにそのとおりでございます」
「執事、私はあの人形、を、ひどくつまらない、平凡なものに仕上げてしまったのではないか?」
「おそれながら」
執事は、コホンコホンと咳をするマネをした。ちなみにくしゃみも本物ソックリにしてみせる。彼自身は風邪ひとつひいたことは無いのだが。
「幸福な美しさというものがございますならば、それは平凡なものではございますまいか」
執事はパサリと大げさに羽をひろげて、それからもったいぶって羽づくろいを始めた。
主人はお洒落屋の彼が、気のすむまで羽をととのえるのを待った。
「硝子姫の幸福を最後に思われてご主人様の刃があやまった、ということで、よろしいのではありませんか」
「なるほど?」
塔の主人はティーカップを傾けた、その中にはほんものの紅茶が湯気をたてている。
「アールグレイでございますな」
執事ジャスパーの気取った言葉に塔の主人は笑ってくちばしを撫でてやる、これはただのその辺の安っぽい茶で、主人が自分で火を燃やして、へこんだヤカンを沸かしていれたものだ。
有能な執事ジャスパーがいれられるのは、人形の紅茶だけである。
「そうだねえジャスパー。あの子供が、醜くもたぐいまれに美しく見えたのは、幸福ではなかったからかもしれないね」
「おそれいります、出しゃばった物言いをいたしました」
「いやお前はなかなか賢い。しかしそれでは、ごくごく平凡な美しさを与えられた硝子の姫君には、一体どのような未来が待っているものやら?」
「お楽しみでございましょうとも」
パシン、とお茶うけのマリークッキーが割れる音がひびいた。
執事ジャスパーは、主人の手からそれをほんの1カケ右手にもらうと、人形のことはまるで忘れて、ちいさな鳥の鳴き声を立てながら夢中でかじり始めた。
「何が足りないのかしら…」
硝子姫は途方に暮れながら、ガラスに映る自分の姿を見回す。
流れるゆたかな髪、愛らしいまつ毛、小さな金色のくちびる、何もかも美しいように見えるのに、何がいったい足りないのだろう。
ただ、何かが欠けていることだけは知っていて、それを満たされたいとこんなにも願っている。
あるはずもない何かがマボロシのように痛む、ほんとうは何かがあるはずなのでしょう、と。
全てを手に入れた瞬間、その虚ろで欠けた美しさが喪われることを知らずに。
硝子姫は未だに、全てを手に入れてはいない。