――――― 酒は、嫌いだ。 厳密に言うとあの独特の、癖のある匂いが鼻に付く。 だからと言って全く飲めないわけではなく、弥勒に勧められて付き合い程度に飲むことはある。 だが飲み進めているうちに感覚が鈍るような気がして、やっぱり好きにはなれないと思う。 にも拘らず杯を重ねてしまったのは、隣に柔らかな気配があるからで。 弥勒がそれを我が事のようにそれを喜んでくれていることが伝わるからで、それに現れとして干した杯に次々に酒が注がれてくるからだった。 「………」 ふわふわとした酩酊感に、視界が揺れる。 隣に座る筈のかごめがやけに遠く思えて、犬夜叉は半ば無意識に彼女に手を伸ばしていた。 二つ纏めて握り込めてしまえそうなぐらい細く、小さな手首をがっしと掴む。 不意に握り込まれたそれに彼女が小さく首を傾げた。 「……どうかした?」 その仕草にふわふわとした髪が揺れて、けれどそこから香るはずの優しい匂いは酒精に紛れてほんの僅かしか届かない。 「っ……」 微かなそれがまるで幻の残り香のようで。 急に焦燥感に囚われた犬夜叉は、掴んだかごめの手をぐいと自分の方に引き寄せた。 大した抵抗もなく腕の中に転がり込んできた細い肢体を、腕の中に囲い込む。 「ちょっ……いっ、犬夜叉?」 耳のすぐ傍で羞恥と戸惑いの混じり合ったような声が上がるのを無視してその匂いを確かめようとするが、自分の吐く息に酒気が混ざっているのか、こんなに近いのによくわからない。 「……? う……」 腕の中には確かな柔らかさと温かさがあるのに ――――― そう思うと不安が増した。 「ぇっ……ちょ、ちょっと苦しい! 苦しいから!!」 抱き込む腕に力を籠めて、項に鼻先を擦りつけるように動かす。 「ちょっと犬夜叉! あんたが本気になったらかごめちゃんが潰れちゃうよ!?」 遠く聞こえた声にはっとしたが、だが、腕を緩めたらこの温もりが消えてしまいそうで、怖くて動けない。 ――――― もし、全てが夢か幻だとしたら。 本当は今も、かごめはこの時代には居なくて、自分は一人きりで。腕の中にあるこの温もりが幻であったり、子狐妖怪の要らぬ気遣いだったりしたら。 ぐるぐるとそんなことを考えていたら、ごんっと頭に衝撃が走って目の前に火花が散った。 衝撃に力が緩んで、途端に腕の中から温もりが滑り出てしまう。 「……ぁにしやが、っ……!!」 反射的に声を上げ、だんっと足を踏み鳴らして衝撃の降ってきた方向へ向き直った ――――― つもりだったが、足に力が入らず、次の瞬間には床に倒れ伏していた。 「飲み過ぎですな」 「てめぇぇ……」 人の頭をぶん殴った張本人 ――――― しかもおそらくは愛用の錫杖で ――――― がいけしゃあしゃあと言い放って、犬夜叉は唸るような声を上げた。 「飲ませすぎだよ! ったく……ほら、水、飲めるかい?」 呆れたような声の後、肩を揺すられてのそりと上体を起こす。 器を片手に心配そうに見下ろしてきている女の、子を産んだばかりの女独特の乳臭い匂いが鼻腔を擽る。 「…………」 この女の匂いも嫌な臭いではないが、違う。 自分が欲しい匂いではない。 緩く頭を振って辺りを見回すと、ぺたりと座り込んだまま顔を真っ赤にしている女と眼が合った。 「きゃっ」 悲鳴を上げて距離を取ろうとするのを素早く近付いて捕え、腕の中に抱き込む。 胡坐を掻いた膝の上に落とし込んで逃げられないようにして項に顔を埋めたら、少し熱の上がった肌から仄かな芳香が上がって、それを吸い込むと少し落ち着く気がした。 ああ、確かにここにある ――――― ここに居る。 「かごめぇ……」 甘くて優しい、懐かしい匂いだ。 この三年間、気が狂いそうになる程に求め続けた愛しい女の。 ずっとずっと、欲しかった女の。 (もう、二度と放すものか……) ずっと、胸の奥に巣食っていた冷たく重い何かが、柔らかく解けていくような気がする。 それは酒精による酩酊よりもずっと心地好く、穏やかな眠気を誘うもので。 腕の中でもがく細い肢体を強く抱き締めたまま、犬夜叉は己の欲求に従ってゆっくりと瞼を伏せた。 「……ちょっと犬夜叉ってば!!」 自分を腕の中に抱き込んだまま、犬夜叉が完全に動かなくなった。 否、厳密に言えばもぞもぞと項に鼻先を擦りつけるように動いてはいるのだが、それ以外まるで動こうとしない。 拘束は先程までとは違い、息苦しさを感じさせる程のものではないものの、逃げ出せそうなものでもなく。 首筋の辺りでふんふんと鼻を鳴らされているのが恥ずかしいやら擽ったいやらでどうにも居た堪れない。 「やだもうっ! 弥勒様、珊瑚ちゃん、助けてぇっ!!」 逃げ出したいとか穴があったら入りたいとか、そんな心境で呆然と ――――― 或いはどこか楽しそうにこちらを見ている弥勒と珊瑚に助けを求める。 「そうは申されましてもなぁ」 「………力尽く、ってわけにもいかないしねえ」 それに対して夫はどこか面白そうに笑い、妻は申し訳なさそうに眉を落とした。 弥勒も珊瑚も常人よりを遙かに上回る身体能力の持ち主だが、半妖である犬夜叉の比ではない。 第一、どうみても理性の箍が外れまくっているこの状況で下手に無理強いをしたら暴れ出しかねない。 「随分酔っているようですからそのうち落ちるでしょう。それまで待つしかないのでは?」 「うぅ……」 にこにこと一見人の良さそうな笑みを浮かべた法師に言われて、かごめはこれ以上ないほど赤くなった顔を隠す様に犬夜叉の肩に寄せた。 (……犬夜叉の馬鹿ぁ……) 最早何を口にしても羞恥を倍増させるものでしかなく、口の中だけで小さく悪態を吐く。 犬夜叉にこうされるのは、決して嫌なわけではないのだ。 実を言うと、寧ろ嬉しい。 問題はここが弥勒と珊瑚の家で、すぐ傍らでは二人の子供たちが眠っていると言う状況にある。 これが二人きりなら、酔いが醒めるか寝入るまで大人しく抱き枕になって ――――― 否、それどころか背中に腕を回して抱き締めてあげるのに。 癖のない白銀の髪を指で梳いて、頭を撫でて。 たくさん、たくさん甘やかしてあげるのに。 (………ぇ……?) そんなことを考えていたら、不意に首筋に何か、温かく濡れた感触が触れた。 鼻先とは違って、ざらりとした ――――― 。 「……ッ……おすわりぃぃぃっ!!」 悲鳴の代わりに迸った怒号に、犬夜叉の身体がずしゃぁっと床に沈んだ。 ― END ―
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I was waiting for that the whole time. 三年後の春設定。ほろ酔いネタ犬夜叉ver.まだ書き慣れない感が……。 |