「……ねえ、やっぱり落ち着かない?」
 鉄砕牙を抱え囲炉裏端に腰を下ろした犬夜叉はどこか難しいような、落ち着かないような顔をしていた。
 パチパチと小さく音を立てる火に照らされる紙は艶やかで射干玉のように黒く、その髪の間から覗く耳の先はかごめと同じ丸い形をしている。
 今の犬夜叉には鋭い爪も尖った牙もない。
 今日は月に一度の朔の日だから ――――― 。
 犬夜叉は驚いたように顔を上げ、それから口元に苦笑じみた表情を浮かべた。
「……まあな」
「………あたしがいても?」
「お前が居てくれる分、前よりはずっとましだ。それでも心許ぇのはどうにもな」
「…………」
 犬夜叉がこんな風に本音を聞かせてくれるのも、頼る様なことを言ってくれるのも初めてのことで。
 離れていた三年の間に変わった犬夜叉に寂しいような、どぎまぎするような不思議な気持ちを味わう。
「……何ニヤニヤしてやがんでい」
 やっぱり好きだなあとか、かっこいいなあとか、そんなことを考えていたら鉄砕牙の柄で脇腹を小突かれてしまった。
「っ、もー、突かないでよ!」
 講義の声を上げつつも、どこか気恥ずかしそうに唇を尖らせ囲炉裏の照り返しだけではなく頬を赤く染めている犬夜叉の隣ににじり寄る。
「……犬夜叉が好きだなーって、再確認してたとこ」
「…………」
 犬夜叉の口がへの字になったけど、これは嫌がっている顔ではない。
 恥ずかしくて、照れくさくて、どんな顔をしていいかわからない顔だ。
 ちょいちょいと袖を引っ張ってやると、。それを合図に犬夜叉が背中を丸めて顔を近付けてきた。
「…………」
 触れるだけの、キス。
 最初はぎこちなかったそれにももう随分慣れた。
 犬夜叉の唇は意外なほど温かくて、柔らかい。
 もっと、の意味を込めてもう一度袖を引っ張ると、少し口付けが深くなった。
「ん……ッ!」
 薄く開いた唇の隙間から温かな舌先が滑り込んできて ――――― かごめはぱちりと瞼を開いた。
 そうすると極近い距離に犬夜叉の青みがかったような薄墨色の瞳があって、驚いて息を飲む。
 慌てて身を引くと、犬夜叉が不機嫌そうに眉を顰めるのが分かった。
「……なんでぇ?」
「あ、あんた、いつも目、開けてんの!?」
「なんか問題あんのかよ?」
「………べ、別に、問題があるわけじゃないけど……」
 キス、している顔をじっくり観察されていたのかもしれないと思うと恥ずかしくて居た堪れない。
「……かごめ?」
「っ……と、とにかく! キスする時は眼を閉じるのが礼儀なの! いいわね?」
 覗き込んできた犬夜叉の顔が近くて、ますます羞恥が増して。それを誤魔化す様に犬夜叉の鼻先に指を突き付けてその顔を押しやろうとする ――――― が、犬夜叉は引かなかった。
「じゃあなんでさっき眼ぇ開けたんだよ?」
「あっ、あれは……」
 何か言いかけて口籠り、そのまま俯いていくかごめ。
 その所為でふわふわした黒髪が肩から滑り落ちて、小さく白い耳の先が露わになる。
 そこは何時もと違って薄っすらと赤く染まっていて。
 それは人の身の犬夜叉にも酷く美味しそうに見えた。
「……かごめ」
 先程とは違う意図を籠めて名前を呼んで、指の背でそこを撫でるように触れる ――――― と、その細い身体がびくんと跳ねた。
「っ……、……」
 おずおずと顔を上げたかごめが、小さく何事か呟く。
 常ならば聞き逃さずに済んだかもしれないが、生憎今日の犬夜叉の耳は人のそれだった。
「……聞こえねえよ」
 耳元に唇を近付けて促すと、かごめは先程より少しだけ大きな声で言った。
「………もういっかい」
 それが何を指しているのか一瞬わからなくて、けれど袖をぐっと引っ張られたので分かった。
 それはここ最近の二人の合図のようなものだったから。
「……ごまかしてんじゃねーぞ」
 手を伸ばしてひょいと鼻先を摘まんでやると、ふにゃ、だかふぎゃだからよくわからない動物的な声が上がった。
「ひがうからっ、たしかめらいらけらからっ!」
「…………」
 何を確かめようと言うのか。
 わからなかったが、とりあえず手を離してやるとかごめはぷはっと息を吐いて眉を落とした。
「うぅ……」
 小さく唸り声を上げた彼女の顎を掬って、唇に唇を触れさせる。
 その柔らかさを堪能するかのように何度も角度を変えて重ね、ゆっくりと唇を割るとかごめの肩がぴくりと揺れた。
 けれど今度はその瞳は閉ざされたままで。
「ん、ふっ……んんっ……」
 ほんのりと赤くなった頬や刺激を受けて僅かに動く表情を堪能しながら舌先を絡めて吸い上げる。
 深く、深く口付けて、何時の間にかぎゅうっと胸元を掴んでいた手から力が抜けたのを見て取ってゆっくりと唇を離す。
「ぁ……」
 長い睫毛に縁取られた瞼を瞬かせて犬夜叉を見上げてきた彼女の瞳は情欲に潤んで、まるでもっと欲しいと強請られているようだと思った。
 そんな都合のいい考えをそっと押しやって、くたりと倒れ込んでくる身体を片手で支えて自身の肩に凭れかけさせてやる。
「……で? 何か分かったか?」
 尋ねるとかごめは何度か眼を瞬いて。それからはっとしたように身を起こした。
「あ、あのねっ! あのっ……」
 何か言いかけて、結局また言葉を切る。
「……言わねえのならこうだぞ」
 うに、と両手でかごめの頬を掴んで左右に引っ張ってやるとかごめが裏返った声を上げた。
「ひゃっ!? やっ、ひょっ……!」
 慌てて犬夜叉の手を解こうとするが、今は人の身とは言え所詮は男と女。
 かごめが力で犬夜叉に敵うわけがない。
「……不細工だな」
 顔の形が変わるのが面白くて、思わず笑ってしまう。
「ひうからはなひてぇぇー!」
 そのままうにうにと手を動かしていたら、涙声が返ってきた。
 ぱっと手を離してやると、かごめは頬を押さえてその場に蹲まってしまった。
 拗ねたように見返して ――――― けれど、犬夜叉の顔を見た途端、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「……犬夜叉、笑ってる」
「あ? 笑っちゃ悪いかよ?」
「ううん、悪くない。嬉しい。人間の犬夜叉がそんな風に笑うとこ見るの、多分初めてだもの」
「…………」
 そう言われて、初めて自分が笑っていたことに気が付いた。
 ――――― 何時の間にか、陽が落ちてからこっち、ずっと感じていた閉塞感が消えている。
 かごめと出逢って、弥勒や珊瑚と逢って、朔の日に感じる不安は以前よりはずっと和らいだ。
 けれど確かにこんな風に笑ったことまではなかったような気がする。
「……話し、反らしてんじゃねえぞ」
 気恥ずかしいような、居た堪れないような気分になって、犬夜叉はわざと不機嫌そうに鼻先を顰めて片膝を立てるよう足を組み直した。
 けれどかごめにはすべてお見通しらしい。
 彼女は怯むこともなく、穏やかな表情で犬夜叉の肩に身を寄せかけてきた。
「……あのね。犬夜叉のキス、何時もと違ったの」
「?」
「………多分、その、舌が……何時もと違う、、みたいで」
 話しているうちにまたかごめの顔が赤くなってくる。
「……そうか? 自分じゃよくわかんねえが……。にしてもなんではっきり言わねえんだ? 別に半妖の時と人間の時で身体が違うのは今更だろ」
 だからと言って何故そんなに恥ずかしそうにしているのか。
 その理由がわからず首を捻ると、かごめは己の指先を捏ね繰り回しながらようやく観念したかのように答えた。
「……そうなんだけど……その、違いが分かるぐらい、覚えてるんだなって思ったら、なんか急に恥ずかしくなっちゃって……」
 誤魔化すようにふにゃり笑って、けれどすぐにまた羞恥が襲ってきたのか両の掌で赤くなった頬を隠す様に覆う。
(……なる程、そう言うことか)
「………こっちも覚えとくか?」
 舌先を、唇の間から僅かに覗かせて見せるとかごめは一瞬驚いた様な顔をして ―――――― けれどすぐにおずおずと小さく頷いた。
― END ―


 随分遅くなってしまいましたが駒さんのリクエストでした〜。
 リクエスト内容は「半妖の犬夜叉と人間の犬夜叉の舌は違うのか」でしたww
 どう違うのかはかごめちゃんのみが知っている……(笑)
 まだ夫婦になって間もない、かごめちゃんが戦国に戻ったばかりの朔の夜のイメージです。
2015.10.13

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