「……ねえ、犬夜叉。あんた、背ぇ伸びた?」 「………ぁ?」 じぃとこちらを見ていたかごめがそんなことを言い出して、犬夜叉は彼女に胡乱な視線を向けた。 「……伸びたっつえば伸びたかも知んねぇけど……」 半妖である犬夜叉の成長は、人のそれよりはるかに緩やかだ。 それでもかごめに初めて会ってから5年近くが経っているので多少は伸びているかもしれない。 今まであまり意識してはいなかったが、言われてみればかごめは初めて会った時より幾分小さくなったような気がする。 だからどうしたと言うのか。 こう言った話題は犬夜叉とかごめの間では無意識のうちに禁忌として扱われてきた。 触れれば気付いてしまう、思い知らされてしまう。 人でも妖でもない犬夜叉とかごめでは同じ時を歩めないのだと。 それでもかごめは犬夜叉と共に生きることを選んでくれて、二人はこうして共にあるのだけれど。 「んー、そうなんだけど、そうじゃなくて……そうだ、ちょっと来て!」 「わっ、バカ、走んなよ!」 犬夜叉の腕を引いて走りだそうとするかごめを慌てて制する。 かごめは今、大事な時期なのだ。 足を滑らせて転びでもしたら困る。 「ほら」 「はぁーい、ごめんなさい」 両手を差し出して促せば、細い腕が首に回される。 「どこに行きゃあいいんだ?」 細い ――――― けれど腹部の辺りだけふっくらと目立ち始めた身体を抱き上げて、犬夜叉は行く先を尋ねた。 かごめが指定したのは、弥勒と珊瑚の小屋だった。 今日は依頼が入っていなかったので弥勒は双子と遊んでいたようだ。 「いぬー!」 「ごめー!」 先に二人に気付いた双子が声を上げ、遅れて顔を上げた弥勒が二人の姿を見ておやと眉を上げる。 「相変わらず仲睦まじいことで」 「うるせー! こうでもしねぇとこいつぁ勝手に走りやがるんだよ」 「もー、人のこと落ち着きがないみたいに言わないでよ」 「本当のことだろうが」 頬をぷくりと膨らませるかごめを軽くあしらって、犬夜叉は言葉とは裏腹に丁寧な手付きでかごめを腕から下ろした。 目立ち始めた腹部とは裏腹に未だ少女の面影を残した巫女は開口一番こう言った。 「ね、弥勒様! 犬夜叉、背が伸びたと思わない!?」 「……はい?」 いったい何の話なのか。 前後の脈絡が掴めず友人であり仕事での相棒でもある男の顔を見やる。 けれど犬夜叉は訳が分からないと言うように肩を竦めて見せた。 「背だけじゃなくて! 顔とか雰囲気も前より大人っぽくなったって言うか……」 「……惚気ですか?」 端的に問えば、かごめの顔は茹で上がったばかりの蛸の様に一気に赤く染まった。 「ち、違っ! そうじゃなくて! その、ホントに、この半年ぐらいで急に大人っぽくなった気がして、その……」 もごもごと口籠りながら俯いていく仕草は大層微笑ましかったが、告げられた内容は少々聞き捨てならないものだった。 ひそりと眉を上げ、かごめの隣で懐手に腕を組んの男を見やる。 衣の手足が足りなくなっている様子は見受けられないが、如何せん奴の身に纏うは妖力の籠った特別の品だ。 持ち主に合わせて大きさが変わってもおかしくはない。 確かに、弥勒から見ても犬夜叉は成長したように思える。 けれどそれは精神面でのことだと思っていた。 以前より落ち着いた眼差し、動作。そう言ったものが犬夜叉を大人びて見せているのだと。 ――――― だが果たして本当にそれだけだろうか。 言われてみれば丸みを帯びて子供染みていた頬の線は鋭さを増して、今では少年と言うより青年と言った方が相応しく思える。 「……犬夜叉、ちょっとこっちに来てみろ」 手招きに応じて億劫そうに歩み寄ってきた犬夜叉の隣に並び立つと、視線の位置は殆ど同じ高さにあった。 「………」 「……弥勒。お前、縮んだか?」 「馬鹿なことを言うな」 こちとらまだ二十代、幾ら妖怪に比べて老いるのが早いからと言って流石に縮むには早すぎる。 「やっぱり伸びてるよね!?」 「そのようですな」 「だぁら、5年もありゃあちったぁ伸びんだろ」 面倒くさそうに言い切って、犬夜叉はこの話はもういいとばかりに外方を見やる。 「では聞くが、5年や10年で視界が変わったことがありますか?」 「そりゃあ……」 言いかけて、犬夜叉はぴたりと口を閉じた。 ほんの子供だった頃を除けば、自分でそうとわかる程に背が伸びた経験はない。 否、そもそも自分の外見を気にかけたことなど一度もなかった。 「大人びたように見えていただけではないのかもしれませんな」 そう、そう!とかごめが首を縦に振っていたが、犬夜叉の思考は停止したままだった。 それは、つまり、どういうことだ? 「以前、妖の外見年齢は精神の年齢に左右されると言う説を聞いたことがあります。無論すべての妖怪に当てはまるわけではないようですが……ひょっとしたらお前にも当てはまるのやもしれません。それに、元々お前は半分人間です。心が人に近付いた分、身体に影響が出てもおかしくはないでしょう」 「…………」 「今後どうなるかはわかりませんが、少し気を付けて見ておいた方が良いかもしれませんな」 驚いてかごめを見る。 ニコリと笑った彼女と、その膨らんだ腹部を。 生まれた子供にもいつか、追い越されて、置いて行かれるのだろう ――――― ずっと、心の片隅にそんな思いがあった。 けれど、ひょっとしたら。もしかしたら ――――― 。 その期待に動機が早まって。 けれど、期待しすぎるのも恐ろしくて。 犬夜叉はただ小さく、何時の間にか詰めてしまっていた息を吐いた。 * * *
「……ってきまーす」 「はい、いってらっしゃーい」 パタパタと落ち着きのない足音が遠ざかり。戸を閉めて振り向いたかごめが、犬夜叉の顔を見てクスリと笑った。 「……すっかりおじさんになっちゃったわね」 「けっ。てめぇだってもうババアだろうが」 「あー、ひっどーい! あたしはまだ可愛いおばちゃんのつもりです」 頬を膨らませわざとらしく腰に手を当てて見せる女は年の割には若々しく愛らしかったが、口元や目尻にはそれなりの年月が刻まれつつあった。 「……どっちでも変わんねえよ。ババアだろうが、小娘だろうが」 そう言うと彼女は嬉しそうに笑って ――――― それから少し、困ったような顔をした。 「………あたしと一緒にならなかったら、あんたはもっと長生きをしたのかもしれないわね。……後悔はしてない?」 頬に触れる指も、出会った頃の様に滑らかではなくて。 けれど、それでも今まで出会った誰よりも柔らかく、優しかった。 「……馬鹿言え。おれはきっとずっとこうなりたかったんだ」 その手を取って頬に摺り寄せる犬夜叉の手も、節くれだって骨ばって、彼女の手と同じように年月を感じさせるそれに変わりつつある。 人によればそれは決して羨ましい変化ではないのだろう。 永遠の命を、若さを願う者は少なくはない。 そう言った者達から見れば、永遠とまでは言わずとも人よりも遥かにゆっくりと時を刻む犬夜叉の身体は喉から手が出る程欲しいものだっただろう。 けれど犬夜叉にとっては、彼女と歩いてきた時間がそのままに刻まれたこの身体こそが幸福の象徴だった。 「お前よりは長生きしてやるから安心しろ」 「……うん、約束ね」 そのまま小指を絡めて軽く揺らしてやると、かごめはほっとしたように相好を崩した。 * * *
それから、数十年後 ――――― 。 「ほーら、今日はおじいちゃんとおばあちゃんのお墓参りに行くよー。七宝小父さんも来るからお土産のお稲荷さん忘れないようにねー」 「はーい!」 子供達にとって曽祖母と曾祖父に当る二人が亡くなったのは殆ど同じ時期だった。 まず純粋な人間だった曾祖母が、眠るように逝って。 それから数日後、曾祖父もまたそれを追うように亡くなったのだと言う。 二人とも、人生五十年と言われるこの時代の常識を遥かに超える長生きをした。 「ひぃばあちゃんなんか純粋な人間だったのに自分のひ孫まで取り上げちゃったんだから驚きだよねえ」 「オレ、思うにひぃじいちゃんはひぃばあちゃんのこと好きすぎたんだよな」 「それを言うならひぃばあちゃんもでしょ。ひぃじいちゃんの為に時間を超えてきたってゆーんだもの」 二人の眠る墓を洗い清め花を飾る大人達から少し離れた場所で姦しく騒ぎ立てる子供達は殆ど人と変わらぬ姿をしてはいたが、僅かに尖る耳や牙をもつ者や、陽の射さぬ陰に入ると金色に光る眼を持つ者も居た。 少し離れた木の上で彼らが訪れるのを待っているうちに転寝をしてしまっていた七宝は、その声に薄っすらと瞼を開いてくんと小さく鼻先を鳴らした。 みんな、みんな懐かしくて優しい匂いがする。 (あぁ……幸せじゃのぅ……) 「あ! 七宝小父ちゃんだ!」 ほうと息を吐くと、耳の良い誰かがそれを拾って顔を上げた。 「こっちこっちー!」 ころりと枝の上で寝返りを打って見下ろした先でぶんぶんと手を振っている子供の小生意気そうな顔には懐かしい面影がある。 懐かしい大切な人達の思い出話に浸る為に、七宝は在りし日の彼の様にひらりと高い木の上から飛び降りた。 「……お主ら、みんな元気にしておったか?」 幼い頃、共に旅をした仲間達はもう誰もいない。 一人取り残されて寂しいと思ったこともある。 けれど、それ以上に、彼が置き去りにされずに済んだことを嬉しく思う。 七宝は純粋な妖怪で、ここ以外の場所には仲間も沢山居て。 けれど彼には、彼女しか居なかったから。 (……ああ、でももう一人ではないな) 晩年の彼は、仲間達や、こんなにも賑やかで優しい、たくさんの家族に囲まれていた。 わあわあと声を上げながら駆け寄ってくる子供達を見やりながら、七宝は愛おしそうに眼を細めた。 ― END ―
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初期の巻と最終巻を見比べると、絵が変わったのを差し引いても他のキャラクターに比べて犬夜叉は大人びた気がする。 仲間と共に成長して老いて死んでいけたら、それが一番の幸せなのかも知れない。 犬夜叉の最も幸福な最期を模索していた時に考えたお話でした。 |