「 ――――― っ!」 戦国の夜は暗い。 閉じた世界に一人、閉じ込められた夢を見て。 瞼を開けたらまた暗闇で、自分がどこにいるかわからなくなることがある。 背中に掻いた汗がじっとりと冷たく不快感を煽る。 心臓が早鐘のように音を立てている。 何も見えなくて、慣れた雑音も聞こえなくて、不安で、不安で。 闇雲に伸ばした手が、はっしと掴まれた。 「ぁ……」 「……大丈夫か?」 寝起きのような低く掠れた声。 実際に眠っていて、かごめの上げた小さな悲鳴に眼を覚ましたのかも知れない。 後になってそう思ったけれど、でもその瞬間は他のことは何も考えられなくて。かごめはその手を頼りに無我夢中で相手にしがみついた。 「……かごめ?」 驚いたように名前を呼びながらも抱き返してくる腕が、起き抜けでぽかぽかと温かい身体が、冷たく冷えた身体の奥に蟠る恐怖を溶かしてくれる。 辺りは相変わらずの暗闇だったが、見下ろしてきている金色の瞳ははっきりと認識できた。 人のそれとは違う獣を思わせる虹彩は、けれど酷く優しくて柔らかい。 暗闇に浮かぶ、二つの柔らかな光が、抱き締めてくれる腕が、胸をいっぱいに満たしてくれる。 「 ――――― ……あんたの眼、お月様みたい」 「……あ?」 ぽつりと漏れた音に返ったのはその一音で、けれどそれだけで闇の向こうで相手がどんな顔をしているかが手に取るように分かった。 きっとなんだそりゃ、と言いた気に眉を寄せているのだろう。 ――――― それさえもが、愛しい。 (………あたしは、これ以上のものなんて何も望まない) ふっと、そんな思考が脳裏を過ぎった。 例え願えば叶うのだとしても。 永遠の美も、不老不死も。強大な力も、地位も、財産も。 何一つ欲しいとは思わない。 ここに、犬夜叉の傍に居られればそれでいい。 それが無欲なことだとは思わない。 何故なら犬夜叉とかごめの間には500年の時が横たわっていたのだから。 「……ぬ、やしゃ……」 奇跡のように隣に横たわる良人の胸に顔を押し当てて、豊かで穏やかな森を思わせる彼の匂いを胸いっぱいに吸い込む。 そうすると強張っていた手足の先から力が抜けて、遠ざかっていたはずの睡魔が舞い戻ってきた。 何か言わなくちゃと思ったけれど、思考が上手く回らなくて。 「………り、がと……」 どうにかそれだけを口の中で呟いて、かごめは再び意識を手放した。 「……………」 暗闇の中、犬夜叉の姿を認めた瞳が一瞬見開かれて、それがふわりと弛む。 強張っていた身体からも力が抜けて、腕にかかる重みが増して。安堵したように再び眠りの縁に落ちていく気配が何者にも代えがたく愛おしい。 ――――― 極稀にではあるが、かごめはこうして悪夢に飛び起きることがある。 彼女は夢の内容をはっきりと口に出そうとはしないが、言葉の端々から察するに四魂の玉の中に閉じ込められた時のことを夢に見ているようだ。 それは彼女がここに居ることとも無関係ではないのではないかと思う 血の繋がった家族や友人と、自分の生まれ育った時代と隔絶されて、彼女は犬夜叉の傍にいる。 それは彼女が選んでくれたことで、そのことは決して後悔はしないと言うけれど、もう二度と会えない家族や帰れない故郷を憂う気持ちはまた別で。 それが形となって表れているのではないか、と。 「………かごめ……」 冷たく冷えた汗で額に貼り付いた髪を後ろに払い、生え際から耳の後ろへと指を滑らせる。 彼女が悪夢に飛び起きる度、犬夜叉は申し訳ないような居た堪れない様な気持ちと、けれど同時に例えようもない幸福感を感じる。 何故なら彼女は、灯りのない暗闇の中、炯々と光る犬夜叉の瞳を捉えてその瞳に安堵の色を浮かべるから。 金色に光る瞳は人在らざる者の象徴とも言えるそれで、本来であれば安堵を覚えるようなものではなく。それを眼にして悲鳴を上げて逃げて行った人間は一人や二人ではない。 けれど彼女は ――――― かごめは。 その色を捉えると待ち焦がれていたように、これでもう何があっても大丈夫とでも言うように、心の底からほっとした色を浮かべるのだ。 全てを許し、受け入れる、圧倒的な安堵と許容。 例え今、犬夜叉が彼女の喉笛に牙を立てたとしても、それさえも許されてしまうのではないかと思う程の。 決して悪夢を望むわけではない。 夢の中でとは言え、彼女が苦しむ姿など見たくはない。 けれどその瞬間、感じてしまう幸福は紛れもない。 「…………」 眼を閉じた彼女の、僅かに濡れた眦に唇を寄せる。 舌で嘗め取ると少ししょっぱくて、けれど不思議と甘い涙の味がした。 密やかな、罪深い幸福に浸りつつ。 犬夜叉もまた静かに瞼を伏せた。 ― END ―
|
かごめは稀有な魂を持つと同時にどこまで普通の子なので、あれだけ怖い思いをしたからには悪夢を見て飛び起きる様なこともあると思うのです。 それを抱き止める犬を書く予定が、かごめちゃんの存在が大きすぎて駄目な犬になりました……(苦笑)。 |