――――― かごめは湯を浴びるのが好きだ。 かごめは女の子なら誰でもそうだと言うのだが、犬夜叉に言わわせればかごめの風呂好きは尋常ではない。 とは言え、犬夜叉の知る女子と言えば退治屋家業を営んでいた珊瑚と、 ともあれ、かごめの国では毎日風呂にはいるのが当たり前のことだったらしい。 以前はそれを億劫だと感じていたが、その便利で豊かな世界を捨ててきた彼女に少しでも快適に過ごして欲しいと言う思いがあって。犬夜叉は村に居る限りは殆ど毎日、彼女を出で湯に連れていってやるようにしている。 山の出で湯までは人の足では結構な時間がかかるが、犬夜叉の足なら然程時間もかからない。 単純にかごめが喜ぶのが嬉しくてそうしていたのだが ――――― ある日、かごめがとんでもないことを言い出した。 「……ね、たまにはあんたも入んない?」 背中にかかった声に反射的に振り返りそうになって、慌てて視線を正面に引き戻す。 すると背後でくすりと笑う音がした。 「別に、そんなに頑なに背中向けてなくたっていいのに」 ぴくりと犬耳が動いた。 「……い、いいのか?」 「あんまりジロジロ見るんでなきゃいいわよ。あたし達、その、もう一緒に暮らしてる訳なんだし……」 驚きと期待で僅かに声が上擦ったが、かごめはそれには気付かなかったらしい。 屈託のない声と共に、ぱしゃぱしゃと水を跳ね上げ近付いてくる音が聞こえてきた。 「………」 あぐらを掻いた片膝に手を当てて、肩越しに視線を送るとすぐ近くまで来ていた彼女と眼があった。 かごめは岩棚に腕を組んで、そこに顔を乗せるようにして小首を傾げていた。 湯は白濁していて身体の線は見えなかったが、普段は着物に覆われている二の腕から背中にかけては露わで、髪を頭の後ろに纏めている所為で後れ毛が首筋に張り付いているのが妙に艶めかしい。 「……気持ちいいよ?」 それにどきりとしたことが伝わるはずもなく、彼女はふにゃっと笑って片手で湯を掬ってみせた。 ――――― この女には、どうもこう言うところがある。 無防備と言うか、無頓着と言うか、無警戒と言うか。 無論何時でも誰にでもそうと言う訳ではないのだろうし、犬夜叉だからという側面もあるのだろうが ――――― それにしたって如何なものか。 何しろきちんと祝言を上げたわけではないとはいえ、一応のところ二人の関係は夫婦に当たり、そう言った関係でもあるからだ。 「……お前が誘ったんだからな」 ぼそりと呟いて、前に向き直ると犬夜叉は衣の襟に手をかけた。 「え……さ、誘ったって!」 背後で裏返ったような、焦った様な声が上がる。 「い、言っとくけど別に変な意味じゃないからね!? あんたいっつもただ待ってるだけだし、待たせっぱなしって言うのもあれだし、一緒に入れたらいいなと思っただけでっ!!」 「わーってらぁ」 口早に捲し立てられるそれを背に、犬夜叉は身に纏う鎧でもある火鼠の毛で織った衣を脱いだ。 ここいらにそうそう危険はないとわかってはいても刀は手放し辛く、着物と一纏めになるべく近いところに置いて立ち上がると、派手な水音を立ててかごめがこちらに背を向けた。 「や、やっぱダメ! なんか急に恥ずかしくなってきた!!」 「はぁ!? ざっけんな、何の為に脱いだと思ってんだよ!」 「脱いだとか言わないでよ!!」 かごめは犬夜叉に背を向けたままじゃぶじゃぶと奥へと進んでいく。 犬夜叉もそれを追ってじんわりと熱い湯の中に足を踏み入れた。 「そっち、行くからな」 「っ……い、いいけど、変なことしたら怒るわよ! おすわりって言……」 言うからね、と続くはずだった言葉はそこで途切れた。 どばしゃあっとかごめが犬夜叉に背を向けた時以上の、派手な音と水飛沫が上がったからだ。 犬夜叉の姿が掻き消える。 「………」 ぶくぶくと水中から気泡が上がって ――――― 数拍置いて置いて濡れぼそった髪から大量の水を滴らせながら犬夜叉が立ち上がった。 「かぁごぉめぇー……!!」 地の底を這うような声に、かごめは顔を強ばらせて後退る。 「ご、ごめん! 今のナシ! 間違いだから!」 「間違いだからじゃねえっ、水飲んだじゃねえか!」 「ほんっとごめん!!」 両手を合わせて頭を下げると、犬夜叉は一度不機嫌そうに鼻を鳴らしてぶるりと頭を振った。 濡れて額に張り付く髪や水滴を掌で拭うようにして視界を確保して溜息を一つ。 腹立たしくないと言えば嘘になるが悪気があった訳では無し、ただ湯に沈められただけだ。 「……次からは気を付けろよ」 とは言え状況次第では危険が無いわけでもないので、それだけを告げて不問にしてやることにする。 「………うん、ごめん」 かごめは申し訳なさそうに俯いて、視線を落とした。 一緒に旅をしていた時も時々やってしまっていたが、離れていた時間が長かった所為ですっかり忘れていた。 あれはそうしようと思わなくても完全に音に反応するのだった。 (……気を付けなくちゃね……って言うか、もう念珠なくてもいいんじゃ……) あれはもともと暴れ者の半妖を鎮める為のもので、今の犬夜叉に必要だとは思えない。 否、だが妖怪化してしまった彼を鎮めたこともあったはずだ。 奈落が居なくなって悪さをする妖怪達も減って大分平和になって、早々犬夜叉が妖怪化するような敵が現れるとは思えないが、けれど万が一と言うこともある。 (保険の為にあった方がいいのかな……) ぐるぐる考えていたら、ぱしゃりと小さな水音がした。 「…………」 白濁したお湯に銀色の髪を浮かせながら、犬夜叉が近付いてくる。 湯から出た上半身は特別大柄ではなかったが、鍛え上げられて逞しい印象だ。 それが濡れて月明かりに浮かび上がる様はどこどなく艶めかしく ――――― かごめは知らず知らずのうちに近付いてくる犬夜叉とは逆の方向に動いていた。 「……何で下がるんだよ」 「え? う、うん。別に……」 水面に細波を残して犬夜叉が近付いてくる。 同じ分だけ、かごめが後退る。 「…………」 「…………」 近付いてくる。 後退る。 「…………」 「…………」 何度かそれを繰り返しているうちに、とんとかごめの背中が岩場に当たった。 「っ!!」 思わず肩を揺らして息を飲んだかごめのすぐ横で犬夜叉が足を止めて、その動きに作られた細波が湯に浮かぶかごめの髪の先を揺らした。 伸びてきた手が、それを掬い上げるように動く。 「ひゃっ!」 「っ……へ、変な声出すなよ! 髪を触っただけだろーが!」 「っ……だってー! だってー!!」 何だか犬夜叉が妙に色っぽいんだもん、なんて恥ずかしくて言えるわけがない。 いつも長時間待たせるのも悪いし、一緒に入ったら楽しいんじゃないだろうかとそんな軽い気持ちだったのだが、なんだか妙な気分になりそうだ。 (大体犬夜叉が誘ったとか変な言い方するから……) 自分は悪くない。 おすわりを言ってしまったことは悪かったが、それ以外のことは、きっと、多分、悪くないはずだ。 (そーよ、家族風呂とかそう言うのもあるし、別に変な意味じゃなくたって一緒にお風呂ぐらい入ったっていーじゃない。月見風呂とか雪見風呂とかそう言う……) 「……かごめ?」 俯いてぶくぶくと鼻先まで湯にしゃがみ込んだかごめを覗き込んでくる犬夜叉の声が近い。 「湯、飲んじまうぞ?」 「ひゃぁっ!!」 ぐいと無造作に引き寄せられたかと思うと犬夜叉の膝の上に抱え上げられてしまった。 「えっ、やっ、ちょっ……!」 ――――― 余りに深く沈んでいたので溺れないように、という配慮か? 別に本当に沈んでいたわけではなくて、好きで沈んでいたのだから放っておいて欲しい。 (……ってゆーか近い近い近い!!) 慌てて少しでも湯の中に潜ろうと背を丸めるも完全に膝の上に乗せられてしまっているので限度がある。 ばたばたやっていたら、背中に腕が回されて犬夜叉の胸に凭れかかるようにぐっと引き寄せられた。 「………出で湯なんざ興味もなかったが、悪くないな。こう言うの」 「……へっ?」 吐く息に乗せるような静かな声に驚いて顔を上げると、犬夜叉はどこか穏やかな表情で頭上を見上げていた。 真円に近い月から降り注ぐ柔らかな光に、水気を含んだ銀の色の髪がきらきらと輝いている。 それがあまりにも綺麗で、なんだか急に気持ちが落ち着いてきて、かごめはおずおずと身体の力を抜いて犬夜叉の胸に凭れかかった。 「……うん」 お湯の温度で互いの体温は感じ取れないけれど、包み込まれているような感覚は悪くない。 あったかくて気持ちいいし、なんだか安心する。 ( ――――― 我に返ったらきっと恥ずかしくなるんだろうけど) 今はこの空気に甘えておくことにしよう。 そう考えて、かごめは密やかに口元に笑みを刻んだ。 ― END ―
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犬夜叉を温泉に沈めたかっただけ……とは言いません、ええ。(`・ω・´) 続きは裏に(笑)
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