――――― 酔っぱらいがいる。 何故か背中にべたーっと貼り付いて離れない酔っぱらいが。 「…………」 懐手に腕を組んだまま、犬夜叉はどうしたものかと思案するように小さく息を吐いた。 酔っぱらいの正体は、再会してまだ数日しか経っていないかごめだった。 夕食を弥勒と珊瑚のうちに招待されて、これまで殆ど飲んだことがなかったという酒を口にしたのが原因だ。 そう言えばこいつは酒妖の酒気に当てられた時もやたらと陽気になっていた。 どうやらそう言う酔い方をする奴らしい。 さめざめと泣かれるよりはずっとましだが、背中にへばりついて人の髪の中に半ば顔を埋めたままくふくふと笑っているのも如何なものか。 (……まあ、幸せそうだからいいけどな) かごめが幸せそうな顔をしていると嬉しい ――――― それが見れないのは残念だが。 そんな風に思うようになった自分がどうにも気恥ずかしく居た堪れないような気がして、それを隠して仏頂面のまま目を閉じていたら、両腕にのっしと軽い重みがかかってきた。 閉じていた目を開けてちらりと見やると、双子のお転婆どもが左右の腕に手をかけて登り始めるところだった。 「ぬー!」 腹がくちくなってそろそろ眠気を誘われる頃合いかと思いきや、やたらと楽し気なかごめに触発されたようだ。 とは言えいつものことなので、今更目くじらを立てる程のことでもない。 両手が塞がるのが少々気になるが、万が一転がり落ちたら隣の父親が何とかするだろう。 大体このガキどもは二親に似たのかやたらと身体能力が高いのだ。 「みみー!」 「みー!」 慣れた単語を繰り返しながら左右の肩に這い上がって手を伸ばし、耳を狙っている。 その時 ――――― 半ば諦めの境地でそれを受け入れようとする犬夜叉の背中に貼り付いていた気配が動いた。 (ん……?) ゆらりとした動きで膝立ちになったかと思うと、後ろからのっしと犬夜叉の頭に圧し掛かってくる。 かごめ一人分の体重が増えたぐらいで揺らぐような柔な身体はしていないが、後頭部にぐぐっと柔らかな感触が押し付けられる形になって、慌てて振り向こうとしたらそのままぎゅぅっと頭を抱き込まれた。 「なッ!」 硬直する犬夜叉を一顧だにせず、かごめは酒の所為でやたらとぽかぽかとする両手で犬夜叉の両の耳を覆った。 「だーめ。これは、あたしの〜」 (………は?) 頭頂部にすり、と柔らかな頬が寄せられる感触があった。 続いて片方の手が外れたと思ったら、はむっと何か温かく柔らかなものが右の耳を挟んだ。 「○×△□〜!!」 衝撃に跳ね上がりそうになって、その所為で両肩のガキを取り落しそうになってわたわたと両手を泳がせる。 近い方の一匹を両手に抱き止めた弥勒がどこか感心したように「ほう」と呟いた。 どうにかもう一匹を掴み直す間にもかごめはまぐまぐと小さなガキのするような仕草でおれの耳を食んでいる。 「な、な、なにしてやがんでいっ!!」 眼を丸くして頭上を見上げているガキを床に置いて、強引に上体を捻ってかごめの腰の辺りを掴んで引きはがそうとしたら「ぁん」と聞いたことのないような艶っぽい声が聞こえた。 「!?」 「やぁーだ」 むずがる子供のような声を上げて首にしがみつかれて、顔中に血が上る。 「や、やめろ、酔っぱらい!」 「いーやー」 渾身の力でしがみついているのか、意外に力が強い。 「……そろそろお開きにした方が良さそうですな」 そうやって暫らく揉み合っていると、何時の間にかガキの目元を大きな掌で隠した弥勒が呟いて、救われたような、ぶん殴りたいような微妙な気分になった。 否、それよりこの酔っぱらいを早くどうにかしなくては。 「お、おう! じゃあおれはかごめを楓んとこに送ってくる!」 口早にそう宣言してまだぐずっているかごめを背中の方へと誘導してやると、慣れたものでかごめは大人しく背中に収まった ――――― 上体は相変わらず頭にべったりだったが。 「そ、それじゃあな!」 挨拶もそこそこに逃げるように弥勒と珊瑚の家を飛び出すと、さぁっと冷たい風が頬を撫でた。 春の夜はまだ寒さの方が勝り、火照った頬の熱が奪われていくのにほっと安堵の息を吐く。 「……ふふふー」 冷たい夜気で少しは酔いも冷めるだろうと思ったが、背中の女は相変わらずだった。 ふにゃふにゃした様子で何か呟きながら耳を弄ったりそこに頬を摺り寄せたりしている。 一息に楓の小屋まで飛んでもいいのだが、くにゃくにゃとした今のかごめがしっかりと背中に掴まっていられるとは思えなかったし、何よりこの様子では楓の小屋でも一悶着起こすに決まっている。 ――――― 犬夜叉の首にしがみついて離れないとか、そう言った類のことを。 (酔い覚ましに暫らく歩くか……) 深い息を吐いて、村の外の方へと足を向けようとしたところで、また耳朶に湿った感触が触れた。 「……だあぁぁ!! 耳を噛むんじゃねえ!!」 「ふにふにー」 「ふにゃふにゃしてんのはてめぇだっ!!」 なんでこんな、とは思うものの視界外での出来事なので防ぐことが難しい。 「らって気持ちいーんらもん」 「いーんだもんじゃねえ! 触んな!!」 いい加減色々と不味いと思って上げた声は余裕の無さを反映するかのごとく自分でも驚く程大きく響いて、途端にぴたりとかごめの動きが止まった。 「…………」 するりと手が離れて、口も離れて、唾液に僅かに濡れた耳先が風に冷やされてふるりと震える。 やっとわかってくれただろうかと思ったら、背後からぐすりと鼻を啜り上げるような声が聞こえて犬夜叉はぎくりと背中を強張らせた。 「……どーしてそんなこと言うの? 双子ちゃん達には触らせてあげてるのに……」 ――――― ちびどもに幾ら耳を弄られたところでなんの問題もない。 齧られて涎塗れにされるのは辟易ものだが、それだって川で洗えば済む話だ。 だが相手がかごめとなると、そうもいかない。 「い、いや、だからそれは、その……」 「あたしのこと、嫌い?」 しどろもどろになっていたら、そんな核心めいた言葉が飛び込んできた。 「んなわけねーだろ!」 そればかりは間髪入れずに返したが、返答はお気に召さなかったらしい。 「じゃあどーしてダメなのよぅ……」 尚もぐすぐすと言いながら今度はぺたりと首筋に貼り付いてくる ――――― 何だこの生殺し。 「おめーだから駄目なんだろうがっ!」 愛しい女の細い指で、小さな唇で耳朶を弄られて平気な顔をしていられる男は男じゃねえ。 とどのつまりはそう言うことなのだが、皆まで告げるべきか、否か。 酔っぱらいが今の言葉の意味を組んでくれるとは思えない。 また泣き出したらどうしよう。 ぐるぐると考え込んでいると、背中からすーすーと小さな寝息が聞こえてきた。 「……かごめ?」 ――――― 返事がない。 「…………」 少し、揺らしてみた。 むにゃむにゃと小さな声がして、けれどすぐにまた健やかな寝息が聞こえてくる。 「……寝てやがる」 思い切り脱力しそうになりながら、犬夜叉ははぁぁと深い溜息を落とした。 良かった、助かった ――――― 正直言えば少々残念な気もしたが、あのまま生殺しにされるよりはずっとましだ。 もう一度息を吐いて背中の肢体を軽く揺すり上げると、犬夜叉はゆっくりとした足取りで楓の小屋へと向かった。 「ぬーのみみ、さあっていー?」 「いー?」 手を繋いで駆け寄ってきた双子にそう告げられて、かごめは木製のへらを動かしていた手を止めた。 一瞬不思議そうに眼を瞬かせ、けれどすぐににこりと微笑む。 「いいわよ。でも痛いからあんまり強く引っ張っちゃ駄目よ? あと、犬夜叉が嫌がったらすぐにやめること。いいわね?」 ――――― まるで本物の犬にでも触る時の注意事項のようだ。 相手は仮にも半妖で、かごめにとっては伴侶であるはずなのだが。 「「はーい!」」 そんなことなど知る由もない ――――― 或いは知っていたところで関係もない双子達は、良い子のお返事をして、きゃっきゃっとはしゃぐような声を上げながら、少し離れた木の根元に座り込んで眼を閉じている犬夜叉の方へと向かって行く。 「……どうして私に聞くのかしら?」 それを見送りながら、かごめはくいと小さく首を傾けた。 珊瑚ちゃんか犬夜叉本人に聞くならわかるけど、と重ねるのに、隣で同じように木べらを動かし薬草を煮詰めていた珊瑚が思わず呟く。 「………覚えてないんだ」 「え? 何を?」 振り返った彼女はどこかきょとんとした表情を浮かべていて、まるっきり昨夜のことなんか覚えていない様子だった。 ――――― 覚えていたら多分、こんな顔は出来ないはず。 「な、なんでもないよ。それよか手を動かさないと焦げちゃうよ」 「きゃっ! ごめーん、ありがと!」 止まりっぱなしになっていた手元を指摘すると、小さな悲鳴が上がる。 木べらを手に真剣な表情で鍋に向き直る友人を見て。昨日のことは見なかったことにしておこうと心に決めた珊瑚だった。 ― END ―
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三年後の春設定。「Mine」には「地雷」と言う意味もあるそうです。 |