「……赤ちゃんの耳、どんなかなぁ。犬夜叉に似てるといいね」
 腹が大きく膨らんでも、まだどこか少女めいた様子を残した女が屈託のない調子でそう言って、犬夜叉は眉を顰めた。
「……お前、ほんっとうに物好きだな」
「へ?」
 首を傾げる女の、癖のある黒髪の間から覗く耳の先はつるりと丸い。
 極当たり前の、人の形をしている。
 手を伸ばして触れると僅かな産毛の感触はあるもののすべすべとして滑らかな感触が伝わってくる。
 対する男の耳は、常人より遙かに高い位置にあり、ぴんと尖って白い被毛に覆われた ――――― 一見して異形のそれだ。
 それに似れば良い等と、物好きにも程がある。
「……人の輪に入れなくなる。俺は、お前に似た方がいい」
 人にも妖にも属せず、一人きりだった幼い頃の記憶が脳裏を過ぎり、漏れた声は自然苦々しいものになった。
 ――――― この耳がなければ。
 白銀の髪と人より頑健な身体、酷くゆっくりとしか進まぬ成長。
 それだけならば、なんとか誤魔化し誤魔化し人の輪に入ることができたかも知れない。
 嘘と偽りに身を固め、いつ真実が露見するかと心を凍らせながらも、人のフリをして生きられたかも知れない。
 そんな風に思ったことも、無かった訳ではなかったから。
「……あんた、今どこにいるの?」
「………は?」
 不意に投げかけられた脈絡のない問いかけに、犬夜叉は訝し気に眉を寄せた。
 それと先程の話に、何の関係があると言うのか。
「今どこにいるのかって聞いてんの」
「……家の、前?」
「じゃあ、その家はどこにあるの?」
 ギロリと睨みつけられて、訳が分からないまま正直に思った通りの答えを口にするとかごめがぐぐっと身を乗り出して来て、顔がぶつかりそうに近くなる。
 一見極普通の女に見えて、けれどこいつが普通じゃないと思うのはこんな時だ。
 怒りを孕む眼差しはきらきらと輝いて、射るように強い。
「どこって、楓ばばあの村……」
「でしょ。あたしが居て、楓ばあちゃんが居て、弥勒様が居て、珊瑚ちゃんが居て、二人の子共達が居て、りんちゃんが居て、村の人達が居て ――――― あんたはそれでも、自分が人の輪に入れてないって言うの?」
 腰に手を当てて捲し立てるようにしながら更に詰め寄られて、犬夜叉は反射的に腰を引いた。
「それは……お前が居たからだ」
 かごめと出会う前は、こんな風になるとは思ってもいなかった。
 ――――― 本物の妖怪になりたかった。
 強くなりたかった、居場所が欲しかった。
 その居場所は自分の力で手に入れるしかないと思っていた。
 この手を取ってくれるなら、爪も牙も捨て脆弱な人間になっても良いと思った相手に出逢えたこともあった。
 けれどその時でさえ、自分が、ありのままに受け入れられるとは思ってもいなかった。
 人か妖かを選ぶことで、ようやくその場所を得られるのだと思っていた。
 だから今、自分がこうやって半妖のままでここに居ることは、この不可思議な女の起こした奇跡のようなものなのだと思っている。
「この子にも、あたしとあんたが居る。大丈夫よ、どうにかなるわ」
 そんな犬夜叉の想いを知ってか知らずか、かごめは手を伸ばして犬夜叉の頬に触れると、それまでの勢いが嘘のように穏やかな口調でそう言って微笑んだ。
「……そんなこと、わかるかよ」
 吐き出すように呟いて、僅かに顔を背けて視線を外に逃がす。
 この世界は、それ程優しくはない。
 少なくとも、己のような異端には。
「あんたが受け入れられたのは、私の所為じゃないわよ。あんたは不器用だし、意地っ張りだけど本当は凄く優しいもの。だからあたしもあんたを好きになったの。それってあんたが愛されて育ったからだと思うのよね」
 眼を眇めて鼻先を顰めた男の様相は、常人であれば近付きがたい其れだったが、かごめは気にした様子もなく風に吹かれて広がる柔らかな髪を片手で押さえて微笑んだ。
「……あい、されて?」
 鸚鵡返しに、その耳慣れない単語を口の中で転がす。
「そ。この世界は犬夜叉には優しくなかったと思う。でも、世界中を敵に回してもあんたを守ろうとしてくれた人が居た。そうでしょ」
「………」
 ――――― たった一人、無条件に自分を受け入れ、抱き締めてくれた人の面影が脳裏をよぎった。
 白魚のような嫋やかな指先と射干玉の黒髪の、美しい人だった。
 妖怪の子供を身籠った所為で、半妖なんぞを産んだ所為で若くして儚くなってしまったけれど、彼女は決してそれを嘆くことはなかった。
 人の輪から弾き出され、煙たがられ、悪しざまに罵られることさえあったけれど、それでも幼い犬夜叉の手を離そうとはしなかった。
 その手が無かったら、きっと犬夜叉は今ここには居なかっただろう。
「長くは一緒に居られなかったかもしれないけど……幼少期って、その人の人間性の基盤を作る大事な時期なの。その時期にたっくさん愛情を貰ったから、その後どんだけ捻くれたってアンタの根っこは優しいままだった。だから、大丈夫よ」
 もう一度重ねて、女は犬夜叉に触れていた手で愛おし気に己の腹部を撫でた。
「この子はあんたと私が愛情をたーっぷり注いで育てるんだから、絶対良い子になるに決まってるわ。だから耳がどんな形をしてようと、尻尾がついてようと関係ないのよ」
 穏やかに微笑む横顔は先程までの少女めいたそれとはまるで違う、母親の顔をしている。
「……おれは尻尾はねえぞ」
 何か言おうとして、けれど何を言えばいいのかわからなくて、口から出てきたのは結局そんな言葉だった。
「例えだってば。それならあたしはあんたに似てた方がいい」
「……お前、ホントに変な女だよな」
「何よ、失礼ねー」
 ぷくりと頬を膨らませるとまた子供っぽく見えて ――――― 本当に忙しい、奇妙な女だと思った。
「いや……感謝してる」
 後ろから腕を回して、抱き締める。

 おれを、受け入れてくれてありがとう。
 おれを、愛してくれてありがとう。
 おれの子を宿してくれて、ありがとう。
 その子が、おれに似て欲しいと言ってくれて、ありがとう。
 ――――― おれに出逢ってくれて、ありがとう。

 言葉にするには恥ずかしすぎて言葉にできない思いが伝わるよう、願いを込めて彼女の肩に額を押し付けた。



 甘えるように、縋るように寄り添う男の腕を片手で抱き返し、己の腹部に視線を落とす。
 もう片方の手で愛おし気にそこに触れながら、かごめは僅かに苦笑めいた表情を浮かべた。

 ホントはね、それだけじゃないの。
 大丈夫って言うのは、本気よ?
 でもあんたに似て欲しい理由はそれだけじゃないの。
 私はいつか、あんたを置いていく。
 ずっと一緒にいるって約束をしたけれど、生きている限りその約束を違えるつもりはないけれど。
 ――――― けれど私はいつか、あんたを置いていく。
 だから、その時あんたが一人にならずにすむように。
 あんたが一人じゃないってことを、強く実感できるように。

「……酷いお母さんね」
「………なんか言ったか?」
 ぽつりと落ちた呟きを拾って返された声は、どこか眠た気で穏やかだ。
 出逢った頃の彼からは想像できない程に、優しい。
「………んーん、なんでもない」
 あの頃の尖った声を思い出しながら、かごめはクスクスと笑って頭を振った。
― END ―


 ラストのかごめちゃんのパートは入れるかどうか迷ったのですが……。
 リア友さんに愛しすぎちゃってていいんじゃないと言われたので(笑)そのまま掲載しました。
 愛しいのはお互いだったりまだ見ぬ我が子だったり。
2014.11.2

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