朔の夜にかごめの家に行くことに同意したのは、その日、家族が出払っていると聞いたからだった。
 現代に危険はないと何度も言われはしたが、犬夜叉にとっては他人に人間の姿を晒すと言うことそのものが考えられないことだったから。
 今ではかごめや七宝だけでなく弥勒や珊瑚にも知られてしまっているが、秘密を知るものが少ない方がいい。
 明かりが落ちて人気のない家の前で、それでも半ば無意識に足を止めた犬夜叉の背を小さな手が押した。
「ほら、大丈夫だから入んなさいよ」
「押すなってんだろ!」
「そこで止まられたらあたしも入れないのよ!」
 常の犬夜叉であればかごめの細い腕で押された程度ではびくともしないのだが、流石に人の姿ではそうはいかない。
 無論、本気でやり合えば力負けすることはないだろうが、力一杯押されればよろめきもする。
「っ……!」
 たたらを踏んで叩きに足を踏み入れた犬夜叉を迎えたのは何時ものような草太やかごめの母親の能天気な声ではなく、暗闇と静寂だった。
「ただいまーっと……ちょっと待っててね、すぐ拭くもの用意してくるから」
 最早癖になっているのか、誰に告げるでもなく小さく帰宅の挨拶を口にしたかごめが手探りで付けた明りが視界に飛び込んできて、犬夜叉はその眩しさに思わず目を細めた。
 かごめは犬夜叉の答えを待つことなくろーふぁーとか言う獣の鞣革で作った履物を脱いでとたとたと奥へと歩いていく。
 暫らくすると戻ってきたかごめに布を渡され、促されるままに適当に足を拭いていると、その間に楓の小屋の簾の何倍も丈夫そうな扉を閉めて何やらごそごそとやっていたかごめがくるりと振り向いた。
「はい、戸締り完了。ね、こっちの方が安心な感じ、するでしょ?」
「…………」
 確かに、家屋の丈夫さは比較にならないだろう。
 それでも深い場所に根付いた居た堪れないような心許無さは変わらない。
 けれどどこか嬉しそうに微笑むかごめにそれを告げるのは憚られて、犬夜叉は黙って視線を外に逃がした。
「………行こ。美味しいもの作って上げるから」
 ――――― だがそれさえも、かごめには伝わってしまっているのだろう。
 少しだけ困ったような、苦笑めいた笑みを浮かべた彼女に手を引かれて、犬夜叉は無言のまま上がり框へと足を乗せた。


「何が食べたい? ぁ、言っとくけどラーメンは無しだからね!」
 かごめの国の食べ物と聞いて真っ先に思い出したのは湯を注ぐだけで麺の出来上がる忍者食だったが、口に出すより早く却下を喰らってしまった。
 理由はよくわからないが、かごめはあれがあまり好きではないらしい。
 否、厳密に言うと、彼女自身がそれを嫌いなわけではなく、犬夜叉があれを美味いと言うのが気に食わないらしいのだ。
「……何でもいい」
 けれど他にかごめの国の料理は思いつかずそう告げたのだが ――――― どうやらそれも失敗だったらしい。
 ふっくらとした桜色の頬がぷくりと膨らんだ。
「何でもいいじゃわかんないでしょ。好きなもの、教えてよ」
「…………」
 好きなもの、と言われても犬夜叉には咄嗟に思い至るものが無かった。
 かっぷらあめんは美味かった。
 肉や魚を焼いたものも美味い。握り飯や汁物も。
 けれど犬夜叉にとって食事は必ずしも毎日必要なものではなかくて、特にあれやこれやと拘ったこともなくて、腹が膨れれば何でもいいと言うのが本音だった。
「しょうがねえだろ、お前の国の食いもんはよくわからねぇし、もともとそんなに気にして食っちゃいねえんだからよ」
 肩を流れ落ちる黒髪を掻き上げて溜息と共に告げると、一瞬目を丸くしたかごめの顔が見る見るうちに曇っていった。
「……ごめん。あたし、ちょっと考え無しだったかも……」
 酷く申し訳なさそうな、泣き出しそうな顔で俯いてしまった彼女に、やってしまったと思う。
 かごめにそんな顔をさせたかったわけではなかったし、犬夜叉にとってそれは当たり前のことで、決して辛いことではなかった。
 けれどかごめにとってはとても、辛いことなのだろう。
「……別に。謝んな」
 気の利いた言葉なんか出てこなくて、せめてその必要はないと伝えると、おずおずと歩み寄ってきたかごめが小首を傾げて顔を覗き込んできた。
「……カップラーメンにする?」
「………それはお前が嫌なんだろ?」
「そりゃあ……手料理よりインスタントの方がいいって言われたら立つ瀬がないじゃない。でも、あんたが良いって言うなら仕方ないし……」
 女としてのプライドはズタズタだが、犬夜叉が好きなら仕方がない。
 元々インスタント食品と言うのはたくさんの人に受け入れてもらえるよう研究に研究を重ねて作っているわけで、一回の女子中学生の手料理がそれに敵うかと言えば ――――― 。
(……ものによっては、勝てると思うんだけど)
 作り立てに勝る美味さはないとも言うから、献立次第と言えば献立次第だろう。
 けれど、自分が作ったものを食べて欲しい、美味しいと言って貰いたいと思うのはかごめのエゴでしかないのかもしれない。
 相手が人間なら健康を考えて ――――― という名目も立つが、相手は犬夜叉だ。
 今宵は人間とは言え、食生活に気を使ったからと言ってどうこうとは思えない。
(でもやっぱりカップめんって抵抗があるのよね……せめて何かちょっとおかず作ろうかな……)
 食材は家にあるものを何でも使っていいと言われているし、冷蔵庫には野菜が、冷凍庫には肉類もあったはずだ。
「…………でもいい」
 悶々と考え込んでいたかごめは、犬夜叉の声を聞き取り損ねて眼を瞬いた。
「ぇ?」
 視線を向けた先の、艶やかな黒髪から覗く丸い耳の先がうっすらと赤く染まっているように見えるのは気の所為だろうか。
「今なんか言った?」
「……っからお前の作ったもんなら何でも良いつったんだ!!」
 ――――― どうやら気の所為ではなかったらしい。


 結局かごめは玉ねぎ抜きのたっぷりチキンライスを卵で包んだオムライスを作った。
 男の子は肉が好きだろうと思ったし、玉ねぎを抜いたのは犬の身体によくないと聞いたから念の為。
 簡単にではあるもののサラダを添えて、黄色い卵の上にはケチャップでハートを書いて。
 犬夜叉にはハートの意味なんか分かるはずが無いのでこれまた自己満足。けれど犬夜叉がそれを口に運ぶのを見ると幸せになれる、内緒の魔法だ。
「……美味しい?」
「………おぅ」
 もくもくと慣れないスプーンを口に運んでいた犬夜叉が小さく応える。
 視線は手元に貼りつきっ放しなので、これは気に入ってくれたと言うことなのだろう。
「付いてるわよ」
「……ん」
 口の端に付いた米粒を指で取ってやるとちらりと視線が上がって、追いかけてきた口がかごめの指ごとぱくんとそれを口に含んだ。
「きゃぁっ!?」
「っ!?」
 咄嗟のことだったのだろう。
 悲鳴を上げたかごめに驚いたらしく、犬夜叉ががたんと椅子を鳴らして後退る。
「……わ、悪ぃ。美味かったから、つい」
 かぁぁと顔を赤して、それを袖で隠すように拭うのが可愛くて。かごめはクスクスと笑った。
「ありがとう」
― END ―


 もとびさんのリクエストで、「犬夜叉に手料理を作るかごめちゃん」でした〜。
 何気にSS以外で原作中の話を書くのは初めてでした(けどあんまり変わらない距離感ww)
2015.6.16

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