「じゃあまたね〜!」 遠く離れていく背中に振っていた手が、がっしと突然掴まれた。 かと思うと強引に胸の中に引き込まれ、噛みつくように唇を塞がれる。 「っ……!」 半ば予測していたことだったのでせめてもの抵抗のつもりでぎゅっと唇を閉じていたけれど、ぐいと後頭部を掴んで仰向かされると数秒も持たなかった。 「ん、んっ……!」 僅かに弛んだ唇の隙間から入り込んできた舌先が慌てて奥に逃げようとするかごめのそれを絡め取る。 ちゅと小さく水音を立ててそれを吸い上げ、強引に引きだそうとする動きにぶつかる鋭い犬歯は熱く濡れた舌先とは裏腹にひやりと冷たい。 引き出した舌先を甘噛みされて、震えるように浮いたその付け根を擽られるとそれだけでぞくぞく背中が泡立った。 その背中には何時の間にか犬夜叉のもう片方の腕が回されていて、気が付けば二人の間にあった筈の僅かな隙間は零になっている。 「……っは……ん、んんっ……!」 何か、言おうとしてもそれさえも許されない。 言葉が全部奪われて、舌先が擦り合わされて、閉じることのできない唇の端から零れた唾液が啜られる。 歯列を辿り喉の奥にまで入り込んで来ようとするそれに息苦しさを覚えて両手で相手の胸を押すと逆に強く引き寄せられて身体が浮いて、殆ど爪先立ちの格好になった。 「ん、んんっ! やっ……」 胸元の圧迫感が増して懸命に顔を左右に振って逃げようとするが、犬夜叉はそれを許してくれない。 見下ろしてくる金色の瞳は閉じられる気配が無くて、その圧倒的な圧力にちりちりと産毛が逆立つような感覚がある。 「……っとに、苦、し、からっ!」 それでもどうにか切れ切れに訴えると僅かに唇が離れて、けれど完全には離れずに、犬夜叉は唇やその周辺を甘噛みし始めた。 何時もは優しいのに、今日は執拗で、ちょっと痛い。 「やっ、犬、夜叉っ!!」 その理由は分かってる。 「ん、もぅっ……!」 かごめは眉を顰めてぐっと反らせる限り背を反られせて犬夜叉から距離を取った。 そうして、逃がすまいと追いかけてくるのに合わせて思いきりおでこを突き出す ――――― 。 「っ……!!」 ごん、と良い音がした。 「……っ、ったぁぁぁ!」 ――――― 声を上げたのは犬夜叉ではなくかごめの方だった。 犬夜叉がとんでもなく丈夫なのを忘れていたと言うか、失念していたと言うか、甘く見ていたと言うか。 「っ、ばか、何やってんだ!」 思わず身悶えしていたら犬夜叉が慌てた様子で腕を解いてくれた。 覗き込んでくる琥珀色の瞳からは先程までの狂気じみた執拗さは嘘のように抜け落ちている。 予定とは少し違ったが、結果オーライと言うやつだ。 「……眼、覚めた?」 じんじんとする額を押さえつつ睨みつけてやる ――――― ちょっと涙目になっていたかもしれない ――――― とぐっと低く唸るような声が漏れた。 「………っ!」 そのまま反らされていく視線を逃がすまいと両手でがっしと両頬を挟み込んでやる。 「……鋼牙君が来た後はいっつもよね? あたしが嫌って言っても全然離してくれないし」 そう、かごめが見送っていたのは久しぶりに訪れた旧友 ――――― かごめの認識的には ――――― の鋼牙だった。 離れていた三年の間にすっかり落ち着いて大人びた雰囲気を纏うようになった犬夜叉だったが、鋼牙が来た時だけは別なのだ。 あの頃に返ったように気短になってすぐ喧嘩腰になって、最終的には我儘な子供のようになってかごめを離さなくなる。 「……何がそんなに不安なのよ? ……あたしのこと、信じられない?」 「違っ! そうじゃねぇ! そうじゃねぇ……けど……」 もごもごと口籠る犬夜叉の耳の先はすっかり下を向いて捨てられた子犬のようだ。 「……あたしがここに居るってことが、一番の答えでしょ?」 俯いた頭をぎゅっと抱き寄せて耳元に囁くと、先程とは違う酷くおずおずとした仕草で背中に腕が回ってきた。 苦しくない程度にぎゅっと抱き返されて、すまねえ、と小さく呟く音が聞こえた。 「………」 「………」 かごめを信じていない訳ではない、ただ我慢ならないのだ。 例え嘘でも、冗談でも、自分以外の誰かがかごめを自分のものなどと嘯くこと自体が。 そうしてかごめが、それを否定してくれないことが。 かごめにはかごめなりの考えがあってそうしているのだろうが、それは犬夜叉にとってはあまり嬉しいことではない。 だから鋼牙が来た後はその感情をぶつけるように乱暴にしてしまう。 彼女の指先や肩に付いた胸糞悪い狼の匂いを全部自分のそれに塗り替えるまで、その衝動は止むことはなくて、時に彼女を傷付けそうになる時もある。 それを申し訳ないと思いながらも、けれど自制は難しい。 ( ――――― どうすれば、かごめはおれだけのものになってくれるんだろう) 否、本当は無理だと分かっているのだ。 鋼牙のことが無くたって、かごめはいつも犬夜叉だけのものではない。 かごめには七宝や村のガキどもがいる。 楓や珊瑚や、珊瑚のガキどもや ――――― たくさんの人間に囲まれている。 そこから彼女を切り離したい訳ではない。 けれどやっぱり鋼牙だけは別で、奴にだけは指一本触れさせたくないと思う自分がいる。 抱き締めた彼女の黒髪に顔を埋めて、犬夜叉は深い溜息を吐いた。 肩口で深い溜息を吐いた犬夜叉の見事な白銀の髪に指を滑らせて、かごめはそうっと眼を閉じた犬夜叉の横顔を盗み見た。 ――――― 本当はちょっぴり、嫉妬して貰えるのが嬉しい。 けれど、それよりもっと、本当は。 (……犬夜叉、言ってくれないかなぁ……) 犬夜叉の口から、聞きたい言葉がある。 実を言うとあまり言葉をくれない犬夜叉に対するちょっとした意地悪と言うか、いつか言ってくれるのではないかと言う淡い期待と言うか ――――― そう言ったものもあるのだ。 鋼牙の『俺の女』発言に関してはかごめは深く考えていない。 どうせ半分悪ふざけなのだ。 そう言ってかごめに触れると犬夜叉が激昂するから、それを面白がっている節がある。 もう半分はひょっとしたら本気なのかも知れないけれど、かごめはそれに応えることはできないし、鋼牙もそれをわかっていると思う。 それでも否を告げることはできないのは、向けられる好意に対する申し訳なさと ――――― 。 (とにかく口を挟む隙がないのよね……) 鋼牙はいつも突然、唐突に現れる。 そうしてかごめが何か言うより早くかごめの手を取り甘い言葉を囁いて、かごめがそれに反応するより早く犬夜叉が割り込んできて二人が喧嘩を始める、と言うのが何時ものパターンだ。 まぁまぁ二人とも落ち着いてとやっているうちに鋼牙は来た時同様風のように去って行ってしまうので、実のところかごめはここ暫らく鋼牙とはまともに口を聞いていない気がするのだが、この様子では犬夜叉は気付いていないらしい。 (……一回ちゃんと話さなくちゃいけないわよね) ――――― でもそれで、鋼牙が二度と会いに来てくれなくなったとしたら、それはそれで寂しい。 自らの生まれ育った世界に色々なものを置いてきたかごめにとって、鋼牙は数少ない友人の一人だ。 三年前の旅の最中、知り合った人達はたくさんいるけれど、今でも交流のある友人となると家族同然の仲間達を除けば鋼牙と銀太、白角ぐらいのものだと思っている。 だから彼らが折に触れて様子を伺いに来てくれることは純粋に嬉しいのだが、それが犬夜叉の心痛の種になっているとしたら申し訳なくもある。 項垂れたままの白い耳の先に頬を摺り寄せる。 「……ねぇ、もっと自信、持ってもいいのよ? あたしには犬夜叉だけなんだから」 「…………」 囁くとぎゅうっと、抱く腕に力が籠って。けれど犬夜叉は何も応えなかった。 (……仲良くして欲しいって思うけど、無理なお願いなんだろうなあ……) 小さく吐いた溜息は、まだひやりと冷たい春の風に溶けて消えた。 ― END ―
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べろちゅーが書きたかっただけです。 犬かごちゅっちゅ祭りに投稿しそびれたものでした〜。 |