それは一日の仕事を終えて久々に皆で夕食取っている時のことだった。
 普段の食事はそれぞれの家で取ることが多いのだが、犬夜叉が依頼の帰りに猪を捕まえてきてくれたので皆で鍋をしようと言うことになったのだ。
 皆が揃っての話題となれば、当初はかごめが居なかった三年間の諸々の出来事の報告が多かったのだが、かごめがこの時代に馴染みつつある最近ではそれが少しづつあの頃の思い出話に移り変わりつつある。
 やがて話は七宝や弥勒に出会う前のことに及び ――――― かごめは手にした椀を膝に下ろしてくすと笑った。
「でも、あの頃は犬夜叉とこんな風になるなんて思ってもみなかったわ」
「……第一印象、そんなに悪かったのかい?」
 子供達の口に交互に匙を運んでいた珊瑚が首を捻る。
 珊瑚と出会った頃には犬夜叉の背中はかごめの定位置になっていたから、不思議に思うのも無理はない。
「まあねー。だって犬夜叉ってば最初に会った時、あたしに本気で攻撃しかけてきたのよ?」
 わざと憤慨したように頬を膨らませてみせると、外方を向いた犬夜叉がけっと毒づいた。
「四魂の玉を取ろうとしただけで、本気で殺そうと思ったわけじゃねぇ」
「わかってるけど、あの時は本当にびっくりしたんだからっ」
「その割には怖がっておらんかったの」
「……そうだっけ?」
 楓に指摘されて、朧な記憶を辿り当時のことを思い返してみる。
 言われてみればいきなり攻撃を仕掛けてきた犬夜叉に腹を立てはしたものの、怖いとは思っていなかったような気がする。
 その前に襲われた百足上臈があまりにも恐ろしい姿をしていたのに対して人間に近い姿をしていたからか ――――― 或いはご神木に封印された犬夜叉の姿があまりに綺麗で印象的だったからか。
 今となってはかごめ自身にもよくわからない。
 ひょっとしたら直観的なそれであってあの時も特に理由はなかったのかもしれない。
「まあ、儂はいずれこうなるような予感はしておったがの」
 りんの椀に木杓子でおかわりをついでやりながら、楓が笑う。
「……え?」
 その言葉はあまりに予想外で、かごめは大きな眼を瞬かせた。
 初めて会った頃、犬夜叉とかごめの仲はとても良好とは言い難かった。
 かごめは犬夜叉は乱暴者だがそう悪い人間(?)ではないと思っていたが、犬夜叉の方はかごめを気に食わないと公言していたし、あからさまに足手纏い扱いをしていた。
 無論、口ではそう言いつつも危ない時には助けてくれていて、だから悪い奴ではないと言う見解に至った訳だが。
 それにしても当人達でさえ予想もしえなかったことを予感していたとは、巫女の眼力かそれとも年の功か。
 楓にはかごめと犬夜叉は一体どのように見えていたのだろう。
「……どうしてそう思ったの?」
 気になって先を促す、と。
「真昼間から犬夜叉を押し倒して衣を剥いでおったではないか」
 ブフッと隣で猪汁を噴く音が聞こえた。
「………え゛!?」
「かごめちゃん!?」
「おや。意外に大胆ですなぁ」
 珊瑚の驚きの視線と、弥勒の興味津々のそれ ――――― こちらは明らかに面白がっている ――――― が、子供達のよくわからないなりにわくわくした視線が気管に入ったのかげほごほと咳き込み続ける犬夜叉と眼を丸くしたかごめに集中する。
「な、なんの話!?」
 心当たりは全くない。
 ――――― 否、ちょっぴり無くも無いのだが、脱がされたことはあっても脱がしたことはないはずだ。それに真昼間と言うのはとんと覚えがない。
「逆髪の結羅に襲われた後じゃ。覚えておらんか?」
「……ぁ」
 具体的な時期を示されて、ちかりと頭の奥で瞬くものがあった。
 逆髪の結羅に襲われたのは、犬夜叉と出会ったばかりの頃のことだ。
 あの時犬夜叉はかごめに衣を貸してくれた所為で身体中が血塗れになる様な傷を負って ――――― 。
「あ、あれは!」
「心当たりがお有りで?」
 ひょいと割り込んできた弥勒の言葉に一気に顔に血が昇る。
 心当たりは有るには有る。
 有るには有るが、あれはそんな色めいたものではなかった。
「違っ! ホントに違うからっ!! あれは傷の具合を確かめようとしただけでっ……!」
「にしては随分と大胆な行動だったではないか。子供にはとても見せられぬと思うたものじゃ」
 しみじみと呟く楓にますます頬に血が昇る。
 あの時はただただ犬夜叉の怪我が心配だった。
 他の感情が入り込む余地なんかなくて、でもその時にはもう犬夜叉が大分意地っ張りなことには気付いていたから、強がって隠しているであろう傷を暴くことしか考えていなかった。
 何故ならその傷は犬夜叉がかごめに衣を貸さなければ負わずに済んだかもしれない怪我だったし、衣を借りていなければおそらくかごめはあの時命を落としていた。
 その感謝の気持ちもあったし、それに何よりも、あの時 ――――― 。
「だ、だってあの時は犬夜叉のことなんて何とも思ってなかったんだもん!!」
 少しでも好意があったなら、異性として見なしていたならきっとあんな恥ずかしい真似は出来なかっただろうと思う。
 思い出すだけで恥ずかしい ――――― 恥ずかしすぎる。
 赤く熱くなった頬を押さえて勢いよく顔を伏せたかごめは、それ故に気が付かなかった。
 隣で咳き込んでいた犬夜叉がぴしりと動きを止めたことに。



 ――――― 犬夜叉が不機嫌だ。
 それに気付いたのは楓の小屋からの帰りの道中だった。
 暗くて足元が危ないからと言って何時ものように背中に乗せてくれはしたのだが、それ以降むっつりと黙り込んだままなのだ。
 犬夜叉は元来口数が多い方ではない。
 皆で集まることは嫌いではないようだが、人が多い時は黙って聞き役に徹していることが多い。
 だから皆でいる時は気付かなかったのだが ――――― 流石にこの黙りっぷりはおかしい。
 何せ小屋の前で下されてからも小屋に入って囲炉裏に火を入れてからも犬夜叉は無言のままなのだ。
 囲炉裏端にどっかと腰を下ろしてへの字に口を曲げて腕を組んでいる。
「…………」
 いつからこんなに機嫌が悪かったのだろう。
 色々思い返して、ひょっとしたら、の結論に辿り着いた。
「…………」
 膝でにじにじと近付いて、下から顔を覗き込む。
「………ひょっとして、拗ねてる?」
「……拗ねてねぇ」
 返ってきた声は、低い。
 けれど拗ねていると言うより ――――― 。
「………じゃあ、傷ついてる?」
「傷ついてねぇっ!」
 返ってきた声は予想外に大きくて、かごめはびくっと肩を揺らして眼を瞬いた。
「っ……」
 犬夜叉が気不味そうに眉を顰めて外方を向く。
「……別に、傷ついてねえ」
 腕を組み直し、座り直すその横顔にはくっきりはっきり傷ついています、と書いてあるかのようだ。
 ――――― 素直じゃないなあと思うのと同時に、可愛いなあと思う。
「……しょうがないでしょ、あの時はまだあんたのこと、良く知らなかったんだから」
 クスと笑って、かごめは膝立ちになるとちょうど胸元に来る犬夜叉の頭部を強引にそこに抱え込んだ。
「っ……!」
 僅かに抵抗があって、むぐむぐと音にならない声が漏れる。
「………今は大好きだから、ね?」
 うっすらとピンク色の染まる犬耳の先に囁きを落とすとその先端がぱたぱたと小さく震えた。
「…………」



 拗ねているわけじゃない。
 ましてや傷ついているわけでも。
 ただ何かもやもやとしたものが胸に巣食っているような気がして、気が晴れなかっただけだ。
 顔を見たら何か言いたくなって、けれど何を言えばいいかわからなくて。
 黙り込んでいたら聞き捨てならないようなことを言われて思わず声を荒げてしまった。
 だが別にかごめに対して怒っているわけでも、彼女が悪いと思っているわけでもない。
 ただ自分でもうどうしたらいいのかわからなかったのだ。
 長い人生を生きてきた犬夜叉だが、人との関わりは浅く経験は豊富とは言い難い。
 だからこうやって、自分の感情を持て余してしまうこともある。
「…………」
 困惑と後悔に眉を寄せていたら、ふわりと白いものが犬夜叉の視界を覆った。
「……しょうがないでしょ、あの時はまだあんたのこと、良く知らなかったんだから」
「っ……!」
 かごめの身を包む着物の袖だと認識するより早くぎゅぅっと抱き込まれて、温かくて柔らかなものに押し付けられた。
 何か言おうと息を吸いこんだらかごめのイイ匂いが鼻腔いっぱいに広がって、むぐむぐと声にならない音を漏らすことしかできなくなる。
 ――――― 思わず口を開けてしまったけれど、実際のところ何を言おうかなんてまるで考えていなかったのだ。
「………今は大好きだから、ね?」
 耳に直接落とし込まれる声に、耳が震える。
 少し擽ったくて、けれど心地良い。
「…………」
 傷ついていると思われるのは癪だったが、何だかそれもどうでもいいような気がしてきた。
 かごめの優しい匂いに包まれていると胸の奥のもやもやがするすると解けて消えていくような気がする。
 近くにある彼女の腰に腕を回して離れていた距離を詰め、深く息を吐いて瞼を閉じようとした ――――― ところで頭上から再び聞き捨てならない言葉が落ちてきた。
「……あんたってばホント、意外に甘えん坊よねー」
 何だかほくほくした、妙に嬉しそうな声だった。
 すり、と柔らかな頬が頭頂に摺り寄せられる気配がする。
「…………」
 言うに事欠いて、甘えん坊とは。
 可愛いに次ぐ、否、それ以上の屈辱的評価だ。
 ――――― 傍からどう見えるかは不明だが、当然犬夜叉にその認識はない。
 ぐぅと喉の奥で唸り声を上げると、それを聞きつけたかごめが膝を崩して顔を覗き込んできた。
「……どうかした?」
 至近距離で小首を傾げる仕草はどこか幼気で、愛らしい。
 無論、彼女には全く悪意も他意もない。
 それだけにたまに、どうしようもなく犬夜叉の胸に刺さる。
「……別に、どうもしねえ」
 少し考えて、犬夜叉は緩く頭を振った。
「そ?」
 本当に、彼女の無自覚は厄介だ。
 ――――― 今夜は寝かせてやるものか。
 彼女がそう言うのなら、思う存分甘え倒してやる。
 犬夜叉が密かに決意を固めたことを、かごめはまだ知らない。
― END ―


 犬夜叉は案外繊細だと思ってます(笑)
 逆髪の結羅の時に犬夜叉の着物を脱がせようとしているのを見て、これは何時かネタにしたいと思っていたものでした。
 思い切り甘え倒した上で「甘えん坊ってのはこう言うのを言うんでい」とかわけのわからん威張り方をするといいと思います。
2015.3.14

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