――――― 眼が覚めた時、自分がどこにいるのかわからなかった。 「………?」 三年前、奈落を追って旅をしていた頃はそんなことは珍しいことではなかったが、今のかごめにとってはそうではない。 眼を覚ませば見慣れた天井が、自分のベッドが眼に入るはずで、だから最初はあの頃の夢を見ているのかと思った。 みんなで旅をしていた頃のことを、犬夜叉のことを夢に見るのは珍しいことではなかったから。 けれど、肌を撫でる早朝の冷たい空気は夢ではあり得ない。 隣には楓が、その向こうには今は楓の世話になっているのだというりんと七宝が眠っている。 (………あたし、本当に来たんだ……) 上掛け代わりに借りていた着物を三人の上に足して、かごめは音を立てないよう静かに立ち上がった。 簾を細く絡げて、小屋の外に出る。 まだ夜露の名残を含んだ空気は刺すように冷たくて、けれど甘かった。 (やっぱり空気はこっちの方が美味しいわね……) 何気なく足を踏み出そうとした瞬間、がっしと腕を捕まれた。 「……ぇっ?」 何もないところから、赤い袖が不意に沸いて出たように思えたほど、気配がなかった。 「………どこに行くんだ?」 「……犬夜叉」 低い、声。 金色の瞳が不安気に揺れているように見えた。 「……どこにもいかないわよ。眼が覚めちゃったから、散歩しようと思ったの。あんたはずっと起きてたの?」 「上に居た」 問いには明確に答えず、犬夜叉は視線だけで楓の小屋の屋根を示した。 「………」 手首を掴む手に、力が籠もる。 「……帰ると思った?」 「………いや……」 短く問うと、犬夜叉は一瞬驚いたような顔をして、それからもごもごと歯切れの悪い調子で否を告げて視線を落とした。 途方に暮れた子供のそれを連想させる仕草にくすと笑って、かごめは手首を掴む犬夜叉の大きな手に反対の手を重ねた。 「……ね。久し振りに背中、乗っけてよ」 犬夜叉の背に負われたかごめは村を見下ろす高台へと犬夜叉を促した。 「わー、きれい!」 慣れた仕草で犬夜叉の背中から滑り降りたかごめは、うっすらと朝靄に包まれた村を見下ろして開口一番そう言った。 視線の先にあるのは平和な、極普通の村の風景だ。 けれどかごめの国とは違い緑に溢れている。 彼女はそれを見て美しいと言うのだろうか。 「……あたしがね、これからずーっと暮らして行く場所を見ておきたかったの」 「かごめ……」 「多分ね、井戸はもう繋がらないと思う。あたしを通してくれたのが最後の奇跡。だから、あたしは居なくなったりしないわよ」 振り向いて、彼女が笑う。 「………」 かごめが帰ることを心配しているわけではない。 そう言おうかと思ったが、それも違う気がした。 半ば無意識に、恐れていたのかもしれない。 「……いいんだな?」 「いいも何も、井戸はもう閉じちゃったんだから、しょうがないでしょ。あたしはそれでも犬夜叉の側に居たかったんだもの」 低い問いかけに、彼女は事も無げにそう答えた。 ――――― それが何を意味するか、分からないはずがあるまいに。 「………」 胸の奥がじわりと温かくなるような感覚をどう表現すればいいのだろう。 胸から喉にかけてが詰まるようなその感覚は、けれど決して不愉快ではない。 それに相応しい言葉を知らなくて、犬夜叉は無言のままで手を伸ばして彼女の身体を引き寄せた。 「……犬夜叉?」 記憶にあるよりほんの少しだけ落ち着いた声が耳を擽る。 腕の中に閉じ込めた身体は頼りなく華奢で、温かく、記憶にあるよりももっと柔らかかった。 鼻腔を擽る匂いもより甘く、より優しく変化していて ――――― 今、犬夜叉の腕の中にいるのは向こうっ気の強いお転婆な少女ではなく、しなやかで優しい女だった。 誰よりも、優しく、愛おしい ――――― 。 (……ああ、そうか) これを愛しいと言うのだ。 ただ、そこに在るだけで満たされる。 そんな存在に出逢えたことを、素直に幸福だと思う。 かごめはおれの為に、おれはかごめの為に。 あの時感じた直感は間違っていなかったのだろう。 これから、ここで。 犬夜叉はかごめと、かごめは犬夜叉と共に生きて行くのだ。 この、命のある限り ――――― 。 「…………」 腕の中に閉じ込めた愛しい存在に誓うように、犬夜叉は静かに瞼を伏せた。 ― END ―
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前に友人と言っていたのですが、犬夜叉は普段かごめちゃんのを「可愛い」とか「美人」とかあまり思っていなくて、そう言う単語をすっ飛ばして、「愛しい」と思っている気がします。 |