(……アレ、なんでこんなに静かなんだ?) 頂きもののチョコレートをお供に自身のベッドに俯せて、立てた膝から下をぶらぶらと遊ばせながらだらだらと雑誌を捲っていたルークは、ふっと違和感を感じて顔を上げた。 家の中が、あまりにも静かで人の気配が無い。 父は仕事、母や何時もの入院 ――――― 決して容体が悪化したわけではなく、定期的に泊り込んで検査を受けているのだ ――――― 家政婦のローズさんは早上がりの日だったはずだが、兄のアッシュは帰ってきているはずだ ――――― と言うか、流石に帰ってきていないとおかしい。 陽はとっぷりと暮れて窓の外は外套の灯りが無ければ歩けない暗さになっている。 傍らに置いていた携帯電話を確認すると、いつもならとっくに夕食を食べている時間だった。 チョコレートを摘まんでいた所為で空腹に気付くのが遅れたようだ。 それに気付くと同時に、ルークは一つの可能性に思い至った。 齧りかけの、ほろ苦いココアパウダーの塗された甘さ控えめのチョコレートを口の中に収めて、ころころと転がしながら首を捻る。 「………多分そうだよなぁ……」 体温でとろとろと崩れていくチョコレートは生クリームたっぷりの滑らかな食感で、文句なしに美味しい彼女からの贈り物だ。 去年は義理チョコだったが、今年は違う。 正真正銘本命チョコで、白い頬を僅かに主に染めながらそれを差し出してきた彼女はそれはそれは可愛かった。 その時の様子を思い出して反射的ににやけてしまいながら、ルークは読んでいた雑誌を傍らに伏せた。 そのままよいせとばかりに勢いをつけて身体を起こし、ベッドを降りて廊下に出る。 そうして丸めた手の甲で隣の部屋をノックした。 コンコンと乾いた音が響くが、勿論返事はない。 「……アッシュ―、生きてるかー?」 (………返事がない、ただの屍のようだ) 本人に聞かれたら殺されそうなことを口の中だけで呟いて、ノブに手をかける。 「開けるぞー」 一応そう断って、ルークはアッシュの部屋のドアを開けた。 室内は暗く、静かで。人の気配も薄く一見無人に見えたが、ベッドの上にはこんもりとした布団の塊があった。 布団を丸めている、にしては明らかに大きなその膨らみがもぞりと小さく動く。 「あ、やっぱ死んでる?」 「………死ん、でねぇ……」 怒りを押し殺したような低い、いつもよりずっと低い声が返ってきた。 手探りで灯りをつけると、そこには蒼い顔で亀の様に身体を丸めたアッシュの姿があった。 身動きするのも辛いのだろう、顔を上げる気配さえない。 ほとんど動かないので音も気配も感じなかったと言う訳だ。 「水かなんかいるか? あと胃薬。夕飯はいらねえよな?」 「………胃薬は、飲んだ」 「了解。その分じゃ水はまだ大丈夫そうだな。何かあったらケータイ鳴らせよ。救急車呼んでやるから」 「…………」 アッシュからの返答は、無い。 ルークはそれを気にした様子も無く、再度灯りを消してドアを閉めた。 作り置きしてもらってある夕食を温めるべく、階下に足を向ける。 「アッシュも毎年懲りないよな〜……」 今日は2月14日、バレンタイン・デー。 だからこれは恒例行事なのだ。 アッシュが、ナタリアからのチョコレートで体調不良に陥ると言う。 子供の頃はルークも一緒に苦しんだものだったが、中学に上がった頃からルークは様々な理由を付けて彼女からのチョコレートから逃げるようになった。 受け取る段においてはアッシュに悪いと言い、受け取ってしまった場合はアッシュに押し付け ――――― だからここ何年も彼女のチョコレートは口にしていないが、アッシュの様子を見るだに年々上達するどころか悪い方向にグレードアップして行っているような気がする。 「……良かったなー。俺、彼女が料理上手で」 多少男の料理的豪快さがあるのは否めず、トリュフも一口で食べるのは厳しいサイズだったがそこはご愛嬌。 むしろ食いでがあっていいし、何より彼女の作るものは何時も美味しい ――――― ルークの苦手な食材を使ったものを除けば ――――― それで充分だ。 起き上がることもできない双子の兄を想い、料理上手な彼女のことを改めて有り難く感じながら階下に降りて、ダイニングキッチンに向かうと、そこにはいつもと違う光景があった。 用意されていた夕食は、二人分ではなく、一人分。 いつもアッシュが座る向かいの席には、デザートのチョコプリン ――――― おそらく手作り ――――― と、ゼリー状の栄養補助食品だけが置かれていた。 「…………」 長く勤めてくれているだけあって、家政婦のローズさんはすべてを察していたらしい。 消化の良さそうなプリンは後でアッシュに持って行ってやらねばなるまい。 「……後からティアにお礼の電話しなきゃなー……」 一人分の夕食をレンジで温めながら猫のティアの為の猫缶を用意していたら、足元にするりと温かいものが滑り込んできた。 なぅん、と珍しく甘えたような声を上げたのは最近めっきりつれなくなった猫のティア。 「……っと、どうした?」 思わずしゃがみ込んで頭を撫でようとする、とその口元からポトリと何かが落ちた。 「………ん……ぅわッ!?」 何だろう、と反射的に手を伸ばしかけたルークは、次の瞬間びくぅっと身体を引いてしまっていた。 ――――― 何故ならそれは、あまり室内でお見かけしたくない主婦の敵的存在の亡骸だったから。 「………どっから獲ってきたんだよお前……」 呆れたように呟くルークに、彼女はぱたりと一度尾を振った。 じぃっと見上げてくる綺麗なアーモンド形の瞳はティアと同じ、鮮やかな青色だ。 「……えーと……ひょっとしてくれる、のか?」 是か否か、にゃぁんともう一度小さく鳴いて。彼女はそのまま、まるで興味を無くしたかように悠然と水飲み場の方へと歩いていってしまった。 さて、この贈り物をどう始末したものか。 少々困りはしたものの、半面嬉しくもあって。 呆れ半分の表情で、笑みの形に口元を弛ませながら、ルークは掃除用具を探すべく立ち上がった。 ― END ―
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久々の更新なのにルクティアと言うよりルクティア、アシュナタ前提のルークとアッシュの話になりました。 折角の本命チョコなのにティアが居ないよ…!? 次はちゃんとティアも出てくるものを書きたいと思います……(笑)。 猫のティアが運んできたものはネのつくものかゴの付くものか、ご想像にお任せいたします(笑)。 家猫ですが名前がティアだしきっと狩りは上手なはず……! |