――――― 朝の散歩はティアの日課だ。 もともとは愛犬の為のものだったのだが、今ではティアにとっても大切な時間になっている。 幸い新しい住居の近くには広い公園があって、現在は毎朝家から公園まで、そして公園内を一周してまた家へと戻る30分程のコースを歩んでいる。 緑の薫る朝の空気は清々しく心地のいいもので、雨が降ったりして公園まで足を伸ばせない日は何となくすっきりしない。 ティアにとってはそれなりの運動なのだが、けれど大型犬でそれなりの運動量を必要とするルークに足りているのか不安なところだ。 足りないから落ち着きがないのではないかという説もあるのだが、あまり距離が長すぎてはティアの方が疲れてしまう。 「自転車……とかも考えた方がいいのかしら……」 足下で元気よく尻尾を振りながら、纏わり付くようにして歩いているルークを見下ろして一人ごちる。 ティアとしては自分の足で歩く方が好みなのだが、躾の一環として自転車で犬を散歩させるという話を聞いたことがある。 そうすると人間は疲れずにすむが犬は疲れるので言うことを聞かない犬が人間に畏敬の念を抱くという図式らしいのだが、純粋に運動量を増やすという意味でも有効かもしれない。 (………でも自転車に絡まったら危ないわよね……) 何せこの犬、ティアにべったりだ。 自転車のタイヤやペダルにリードが引っかかる様は想像に容易い。 「………何かいい方法があればいいのだけど……」 そんなことを考えながらぼんやりと歩いたティアの視界に、見覚えのある鮮やかな色彩が飛び込んでくる。 「……ティア?」 ティアが違和感に足を止めるのとほぼ同時に、聞き覚えのある声が名前を呼んだ。 「………ぇ?」 顔を上げた先に、いかにもなトレーニングウェア姿で立っていたのは、この街に越してきて最初の知り合いであるルークだった。 大きな新緑色の瞳が瞬いて、驚愕のそれが屈託のない笑みに変わる。 そうすると随分幼く見えるが、先日入学したばかりの高校の一年先輩だ。 「びっくりした、ここ、ルークの散歩コースだったのか?」 「え、えぇ…っ!?」 ティアが問いかけに答えるより早く、愛犬はぱっと彼の方に飛び出していた。 「うぉっ!?」 先日のことを覚えているのだろう。再会を喜び、彼の胸に手を突いて伸び上がろうとする。 大型犬のルークはそれなりの体重がある。 ティアより一回り大きな彼に支えきれないことはないだろうが、突然飛びかかられてはバランスを崩すのは当然で。 「うわ、ちょ、舐めんなって!!」 ルークはどうにか自分で体を落として倒れることを避けたが、それに勢い付いたわんこに眼前に迫った顔を舐め回される羽目に陥った。 「っ、やだ、ごめんなさい! ルーク、こら、やめなさい!」 「お前、ホント人懐っこいなー」 慌てるティアを余所に、ルークは口では文句を言いながらも手を伸ばしてわしわしと圧し掛かってくる犬の体を撫でていて、お陰でわんこのテンションは上がる一方だ。 「やっぱ犬っていいよな。感情がストレートで分かりやすくてさ」 一頻り舐め倒して満足したのか彼から離れたわんこに、ルークは音を立てて笑った。 「……ご、ごめんなさい。大丈夫?」 「あ? あぁ、へーき、へーき。好きでやってんだし、な?」 「わぉんっ」 ――――― いい返事が返ってきた。 名前が同じだと息が合うのだろうかなんてぼんやり考えたティアだったが、ルークが涎まみれになった顔を手の甲で拭っているのを見て我に返って小さめのバッグからハンカチを取り出した。 ルーク用に持ってきたペットボトルの水でそれを濡らして彼へと差し出す。 「これ、よかったら使ってちょうだい」 「いいのか? サンキュ!」 目を丸くしたルークは、けれどすぐに破顔してそれを受け取った。 「ルークは、ジョギング?」 べたつく顔を拭うのを見やりながら、訪ねる。 「あぁ。ホントは朝苦手なんだけど、大会前だからってアッシュ……えっと、兄貴に叩き起こされてさ。悔しいから走ってたらティアが居てびっくりした」 「……悔しい?」 意味を計りかねて首を捻ると、ルークはぐっと拳を握って片手に打ちつける真似をした。 「いざって時に体力が尽きてたら悔しいだろ。兄弟つってもライバルみたいなもんだし、一応俺が主将だし」 絶対に負けられない、という気概のようなものが見えてティアはあぁと小さく頷いた。 「………そういえば貴方、双子なのよね」 「……あれ? 俺、ティアに話したっけ?」 きょとんとした表情を浮かべる相手に苦笑する。 「結構有名みたいよ、貴方達」 「あー……双子ってだけでも目立つのにこの頭だもんな」 ガリガリと無造作に掻き上げられた髪は目を見張るほど綺麗な朱色だ。 赤毛はそれほど珍しくはないが、これほどまでに鮮やかな色が出ることは珍しい。 「……それだけとも限らない気がするのだけど……」 「アッシュもナタリアも目立つもんなぁ……」 生徒会役員を務める彼らと行動をすることが多いので目立ってしまっているのだろう、とぼやくルークにティアは意外な思いで視線を向けた。 「………自覚、ないのね」 「……なんの?」 確かに彼の従姉妹だという生徒会長や、その右腕として副会長を務める兄は目立った存在だろう。 けれどルークだって、インターハイ常連の剣道部の主将で、本人にとっては恐ろしく不名誉だろうがが「可愛い先輩」として人気がある。 それを聞いた時は驚いて、それから少し納得してしまったのだけど。 どう説明したものかと口を開きかねていたら、ルークの興味は別な方向に移ってしまったらしい。 「それよかさ、良かったらリード持たせてもらえねえ? 俺、犬の散歩ってやってみたかったんだ」 しゃがみ込んで頭を撫でるルークに犬のルークも嬉しそうにパタパタと尻尾を振っている。 「え? えぇ、かまわないけど……」 「っし、行こうぜ、ルーク!」 「わふっ!」 リードが彼に手渡された瞬間、ティア以外と散歩をすることなど滅多にない愛犬は驚いたのかそれとも単純にテンションが上がりすぎたのか、止める間もなく走り出し。 「……え、ちょっ!?」 本来であればリードを引いて窘めるところなのだが、慣れないルークはそれに思い至らなかったらしい。 走り出したわんこに半ば引きずられるように走り出してしまい、一人と一匹の背中は見る見るうちに小さくなっていった。 「…………ぁ……」 あれではもはや散歩ではない、ような気がする。 ジョギングを超えて全力疾走と言うか、犬対人間の徒競走と言うか。 散々走った一人と一匹が帰ってきたのは公園を一周してからのことだった。 犬の散歩初心者のルーク曰く、引っ張ったら苦しそうで追いつかなければならないような気分になってしまった、とか。 ― END ―
|
犬は首がぐえっとなってもあまり気にしないようです。 時々繋がれたまま必死になりすぎてぐえっとなって咳き込んでる姿を見かけたり……そうまでして何がしたいのか(笑)。 そうしてティアさんにとってルークはまだ知り合いレベルらしいです……(笑)。 |