「………ぇ…?」 ――――― 名前を呼ばれた、と思った。 けれどティアの通っていた中学から少し離れたこの高校に進学したのはティア一人で、この高校で教師を務める兄以外に彼女の愛称を知る親しい人間などいるはずもない。 入学式に浮かれる新入生達の喧騒の声に紛れて掻き消えてしまいそうなそれを気のせいだと思って、或いは違う誰かに呼びかけられたものだと思って。 自身のクラスを確認すべく、人ごみを掻き分けて名簿の張り出された掲示板に近づこうとしたティアの視界を何か朱いものが掠めた。 「……ィアっ」 もう一度呼びかけられて、声の方を振り仰いで。 満面の笑みを浮かべた男の子が手を振っていることに気付く。 手を振っていたのは動物病院で知り合った、朱い髪の男の子。 ルークと同じ名前の彼は、人ごみの中を迷わず真っ直ぐティアの方に向かって歩いてきた。 襟元を僅かに着崩した制服に生徒会の腕章をつけた彼は、背丈こそ周りの男の子達とそれほど変わらないものの、服の上からでもはっきりとわかるしっかりとした身体付きをしていて。 いかにも着慣れないパリッとした制服を身に纏った細っこい新入生達の中に混ざると妙に大人びて見えて。 「…………」 「……どうした? 俺の顔、なんか付いてるか?」 確かに顔をあわせたことがあるはずなのにまるで別人のように思えて無言のまま目を瞬いていれば、彼はどこか子供っぽい仕草で大きな翠の目を瞬いて人差し指で自身の頬を掻く。 途端に魔法が解けたようにティアの記憶に残るそれと重なって、ティアは慌てて頭を振った。 「……ぁ……いえ、なんでもないの」 「まさかこん中で見つかるとは思わなかったな」 それはティアも同感だった。 ローレライ学園はそれなりに規模の大きな学校で、新入生の数も多い。 だからまさか一度だけ会っただけの相手が自分を見つけるとは思わなかった。 ルークは目立つ髪の色をしているので ――――― 他に赤毛の生徒がいないわけではないけれど、彼のそれは一際目立つ鮮やかな色をしている ――――― 逆ならまだ可能性がありそうなものだったが、ティアの髪はごく平凡な灰色がかった茶色のそれだ。 「私の方が驚いたわ。あなた、生徒会の役員なのね……少し意外みたい」 思わず漏れた台詞に彼は苦笑を浮かべてくたびれた腕章を引っ張った。 「従姉妹が生徒会長やっててさ、済し崩し的にな。今日は新入生の案内係っつーわけ」 そう言って後方を見た視線を追えば、視線の先には金髪ですらりとした身体つきの年嵩の少女がいた。 教師と何やら話している様子で、やはり腕に腕章をつけている。おそらくは彼女が件の従姉妹なのだろう。 「ァ……兄貴も一緒に巻き込まれてさ。あいつナタリアには昔っから頭上がんねえもんだから」 「お兄さんがいるのね」 「ああ、口煩さいのが一匹な」 苦々しい口調に思わず小さく噴出すと、ルークは舌を出して内緒だぞと笑った。 「……っと、そうだ、クラス探してるんだよな」 「………え、ええ、そうだけど……」 思い出したように小脇に抱えていたファイルを開くルークの手元を覗き込めば、其処にはずらりと新入生のものらしき名前が並んでいた。 掲示板で追いつかない部分はファイルを持った上級生が案内しているということらしい。気が付けばあちこちで上級生が数人の新入生に囲まれている。 「……お、あったあった。ティアは1組みたいだぜ、1組はあっちな。校門側にいくとまた別のヤツが案内してくれるから」 掲示板のものと違って五十音に並んでいるようで、すぐに彼女の名前を拾い出したルークは入り口の側を指差した。 「ありがとう、助かったわ」 「おう、それじゃあまたな」 ルークはにかっと笑うとそのまま人ごみの中へと分け入って行って。 残されたティアはその背中をぼんやりと見送って、それが完全に見えなくなったところでそう言えばと小さく呟いた。 (………不思議……) ティアは人見知りの強い方で、特に兄以外の異性とはあまり口を利くことがない。 何を話せばいいかわからないし、大抵は最低限の会話で終わってしまって敬遠されるようになるのが常だ。 なのに学外で一度会っているとは言え、それほど親しくもない相手とごく自然に話をして笑い会うことが出来たのは驚きだった。 (……ルークと同じ名前だからかしら) わふっと嬉しそうな鳴き声を上げて尻尾を振る愛犬の姿が脳裏を過ぎって。 目を丸くした彼の顔がそれと重なって。ティア思わずくすくすと小さく声を立てて笑った。 ― END ―
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まだ意識するには至らないようです。 多分ルークより犬のルークの方が好きなティアさんとさり気に人ごみの中で彼女を探すルーク……あ、逆ver.もいいかもしれない(笑)。 |