「はわー………」 仕事の合間を縫ってファブレ公爵邸を訪れたアニスは、呻く様な声を上げて改めてティアを ――――― と言うよりは服の上からでもはっきりとわかる程大きくなったティアの腹部を見た。 バチカルに来るのは実に数ヶ月ぶりで、ティアとゆっくり話をするのも久し振りで。 前に会った時はまだお腹の膨らみは目立たなくて、だから、何となく不思議な感じだった。 (……胸は前から大きかったけど……) 妊娠すると大きくなるとは言うけれど、ますます迫力を増したような気がする、なんて言ったらきっと怒られるのだろう。 そんなことを思いつつ、一向に育つ気配のない自身の胸元を見下ろして溜息を吐く。 「……どうかしたの? アニス」 ティーカップを傾けていたティアが不思議そうに首を傾げて、アニスは慌ててなんでもないと頭を振った。 世間知らずのルークやナタリアとは違い、アニスにはそこそこの人生経験があって、妊婦を目にしたのだってティアが初めてというわけではない。 けれどやっぱり、一緒に旅をしてきた仲間が、友人が変わっていく様を眼にするのは嬉しさ半分、置いていかれたような寂しさ半分の複雑な気分だ。 年齢から言っても、聖職者であることを選んだ自分の立場から言っても仕方のないことなのだが。 「えっと、予定日って何時だっけ?」 話を変えるようと尋ねると、ゆったりとした生成り色のマタニティドレスに包まれた丸みに手を当てて、ティアはふわりと目元を緩めた。 旅をしていた頃は表情を動かすことの少なかった彼女だけど、それはきっと彼女なりの覚悟のようなもので。 今の、穏やかな微笑みの方が彼女の本来の姿なのだろうとぼんやりと思う。 「来月の中頃よ」 「……ってことはもう何時生まれてもおかしくないんじゃん!?」 どーりでと声を上げたアニスに、ティアはくすくすと笑った。 「そうね、予定日通りに生まれるとは限らないと言うし……今のところそう言った兆候はないのだけれど」 「ふぁ〜……なんかもー、ティアの顔お母さんになってるよぅ」 「……そうかしら? 自分ではよく、わからないのだけれど……」 窓から入る風にふわりと甘い酸っぱい香りが香る。 湯気を立てているのは紅茶より明るい、ルビーレッドのハーブティだ。 誘われるように手を伸ばし、アニスは蜂蜜でほんのり甘くしたそれを口に運んだ。 普段なら紅茶なのだが、今日は何となくティアと同じものにしてもらったのだ。 「…………でもちょっと意外カモ」 「……え?」 ちろりと舌を出して、雫を舐め取る ――――― 行儀はよろしくないけど、今更だ。 今ではアニスにも立場というものがあって、流石にもう外ではそんなことは許されないけれど、旅の仲間達の間では気兼ねする必要もない。 ティアが僅かに窘めるような視線を送ってきたけれど、それも形式的なもので、その表情はすぐに仕方がないわねというような笑みに変わった。 「だってさー、ティアんとこには大っきい子供がいるじゃん? ナタリア達のとこと違って遠距離恋愛長かったわけだしー、もうちょっと新婚気分を楽しむのかなーと思ってたんだ」 子供を作るのはもう何年か先のことかと思っていた矢先に妊娠が発覚、あれよあれよと言う間に出産を目前に控えることとなった。 大っきい子供のフレーズに目を丸くしたティアは、くすくすと小さく笑ってもう一度腹部に掌を寄せた。 「……私も、ルークも、早く子供が欲しかったのよ」 はぇ?と目を瞬くアニスから白い花の咲く窓の外に視線を移して、どこか遠くを見るように目を細める。 「………私にも、ルークにも、血の繋がった家族はいないから」 「……ぇ……でも……」 予想外の言葉を聞いて、アニスは言葉を切った。 「私にはお祖父様がいるし、今はお義母様やルークや……たくさんの家族がいるわ。ルークもそう、アッシュとは兄弟のようなものだし、シュザンヌ様のことを本当のお母様だと思っているし、本当の家族だと思ってる」 戸惑うような彼女に視線を戻し、ティアは柔らかく笑う。 「でもね、やっぱりどこかで……寂しかったの。ルークも……そう」 ティアと同じ血を持つ、ユリアの子孫はもうどこにもいない。 それは決して珍しいことではないかもしれない、けれどだからと言って慣れることでもない。 ルークだってそうだ。レプリカであることに、自分自身であることに誇りを持っている。 けれどどこかで、冷たい音機関から生まれたことを ――――― 母親の腹から生まれたわけではないことを寂しいと感じている。 「この子は間違いなく私達の血を引いているわ……もちろん、血だけじゃ駄目だと言うのはわかってる。血が繋がってなくても家族になれることも、幸せになれることも知ってるわ……でも……」 ナタリアとインゴベルトのこともある、ルークとシュザンヌだってそうだ。 でも、それとはまた違う次元で、ルークに血の繋がった子供を抱かせてあげたかった。 「………ただ、そうね……繋がってるんだって……もっと家族になりたいのかもしれないわね」 微笑んだティアを何だか奇妙に面映い気持ちで見返して、アニスはもう一度カップを持ち上げた。 残りをぐぐーっと一気に飲み干して、それから小首を傾げてみせる ――――― 年の割には幼い、擽ったいような笑みが零れた。 「早く生まれるといいね。あたしもすっごい楽しみ」 「生まれたら会いにきてあげてね?」 「ん。絶対来る来る! フローリアンも連れて来ていい?」 「えぇ、もちろんよ」 「ティアに似ればいいけど、ルークに似たら手にかかる子になるんだろうな〜」 悪戯っぽく笑うアニスに釣られてティアも笑う。 ――――― その頃、城ではどこぞの子爵様がくしゃみを連発していたとかいないとか。 「……なぁ、ティア」 「………なに?」 重い身体をベッドに下ろしたところで、待ち構えていたように声をかけられて、ティアは首を捻った。 ベッドの上に胡坐を掻いたルークは、どこか甘えるような視線を投げかけてきていて。 「……いい?」 大きな子供のフレーズを思い出して噴出してしまいそうになりながら、ティアはそれでも意図を察してぽんぽんと自身の膝を叩いて見せた。 いそいそと近づいて来たルークはそこに頭を乗せて横になると、ティアの腹部に耳を押し当てる ――――― そうやって、中から響いてくる音を感じ取るのが最近のルークのお気に入りだ。 「………元気だなぁ。……あんまり蹴るとティアが痛いぞー」 少し張って硬くなった腹部に手を当てて、目を閉じて。酷く嬉しそうに口元を緩める様子は父親と言うよりは無邪気な子供のようでティアは堪えきれずに音に出して笑ってしまっていた。 「……っ、もう、ルークったら……っふふ……」 「…………え、な、何? 俺なんか変なこと言ったか?」 まったく自覚のないルークは、けれど跳ね起きて頻りに首を捻っている。 「……変、と言うわけではないけれど、昼間にアニスに言われたことを思い出して……ごめんなさい」 ティアはまだ笑いを堪え切れない様子で滲む涙を指先で拭い取った。 「………まー、いいけどな。笑うのは子供にいいんだって母上もナタリアも言ってたし」 よくわからないままに笑われて、しばらくはぶすくれたような表情をしていたルークだったけれど、結局そんな風に言ってもう一度ごろりとティアの膝に横になった。 「……なんかすげー不思議……」 「………え?」 「何度も言うみたいだけどさぁ。この中に赤ん坊がいるんだよなぁ……生きて、動いてる。もう声だって聞こえるんだろ?」 「……そうね、そういう風に言われているわね」 だから何度も声をかけてあげるといい、と言われている。 だからこそルークもなるべく触れて、声をかけようと思っているのだ。 「………ティアもこうやって生まれてきたんだなー……ナタリアもアッシュも、みんなさ」 ほのかに甘い香りのする彼女に擦り寄って、暖かさと鼓動を感じ取ろうとする。 ティアもそれがわかっているのか、咎めようとはせずに、黙ってルークの見た目よりは柔らかくてけれど癖の強い髪を撫でた。 燃えるような赤い髪がさらさらと指の間を零れ落ちていく。 「…………ありがとな」 やがて俯いて顔の見えなくなってしまったルークからぽつりとそんな声が聞こえて、ティアはふわりと口元を緩めた。 「………私の方こそ、よ。……ありがとう……ルーク」 ――――― 貴方が居てくれて良かった。 言葉だけでは表しきれない気持ちを胸に、ティアは祈るように目を閉じた。 ― END ―
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ちょっと人を選ぶかもしれないと思いつつ乗せてしまいました! だって夫婦の日だって言うんだもの! 今年は22.2.22と言うことで、なんだかいろいろ盛り上がってたようなので乗っかってみました……(笑)。 ネタ自体は前々からちょっと考えていたものだったのですが、もともとはもうちょっと軽めになるはずだったのに、なんだか若干生々しいやら重いやら??(苦笑 Artemisia princeps = 蓬の花言葉は「夫婦愛」だそーです。 |