買い出しから戻ってきたティアとガイを迎えたのは、まさしく泥沼の惨状だった。 アニスは壁を背凭れに半ば頽れそうな状態で床に座り込んで舟を漕いでいる。 ルークは俯いてソファにぐんにゃりと沈み込んでいて、ナタリアはその隣でグラスを片手に、明らかに聞いている様子のないルーク相手に何やらクダを巻いている。 ジェイド一人が何時もと変わらぬ様子でにこにこと笑っていて ―――――― 全体的に、酒臭い。 「おや、遅かったですね?」 ……考えるでもなく元凶は明らかだった。 テーブルには幾本もの瓶が転がっているし、全員漏れなく……ジェイド以外……顔が赤い。 とどのつまり、酔っ払っている。 立ち寄った町の小さな宿屋、共有スペースである食堂……なのだが、他に客がいなかった所為で半ば貸切状態だったのが災いしたか。 買出し当番に出た常識人二人がいない間に何があったのかは明白だった。 「……おいおい旦那、こいつらまだ皆未青年だろ? ナタリアはともかくルークやアニスにまで何を飲ませたんだ?」 我に返ったガイは荷物をテーブルに置くと、腰に手を当てて大きな溜息を落とした。 ナタリアはもうすぐ成人を迎えるし、軽い食前酒程度なら嗜んだ事もあるだろう。 だが残りの二人は酒に全く縁がない……ルークに関しては幼馴染兼使用人のガイが知らない訳がなく、アニスは年齢と状態からそう判断する。 「いやぁ、味見をしたいというもので。ほんの少し分けて差し上げただけなんですが……思いの他弱かったみたいですねぇ」 悪びれる様子もなく至極楽しそうに笑うジェイドに、脱力する。 (ホントにこのおっさんは……) 「おい、ルーク大丈………」 ソファに近寄って大丈夫かと声をかけようと伸ばした手は、けれどその隣に居たナタリアに掴まれた。 「っ、うわぁっ!? ちょ、ナタリア、ナタリアッ!!」 「……人の顔をみて、悲鳴を上げるなんて、失礼ではありませんかっ!」 ガイが慌てて手を振り解こうとすると、ナタリアは据わった目でそう言ってぎゅうぅと彼の腕を掴む手に力を込める。 普段は彼の女性恐怖症にそれなりに配慮をしているのだが、アルコールの回った頭では其処まで考えられないらしい。 「顔じゃなくて手、手!!」 「大体貴方はいつもいつもいつも……」 逃げ出そうとガイが暴れるのもかまわず、ぐいとその身体を引き寄せてくどくどと説教を始めた。 ………どうやらまるっきり聞いている様子のないルークから、新たに視界へと入ったガイへと標的が移ったらしい。 「聞いておりますの!?」 「き、聞いてる、聞いてるから放してくれぇぇッ!!」 (…………あっちはガイに任せましょう) 可哀想だが引き離すのも大変そうだ。 溜息を一つ落として、ティアは床に蹲るアニスの前へと膝をついた。 「……アニス、大丈夫?」 「ん〜……あれぇ、ティアいつのまに戻ってきたのぉ?」 ぐしぐしと手の甲で目元を擦ってアニスが顔を上げる。 ティアを認めて小さく首を捻った。 「ぅえーっと、あたし何してたっけ……ってそーだ、大佐にお酒分けて貰ってぇ、う〜」 眠そうではあるが、言葉はしっかりしているし、意識もはっきりしている。 どうやら眠気の方が先に来てしまった様で、それ程酔っている訳ではなさそうだ……流石に13歳の子供相手には配慮したのだろうか。 「……はぅわ〜、何この地獄絵図ぅ……」 辺りを見回し、悲鳴を上げ続けるガイ、その腕を掴み締めてくどくど説教を続けるナタリア、ぐんにゃり潰れたルーク、そんな彼らをイイ笑顔で見守るジェイドを目にしたアニスは嫌そうに顔を歪めた。 「……後はどうにかしておくから、部屋に戻った方がいいわ。ここに居たら匂いに当てられそうだし……歩ける?」 「うん、大丈夫っぽ……うっぷ、ホントにお酒臭ぁい。ごめん、後よろしくねぇ〜」 ふらりと覚束ない足取りで立ち上がった彼女は、辺りに充満するアルコールの匂いに気付くや否や、ぱたぱたと急ぎ足で食堂を後にしていった。 「……あの様子なら問題なさそうね」 ふぅと溜息を一つ落として、一体どれだけ飲まされたのかソファにぐったり沈み込んでいるルークの肩に手をかける。 「…………ルーク。ルーク。」 「うぅ……」 小さく揺すって見るが、目を覚ます気配がない。 「………ガイに運んでもらった方がいいわね」 呟いてそちらを見やれば、ガイはすっかりソファの端に縮こまって……腕は掴まれたままだ……震えていた。 ―――――― 当分役に立ちそうにない。 ティアはこれ見よがしに大きく溜息を落として、表情一つ変えずに杯を重ねる元凶へと向き直った。 「大佐、ルークを運んでいただけませんか?」 「え、私がですかぁ?」 わざとらしくきょとんとした表情で首を傾げるのに苛立ちを感じてしまってはいけない。 こういう態度を取る時のジェイドに乗ってしまったら負けだ、と言うことをティアは良く理解していた。 「……ええ、ガイはあの調子ですし、私では動かせませんから」 一つ呼気を吸い込んで抑えた声で告げるが、返ってくるのはイイ笑顔。 「いやー、私はもう年ですからそんな労働はとてもとても。起きたら自分で歩くんじゃないですかねぇ」 その上彼は、言うが早いか止めるまもなく上がった腕でルークの後頭部を思い切り叩いた。 「……大佐!?」 「うぐッ……!」 前のめりになって、思い切り机に額をぶつけた形になったルークが低いうめき声を上げる。 「ちょっと強すぎましたかねぇ〜」 「…………」 楽しそうなジェイドは放置して、大丈夫だろうかと覗き込むと、彼はぶつけた額を押さえてのろのろと顔を上げた。 状況が把握できていないらしく、視線が定まっていない。 「……あるぇー、てぃあが二人いるー……んで?」 ぐにゃん、と上体が崩れそうになって、慌てて手を伸ばしてそれを支える。 「飲みすぎよ、大丈夫?」 「……! てぃあにもれぷりかが……!」 途端にぎゅぅと肩を掴まれたかと思えば、アルコールで潤んだ綺麗な 「………違うわ、落ち着きなさい。貴方の視界が揺れているのよ」 「……よかったぁ〜」 「きゃっ、ちょっと、ルーク!!」 嬉しそうな声が上がって、そのままぎぅとばかりに抱き締められて。 慌ててそれを押し返せば彼はどこかきょとんとした表情を浮かべて首を傾げる……タチが悪い。 「いやぁ〜。酔っ払ったルークは素直ですねぇ」 HAHAHAHAHAとばかりに、嬉しそうな声が上がって、ティアは隠し切れない溜息を落としてルークの腕を抱え上げた。 「うぁ?」 「ほら立って。ここに居たらますます酔いが回るわ」 自身の肩に回すようにして、促して足元の覚束ない彼を立たせる。 「おやぁー? 連れて行っちゃうんですか?」 「大佐も、いい加減にそのぐらいにしておいてください。ガイとナタリアは頼みましたから」 ニヤニヤと笑う男に釘を指して、ティアは自身より一回り大きな青年に肩を貸す格好で、それを半ば引き摺るように歩き始めた。 「……ルーク! ちゃんと歩いて!」 「んー、んか足元が、ふわふわするー……」 「ちょっと、もうっ!!」 よろよろと寄りかかってくる相手に押し潰されそうになる。 ガイやジェイドに比べると小柄なルークだが、しっかりと筋肉がついている所為か見た目の割りにずっしりと重いのだ。 (やっぱりガイが立ち直るのを待った方が良かったかしら……) 小さく一人ごちて、ティアは壁に彼を預けるようにしてどうにか個室の扉を開けた。 あの場に長時間居たら自分も当てられてしまいそうだったし、かと言ってあの惨状を放置するわけにも行かなかったから、こうするしかなかったとは思うのだけど。 「ほら、ルーク!」 促して室内へと足を踏み入れる。 「もういい加減にっ……きゃぁッ!」 もう少し、と思ったのだけれど。ベッドまであと数歩のところでぐらりと大きく身体が傾いで、支えきれずよろめいたティアは巻き込まれる形で寝台へと倒れ込んでしまった。 小さな宿の小さな寝台は重みに耐えかねて軋んだ音を立てて、下敷きにされる形になったティアは顔を赤くして焦った声を上げる。 「……ちょ、ちょっとルーク!!」 「んん……」 (…………え、ええぇッ!?) けれどティアのその悲鳴めいた声をものともせず、ルークはそのまま動かなくなってしまった。 「ッ、重っ……ルーク、ルーク!!」 ぐんにゃりと身体の力が抜けて、途端にずしりと重みが増して、押しのけようとしたけれど、変な風に潰されてしまっている所為で腕が動かせない。 「……うそ」 挙句の果てには耳元ですぅすぅと微かな寝息が聞こえ始めて、ティアは呆然とした声を上げた。 ちらりと視線を上げれば、ほんのりと赤く染まった顔がすぐ傍にある。 目を閉じて口元を緩めている所為で常よりも幾分幼く見えて、アルコールに火照った身体はぽかぽかと温かくて、まるで子供のようだ。 (…………かわいい……って、そうじゃなくて!!) 仄かに漂うアルコールの香りに当てられたのか、こちらまで頬が赤くなってきて居た堪れない。 ………酔っ払いは危険だ、と言うのを生まれて始めて身を持って知った気がする。 「おーい、ティアー、大丈夫だっ…………」 どうしたものかと思っていたら、開け放したままになっていた扉の方からようやくナタリアに開放されたらしいガイの声が聞こえてきた。 (…………あぁ、良かった) そう思った、のだけれど。 「……すまない、邪魔をしたっ!!」 扉から室内を覗き込んだガイは、そう言ってくるりとこちらに背中を向けてしまう。 ご丁寧にもばたんと大きな音を立てて扉を閉めてしまって、ティアは現状……傍から見たらどういうものなのかに思い至り、かぁっと一気に頬に血が昇るのを感じた。 「……ちょ、ちょっと待って、ガイ! 誤解よ! 重くて動けないの、助けてっ!!」 「………ったま痛ぇー……あ、おはよー、ティア」 翌朝、痛む頭を押さえつつ食堂に下りてきたルークは。 「……ティア?」 「……………」 何時もの様に何気なく挨拶をしたティアに無言のまま逃げられ……なんだか顔が赤かった気がする……何がなんだかわからず首を捻った。 昨日、ジェイドに酒を飲まされた後の記憶がきれいさっぱりなくて、当然心当たりもない。 「…………俺、なんかした?」 「……んー……まぁな」 恐る恐る訳知り顔で頷くガイに問うも、結局はっきりとした答えは得られなかったと言う。 ― END ―
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お約束の酔っ払いネタ……とりあえずルークは無意識の時の方がタラシだし積極的だと思います(笑)。 考えれば考えるほど、頑張れば頑張る程ヘタレる男……(笑)。 オチを簀巻きにしようか悩んだのは秘密です(え Riverstream orchid = シュンランの花言葉 「 素直な仕草 」 |