右手でまだ座らない子供の首を支えて、左手に持った哺乳瓶をテーブルの上へ。 慣れた仕草で赤ん坊の上体を肩に伏せさせるように預け、軽く揺すり上げながら背中を2、3度ぽんぽんと叩くとけぷっと小さな音が聞こえた。 ぽわぽわとまだ細く柔らかい、けれど焔を写し取ったかのような鮮やかな朱い髪の赤ん坊が出した音だ。 お腹がくちくなったからか、赤ん坊は満足そうな表情でもにょもにょと口元を動かしている。 半端に開かれた口からたらりと涎が伝うのを柔らかなガーゼのハンカチで拭ってやったところで、何とも言えない視線に気付いたルークは顔を上げた。 「………な、なんだよ、皆して黙りこくって」 居合わせる全員の………嘗ての仲間達のどこか不思議なものを見るようなそれに、なんだか居たたまれないような気分になる。 「いや、なんと言うか…………」 「はぅわー………ルークがお父さんしてる………」 言い淀んだガイとは対照的に、アニスが思ったままを口にしてぽかんと口を開けている。 「意外ですわね……」 「えぇ……」 「………………」 従姉妹のナタリアはおろか、悪名高い死霊使い殿までもが驚いた表情を浮かべていて、戸籍上の兄であるアッシュに至っては苦虫を噛み潰したような顔をしていて。 「お前ら全員失礼だぞっ!!」 なんだか急に恥ずかしくなって声を荒げたルークの腕の中で、彼に良く似た面差しの赤ん坊が不思議そうにその大きな、こればかりは母親似の蒼い目を瞬いた。 「……元々子供好きだからかしらね、意外と面倒見がいいのよ」 扉の方から声がして、見るとちょうどメイドが開けた扉からお茶とお茶菓子を乗せたワゴンを押したティアが入ってくるところだった。 「ティア! 久し振り〜!」 アニスが嬉しそうな声を上げて、お茶を入れるのを手伝おうと彼女に駆け寄ってゆく。 扉を開けていたメイドは彼女が完全に室内に入ったのを見送ると一礼して去っていった。 嘗ての仲間が訪れた際はメイドに給仕を任せず、自分達でお茶の準備をするのは何時ものことだ。 本当は人様に世話を焼かれることには未だに慣れず、いつでもそうしたいのだけれども、立場上そう言う訳にも行かなくて。だからせめて気心の知れた仲間だけの時は、と我侭を言わせて貰っている。 自分達のことを自分でするのが我侭、と言うのも不思議な気分なのだが。 「何だがアッシュより手馴れているようですわねえ……」 感心したように呟くナタリアの腕には、今年1歳になる娘が抱かれている。 こちらはナタリアに良く似た綺麗な金髪で、今は閉じられた瞼の下に隠されている瞳は透き通った翡翠色だ。 「………………」 水を向けられたアッシュはますます嫌そうな顔になった。 余りにも小さくて柔らかな赤ん坊を、壊してしまいそうで怯えさせてしまいそうで怖くてなかなか触れなかった彼は、未だに我が子を抱くのもおっかなびっくりだ。 無論、彼にはルークほど時間がなく………ルークも先日まであちこち忙しく飛び回っていたのだが、様々な事情から現在育児休暇状態だ………なかなか慣れないと言うこともあるのだろうが。 「………それにしても、皆揃うなんて思わなかったわ」 薫り高い紅茶を配り終えたティアがルークの隣に腰を下してふわりと穏やかな笑みを浮かべた。 「へへ〜、ホントはこっちにくるの来週の予定だったんだけど、ガイと大佐の予定聞いて日程調整しちゃったんだ。折角だし、皆揃った方が楽しいじゃん?」 跳ねる様に笑ったアニスもソファに腰を下ろして、湯気を上げるカップを傾ける。 そんな二人を尻目に、ルークは赤ん坊を抱き直してきょろきょろと何かを探し始めた。 「ガイが早く見たいといって聞きませんでねえ」 「旦那だって気にしてた癖に………」 仕方がないと言うように肩を竦めるジェイドにガイが苦笑を浮かべる。 「………なぁ、ティア、あれどこやったっけ? あれ」 その間ももそもそと何かを探していたルークが、結局諦めたらしくそう言ってティアの方を見やった。 「あれじゃわからないでしょ、横着しないでちゃんと言いなさい」 小さく溜息にも似た息を吐いたティアが、けれど言葉とは裏腹に傍らに置かれた籠を探って彼に何かを手渡した。 「お、サンキュ」 ルークは受け取ったそれを広げて、赤ん坊の首にかけ、首の後ろで紐を結ぶ。 それは白地に青緑色のチーグルのワンポイントが………間違いなくティアの趣味だろう………入ったよだれかけだった。 その極々自然な、けれど傍から見るとかなりおかしなやり取りに誰もが言葉を失って。 「これでよしっと………」 けれどそれに気付かず満足そうに呟いたルークに、とうとう堪え切れなくなったガイが噴出した。 「…………ぶっ……あはははは!」 「っ、な、なんだよ!!」 身を折って、腹を抱えて笑い出した使用人兼、幼馴染兼、親友の男にルークが睨む様な視線を向ける。 ガイは暫く笑い続けていたが、やがて笑いすぎて涙の滲む目元を拭って顔を上げた。 「い、いや、お前らが初めてそこに並んで座った時のことを思い出したら、おかしくてっ……」 初めて、と言われて、記憶を探った二人は同時に顔を赤く染めた。 「………ぁ……」 「…………あー……」 ティアは口元に手を当てて、ルークはがっくりと肩を落として頭を抱えたい素振りで背中を丸める。 「ぷぷっ………」 何やら思い出したらしいアニスが小さく噴出して、ジェイドもにんまりと口元を歪めた。 「マルクトからの帰りでしたねぇ、貴方の髪はまだ随分と長かった」 「………言うなってぇー」 当時の、世間知らずで我侭なお坊ちゃまだった自分のことを思い出すと恥ずかしくて消えてしまいたいルークの情けない声が上がる。 あの時はアッシュが居なくて、イオンが居た。 彼と過ごした日々の、悲しいことや辛いことばかりではなく、楽しかったことや嬉しかったことを、最近ようやく痛みを伴わずに思い出せるようになった。 「………やー、あれから悠に5年が経つ訳だが、あの頃には想像もしなかった光景だな」 今、ガイの目の前に並んでいるのは、一組の夫婦だ。 背筋を伸ばした綺麗な姿勢でソファに腰を下ろした男の膝の上には明らかに彼の特徴を持った小さな赤ん坊が抱かれていて、女の顔にはどこか恥ずかしそうな、けれど穏やかな笑みが浮かんでいる。 記憶の中の二人は、到底仲が良さそうには見えなかった。 少年の方はお世辞にも行儀がいいとは言い難い仕草で気怠そうに手足を投げ出しソファに沈み込んでいて、少女の方は表情が薄く酷く冷たい印象さえ漂わせていた。 あれから随分と色々なことがあって、たくさんの時間が流れて、今はこうしているのだけど。 当時のことを思い出すと、何だか無性に可笑しい。 「………そうね、当時の私が聞いたら何の冗談かと思うでしょうね」 「ひっでー。俺はあの頃からティアのこと美人だと思ってたのになー」 小さく笑って言うティアに、ルークが拗ねたように唇を尖らせて、なーとばかりに両手を上げさせた赤ん坊の顔を覗き込む。 「……ウソ」 「マジ。黙ってれば美人なのにって思ってた」 予想外の台詞にまさかと目を丸くする彼女に、ルークが悪戯っぽくそう言って。 「ルーク!」 「冗談だって!」 叱る様なそれにガイやアニスの笑う声が重なる。 「………それはさておき、報告を聞かせていただけませんか?」 「もぅ、大佐……じゃなかった中将ってばせっかちですねぇ」 まだ幼さの残る頬を大きく膨らませて腕を組むアニスに、ジェイドは悪びれるでもなく肩を竦めて見せる。 「ここに来た一番の目的ですから♪」 何時も通りの冗談めかした口調ではあるものの、ほんの少し表情が固い。 それに気付くことが出来るのは、ここに居る面子以外ではピオニー陛下ぐらいのものだろう。 そう思いながら、ルークは口元に笑みを浮かべてもう一度膝に乗せていた赤ん坊を抱き上げた。 「………第七音素の量が普通より少し多いけど、両親共に第七音素譜術士なら許容範囲内だってさ。ティアの方も異常なし。母子共に健康だって」 ほぅっと誰からともなく安堵の息が洩れた。 「心配してくれてサンキュな」 「………まぁ、これからも心配は山積みですがね。ガイのように甘やかしすぎて貴方のような子供に育てないでくださいよ?」 懸念も払拭されて、ここからが死霊使いの本領発揮である。 「旦那ー………」 色々と思い当たるところのあるガイが情けない声を上げたが、そんなものは彼に……彼とアニスにとっては格好の餌食でしかない。 「そこは大丈夫ですよ〜、ガイやルークがいくら甘やかそうとしたってティアが居ますも〜ん」 「子供の面倒は見慣れてそうですからね〜。大きな大きな子供の面倒を」 「って俺のことかよ!」 ぎゃあぎゃあと騒ぐ大人達に、赤ん坊は泣くでもなく怯えるでもなく、じぃと視線を向けている。 「…………随分と肝が据わったガキだな」 アッシュが呟くと、不意に視線がそちらを向いて。それから蒼い瞳が大きくまぁるく見開かれた。 父親と同じ顔があって驚いているのだろう。 「ぁぅー………」 「………ぅっ………」 泣き出されるのではないかと思ったアッシュの口から唸り声にも似た声が洩れたが、幸い子供は泣き出すこともなく、結局何とも言えない睨み合いの様相を呈することとなった。 「そう言えば名前は?」 「フレイルだよ。本当はヴァン師匠から貰いたかったけど、流石にそういう訳にもいかねーからな」 気を取り直したガイの問いに、ルークは苦笑めいた笑みを浮かべた。 人類を滅ぼそうとした男は、けれどルークにとっては今も変わらぬ心の師で、ティアにとってはたった一人の優しい兄だった。 立場上、悼む気持ちを表にすることは出来ないけれど。 ずっとずっと、思い続けている。 「師匠に教えて貰ったアルバート流剣術の始祖、フレイル・アルバートから貰った。ティアにとってもご先祖様に当たる訳だし」 まだ何も知らず、わからず。どこかきょとんとした表情を浮かべている赤ん坊に口元が緩んだ。 「ねーねー、抱かせて!」 「落とすなよー?」 「アッシュじゃあるまいし〜」 駆け寄ってきたアニスにそうっと赤ん坊を渡してやれば、彼女は意外に慣れた手つきで………彼女は元々家事全般が得意だが、育児も例外ではないらしい………赤ん坊を抱いて笑った。 「うるせぇ!」 「確かに手付きは危なっかしいですけど、アッシュだって落としたことはありませんわよ!」 非常に不本意そうなアッシュの声に、ナタリアの憤慨したような声が重なる。 「……うわ〜、こんなにちっちゃいのに既にルークにそっくりなんですけど」 「アニス、次俺にも抱かせてくれ!」 「………なんだか初孫の出来たお爺ちゃんみたいですねぇ」 普通もうちょっと猿っぽくなーいとかなんとか呟いているアニスにガイが両手を差し出して、それを見たジェイドがそんなしゃれにならないことを言い出した。 「間違ってないよーな間違いまくってるよーな………」 一人でさえ騒がしい連中が七人も集まれば騒がしくならないわけがない。 皆が皆自分勝手なことを言い始め、ナタリアの腕の中で眠っていた子供まで目を覚まして騒ぎ出して、あっという間にファブレ公爵邸の応接室は大騒ぎになった。 「…………ねぇ、今、幸せ?」 そんな中、さり気無く肩口に顔を寄せてきたティアがそう言って。 「………ん。すっげー、幸せ」 ルークは頷いて、そっと彼女の手に触れた。 「幸せすぎて、怖いぐらい」 「…………ばかね」 あの頃と同じ言葉が、けれどあの頃とは比べ物にもならないほど柔らかな響きを伴って落ちてくる。 言葉とは裏腹の、音の響きにぞくぞくする。 ――――― 好きだよ。 その想い伝えたくて。返したくて。 ルークは捉えた彼女の指先に自身のそれを絡め、ぎゅっと握り締めた。 ― END? ―
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やっちまいましたフライング(?)。 一応順序立てて書いていくつもりだったのですが、色々我慢できませんでした。 いきなりお子さんが居ます(え ルークの方がアッシュよりいいお父さんになりそうだよね(アッシュの方が親バカになりそうだよね)、と言う話からこんな感じになりました〜(笑)。 Gardenia = クチナシの花言葉 「 幸福 」 |