――――― 傍らにルークが居ないことが、こんなにも落ち着かないことだとは思わなかった。 ルークは今、社会勉強を兼ねて一人きりでバンエルティア号を離れている。 ティアがルークの護衛になって以来、これほど長い時間を離れて過ごすのは初めてかもしれなかった。 ティアやガイが依頼やグランマニエ関係の特殊任務で船を離れることはあっても、ルークが一人で依頼に出ることは滅多にない。 今までは護衛兼お目付け役として大抵はどちらか ――――― パワーバランスの関係で主にティアが ――――― もしくは両方が同行していた。 だから、ルークだけが居ないことはティアにとって奇妙でさえある。 ガイも同様なのだろう、時折落ち着かない様子を見せていて、意味もなく視線がぶつかり合って互いに苦笑いを交わすようなこともあった。 ルークが居ないことで落ち着かないことはティアばかりではないのだ。 否、むしろ付き合いが長い分、ガイの方が余程落ち着かないのかもしれない。 ティアがルークに初めて会ったのは二年ほど前、ルークが親善大使に任命され、近隣諸国を回る旅に出る数か月前のことだった。 使節団を纏める事務方の代表にジェイドが任命され、その下に配属されたばかりのティアが王位継承権を持つルークの直接の護衛に就くことになったのだ。 皇帝陛下の覚えもめでたいジェイドはともかくとして、軍の士官学校を卒業したばかりで経験の浅いティアが選ばれたのには、幾つかの理由がある。 一つはルークには既に使用人兼護衛の剣士が ――――― ガイが守り役に付けられていたこと。 故にもう一人は譜術、とりわけ回復や防御の術に長けた者がいいだろうとされた。 もう一つは、ティアの兄であるヴァンがルークの剣の師匠だったこと。 ルークの両親は何よりも信頼のおける護衛を望んでいた。 その点ティアは申し分なかったし、ルークはヴァンに非常に懐いていた。 そこにもう一つ、密かに期待されていた役割があったことを知ったのは極最近のことだ。 その頃のルークは我儘な言動の目立つ少年だった。 そのルークを諌めることのできる殆ど唯一の存在が敬愛する師であるヴァンだった。 何せルークの父親は国の重鎮で仕事で忙しく滅多に屋敷には帰らず、ルークとは殆ど口も聞かない仲だったし、母親は病弱で一日の殆どをベッドで過ごしていた為に息子を叱ることさえできなかったからだ。 とは言えヴァンもグランマニエ国軍でそれなりの地位に就いているので、常にルークの傍にいると言うわけにもいかない。 けれどティアなら、軍にとってそれほど重要な人間ではなかったし、ルークにとっては頭の上がらない師匠の唯一の肉親 ――――― あまり邪険にはできない相手、と言うことになる。 今までルークは宛がわれた同年代の遊び相手の悉くを追い返してしまっていた。 それは媚びられるのが嫌だったからでもあるし、貴族のお坊ちゃま達と話が合わなかった所為でもあるのだが、師の妹であるティアは多少気に食わなかったとしても追い返すわけにはいかない。 生真面目で融通の利かないティアの性格はルークが我慢を言うものを覚えるのに役立つに違いないと思われていたようなのだ。 何せもう一人の護衛であるガイはとにかくルークに甘く、そう言ったことはまるで期待できなかったから。 それを思うと大人達の思惑に乗ってしまったのが少し悔しいような、まんまと踊らされてしまったのが恥ずかしいようなそんな気分になる。 ――――― けれどその時には誰も、きっと、こんな風になるとは思っていなかったのだ。 親善大使として諸国を回るうちに、ルークは少しづつ変わっていった。 それと同時に、二人の距離も少しづつ近付いて行った。 気持ちが、変わり始めたのはいつからだろう。 ティア自身もはっきりとは覚えていない。 けれど確かに今、ティアにとってルークはなくてはならない存在だった。 ルークの不在を経て、ティアはそのことを痛感していた。 ――――― そう、思っていた筈なのに。 いざ帰ってきたルークを迎えて最初に思ったことは、久し振りすぎてどんな顔をすればいいのかわからない、と言うことだった。 甲板で仲間達に取り囲まれて揉みくちゃにされているルークを遠くから見やる。 駆け寄って、抱きついて、帰郷を喜ぶ言葉の一つでも掛けるのが可愛い女なのかもしれないとちらりと脳裏を過ぎったけれど、それを実行できるようなら苦労はない。 ふっとこちらを見たルークが、ティアに気付いて嬉しそうに笑って ――――― それが嬉しくもあり、羨ましくもある。 良くも悪くも、ルークは素直で、それが少しだけ眩しい。 無言のまま眼を細めていたらそれをどうとったものか、唇が小さく動いた。 読み取れた言葉は、『ごめん、あとで』。 申し訳なさそうに顔の前に左手を立てるのを見て苦笑する。 大丈夫、と笑ってみせるとほっとした表情が浮かんで、言葉を交わすわけでもないそんなあえかなやりとりに、それだけで胸の奥が温かくなった。 ルークはそのままガイやロイド達に引き摺られていってしまって、残されたティアはほっと小さく息を吐く。 数時間もすればルークは解放されるだろう。 部屋に戻ってくるのはその後、夕食をすませてからだろうか。 どちらにせよ、それまでの間に心を落ち着けておけばいい。 (……大丈夫、何かが変わったというわけではないのだもの……) 小さく一人ごちて、ティアは踵を返すと食堂へは向かわず、自室の方へと足を向けた。 案の定、ルークが戻ってきたのはそれから大分時間が経ってからのことだった。 緊張することはないとわかってはいるのだが、なんだか落ち着かない。 居ないと落ち着かないのに、居ても落ち着かないと言うのは一体どういうことなのか ――――― 結局ルークのことを考えるとそれだけで落ち着かないのかもしれなくて、それはそれで恥ずかしい。 意識してしまうと尚更心拍数が高くなるようで、大して会話も交わさないうちに隣に座るルークの方を見れなくなった。 ちなみにガイは部屋には戻ってきていないし、アニスは何時もと変わらぬ様子でルークと軽く挨拶を交わすとさっさと部屋を出て行ってしまった。 気を使われてしまったのだと思うと、じわりじわりと恥ずかしさが増してくる。 それこそいったいどんな顔をして戻ってくる二人を迎えればいいのか。 ぐるぐるとそんなことを考えていたら、耳元で小さくカチンと音が鳴った。 「っ……!」 それがなんだったのか考えるより早く、今度は耳朶の先に小さな衝撃がきた。 何か、固いものに挟み込まれたそこに温かく濡れたものが這う ――――― ちゅ、と唾液の鳴る音がして。 そこでようやく、初めの音は目測を誤ったルークの歯が宙を噛んだ音なのだと気付いた。 「っ、ちょ、ちょっとルーク!」 耳の後ろに僅かに熱を帯びたような吐息がかかる。 柔らかな軟骨の感触を楽しむように何度も甘噛みされて、耳腔の形を辿るように舌先が動いて、耳の奥で水音が聞こえて、ぞくりと背中が震えた。 「………なに?」 そこに至ってようやくルークが顔を上げる。 囁くようなごく小さな声がやけに艶めいて聞こえて、ティアは落ち着かなく視線を揺らした。 「……な、何じゃないでしょう。擽ったいから、やめて……」 細く返して、力なく胸板を押し返すものの、腰に回された腕はびくともしない。 ――――― 本当はそればかりではないのだけれど、口に出すのはどうにも憚れる。 「………やだ」 けれどルークはそう言ってもう一度かぷりと耳朶に食いついてきた。 「きゃっ!」 「……いいだろ、久しぶりなんだし……触るぐらいさ」 耳を噛んだままで囁かれて、咄嗟にきつく瞑ってしまった目元に朱が上がる。 「ほ、本当に擽ったいの! お願い……」 擽ったいのは本当だ。 けれど同じぐらい、身体が甘く震えるのが押さえられない。 「……じゃあ、こっちは?」 「っ!」 ぽふ、と無造作にコンプレックスの固まりでもある胸を掴まれる。 大きな掌が包み込むように動いて、指先が軽く揉むように動かされて、慌てて庇うようにルークの手ごとそこを抱き締めたけれど、軽く胸に添えられたままのその手はそこから離れる気配はなく。 「……ダメか?」 仕草とは裏腹の子犬のような目で見上げられてしまって口籠る。 「………ずるいわ……」 涙目になって睨みあげると、ちぇと小さく舌打ちをする音がして、不意に体勢が変わった。 「……っ!」 ぐっと引き寄せられて胸に這わされたままの指先が沈む。 「……ティアは俺に触られるの、嫌い?」 「きっ、嫌いなわけないでしょう!」 拗ねたような声に、反射的に上がったのは否定の声。 しまった、と思っても後の祭りだ。 ひどく嬉しそうな気配を漂わせたルークの頭が後ろから項に擦り寄せられてきて、癖の強い少し跳ねた髪が擽ったい。 「じゃあダメじゃないよな?」 ふに、ふにと遠慮がちに、けれど確かに動き始めた指先の甘い刺激に声が漏れそうになるのを堪えて、上擦った声で制止する。 「ア、アニス達が帰ってきたら……」 「アニスはチャットのとこに泊まるって言ってたぜ。ガイはジェイドと飲みに行くって言ってた」 「………」 いつの間に、と思ったが色々考え込んでしまっていた所為で耳に入っていなかったのだろう。 こうなったらルークに勝てるはずがない ――――― 結局のところ、あまりエスカレートしすぎなければ、と言う注釈つきではあるものの ――――― ティアだってルークに触れられることは好きなのだ。 ――――― ガイとアニスが気を利かせた甲斐があったかどうかは、当人のみぞ知る。 ― END ―
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表に置こうか裏に置こうか迷って友人に見せたところ、「ルークが無駄にエロい」と言う感想をいただきました。 アレ? 出張=ルミナシアに行ってきましたな感じで「君と僕」とリンクしています。 「……いいじゃん、久し振りなんだしさー」 「む、向こうにだって私は居たでしょう?」 「っても向こうのティアは『俺の』ティアじゃないしー、触れないしー(すりすりすり)」 ……ただのセクハラです。 |