「あ、アニスちゃん今日厨房当番だったんだ!」
 ソファで暇そうに雑誌を読んでいたアニスがはっとした様に顔を上げ。
「ちょっと行ってきますね〜♪」
 ぱたぱたと走り出て行った瞬間、辺りに ―――――― ティアとガイの間に、ぴしりと緊張が走った。
 厨房当番とは小柄な身体でバンエルティア号の家事の一切を取り仕切るパニールの手伝い係のことで……流石に一人で50人分近くの食事を作るのは大変だろうとのことで数人ずつ持ち回りで色々な手伝いをしている……誰もが経験者ではあるのだが。
(………今日、まさかアニスがそうだったとは)
 小さく一人ごちて、ガイはごくりと喉を鳴らした。
「………………」
「………………」
 アニスが部屋を後にして、グランコクマチーム(?)に宛がわれた控え室に残ったのは、ティアとガイとルークの3人。
 船長のチャット共に実質的にギルドを仕切っているジェイドは何かと忙しくあまりこちらで休むことはないし、アニスも依頼に小遣い稼ぎにと何かにつけ走り回っているからこの3人が残されることは多い、のだが。
 最近このメンバーが集まると妙な緊張が走るようになった。
(…………来るか)
(……………来るかしら)
 ちらりと向けた視線が絡み合い、言葉にならない会話が交わされる。
 ティアはルークと並んで二人掛けのソファに、ガイは少し離れたテーブルに陣取っていたのだが……それまで寛いでいたのが嘘の様に急に落ち着かない様子になった。
「……きょ、今日の夕飯は何だろうな!」
「パ、パニールはもちろん、アニスも料理上手だから、期待してもいいんじゃないかしら」
「………………」
「………………」
 白々しい会話が交わされて、沈黙が落ちる。
 二人とも分厚い小難しそうな本に……ティアは譜術の、ガイは譜業の……視線を落としていたのだが、ページを繰る手は何時の間にか止まっていた。
「………二人とも、何か落ち着かないけどどうしたんだ?」
 複雑な二人の内心に気づかず、ルークは不思議そうに首を捻る。
 17歳という年齢であるにも関わらず無邪気と言っても差し支えのない表情で、どこか幼くさえ見えて、それがほんの少し腹立たしい。
(…………お前の所為だよ!)
 とは言えず、ガイは誤魔化す様に笑って視線を宙に逸らした。
「あー、いや。それより今日はロイド達と稽古をしたりしないのか?」
 剣術はルークの唯一の趣味といっていい。
 屋敷に居た時とは違い、ここに着てからは稽古相手に事欠かず……しかも流派も武器もバラバラで非常にバラエティに富んでいる……毎日のように飽かず甲板で暴れまわっていたはずなのだが。
「……ロイドは昨日から依頼に出てて居ねーし、リッドも今日は一日ファラに付き合う約束してんだってさ」
 つまらなそうにそう言ったルークの手が、隣に置かれていたティアの手に伸びる……ティアはページを繰るふりをしてさり気なくそれを避けた。
(ナイスだ、ティア……!)
 ガイは心の中でぐっと親指を立てる。
「……………」
 ティアもどことなくほっとした表情で息を吐いたようだった。
 ルークは暫く無言で逃げてしまった指先を見ていたが、今度はすぐ側にあったティアの髪に手を伸ばした。
 長いストレートの髪を指先でくるくると巻いて、遊び始める。
(……始まった……!)
(………始まったわ……!)
 ごくりと二人が同時に息を呑んだ。
 ルークは何も言わないし、それ以上何をするでもない。
 けれど、コレはよくない兆候だ。
 何時の間にか、ルークとティアの距離が縮まっている。
 ルークが僅かに上体を傾けてきた所為だった。
(………触りたいオーラが出てる……)
 触りたい、けれどいきなり触れていいものかどうか迷うような、伺う様な視線が向けられてティアは内心冷や汗をかく。
 ―――――― 触られること自体は、嫌いではない。
 おずおずと触れてくる少し骨ばって大きな、でも少年らしさを残した手は温かくて、優しい。
(むしろ好きなんだと、思うわ……)
 …………けれどそれは、時と場合による。
 ルークが、ガイに遠慮をしているという感じではないところが問題だった。
 むしろティアに対して、どう触ったら怒られないのかを考えているようで…………コレが、3人で居ると生まれる緊張の原因だった。
 髪を弄っていた手と反対の腕が、ティアの身体の外側に置かれる。
 …………殆ど抱き込むような格好になって、ティアは裏返った声を上げた。
「……ルーク! 読書の邪魔よ!!」
「…………駄目か?」
「…………っ!」
 ルークの顎がとんと肩に乗せられて、ティアは小さく息を呑んで硬直してしまう。
 彼は、ガイ以外の他人が居る場所ではティアに触れない。
 こうやってじゃれついて来るのは決まって二人きりの時か、三人で居る時だけで、アニスやジェイドが居る時はティアの隣を陣取りはするものの、それ以上のことをしてくることはない。
 けれど、一体何を考えているのか彼はガイがいても、全く気にしないのだ。
「あ。そーいやさぁ……」
「……あ、あぁ?」
 けれど空気のように思っているわけではないらしく、何気無い調子で彼に話しかけたりもしている。
 その間も腕の中に囲い入れたティアの髪を弄っていて、ティアとガイの動揺と困惑は深まるばかりだ。
 だらだらと、冷や汗が背中を伝う。
(………どうしたもんか)
(…………どうしたらいいのかしら)
 公衆の面前でやられたのならティアの平手が飛んでいたのだろうが、なんとも微妙なところ。
 その上あまりに自然な様子で、しかも徐々にエスカレートしてきたものだから……非常に突っ込み難く……タイミングを逃してしまったのがいけなかった。
 ―――――― もうどこをどう突っ込めばいいのかわからない。
「…………」
 ルークとガイの会話がさっぱり耳に入らないまま悶々逃げ出す方法を考えていたティアは、彼の動向からも意識がそれてしまっていて。
 …………だから、反応が遅れてしまった。
「……ルーク!?」
「………ぇ?」
 ガイの驚いたような声が聞こえたかと思うと、頬に温かいものが触れた。
 視界の端に綺麗な朱色の髪がちらついて、それが何なのかを知って。
「…………きゃぁッ!?」
「うわ!?」
 ティアは咄嗟にその身体を突き飛ばしてしまっていた。
 まったく身構えていなかったルークは見事にソファから転がり落ちて、床に尻餅をついて何が起こったのかわからないといった様子で目を瞬いている。
(……キ、キスされ……っ……!!)
 頬ではあったけれど、先程頬に触れたのは間違いなく唇だった。
「…………い、嫌、だったか?」
 おずおずと見上げてくる仕草が可愛い……ではなくて。
「っ、嫌に決まってるでしょう!」
 怒鳴りつけるようにそう言って、ティアは彼から距離を取る様に立ち上がった。
「……ひ、人前でこんなことをするなんて、おかしいと思わないの!?」
(……………なんだかなー……)
 立ち上がったまま彼を見下ろしているティアの頬は見たこともないぐらい真っ赤で、握った拳がふるふると震えていたりなんかして、なんだか痴話喧嘩の真っ最中に放り込まれてしまったような感覚を覚えてガイは思わず遠い目してしまった。
「……人前でって、だってガイじゃんか」
 激昂するティアに、ルークはどこかきょとんとした表情で首を傾げる。
「…………どう言う、意味?」
「………………?」
 今度はティアとガイが首を捻る番だった。
「ガイは他人じゃないだろ?」
 ―――――― 意図が見えない。
「えーと、ルーク? もうちょっと順序立てて、一から説明してくれないか?」
 不器用な親友兼主兼弟分のフォローに回るのは自分の役目だろうと心得て、ガイは椅子を立つとルークに歩み寄った。
 彼の身分や立場を考えれば複雑な一面もあるが、ガイ個人としては可愛い弟分の初恋を応援してやりたいと思っている。
(………ルークが異性に興味を持つなんて初めてのことだしな)
 そんなガイの内心を知る由もなく、ルークは言葉を捜すように視線を彷徨わせた。
「ガイは俺の親友だけど、使用人でもあるだろ?」
 立場的には使用人兼護衛といったところだが、心情的には親友……と言うより家族に近い。
 ガイにとってルークは手のかかる可愛い弟のようなものだ。
「ああ言うことは他人の前ではしちゃいけないって教わったけど、でもガイは他人じゃないじゃんか。…………だから、えと、その……気にしなかった……ん、だけど……」
 口にしてようやく、ひょっとしたら不味かったんだろうかと言う見解に到達したようで、ルークは伺うようにティアを見やった。
「………………」
 親友で、使用人で、家族同然で、だからルークにとって彼は他人ではない。
 つまり、ルークの中ではガイの前=人前と言う意識ではない、と言うことらしい。
 だからアニスやジェイドの目がある場所では触れてこなかったのだと気づいて、ティアはソファに崩れ落ちてぐったりと脱力した。
 ガイもまた俯いて頭を抱えている。
「し、使用人の多い環境で育ったからな……」
 ルークは公爵子息として、いちいち使用人の目を気にしていては何も出来ない環境で育っている。
 だからそもそも使用人の目を気にする、と言う習慣が無いのだ。
 その中でもガイは特別で、兄のように慕ってはいるが………こう言うところでは、使用人の範疇に入るのか、それとも単純に気を許しているのか。
 どちらにせよ、彼の感覚が一般人の感覚とはかけ離れたところにあるのは間違いなかった。


 ―――――― 数分後。
「きゃわ〜ん、今日のメニューはルーク様の大好きなチキンの入ったドリアですよー…ぅ?」
 夕食の準備の手伝いを終えて、軽やかな足取りで控室へと戻って来たアニスがみたものは。
「ほんっとーにすまなかった!」
「ガイは悪くないだろ? 俺がちゃんと考えてなかったのがいけないんだ」
「わ、私が言い出しにくくて黙ってたのがいけなかったのよ! 最初にちゃんと注意して置けば………だから、ごめんなさいっ」
「ティアは悪くないだろ! 悪いのは俺で……」
「いーや、俺が育て方を間違ったんだ!! すまないっ!!」
 床に額を擦り付けんばかりに頭を下げるガイと。
 同じくコメツキバッタの如く頭を下げまくるルークとティアと言う、なんとも奇妙な3人の姿だった。
「…………何やってんの、アンタ達」
 思わず漏れた声は随分低く乾いていたとかいないとか。

― END ―


 アニスがどんな口調で喋っているのか不明だったので、プレイしたら書き直すかも……と思いつつ続いてみました。羞恥心がどこか間違っている天然王子(?)のターンです。
 実際のルークは絶対こんなこと出来ないだろうししないだろうと思うのですが、育ち方によってはこう言う方向もありえなくはないんじゃないかと………ギャグなので許してクダサイ(笑)。
 ………プレイして出直してきますっ。
2009.06.16

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