「……ティア、こっち」 指先で差し招かれたのは、ベッドに座るルークの開かれた足の間。 「え……?」 そこに座るの?声には出さない問いを正しく拾って、ルークはニッと口端を引き上げた。 「……ティーぁ」 歌うような尻上がりの、何とも言えない嬉しそうな声で名前を呼ばれて途方に暮れる。 「………は、ハードルが高すぎない?」 「んなこたねーだろ、別にキスしてくれとか抱きついて欲しいとか言ってるわけじゃねえし。ただ座るだけなんだからさ」 「……っ、突然何を言い出すのよ!」 「だから、そう言うんじゃねえって言ってんじゃねえか」 (………そりゃ、いつかはそういうこともして欲しいけど) とは思っても声を高くした彼女にそんなことを言えるはずもなく。 ささやかな願望はそっと胸の内にしまって、ルークは促すように無言で彼女を見やった。 「っ………で、でも……」 その視線に押されるようにして、ティアは僅かに後退った。 ―――――― 切欠は何だっただろう。 ティアは冷たい、とかなんとか、言われたような気がする。 一応、恋人同士と言う関係になってからそれなりの時間が経っている。 なのにキスは数えるほどしかしたことがないし、二人きりで一緒に出かけたり如何にも恋人らしい時間を過ごしたりしたこともない。 一緒に依頼をこなしたり、書類仕事を手伝ったりと護衛とその対象でしかなかった頃から殆ど常に一緒だったので変化がなくてもおかしくはなくて、恋愛経験が皆無のティアとしてはそんなものなのかと思っていたのだが、ルークがそんな風に思っているなら一歩を踏み出さないわけには行かないだろう。 レンアイ関係と言うものは一方的なものであっては続かないものだ、とアニスに教わった。 ティアだってルークのことが好きで、だから彼の想いを受け入れたのだ。 こういうことは多分、お互いに歩み寄っていかなければならないところなのだと思う。 けれど、足を踏み出すのはなんとも難しい。 「……………」 強張った顔でルークを見つめるティアは何かに苦悩するかのようで、傍から見ればとても恋人同士で見詰め合っているようには見えないだろう。 「……………」 痺れを切らしたルークが思い切った手段に出るまでにそう時間はかからなかった。 「……きゃっ!?」 殆ど硬直してこちらの様子を見ているようで見ていないティアの腕を掴んで強引に引き寄せる。 そうしてバランスを崩して小さな悲鳴と共に腕の中に落ちてきた身体を抱き竦めた。 ここで逃げられてはかなわないので、とにかく背中に腕を回してぎゅっと。 「……ちょ、ちょっとルーク!」 焦ったような悲鳴に揺らぎそうになったけれど、逃がせない。 腕の中にすっぽり納まってしまったティアの身体は温かくて柔らかくて、灰褐色の髪から花の香りを連想させる甘い匂いが漂ってきて、何とも落ち着かない。 けれどそれを我慢してじっとしていたら、徐々に強ばっていた彼女の身体から力が抜けてきた。 「………」 痛いぐらいに胸を押しやっていた手がそれをやめて、そのせいで出来ていた僅かな隙間が埋まる。 添えられるだけになった指先がぎゅっと胸元の布地を掴み締めて、その上から柔らかな感触が押し当てられてきて、それがなんなのかを悟った瞬間じわりと耳が熱くなった。 「……逃げないから……腕、弛めて。苦しい」 「っ、ご、ごめん」 か細い声がそんな主張をするものだから、慌てて腕を弛める。 その時初めて自分の片手が結構際どい場所に ―――――― 腰の下辺りにあることに気付いたが、今更動かすのも如何なものかと思って、そちらはなるべく動かさないようにしながらもう片方の手で長い髪に覆われた細い背中を撫でた。 「……っ!」 びくっと跳ねた、軍人らしく鍛え上げられた無駄のないしなやかな肢体は、それでもルークのそれに比べれば随分と柔らかい。 男と女では筋肉の質が違うので当然といえば当然なのだが、そんな当たり前のことにもいちいちドキドキしてしまうのが恥ずかしいやらみっともないやらで、胸に添えられた彼女の手にそれが伝わっているかもしれないと思うとまたドキドキする、なんとも情けない無限ループだ。 「……なんもしねえから、そんなビクつくなよ」 けれどいちいち怯えたように身体を震わせるのはいただけない。 それはそれで可愛い、けど。 なんだか信用されていないようでショックだ。 「わ、私は別にっ……! そんな、つもりじゃ……」 けれど無意識だったのか、彼女はごにょごにょと口篭って俯いてしまった。 「………別に怖かないだろ?」 顔を伏せてしまった彼女の耳の辺りに顔を近づけて囁く。 「別に怖かったわけじゃっ……!」 案外負けず嫌いのところのある彼女はそれに反応してばっと顔を上げて、けれど至近距離のルークの顔を目にした途端、無言になった。 卵形の小さな顔が熟れた林檎みたいに真っ赤になっている。 彼女は憤慨したように何度か唇を戦慄かせ ―――――― 不意に何か気付いた様子で目を見開いたかと思うと眉尻を落とした。 すぅっと吐いた息と共に憤りの気配が散って行く。 「……ティア?」 その変化は感じ取れたもののそれが何故なのかさっぱりわからなくて、名前を呼べば。 「………本当は……怖かったのかもしれないわ」 困ったような、小さな声が帰ってきた。 「……へ?」 予想外のそれに、目を瞬く。 ―――――― 怖かった。 思い切り、見えないピコハンで頭を殴られたような気がしてぐらりと思考が揺れた。 ティアがビクついていたのは怖かったから? 俺のことを信用してくれていないから? だとしたら、こうやって抱き締められていることは彼女にとって苦痛でしかない? 否、確かに自分は強引に彼女を自分のものにしようとしたけれど、どうしようもないぐらい頑固で真っ直ぐな彼女は本当に嫌なら絶対に首を縦には振らないはずだ。 (……じゃあ好きだけど怖いってことか? 何で? なにが……?) 好きだけど信用はしていない、とかそういうことだろうか。 「ふがっ!?」 ぐるぐる考えていたら、伸びてきた指先に鼻を摘まれた。 慌てて見下ろした先で彼女が微笑んでいる。 「……変なこと、考えてたでしょう?」 「へ、へんなころって言うか……」 ティアの言葉の意味を考えていただけで、決しておかしなことを考えていたつもりはない。 「……怖かったのは本当よ」 「っ……」 それが伝わったのか、彼女は苦笑めいた笑みを浮かべてそっと肩口に額を寄せてきた。 今までにされたことのない、擦り寄るような仕草に息を飲む。 「でも、あなたが怖かったんじゃないわ……」 それに気付いているのかいないのか、ティアはそのままは僅かに身体を預けてきてくれて。 「……私が、変わってしまいそうで怖かったの。……際限なく、甘えてしまいそうで……そのまま元に戻れなくなるんじゃないかって……」 「………ティア……」 独り言のように零れたあえかな声に、紛れもない愛しさを感じて胸の奥にほわりと暖かな灯が燈ったように安堵と幸福感が広がって、ルークは思わずぐっと彼女を抱き締めなおした。 「っ……ルー、ク……」 小さな息を漏らした身体は、けれど今度は逃げ出そうとはしなくて、おずおずと背中に腕が回されてきた。 甘え方を知らない彼女と、甘やかしてやれるだけの度量のない自分。 いつまでも平行線を辿ってばかりはいられなくて、思い切って踏み出した一歩は思いの外大きかったようだ。 「……ティア……」 好きだとか、愛してるとか。 そんな台詞は恥ずかしすぎてなかなか口に出来ないけれど、せめてこの思いが伝わりますように。 そんな思いを込めてルークはぎゅっと彼女の背中に回した腕に力を込めた。 「………ん……」 彼女は小さく身動じしたけれど、それだけで。 苦しいとか離して欲しいとか、そんな台詞が零れてこないことにささやかな、けれど大きな幸せを感じながら。 「って言ってたのになぁ……全然あれっきり甘えてなんかくれねえの」 結局つれない恋人はつれないままで、思わず愚痴めいた台詞を零したら。 「わ、私はそうしてしまいそうって言っただけで、そうするなんて一言も言ってないでしょう!」 同席するガイやアニスを気にして色々とぼかした返事が返ってきた。 顔を真っ赤にして慌てる様子が可愛い、と思ったけれど口にすれば起こられることは間違いないので黙っておくことにする。 「むしろだからこそ気をつけなくちゃいけないって言うか、その……」 らしくない上擦った声で言い訳めいた台詞を口にしつつ手元の書類を弄くっているティアを見てアニスはしょうがないなあとでも言うように肩を竦めた。 「てゆーか、ティアは頭が固すぎるんだよね〜。いいじゃんちょっとぐらい甘えたって。その方がルークだって嬉しいよねぇ?」 ルークとティアが交わした会話の内容など知るはずもないのになんだか妙訳知り顔と言うか……。 そのことに違和感を覚えてティアは彼女と、ルークを見た。 ついでに何の話かよくわかっていない様子で眼を瞬いているガイも。 ―――――― そうして、察した。 らしくないルークの言動の、元凶がなんだったのかを。 「………アニス、貴方の入れ知恵だったのね……?」 低く唸るような声を上げたティアに、アニスは動じるでもなく、可愛らしく且つわざとらしく首を傾げて見せた。 「え〜。アニスちゃん別にたまには男らしくどーんとぶつかれとか強気に出てみてもいいんじゃないかとか、むしろいきなりぎゅーっと抱き締めちゃえとかそんなこと言ってないけど?」 「……具体的過ぎて言ったと言ってるようにしか聞こえないんだが……」 なんとなく、これまでとこれからの成り行きを察してガイは溜息と共に額を押さえた。 ―――――― ルークの頬に真っ赤な椛が散るまで、あと数秒。 ― END ―
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当初考えていた話と大分違う話になりました……アレ(笑)。 久々にちょっとらぶらぶいちゃです。殴られても甘いのです。多分。 |