「……っ!」
 軍部に提出する為の報告書を作成していたら、突然軽く肩を押された形になったティアは小さく息を呑んだ。
 ペン先が滑って僅かに文字が歪む。
 肩を押したものはそれに構うことなくのっしりとそこに体重をかけてきた。
「………ルーク。文字がよれてしまったわ。書き物をしている時に邪魔をするのはやめてちょうだい」
 溜息と共に告げると肩に圧し掛かった重みの主 ――――― 重みの正体は隣に腰を下ろしたルークの顎だった。位置的に見えはしないが少し尖った形と高さ、僅かに感じる吐息がそれを知らせてくれている ――――― は姿勢を改めることもなく肩越しにティアの手元を覗き込んできた。
「大してよれてねーじゃん。つかよれてても俺のよか全然綺麗だし」
 書類に並ぶ文字はティアの性格の良く出た手習いの手本にでもなりそうな均一の大きさの整ったそれだ。
 それだけに僅かな歪みが目立つのだが、ルークは気にした様子もなくゴロゴロと喉を鳴らす猫のように項に顔を摺り寄せてきた。
 ――――― ルークは字が汚い。
 嗜みとして厳しい指導を受けたはずだが、こればかりは身につかなかったらしい。
 大貴族ともなれば祐筆を置いて自身はサインのみと言うこともままあるのでこれまでは誤魔化しが聞いていたようだが、アドリビトムに身を置くようになってからは基本的に自分のことは自分での方針なのでボロが出始めている。
 そもそも元来ルークは事務仕事が得意ではないのだ。
 彼の年齢を考えれば机に噛り付いている方が好きと言う人間の方が稀なのだろうが、将来のことを考えると苦手とも言っていられない立場にあるので否応無しに書類に向かい合わねばならない現状はルークにとってはいい修行の場とも言えるのかもしれなかった。
「そういう問題じゃないでしょ」
 悪びれる様子のないルークをぴしゃりと跳ねつけてやったが肩にかかる重さは消えない。
 目立って背が高いというわけではないので見過ごされがちなのだが、この男、どこか幼気な見た目の印象より遥かに体格が良くてがっしりとした身体付きをしているのだ。
 当然体重も重いし、力も強い。
 押し退けようと思ってもルーク自身が退いてくれる気にならない限り無理だということを良く知っているティアは、せめてもの抗議の証と肩に懐いている彼の顔を容赦なく掌で押し退けてやった。
「……仕事の邪魔よ、退きなさい」
「ヤダ」
「きゃぁっ!?」
 間髪入れずに拒否が返ってきた。
 かと思うと抗議を無視して伸びてきた腕に身体を引き寄せられて、あっという間にルークの腕の中に囲い込まれてしまうこととなった。
「っ……何をしてるの!」
 胸の下の辺りで腕を組まれ、身体を固定されて肩と言わず項と言わず、届く範囲にぐりぐりと顔を押し付けられて擽ったいやら恥ずかしいやらで顔が赤くなる。
 伏せられている所為でその表情は伺えないものの、なんだかすごく嬉しそうな気配が漂っているのもティアの羞恥を煽った。
「ルー……」
 もう一度強く名前を呼ぼうと口を開いた瞬間、ガチャリと眼前の扉が開いた。
「ティア、さっきの報告書……」
 茶封筒を片手にひょっこり顔を覗かせたアニスが言葉を切って、動きを止める。
 ――――― 極真っ当な反応である。
 ソファの上で後ろから抱き疲れて手足をばたつかせている図をなんと形容したものか。
 この場合悪いのはアニスではない。
 ノックをしなかったことは多少行儀が悪いといえなくもないが、ここはルークを中心としたグランコクマのメンバーに与えられた共有スペースだ。
 誰が来たっておかしくないし、覗かれたっておかしくはない。
 間違っているのはルークである。
 それがわかっているからなおのこと、咄嗟に反応できずにルークも硬直してしまったのだけれど。
「……報告書、明日の便で大丈夫だって。じゃ」
 一瞬の沈黙の後、アニスは表情一つ変えずにそう言って踵を返した。
「ちょ、ちょっと待ってアニス、助けて!」
 咄嗟に彼女に助けを求めたティアだったが。
「ゴメン、無理。てゆかルーク様、新しい書類届いてるんでなるべく早く充電済ませてくださいねえ」
 アニスは満面の笑みを浮かべるとそう言ってパタリと扉を閉じてしまった。
「え……」
 ティアが差し出した手は宙を掻き、切れ長の瞳が丸く見開かれる。
 いつもならアニスは呆れて突っ込みを入れてくれるはずで、ルークは慌ててティアを離すはずだった。
 二人きりの時には遠慮のないルークだが、羞恥心がないタイプと言うわけではない。
 その辺りの感性はティアに近く、人前で抱き合ったり口付けたりなんてことはありえない。
 ありえないはずなのだが、アニスが姿を消したのをいいことにルークはそのままティアの項に顔を埋めて唇を寄せてきた。
「きゃっ、ちょ、ちょっと!」
「いいじゃん、アニスもああ言ってたし……もうちっとだけ。疲れてるんだよ」
「疲れているなら仮眠でもなさい! 少し経ったら起こしてあげるから!」
「……ヤダ。こっちのがいい」
 ――――― こっちのって、どっちの?
 訳がわからずとにかく逃げ出そうとするティアと、逃がす気のないルークの押し問答のような会話は五分程も続き。
「……っし、充電完了!」
 やがて満足したのか、ルークは来た時同様唐突に立ち上がった。
 暴れ疲れてぐったりとしたティアにごめんな、と小さく告げると書類の広げられた自分の机へ戻っていく。
「…………な、なんだったの……?」
 何がしたかったのかさっぱりわからなくて、ティアは困惑の表情を浮かべることしか出来なかった。
 一体なんだったのかと問いたい気持ちも有ったが、ルークは既に真剣な表情で書類に向き直っていて、それを邪魔するのも気が引ける。
 構って欲しかったにしては一方的過ぎるし、何かしたかったというわけでもないようだ。
 アニスの態度もなんだか腑に落ちない。
「っ……い、いけない。私も報告書かかなくちゃ……」
 とりあえずは目の前の仕事が先、と頭を振って混乱する思考を振り払ったティアだったが。
 報告書に何を書こうとしていたかをすっかり忘れてしまっていることに気付いて自己嫌悪に陥ったのだとか。


 後日アニスに詰め寄ったティアは非常に嫌な返答を得た。
 曰く、上司に「それでルークの事務仕事の効率が上がるなら放っておきなさい」と言われたのだとか。
 ――――― 上司とは言わずもがな、恐怖の陰険眼鏡……もとい、ジェイド・カーティス大佐のことである。

― END ―


 あれ、これまだ上げてなかったっけ……?
 サイトを確認しても乗っていなかったので挙げ忘れていた……可能性が高そうです。ノウ。
 相変わらずちょっぴり強気のルークさんです。

2010.06.01

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