――――― それは僕が生まれてから半年程が経った頃。
 まだ、導師イオンになる為の教育を受けていた頃のことだった。

 休憩を言い渡されて一人で自室に戻った僕は、窓辺に腰を下ろして何とはなしに外の風景を眺めていた。
 今日は少し、熱があるのかもしれない。
 集中力が落ちて、予定されていた場所まで進まなかった。
 教育係の教団員はそれを察して僕を部屋に下がらせたのだろう。
 僕の身体は丈夫ではなかった。
 けれどそれをどうこう思ったことはない。
 レプリカは被験者に比べて劣化するもので、僕の体力が劣っていることは純然たる事実で、それ以上でもそれ以下でもない、そう思っていた。
 ただこうやって休憩時間を多く取って貰わなければならないことは ――――― カリキュラムはそれを考慮して組まれてはいたけれど ――――― 教育係達にとっては煩わしいものだったろうし、彼自身にとっても気持ちの良いものではなかった。
(…………あれ?)
 もう少し、せめて日常生活に支障がない程度で有ればいいのだけれどとぼんやりと考えながら向けた視線の先、緑の生い茂る庭に何か朱いものがちらついているのが見えて、イオンは目を瞬いた。
 花にしては大きい ――――― し、だんだん近づいてくるようだ。
(ここは立ち入り禁止区域のはずなんだけど………)
 警備の人間に声を掛けるべきだろうか。
 微かに言い争うような声が聞こえてきて、侵入者は一人ではないのかもしれないと思う。
 それでも動かなかったのは ――――― 聞こえてきた声が、自分とあまり変わらない年頃に思えたからだった。
「っ、から、接触は禁止されてるって言ってるだろ!」
「いーじゃん、ちょっとぐらい!」
 イオンは教育係の大人以外の人間を見たことがなかった。
 けれど、聞こえてくる声の片方が酷く聞き覚えのあるそれのような気がして窓の外に顔を出したのと、その先の茂みから彼が顔を出したのはほぼ同時だった。
「……っ!」
「うわ、びっくりした!」
 びっくりしたのはこちらの方だ、と思う。
 そこには夕焼けのようにキレイな明るい朱い色をした髪の、見たこともないようなキラキラした瞳の自分より少し年嵩の少年が居た。
 それを見た瞬間、感じたのは不思議な懐かしさ。
 あんな朱い髪、一度見たら忘れない。
 あったことはないはずなのに、やけに心臓が騒ぐ。
 その奥に、もう一人。
 こちらは少し小柄で、不思議な形をした仮面で顔を覆った少年が立っていて、それを眼にした途端さらに大きく心臓が跳ねた。
「……ぁ、あの、貴方達は ――――― ……」
「俺はルーク! 今はアッシュって名乗ってるけど ――――― えと、そんでこっちがシンク!!」
 ルークと名乗った少年が屈託なく笑う。
 シンクと呼ばれた少年は嫌そうに顔を背けたようだった。
「僕は………」
 イオン、と名乗ってもいいのだろうか。
(……僕は導師イオンになる為に作られた ――――― イオン以外の名前なんて持ってない。でも被験者のイオンはまだ存命だ ――――― ……)
 一瞬で色々なことが脳裏を過ぎった。
 戸惑うイオンに一瞬目を見開いて、それからルークは無造作に片手を差し出してきた。
「大丈夫だよ。俺達はイオンと同じだから」
(躊躇わず……僕をイオンと呼んだ ――――― ……)
 そのことは驚くほどのことでもない。
 導師イオンの顔はこのダアトの住人なら誰もが知っている。
(でも、同じって ――――― ……)
 誘われるままに伸ばした指先が触れて、途端。
 さぁっと何かが流れ込んでくるような感覚があった。
 心臓の音が早くなる。
「ひょっとして、あなたは……」
「そうだよ、レプリカだ。どうしてもイオンに会いたかったし、会わせたかったから警備掻い潜ってきたんだ」
 悪びれるでもなく屈託なく笑うその姿に、眩暈ともつかない衝撃を覚える。
 ――――― 今、彼は何と言った?
 それは決して外に明かせぬ秘密であるはずなのに。
 彼は事も無気に、笑みさえ浮かべてそれを口にした。
「僕は会いたくなんかなかったよ!」
「んだよ、お前だって興味あったろ?」
 シンクと呼ばれた少年が彼の後ろで不機嫌そうに声を荒げるが、けれどルークはどこ吹く風だ。
「ないよ! そんな奴の顔見てどうすんのさ!」
 そんな風に強い言葉をぶつけられたのは初めてで、目を瞬くことしかできない。
 緑の髪の彼は ――――― 緑の、髪。
「……ぁ……まさか……」
「やっとわかったの? 頭の方が劣化してるんじゃないだろうね」
 皮肉めいた口調。けれどその声は、聞き覚えがあるはずだ。
 同じ導師イオンのレプリカなのだから。
「………僕以外は、みんな廃棄されたと聞いていました」
「されたよ、ヴァンに拾われてこうして生きてるけどね」
 あぁ、だからそんな風に顔を隠しているのかとぼんやりと思う。
 この場合、僕はなんと告げるべきだろう。
 頭の中を、詰め込まれた知識の中を探って答えを探す。
「 ――――― ……すみません、でした」
 これであっているかどうか、わからないけれど。そう思いながら告げると。
「いらないよ、そんな上辺だけの謝罪。ホントにすまないなんて思っていないクセに謝らないでよね」
 そんな風に突き放された。
「ちょ、シンク、お前キツいってぇ」
 ルークの呆れたような声が上がる。
 けれど僕は、そうは思わなかった。
 さぁっと高いところを吹く風に霧が晴れるように、僕と世界を隔てていた柔らかな壁のようなものが取り払われていくのを感じていた。
 飾りのない、本音。
 それは、僕が今まで一度も聞いたことのないものだった。
 それまで僕は真綿に包んだような、取り繕ったような教育係達のそれしか知らなくて。
 真っ直ぐに他人と一対一の人間として話をしたことはなかったから。
「……そうですね。すみません、今の言葉、取り消します」
 今度はするりと、思ったままの言葉が落ちてきて。
 シンクが一瞬、動きを止めた。
 そうして初めて、真っ直ぐ僕の方を見る。
 彼は本当に僕に会いたくなどなかったのだろう。
 ルークに無理やり連れて来られただけで。
 そうだ、あれは僕の言葉じゃない。
 慈悲深い導師として最善の、表向きの答えだ。
「僕も好きでここにいるわけではありませんから」
 仮面で隠れたシンクの目元は見えなかったが、口元がぽかんと開かれる。
「………へ?」
 動きを止めたシンクときょとんとした顔のルークがおかしくて、イオンは小さく噴き出した。
 ――――― 生まれて初めて、本気で笑った。
 呆然とする二人を前に一頻り笑って、それで滲んだ涙を指の背で拭って、微笑む。
「でも、貴方達に会えたことは、本当に嬉しいと思います」

 ――――― 初めまして、僕の愛しい同胞達。
― END ―


 このサイトを始めた当初はまさかこれほどオフライン中心になるとは思わず……番外編もちょいちょい書いていきたいと思い書きかけていたものでした。
 そのうち完成させよう……と思って放置し続けていたとか(orz)。
2014.11.1

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