美鞍葛馬は、小さく唸った。
 広げられたノートに記されているのは、解読不能な英数字の羅列。ひとつページを捲れば、『ちょっとしたコツと勘』だと評した男の、丁寧な文字が綴られていて。だけど、それを見返してみても、目の前の数式を解くことは難しい。
「別に、こんなん出来なくたって、死にゃしねーだろ!」
「でも、出来なきゃ『半殺し』なんでしょ?」
 くすくすと笑う声に振り返れば、穏やかな眼差しを浮かべた男がそこにいる。
「仕方ねーだろ!」
 分からないものは分からないのだ、と。呟いて、ごろり、と転がる。
 クッションの効いたソファは、柔らかく葛馬の身体を受け止めて。その心地良さは、眠りを誘う。事実、もう何度も、葛馬は此処で転寝に陥っていた。
「カーズ君」
 優しい声が、葛馬を呼ぶ。
「寝ちゃ、駄目だよ?」
 ソファが、揺れる。
 酷く近い距離で、聞こえた声に、薄く目を開ければ。端正な顔が、間近まで迫っていて。
「…っ」
 思わず息を詰め、身を竦ませた葛馬の鼻先を、温かな吐息が掠めていった。
「ご褒美」
 にっこりと笑って、スピット・ファイアが言った。
「欲しくない?」
「…いらねぇ」
 どうせ、何か裏があるに決まっているのだ。
 こんな風に、コイツがニコニコ笑っているときには、碌なことがない…なんて、零せば。それは、さも心外だと言うように、困った様相で、眉を顰める。
「折角、カズ君のために作ったのに」
「作った?」
 そう言えば、彼は、この1時間ばかり、キッチンに篭っていた。少し前からは、良い匂いも漂ってきていたし。見遣った時計が指し示す時刻は18時を過ぎている。
「…メシ?」
「うん」
 にっこりと浮かぶ満面の笑顔に、腹の虫が答える。
「ちょっとだけ、息抜きしたらどうかなって思って」
 ね、なんて。
 軽く首を傾げて言われたら、否とは言えない。
 人好きするその笑顔には、勝てた例がないのだ。
「ほら」
 立って、と。腕を引かれて、ダイニングルームへ行けば。テーブルの上に並べられていたのは、様々な…───
「…これって…」
 漂うのは、仄かな甘い香。部屋の片隅には、オレンジ色の、カボチャのオブジェまでもが置いてあって。
「ハロウィン・パーティ」
 と言っても、本当にささやかなものなんだけれどね、と。スピット・ファイアは言って。何処から取り出したのか、黒いとんがり帽子を、葛馬の頭に載せた。
「Trick or treat!」
 お決まりの科白は、葛馬も良く知っている。
「言う立場、逆じゃねぇ?」
「そうだっけ?」
 不思議そうに首を傾げて見せるけれど。どこかその所作は、わざとらしい。
「カーズ君」
 そうして、にこにこと笑いながら。
「おかしは?」
 スピット・ファイアは、葛馬の頬を撫ぜる。
「くれなきゃ、悪戯しちゃおうかな?」
「…っ、な、なに、言って…」
 そう声を荒げかけた葛馬の鼻先に、スピット・ファイアは、口付けをひとつ、落とした。
「なっ…な…」
 かぁ、っと葛馬の頬が朱に染まる。
 思わず後退りかけた葛馬の腕を、スピット・ファイアは捕らえて。また、にっこりと笑みを深めた。
「おかし、くれないの?」
 緩く首を傾げる顔は、酷く楽しそうで。その指先は、文字通り悪戯めいた動きで、葛馬の喉元を擽り、脇を下りて。
 そうして、裾から忍び込んだ指先が、直接に葛馬の肌に触れた、瞬間。
「…っ、ざけんなっ」
 怒鳴りつける葛馬の声と、なんとも小気味の良い、けれども不穏な音が、リビングに響いた。


「カズ君」
 心底、困り果てた声で、スピット・ファイアは葛馬を呼んだ。
「ねぇ、怒ってるの?」
「っせぇ、着いてくんな!」
 吐き捨て、冷たい風を切って駆ける葛馬の後を、声同様に困り果てた表情で、スピット・ファイアが追う。
「だって、今日は、ハロウィンだよ?」
 だから、ほんのちょっとだけ、悪戯をしただけなのにと。拗ねて呟くスピット・ファイアと。
「煩せぇ、このムッツリ!」
 頬を真っ赤に染めて毒吐く葛馬の追いかけっこは、深夜を過ぎても続いていた、らしい。
− END −


ほだか。様
「え、本気でやるの!?
 が、正直な感想でございました。
 果たしてテーマに添えているか、大いに疑問ではございますが…
 とりあえず、豪華人なメンバーの中にお誘いいただいて、恐縮しまくりな、ほだか。でした」
戻ル。